E:大切
人工の森を歩いていくと、たどり着く場所がある。その道は、招待された者にしか示されない。入り口は、無数にあった。
屋根が緑化されている、半球状の建物。
それが、
「中に、入ってていいんだよな?」
入り口で戸惑っていると、扉が自動で開いた。
「よくお越しくださいました」
黒いスーツ姿の若い男が、開いた扉の向こう側で微笑んでいた。
案内されたのは、白い扇状の前室を持つ、その奥の部屋だった。同じような、白を基調とした部屋で、テーブルと1人がけのソファーが対面して置いてある。それぞれが、それぞれに座る。
「で?依頼というのは?」
「今、我々が開発しようとしているものについて、アキ博士にご協力いただきたいものがあるんです」
「博士なんて、心にもないこと言わなくていいですよ?一介のプログラマーに、なんの協力ができるんですか?」
笑顔を浮かべて牽制する。
しかし、男が動じる様子は見られなかった。
「ヒトに埋め込んでも支障がなく、尚且つ、個人の情報を書き込めて、監視ができるもの」
「監視?」
訝しむ心をそのまま顔に出して、
「監視、というと聞こえが悪いですね。ただ管理するだけです。社会登録番号と、同じです」
男の顔をじっと見据えたまま、
「また、なんで、監視なんか?」
「聞きますか?後戻り、できなくなりますよ?」
「まぁ、アキ博士に断られることも、予測済みなので、構いませんよ?もう一人、有能な方がいらっしゃいます。貴方のご友人に」
「国際警備捜査機構で同期の、珪さんです」
心臓を掴まれた気がした。
瞬間、浮かんだのは、あのときのリュータの笑顔だった。
―― あのとき失ったけど、みんなは、やっとできた、俺の大切な繋がりなんだよ ――
リュータから、珪だけは引き離すわけにはいかない。信頼してくれている彼を、裏切りたくはない。リュータにとって自分たちが、どれだけかけがえのない存在なのか、知ってしまったから。
「求めているものなら、俺のほうが得意ですよ。監視の理由を聞かせてくれたら、お引き受けしましょう」
男は、
「分かりました」
男が話したのは、昔話だった。
「4区というのは、ご存知ですか?」
その言葉から始まった昔話は、
内容は、こうだった。
4区には、20年ほど前、人工生命体を生み出す実験施設があった。4区には、社会登録ナンバーがない。世界的には、存在しない人々が暮らしている。その人々に、役割を与えるという名目で、実験に協力してもらっていた。その細胞を、体を、差し出してもらっていた。
しかし、命はなかなか都合よく育ってはくれない。
そんなとき、実験体の1人が、施設を抜け出したのだ。
4区は、他とは違い、入り組んでいる上に、アナログ世界。人口も、決して少なくない。探しはしたが、ついには見つけられなかった。
極秘で行われていた実験は、終わりを迎え、施設も今はない。
「さて、アキ博士。私たちの依頼を、引き受けていただけますか?」
そう話を締めくくった男を、
「約束なんで」
連絡先を聞いて、
「(もしかして、実験は、成功していたんじゃないのか?たった、1人だけ。そして、リュータが生まれた……?)」
足を止め、大きくため息をついた。
「(そんな偶然あるか?)」
だとしたら、彼が、サクラと出会ったことは、ある意味運命だったのか、と、そこまで考えて、
ふと、立ち止まる。浮かぶのは、悪戯な笑み。
「え?俺、何を素直に帰ろうとしてんの。見学していこー」
歩く先に、右に曲がる通路が見える。
そこまで行って覗いてみると、3メートルほど先に、半透明の扉が見えた。
「ここは、行き止まり……?」
「アキ?」
後ろから声がして、体がビクッと小さく跳ねた。
振り返り、声の主を確認する。そして、見知った人物の姿に、ホッと息をついた。
「サクラ……」
「何やってんの、こんなところで?」
白衣を着て、薄いガラスのような透明なタブレットを持っている。
「仕事の依頼を受けたから」
「……LABから?」
サクラは、表情を曇らせた。
「そう。今、打ち合わせが終わったから、ちょっと見学していこうかと思って」
「研究室に案内するよ。来て」
サクラは、
左の壁面の一部に、長方形に枠がはめ込まれていた。そこだけが、よく見ると、白ではなく、扉と同じ、半透明色だった。
サクラが、そこに左手を当てると、赤く光を発した後、ピピッと音がして扉が静かに開いた。
しばらく歩くと、廊下の片側に、透明なアクリル板をはめ込まれた部屋が、ぽつりぽつりと見えてきた。間隔はまばらで距離もとってあり、それぞれが独立していた。全てに研究者がいるというわけではないようで、未使用の部屋も幾つか見られた。使用されているところには、ネームプレートがつけられている。
「SA」とプレートに刻まれた扉の前で、サクラは止まった。
扉の横には、先程の扉と同じように、手をかざす場所があり、それがセキュリティ解除となっているようだった。
扉を開けて、サクラは
「どうぞ。狭いけど」
笑うサクラの顔は、どこか儚げだった。
「お邪魔します」
扉の向こうは研究室の設えだった。サクラの研究室らしく、きちんと片付けられている。
「コーヒー?」
「他にあるの?」
「炭酸系のものなら」
「じゃあ、ジンジャーエール」
テーブルの下に、小さな冷蔵庫が置いてあった。そこから、サクラはジンジャーエールのボトルを取り出すと、カップ2つを用意して、それぞれに注ぎ入れる。
「アキ、もし、まだ断ることができるなら、断ってくれないかな。その依頼」
自分のデスクチェアに座るサクラは、真剣な表情、真剣な声音。
「意外と、金になるんだけど?」
「アキ!」
暗い顔を明るく変えようと言った言葉は、しっかりサクラを怒らせていた。
「ごめん、ごめん」
「戻れなくなったら、どうするの?」
「お前が言うか?っていうか、悪ィ。もう断れないんだよ」
「アーキー……」
サクラが、困り顔で少し身を乗り出した。
「ちょっと、交換条件で。体に埋め込めて、監視できるチップを作れって言われてさ、何で監視なんだって思うでしょ?そんなもの作れって言われたら」
「交換条件って、何言ったんだよぉ……」
サクラは、頭を抱えていた。
「だからさ、監視の理由だよ。どうやら、4区と関係あるらしくてさ。昔、4区で人工生命体の研究してたとき、1人逃げ出したやつがいたんだって。結局そいつは逃げ切って、捕まっていない」
「つまり、その実験体が女だったとして、体の中で、命を育てていたのだとしたら、だよ。その命が生まれていても、それが、生命の神秘に手を加えられた存在だとしても、誰にもわからない。もしかしたら、リュータって……って、思ったの、俺」
「お前のそれも、4区で昔やってたことの、リベンジって感じなんだろ?上は、今度は逃げ出すなんてことのないように、チップ入れて監視したいみたい」
話し終わると、
「確かに、4区に研究施設があったのは20年くらい前だから、可能性はあるけど、でも、4区にいた子どもだって、1人や2人じゃないだろうし」
「児童養護施設ができて、そこに問答無用で入れられたっていうのもさ、もしかして、探してたんじゃないかって、今日の話を聞いて思ったんだよな。でも、タローちゃん、抜け出してたって言ってたから、上手くすり抜けてたっていうか……」
「…………だとしたら、護らなきゃ」
サクラの言葉を聞いて、
「だな。大切な繋がりだから、俺たち」
* * * * *
快適な部屋のソファーに膝を立てて座り、クッションを抱え込んで、リュータは先程からずっと、不貞腐れていた。
1週間後には、お仕事がある。表のではなく、裏の方の。準備は順調だ。原因は、それではない。
1階のフロアには、今、リュータしかいない。珪は、只今入浴中。今日も、美味しいご飯を作ってくれた。それも、原因ではない。
階段下にある、脱衣場兼洗面所との境の布が、静かにめくられ、珪がため息とともに戻ってきた。
髪をしっかり乾かして、カットソーにスウェットのパンツという、ラフな恰好。冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、一口飲んでから、ソファーへ歩み寄ってくる。
「なに?その不満そうな顔は?メニューがご不満でしたか?」
「最高に美味しかったです。俺、太りそう」
返された言葉は、幸せを表現するはずなのだが、響きも表情も、ずっとむくれている。
「先に、風呂に入りたかった?」
「先に行っていいって言ったの、俺」
「あとはー……」
「ねぇ、珪ちゃん!」
「はい」
「サクやアキと遊びたい」
むくれ顔で、前をグッと見つめて、リュータは実に不満そうにそう言った。
「は?」
「サクにもアキにも、最近全然会ってなーいー。史那のとこに行っても、入れ違いだし、アキのとこに行っても留守だし」
珪は、リュータの不満を聞きながら、持っていたペットボトルを開けて、喉の乾きを潤した。
リュータの言っていることは、もっともだった。確かに、最近、めっきり遊びに来なくなった上に、行ってもいないことが増えた気がする、と珪も思い出していた。
珪は、テーブルに置いたままだった自分のケータイを取り、アキへメッセージを送った。その間も、リュータは、2人に会えない寂しさを訴え続けていた。
――明日、ウチにいる?――
――明日?――
――リュータが、サクラやアキに会ってないって、ダダこねてるから――
――お前は、おとーさんか(笑)――
――うるせーよ。言われて、そういえば会ってないって思ったんだよ!――
――明日なら、ウチにいる。サクラはいないけど、遊びに来いよ――
――りょーかい――
ケータイから顔をあげると、リュータは、すっかり悲しみと寂しさに沈んでいた。抱き締めるクッションに、頬と顎とを埋めている。眉尻も、情けないくらいに下がっていた。
それを見て、珪は、小さく笑った。
「明日、アキんとこ行くぞ」
「え?!」
リュータの顔が、パッと輝く。しかし、すぐに悲しみに戻った。
「行ってもいないかもしれないし……」
「明日はいるってさ。遊びに行く?」
今度こそ、リュータの表情が喜びに輝いた。
「行くー!!」
ぎゅっと抱きしめていたクッションを、隣のソファーに置いて、リュータは立ち上がった。
「お風呂入って、早く寝よー」
先程までの不満はきれいになくなり、リュータの表情は喜々としていた。パジャマを取りに、足取り軽く、階段を登っていく。
2階まで行って、リュータは、吹き抜けの1階を見下ろし、ソファーで水を飲んでいる珪を呼んだ。
「珪ちゃん!明日、起こしてね?」
「素直に起きろよ?(アキの目覚まし、どこ行った?)」
「はーい」
声と共に、リュータは自室へ消えていき、またすぐに現れて、楽しげに風呂場へ消えていった。
リュータの喜怒哀楽は、見ていて面白いと、珪は思っていた。喜怒哀楽を素直に表すリュータを見ていると、自分の中にある感情に気づかされる。まるで、心の内を見せられているようだ。
今も、アキやサクラに会っていないことや、その寂しさに、不貞腐れていたリュータを見ていて気がついた。
勝手に大人ぶる自分を、適度にほぐしてくれる。
「起きないんだろうなぁ……明日」
ため息と一緒に、笑いが溢れた。
* * * * *
珪の予想通り、起きるのを渋ったリュータをいつものように起こして、いつものように、朝食を食べる。いつも通り、リュータは幸せそうに朝食を頬張っていた。
「スクランブルエッグと、サラダと、ベーコンに、コーンスープ」
今日のメニューを挙げながら、ひとつづつ口にしていく。
「ロールパンまで作れるなんて、珪ちゃん、ホント天才!おいしー」
「早く食べてもらえると、嬉しいんですけど」
珪のプレートは、もう1/3ほどだが、リュータのプレートは、2/3が残っている。
「あ、俺さぁ、アキに持ってくものあるんだぁ」
企んだ子どものような笑みを浮かべて、リュータは、よく焼けたベーコンを頬張った。そして、また、「おいしー」と、うっとりした顔をしている。
「持ってくもの?」
「うんっ。珪ちゃんにも、行く前に見せてあげるね」
昨日の夜、同じ場所で不貞腐れていたのと、同じ人物とは思えないくらいの上機嫌。
彼の正面に座る珪は、リュータの単純さと素直さに笑みをこぼした。
「で、早く食べろよ?」
「はーい」
今は梅雨。外は、しとしと雨が降っている。
明日は晴れの予報が出ていた。洗濯は明日に回そうと考えながら、珪は、コーヒーに口をつけた。サクラが、最初に来たときにお土産にくれたコーヒー豆と同じものだ。珪もリュータも気に入っていて、同じものを継続して購入している。
食後の後片付けは、いつもリュータがしている。おまかせをして、珪は、コーヒーのおかわりをいただくのだ。
「見て、珪ちゃん。俺の自慢の作品」
「アキに持ってくって言ってたやつ?」
「そう」
「へぇ。いつの間に?」
「アキ、喜んでくれるかなぁ?」
「これは、リアクションが楽しみだわ」
それから、出かける支度をして、まだしとしとと続く雨の中を、アキの家へと歩く。途中、ハンバーガー店でフライドポテトを買った。アキが、好きな味付けだ。冷めないうちにと、少し急ぎ足になる。
アキの家の玄関扉も、珪の家の扉のセキュリティを作り変えたときに、同じものに付け替えている。
インターホンを押そうと、リュータは手を伸ばして、ボタンに触れ、そこで彼の動きは止まった。
押してみて、また、いなかったら――――それを考えると、インターホンを押すことをためらう。
と、そこへ、隣から腕が伸び、リュータの指に重ねるようにして置かれ、そのまま、インターホンを押した。
「珪ちゃん!」
指の主に文句をつけるが、当の珪は、ニヤリと笑っていた。
「いるって。昨日、確かめてんだから」
彼の言うとおり、すぐに中からの声が聞こえた。
「そんなとこでコントしてないで、入ってこーい」
リュータの表情が、一気に輝いた。
「いる!!」
リュータが、勢いよく引き戸を開けて、嬉しそうに駆け寄っていく。
「アッキー!」
「久しぶりー」
珪は、やれやれという顔で、2人を見つめた。2人は、作業台の前で、持ってきたポテトを覗き込み、独特の匂いを楽しんでいる。
そのまま匂いだけ楽しむ気なのか、ポテトを中心にした話題は尽きなさそうだった。そこへ、珪が割って入る。
「お仕事中?」
1階中央に置かれたソファーへ歩いて行く間に、
珪が、そのままソファーに腰を下ろそうとすると、それを止めるかのように、
「珪ちゃん、コーヒー」
珪は、座ろうとしていた動きを止めて、不服げに彼を見やった。
「俺、客なんだけど?」
「客はコーヒー淹れないなんてルール、ウチにはありませーん。っていうか、珪ちゃんが淹れると、美味しいんだよな」
「コーヒーメーカーなんだけど?」
文句を言いつつも、珪は、コーヒーを淹れに行った。
リュータは、久しぶりに見るこの光景を、楽しげに眺めながら二人掛けのソファーに座った。
「アキ、忙しいの?」
まだ作業を続ける
「まぁね。ん~、でも、忙しいっていうか、プレッシャー?」
コーヒーを淹れるいい香りが、ソファーと作業台の辺りにも漂っていた。
珪は、キッチンから
「アキがプレッシャー?一体、クライアントはどこの誰?」
「まぁ、あれよ。言えない人たち」
「アキへのプレゼントだから、いっぱい食べて?」
「あーもう、こういうジャンキーなもの食べたかったんだよなぁ!ありがたい」
早速ポテトを数本取って食べ始める姿を、リュータは、幸せそうに見つめていた。
「あと、もう一つ、アキにプレゼント。はい」
リュータが、紙袋をひとつ、アキに差し出した。小さめの紙袋だった。
ポテトと一緒にナイロンの手提げ袋に入っていた紙ナプキン。
紙袋の中を見て、
「本?」
リュータの顔は、子どものような悪戯な笑み。
「フォトブック。俺のお手製」
青い表紙のフォトブックを、
出会ってから、4人で過ごしてきた賑やかな時。喜怒哀楽の様子が、フォトブックの中にある。
リュータの声が、テーブルの向こうから届く。
「俺の、自慢の作品。俺の宝物」
その声は、とてもあたたかく、とても柔らかで、幸せに満ちていた。
今の
「(やべ……泣きそう)もらっていいの、これ」
「うんっ」
「っていうか、何でこの中にタローちゃんがいないわけ?」
「俺が撮ってるからに決まってるでしょ。みんなの顔が撮りたかったんだー」
「なら、サクラと俺の仕事が終わったら、4人で、写真撮ろう。ちゃんと、4人写ってる写真」
リュータの顔が、喜びに輝く。
「うん!あ、写真撮ったら、そこの裏表紙に貼ろうね」
「いいね!」
「珪ちゃん、今度、4人で写真撮ろう!」
リュータの喜びは、全身から溢れていた。
「聞こえてた。なら、サクラに催促するか?」
「催促?」
「3人で写真撮って、あいつに送ってやろう」
珪の提案に、
「珪ちゃん、オニー。でも、そういうの好き。やろ、やろ!」
それから、ポテトを食べながらの撮影大会が始まった。3人それぞれのケータイを使って、3人一緒に写っているものや、一人ずつ写るもの、変な顔をしているものやクールな表情、爆笑中のもの、賑やかな今を、たくさん撮った。
すぐに、
一言、「待ってる」と言葉を添えて。
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