D:友だち
「なぁ、アキー。この請求書、金額おかしくない?」
「適正価格だろ」
珪の家は、今日も賑やかだった。
「玄関のセキュリティは、割り引きしてるし。だいたい、今さら空調の調整とか、どうしたの?」
「いや、室温と湿度を快適にしておけば、風邪ひきにくいかなって」
相変わらず、請求書を睨み付けながら、珪はさらりと答えた。
「風邪?」
「リュータが風邪ひかないように」
「笑ってるけど、ホント、大変だったんだからな?」
「大げさだな」
「これは、体験しないとわからない。相手は史那なのに、診療所でもなかなか診察させなかったみたいだし、薬もおかゆも拒否するし、そのくせ、あちこち痛いって言うし、あれが食べたい、これが飲みたいって、」
「で?ちゃんと聞いてやってたワケ?」
ニヤリと、
「ワケないだろ?俺は、戦った」
「本当、お前ら面白い!」
「風邪ひかなきゃ、あんなにならなかったんだ。だから、アキに頼んだんだろ?」
「空調自動制御」
「そう」
「大切にしてるじゃないの」
「そうか?」
珪は、「大切」と言われる訳がわからず、眉を曲げた。それを見て、
「タローちゃん!風邪ひいたとき、珪ちゃん鬼だった?」
リュータは、むくれ顔で名前を訂正した後、少し考えてニコリと笑った。
「天使だったよぉ」
珪は、それを聞いて、目を丸くしていた。唖然として言葉もない彼を見て、
「な?」
「あのときの俺の厳しさって…………」
「いーんじゃない?その厳しさを、優しさと受け取ってくれるんだから」
ソファーにいる本人は、楽しげに笑っている。珪の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。
「珪ちゃん、珪ちゃん!」
弾むような声を出して、リュータが珪の傍に駆け寄る。
「聞いて、聞いて!」
「聞いてる、聞いてる……。なに?」
リュータは、これ以上ないというような喜びを纏い、口を開いた。
「誕生日、やってくれるって!」
「誕生日?」
珪が小首を傾げると、リュータは、実に幸せそうに頷いた。
「俺の!バースデーパーティーをやってくれるって!」
そういえば、彼の誕生日が来月であることを、珪は思い出していた。
ソファーから、史那が説明を加える。
「この前、サクラと珪のバースデーパーティーやったでしょ?それが、楽しかったって言うからさ」
リュータの風邪が治った頃、サクラの誕生日と珪の誕生日が近いことが分かり、
過去を知るから、わかること、してやりたいと思うこと。
珪は、傍らに立つリュータを見上げ、微笑んだ。
「なら、盛大に祝ってやらなきゃな。何食べたいか、考えとけよ?」
「ぃやったぁ!」
この笑顔に、つられてしまう。誰もが。
この瞳に、囚われてしまう。強い輝きを持つ、灰色がかったターコイズの瞳。
* * * * *
「誕生日ってことはー、イチゴでしょー。ケーキでしょー。ローソクとー、シャンパンとー」
2人がけのソファーに寝転がり、リュータが、リズミカルに誕生日の必需品を挙げている。
1月29日、リュータの誕生日。
室内を
リュータは、先程から、
それでも、ワクワクする気持ちが、次から次へとお腹の底から湧いてきて、今、すこぶる機嫌が良かった。
室内は、
いつもと違う、飾り付けられた室内と美味しい匂い――――それらすべてが、自分のためにされたもの。リュータが、憧れた空間、夢に見た時。
祝ってくれる人は、まだやってくる。夢のような時間。
リュータが、楽しげに「Happy Birthday」をラララと歌い出す。その透明な歌声に、準備をしている2人は、彼を振り返り、そして顔を見合わせて小さく笑った。
玄関のセキュリティーを解除しようとしている音が聞こえた。
3人の視線が、玄関に集まる。しかし、待っても開かない扉。訪問者に察しがついて、3人とも声を立てて笑った。
この家には、インターホンがない。外から扉を叩く音が聞こえた。
「リュータ、出迎えてやって?」
珪が、笑いを堪えて言う。
「はーい」
弾むように玄関まで駆けていき、扉を引き開ける。3人が思っていた通りの人物が、そこにいた。
「サク、いらっしゃーい!」
サクラは、両手に今日のためのプレゼントを抱えていた。
「うっわ、ゴージャス……」
リュータのすぐ後ろから、
サクラの後ろには、史那がいるが、それが霞むほどの――――。
「花束とシャンパンって……男に贈るものだっけ??」
「わぁ!ありがとー、サク!」
花束をリュータに手渡し、史那と共に室内に入る。サクラは、
「リュータに、何がいいか聞いたら、これがいいって言うからさ」
サクラの言葉通り、リュータは、花束を抱えて満足そうに微笑んでいる。
「なんかさぁ、リュータ?お前の誕生日のイメージ、いろんなものが混じってない?」
「そう?」
そして、再度花束をニコニコと見つめた。
「だって、見てみたかったんだもん。花束とシャンパン抱えてるサクの姿。絶対似合うと思ったんだー。爽やかイケメンのできあがり」
「そっちかよ」
室内の飾りつけは終わり、料理もよい頃合い。
「まぁ、それじゃ、始めようか」
珪が、サクラが持ってきたシャンパンを開けて、グラスに注ぐ。史那へ、
「リュータ、誕生日おめでとう」
リュータの顔が、喜びと幸せに満ちる。
「ありがとー、珪ちゃん!サクもアキも、史那も、ありがとー」
「リュータの生まれた日に!」
皆の「乾杯」の声が揃い、グラスを合わせる音が響いた。
リュータは、半分ほどシャンパンを呑んで、満足げに息を吐いた。
「あー、おいしいー」
用意された酒と料理は、賑やかなお喋りと共に消えていく。リュータは、名前をきちんと呼ばれなくても、訂正もせず、上機嫌だった。
「主役が酒にのまれる前に、ケーキやっとくか」
珪が立ち上がり、冷蔵庫からケーキの箱を取り出したのは、パーティーを始めて1時間半ほどが経ったころだった。ケーキがテーブルの真ん中に置かれると、据わり始めていたリュータの目は、キラキラと輝いた。
「イチゴ!ケーキ!ローソク!」
子どものようにはしゃぐリュータを見て、
「リュータ、なんでそんなに、birthday partyに憧れてたの?タローちゃん、友だち多そう」
ローソクに火を着けようとしていた珪は、
「俺の友だち、ここにいるみんなで全部だよ?」
「全部?」
「俺、4区で生まれて、4区で育ったんだ。あそこが無くなるまでは」
「リュータ、」
サクラが、心配そうに声をかける。
「それ、俺たちが聞いていい話?」
「うん。聞いてほしい話」
リュータは、お酒のせいなのか、誕生日を祝ってもらっている幸せからなのか、ニコリと笑った。
「4区は、こことは違うアナログ世界だったんだ。ハイテクに育っていく世界の中で、取り残された場所。ゴチャゴチャしてて、ちょっと危なくって、でも、すごくあったかかった」
そう語るリュータの顔は、懐かしさに柔らかく微笑んでいた。
「俺、4区が大好きだったんだ」
しかし、皆が知っている。4区は、もう存在しない。
「4区には、社会登録ナンバーがない。だから、あそこにいた人たちは、社会的には存在しない人たちだった。もうずっと」
リュータは、物心ついたときには、独りだった。親と呼ばれるものはなく、見知らぬ大人に生きる術を教えられ、面倒を見てもらい、生きていた。
「でも、不幸じゃなかったよ。むしろ、幸せだった」
しかし、リュータが6歳になる頃、4区に隣接するように、児童養護施設ができた。
「俺は、4区でみんなといたかった。でも、12歳以下の子どもは、全員、施設に“回収”された」
外の世界からの、救いの手なのだと聞かされて、当時リュータは、怒りしかなかった。「何様なのだ」と。勝手に来て、勝手に自分の幸せを決められて、大好きな人たちから、引き離されて。
「俺、何回も施設を抜け出して、4区に戻ったんだ。まぁ、その度に施設に戻されたんだけど」
最後は、4区にいた人たちに説得されて、おとなしく施設で暮らすことに決めた。
―― お前は、俺たちとは違う人生を生きるんだ。施設でしっかり学んで、向こうの世界を楽しんでこい。そんで、いつかここを、向こうの世界にも負けない場所にしてくれるんだろ? ――
あのときの言葉が、まだ、リュータの胸に残っている。
「きっと、また4区に戻るって、そのときは思ってた。なのに、4区は閉鎖されるって聞いて、施設も移転するって言われて」
その情報に、子どもだったリュータの身は震えた。
移転、閉鎖、その単語が、自分から大切なものを奪っていく気がして、じっとしていられなかった。
「懲りずに施設抜け出して、4区に走ったんだけど、そのときにはもう、入れなくなってた。でっかいフェンスが4区をグルって囲ってて、どこまで行っても潜り込めるとこはないし、どんなに叫んでも、誰も出てきてくれなかった。きっと、中にいるはずだって、そう思ってたんだけど」
フェンスの向こう側は、シンと静かで、物音一つしない。それが、4区の閉鎖を告げていた。
「たまたま通りかかった人に、中はどうなっているのか聞いてみたら、中央あたりから解体されてるって。住人は、施設に入れられたか、抵抗した人の中には、亡くなった人もいたとか言われた」
元々、4区には、社会登録ナンバーがない。4区を出ると、探すのは困難で、見つけ出せる可能性は、ゼロに近い。
そのときに、誓ったことがある。
―― 取り戻す!そっちがその気なら、取り返してやる! ――
怒りも、悲しみも、絶望も、苦しみも、すべてが、子どもの小さな体に降り掛かってきて、泣くことすら、そのときにはできなかった。
「珪ちゃんと出会って、俺、このときのこと、やっと泣くことができて、アキとサクラと出会って史那にも出会えた」
リュータは、本当に幸せそうに笑った。
「あのとき失ったけど、みんなは、やっとできた、俺の大切な繋がりなんだよ。だから、今日の誕生日、すっごい嬉しい!」
サクラの目からは、静かに涙が溢れていた。
最初にそれに気づいたのは、話していたリュータだった。
「あれ?サク?!泣かないで!なんで泣いてるの?!」
動揺が隠せないリュータは、ただオタオタするだけだったが、サクラは、流れる涙をそのままに、彼の言葉に応えてくれた。
「俺は、リュータが嬉しいことが嬉しい。大切って言ってくれてありがとう」
鼻を啜るサクラに、リュータは、慌ててティッシュを差し出した。その隣で、
「サクラの言うとおりだよ。ありがとうな、リュータ。おかげで毎日楽しい」
「そうだな。頑張って負けないで生きてきてくれて、そんで、出会ってくれてありがとう、リュータ」
珪が言い、今度は、リュータが泣く番だった。
「いい絆だね」
史那は、4人の姿を見て、目を細め微笑むと、ソファーの後ろから、リュータの頭を優しく撫でた。リュータの涙は、ますます止まらなくなっていた。
「えー、みんなが泣かせる~~」
涙声でリュータが言うと、4人が笑う。あたたかい笑い声だった。
「さ、今度こそ、ローソク吹き消すぞ」
珪が、ジッポでローソクに火を灯す。
「ローソク吹き消す前に、願い事を頭に思い浮かべるんだよ、タローちゃん」
サクラから笑いながら戻されたティッシュで涙を拭い、リュータは考えた。今、一番に思うこと。
オレンジの灯りが、大切な人たちの笑顔を、柔らかに包み込んでいた。
「珪ちゃんと、アキと、サクと、史那と、それから、できれば俺も、ここにいるみんなが、ずっと一緒に笑って暮らせますように!」
そして、リュータは息を大きく吸い込んで、一気にローソクを吹き消した。
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