D:友だち


「なぁ、アキー。この請求書、金額おかしくない?」

「適正価格だろ」

 珪の家は、今日も賑やかだった。

 アキはPCに向かって作業中で、珪が、その横で請求書とにらめっこ。リュータとサクラは、史那と共に、ソファーで寛いでいた。

「玄関のセキュリティは、割り引きしてるし。だいたい、今さら空調の調整とか、どうしたの?」

「いや、室温と湿度を快適にしておけば、風邪ひきにくいかなって」

 相変わらず、請求書を睨み付けながら、珪はさらりと答えた。

「風邪?」

「リュータが風邪ひかないように」

 アキは、一瞬の間の後、弾けたように笑った。一方、珪は、数週間前を思い出し、げんなりした顔をした。

「笑ってるけど、ホント、大変だったんだからな?」

「大げさだな」

「これは、体験しないとわからない。相手は史那なのに、診療所でもなかなか診察させなかったみたいだし、薬もおかゆも拒否するし、そのくせ、あちこち痛いって言うし、あれが食べたい、これが飲みたいって、」

「で?ちゃんと聞いてやってたワケ?」

 ニヤリと、アキが珪を見て笑う。

「ワケないだろ?俺は、戦った」

「本当、お前ら面白い!」

「風邪ひかなきゃ、あんなにならなかったんだ。だから、アキに頼んだんだろ?」

「空調自動制御」

「そう」

 アキはまた、ケラケラ笑った。

「大切にしてるじゃないの」

「そうか?」

 珪は、「大切」と言われる訳がわからず、眉を曲げた。それを見て、アキが、ニヤリと笑う。そして、くるりと肩越しに振り返り、ソファーにいるリュータを呼んだ。

「タローちゃん!風邪ひいたとき、珪ちゃん鬼だった?」

 リュータは、むくれ顔で名前を訂正した後、少し考えてニコリと笑った。

「天使だったよぉ」

 珪は、それを聞いて、目を丸くしていた。唖然として言葉もない彼を見て、アキは、やはり、ニヤリと笑った。

「な?」

「あのときの俺の厳しさって…………」

「いーんじゃない?その厳しさを、優しさと受け取ってくれるんだから」

 ソファーにいる本人は、楽しげに笑っている。珪の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。

「珪ちゃん、珪ちゃん!」

 弾むような声を出して、リュータが珪の傍に駆け寄る。

「聞いて、聞いて!」

「聞いてる、聞いてる……。なに?」

 リュータは、これ以上ないというような喜びを纏い、口を開いた。

「誕生日、やってくれるって!」

「誕生日?」

 珪が小首を傾げると、リュータは、実に幸せそうに頷いた。

「俺の!バースデーパーティーをやってくれるって!」

 そういえば、彼の誕生日が来月であることを、珪は思い出していた。

 ソファーから、史那が説明を加える。

「この前、サクラと珪のバースデーパーティーやったでしょ?それが、楽しかったって言うからさ」

 リュータの風邪が治った頃、サクラの誕生日と珪の誕生日が近いことが分かり、アキの家でパーティーをした。その時のリュータを思い出し、珪は、「楽しかった」の言葉が持つ、本来の意味以上の感情が、リュータの中にあったであろうことを考えていた。

 過去を知るから、わかること、してやりたいと思うこと。

 珪は、傍らに立つリュータを見上げ、微笑んだ。

「なら、盛大に祝ってやらなきゃな。何食べたいか、考えとけよ?」

「ぃやったぁ!」

 この笑顔に、つられてしまう。誰もが。

 この瞳に、囚われてしまう。強い輝きを持つ、灰色がかったターコイズの瞳。


*  *  *  *  *


「誕生日ってことはー、イチゴでしょー。ケーキでしょー。ローソクとー、シャンパンとー」

 2人がけのソファーに寝転がり、リュータが、リズミカルに誕生日の必需品を挙げている。

 1月29日、リュータの誕生日。

 室内をアキが飾り付けていて、珪が、キッチンで料理をしている。

 リュータは、先程から、アキを手伝おうとして「主役は座ってろ」とソファーに促され、ならば、と、珪の料理を手伝おうとキッチンに行くと、お腹が空いたのかと勘違いされて、味見をさせてもらい「もう少しだから、待ってろ」とソファーに戻され、やることがない。

 それでも、ワクワクする気持ちが、次から次へとお腹の底から湧いてきて、今、すこぶる機嫌が良かった。

 室内は、アキが考案した自動空調システムのおかげで、真冬にも関わらず、快適に保たれている。

 いつもと違う、飾り付けられた室内と美味しい匂い――――それらすべてが、自分のためにされたもの。リュータが、憧れた空間、夢に見た時。

 祝ってくれる人は、まだやってくる。夢のような時間。

 リュータが、楽しげに「Happy Birthday」をラララと歌い出す。その透明な歌声に、準備をしている2人は、彼を振り返り、そして顔を見合わせて小さく笑った。

 玄関のセキュリティーを解除しようとしている音が聞こえた。

 3人の視線が、玄関に集まる。しかし、待っても開かない扉。訪問者に察しがついて、3人とも声を立てて笑った。

 この家には、インターホンがない。外から扉を叩く音が聞こえた。

「リュータ、出迎えてやって?」

 珪が、笑いを堪えて言う。

「はーい」

 弾むように玄関まで駆けていき、扉を引き開ける。3人が思っていた通りの人物が、そこにいた。

「サク、いらっしゃーい!」

 サクラは、両手に今日のためのプレゼントを抱えていた。

「うっわ、ゴージャス……」

 リュータのすぐ後ろから、アキがそれを見て目を丸くし、やや呆れたような顔で笑っている。

 サクラの後ろには、史那がいるが、それが霞むほどの――――。

「花束とシャンパンって……男に贈るものだっけ??」

「わぁ!ありがとー、サク!」

 花束をリュータに手渡し、史那と共に室内に入る。サクラは、アキの呆れ顔を気にする風でもなく、爽やかな笑顔を返した。

「リュータに、何がいいか聞いたら、これがいいって言うからさ」

 サクラの言葉通り、リュータは、花束を抱えて満足そうに微笑んでいる。

「なんかさぁ、リュータ?お前の誕生日のイメージ、いろんなものが混じってない?」

 アキに言われて、リュータは、花束を見つめていた目を天井へと移して考える。

「そう?」

 そして、再度花束をニコニコと見つめた。

「だって、見てみたかったんだもん。花束とシャンパン抱えてるサクの姿。絶対似合うと思ったんだー。爽やかイケメンのできあがり」

「そっちかよ」

 室内の飾りつけは終わり、料理もよい頃合い。

「まぁ、それじゃ、始めようか」

 珪が、サクラが持ってきたシャンパンを開けて、グラスに注ぐ。史那へ、アキへ、サクラへ渡し、最後に、リュータへ。

「リュータ、誕生日おめでとう」

 リュータの顔が、喜びと幸せに満ちる。

「ありがとー、珪ちゃん!サクもアキも、史那も、ありがとー」

 アキがグラスを掲げる。

「リュータの生まれた日に!」

 皆の「乾杯」の声が揃い、グラスを合わせる音が響いた。

 リュータは、半分ほどシャンパンを呑んで、満足げに息を吐いた。

「あー、おいしいー」

 用意された酒と料理は、賑やかなお喋りと共に消えていく。リュータは、名前をきちんと呼ばれなくても、訂正もせず、上機嫌だった。

「主役が酒にのまれる前に、ケーキやっとくか」

 珪が立ち上がり、冷蔵庫からケーキの箱を取り出したのは、パーティーを始めて1時間半ほどが経ったころだった。ケーキがテーブルの真ん中に置かれると、据わり始めていたリュータの目は、キラキラと輝いた。

「イチゴ!ケーキ!ローソク!」

 子どものようにはしゃぐリュータを見て、アキが、そういえば、と尋ねた。

「リュータ、なんでそんなに、birthday partyに憧れてたの?タローちゃん、友だち多そう」

 ローソクに火を着けようとしていた珪は、アキの問いに、思わず動きを止めた。そっとリュータを見ると、リュータは、ニコニコとケーキを眺めている。

「俺の友だち、ここにいるみんなで全部だよ?」

「全部?」

 アキが聞き返すと、リュータは、なんでもないように続けた。自分の、生きてきた道を。

「俺、4区で生まれて、4区で育ったんだ。あそこが無くなるまでは」

「リュータ、」

 サクラが、心配そうに声をかける。

「それ、俺たちが聞いていい話?」

「うん。聞いてほしい話」

 リュータは、お酒のせいなのか、誕生日を祝ってもらっている幸せからなのか、ニコリと笑った。

「4区は、こことは違うアナログ世界だったんだ。ハイテクに育っていく世界の中で、取り残された場所。ゴチャゴチャしてて、ちょっと危なくって、でも、すごくあったかかった」

 そう語るリュータの顔は、懐かしさに柔らかく微笑んでいた。

「俺、4区が大好きだったんだ」

 しかし、皆が知っている。4区は、もう存在しない。

「4区には、社会登録ナンバーがない。だから、あそこにいた人たちは、社会的には存在しない人たちだった。もうずっと」

 リュータは、物心ついたときには、独りだった。親と呼ばれるものはなく、見知らぬ大人に生きる術を教えられ、面倒を見てもらい、生きていた。

「でも、不幸じゃなかったよ。むしろ、幸せだった」

 しかし、リュータが6歳になる頃、4区に隣接するように、児童養護施設ができた。

「俺は、4区でみんなといたかった。でも、12歳以下の子どもは、全員、施設に“回収”された」

 外の世界からの、救いの手なのだと聞かされて、当時リュータは、怒りしかなかった。「何様なのだ」と。勝手に来て、勝手に自分の幸せを決められて、大好きな人たちから、引き離されて。

「俺、何回も施設を抜け出して、4区に戻ったんだ。まぁ、その度に施設に戻されたんだけど」

 最後は、4区にいた人たちに説得されて、おとなしく施設で暮らすことに決めた。


―― お前は、俺たちとは違う人生を生きるんだ。施設でしっかり学んで、向こうの世界を楽しんでこい。そんで、いつかここを、向こうの世界にも負けない場所にしてくれるんだろ? ――


 あのときの言葉が、まだ、リュータの胸に残っている。

「きっと、また4区に戻るって、そのときは思ってた。なのに、4区は閉鎖されるって聞いて、施設も移転するって言われて」

 その情報に、子どもだったリュータの身は震えた。

 移転、閉鎖、その単語が、自分から大切なものを奪っていく気がして、じっとしていられなかった。

「懲りずに施設抜け出して、4区に走ったんだけど、そのときにはもう、入れなくなってた。でっかいフェンスが4区をグルって囲ってて、どこまで行っても潜り込めるとこはないし、どんなに叫んでも、誰も出てきてくれなかった。きっと、中にいるはずだって、そう思ってたんだけど」

 フェンスの向こう側は、シンと静かで、物音一つしない。それが、4区の閉鎖を告げていた。

「たまたま通りかかった人に、中はどうなっているのか聞いてみたら、中央あたりから解体されてるって。住人は、施設に入れられたか、抵抗した人の中には、亡くなった人もいたとか言われた」

 元々、4区には、社会登録ナンバーがない。4区を出ると、探すのは困難で、見つけ出せる可能性は、ゼロに近い。

 そのときに、誓ったことがある。


―― 取り戻す!そっちがその気なら、取り返してやる! ――


 怒りも、悲しみも、絶望も、苦しみも、すべてが、子どもの小さな体に降り掛かってきて、泣くことすら、そのときにはできなかった。

「珪ちゃんと出会って、俺、このときのこと、やっと泣くことができて、アキとサクラと出会って史那にも出会えた」

 リュータは、本当に幸せそうに笑った。

「あのとき失ったけど、みんなは、やっとできた、俺の大切な繋がりなんだよ。だから、今日の誕生日、すっごい嬉しい!」

 アキも史那も、言葉なくリュータを見つめていた。珪は、あたたかく微笑んで、リュータの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 サクラの目からは、静かに涙が溢れていた。

 最初にそれに気づいたのは、話していたリュータだった。

「あれ?サク?!泣かないで!なんで泣いてるの?!」

 動揺が隠せないリュータは、ただオタオタするだけだったが、サクラは、流れる涙をそのままに、彼の言葉に応えてくれた。

「俺は、リュータが嬉しいことが嬉しい。大切って言ってくれてありがとう」

 鼻を啜るサクラに、リュータは、慌ててティッシュを差し出した。その隣で、アキが、涙が止まらないサクラの肩を、ポンポンと優しく叩いた。

「サクラの言うとおりだよ。ありがとうな、リュータ。おかげで毎日楽しい」

 アキは、彼らしくニッと笑った。

「そうだな。頑張って負けないで生きてきてくれて、そんで、出会ってくれてありがとう、リュータ」

 珪が言い、今度は、リュータが泣く番だった。

「いい絆だね」

 史那は、4人の姿を見て、目を細め微笑むと、ソファーの後ろから、リュータの頭を優しく撫でた。リュータの涙は、ますます止まらなくなっていた。

「えー、みんなが泣かせる~~」

 涙声でリュータが言うと、4人が笑う。あたたかい笑い声だった。

「さ、今度こそ、ローソク吹き消すぞ」

 珪が、ジッポでローソクに火を灯す。アキが、室内の明かりを消した。ソファーに戻る前に、アキは、リュータへ誕生日のお約束を伝えた。

「ローソク吹き消す前に、願い事を頭に思い浮かべるんだよ、タローちゃん」

 サクラから笑いながら戻されたティッシュで涙を拭い、リュータは考えた。今、一番に思うこと。

 オレンジの灯りが、大切な人たちの笑顔を、柔らかに包み込んでいた。

「珪ちゃんと、アキと、サクと、史那と、それから、できれば俺も、ここにいるみんなが、ずっと一緒に笑って暮らせますように!」

 そして、リュータは息を大きく吸い込んで、一気にローソクを吹き消した。

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