C:LAB

 サクラは、何度目かのため息をついた。

 珍しく、黒のスーツに紺のネクタイ、白いシャツを着て、今、白を基調とした部屋の中で1人がけのソファーに座っている。

 何もない部屋。壁は、天井に向かってカーブしていて、部屋自体の形状も、扇状をしていた。

 ここで待つように言われ、30分近く経つ。お茶すらない。帰ってしまおうか、とも思った。しかし、帰るにも、この部屋にたどり着くまでの構造が複雑で、1人では出られそうもない。

 ここは、「LAB」と呼ばれる、国際政策機関の特別研究施設だ。

 1週間前、通知が来た。どこから調べたのか、史那の診療所、芝表通り医院へmailが来たのだ。それも、とても丁寧な言葉で、出版した本を誉めていた。

「呼び出しといて、これかよ……。あー、かーえーりーたーいー」

 ソファーの背にだらりと凭れかかり、天井を仰いで愚痴を吐く。

 その時、扉を叩く音がして、男が1人入ってきた。若い男だった。史那と同い年くらいに見える。

「お待たせいたしました。サクラ博士」

 サクラは、慌てて体勢を直した。

 男は、ここの責任者だと言った。そして、奥の部屋へと通された。同じような、白を基調とした部屋、テーブルと1人がけのソファーが対面して置いてある。促されてソファーのひとつに座ると、男ももう一つに座り、話が始まった。

「サクラ博士の著書、興味深く拝読させていただきました。そして、我々の目指すところと、一致している部分が、多数あることに驚きと喜びを感じています」

「はぁ……」

 サクラの戸惑いは、そのまま返答に表れていた。

「サクラ博士は、4区を知っていますか?」

「4区?」

 サクラは、知らないわけではなかった。聞き返したのは、それと、自分の本となんの関わりがあるのか、それがわからなかったからだ。

「サクラ博士の年齢だと、覚えていないかもしれませんね」

「いえ、4区は知っています。これだけデジタル化した世の中で、アナログを保ち続けていたエリア、ですよね?」

「はい。そして、かつて、そこで、あなたが今回本にまとめていたような研究が、極秘に進められていたのです」

 そこまで聞いて、サクラは自分が何故呼ばれたのか、見当がついた。

「つまり……生命の神秘に、ヒトの手を加えていた、と?」

「はい」

 美しい笑顔で、男は肯定した。

「しかし、4区は……」

「えぇ、もうありません。当時の研究では、成果が出なかったんです」

 サクラは、表情を曇らせた。笑顔で語られる昔話に、嫌な予感がする。

「今、再び、この研究と出会えたことは、人類にとって幸運だと思います」

「えっと…………4区がなくなった理由って……」

「成果の出なかった極秘の研究なんて、外に出せる訳ありません」

「まさか…………4区ごと?」

 男は、笑顔を返した。それが、問いに対する答えだと、サクラは感じた。

 あの日の、リュータの言葉。

 そして、この事実。

 サクラは、確信した。リュータの出生と、彼の怒りの種火が何であるかを。

「(…………重い)」

「サクラ博士、この研究を今、一緒に進めてみませんか?最新の設備で」

 男の顔を、サクラはまっすぐに見る気になれず、テーブルへと視線を落とした。

「4区の犠牲を、無駄にしないためにも。力を、貸してもらえませんか?」

 無駄にしないため――――聞こえのいい言葉。

 しかし、それも正論。

「……少し、時間をいただくことは、可能ですか?」

 ここまでのことを、告白してくるのだ。おそらく、否はない。それでも――――。

「考えさせてください」

 即答は、できなかった。


*  *  *  *  *


 LABは、木々に囲まれた森の中にあった。

 街に戻る足取りは、重い。

 サクラは、自宅でも診療所でもなく、アキの家に向かった。セキュリティ解除にチャレンジする気にもなれず、大人しくインターホンを押した。

「え?なに?サクラ?」

 インターホンから、アキの訝しげな声が聞こえた。すぐに鍵は開けられて、玄関扉を引くと、アキがそこに立っていた。

「なんかあった?」

「…………疲れた」

 スーツ姿を茶化されながら、中に促される。

「サク~~」

 嬉しそうな声と共に、リュータが抱きついてきた。小柄な体の彼は、サクラの腕にすっぽりと収まった。

「なに、このサイズ。癒されるんだけど。できれば、もう少し柔らかさが欲しい」

 緊張がすべて解けると、サクラは自分が思ったより、情けない声が出た。

「あはは。それムリー」

 腕の中で、リュータが明るく笑う。

「ホットコーヒーでよろしいでしょうか?」

 珪が、ソファーから立ち上がり、おどけた口調でサクラに笑いかけた。

 サクラは、疲れを滲ませた笑みを返した。

「カフェラテでお願いします」

 リュータがサクラの手を取り、ソファーに促す。二人がけのソファーにリュータを隣に座ると、すぐにカフェラテがテーブルに置かれた。

「あー……ホントに癒される」

 サクラの言いように、3人は笑った。

「何があったんだよ?」

「極秘。それがストレス~~」

 ソファーの背に頭を預け、困り果てた顔で、サクラは天を仰いだ。

 隣にいるリュータは、サクラをじっと見た後で、頭をポンポンと優しく撫でてやった。

「サク、大丈夫?」

「ムリ…………」

 無意識にそう答えた後、サクラは、ハッとなった。先程までLABで話していたのは、どこの話題だったのか。そして、誰に関わることだったのか。

 体を起こし、サクラはリュータの両肩を掴んだ。真剣な表情で、正面から、じっとリュータを見つめる。

「リューノスケ、俺のこと信じて!俺、絶対、お前を悲しませたりしないから!」

 まるで、恋人に向けたような言葉。リュータは、わけがわからず、ぽかんとしてるが、珪とアキはお腹を抱えて笑っていた。

「サクラ、本気で疲れてるだろぉ?」

 アキが笑う合間に、そう指摘した。

 珪は、笑いを堪えてアドバイスする。

「リューノスケは、やめとけ?毎朝、起こさなきゃなんないし」

「俺は、真剣なの!」

 茶化すな、とサクラは言うが、それは2人の笑いを更に誘うだけだった。

 リュータだけが、疑問に眉を曲げていた。

「えっと……サク、ありがとう。とりあえず、俺、リューノスケでなくてリュータ……」

「もう、全部ぶちまけたい……。俺、つらい……」

「サク、なに思いつめてんの?」

 リュータは、顔いっぱいに、疑問符が浮かんでいるような表情をしていた。

 その周りで、珪とアキが、やはりお腹を抱えて笑っている。

「俺、リュータローの幸せを願ってるだけなのに……」

「リュータだけどね?」

「あぁ、傷つけそうでコワい」

「サーク!」

 落ち着けと言うように、リュータがサクラの両手をとって、俯く彼の顔を覗き込んだ。

 サクラが顔を上げると、リュータがニコリと笑っていた。

「大丈夫。俺、サクを尊敬してるし、大好きだから。どんな選択しても、信じてる」

「リュータロー……」

「リュータだって」

 2人のやりとりを見ていたアキが、1人がけのソファーから身を乗り出す。

「タローちゃんもそう言ってんだ。さ、何があったか、全部話せ」

「言えたら、言ってるって」

 サクラは、正面を向いて座り直すと、ため息をついた。カフェラテを1/3ほど飲んで、もう一度、息を吐く。

「お前、確か、LABから呼び出されたって言ってたよな?」

 アキが訊くと、サクラは、気まずそうにうなずいた。

「LABって、国際政策機関の研究施設だったか?」

 珪が、思い出すような表情で確かめる。サクラは、また、気まずそうにうなずいた。

「えー?そんなとこから、何の用ー?」

 リュータが、目を丸くしている。サクラは、答えに困っていた。

「あー、もー!言いたーい!」

 すると、3人は、誰ともなしに声を揃えた。

「言えば?」

「言えば?」

「言えば?」

 サクラが、恨めしそうに、正面にいる珪とアキを睨んだ。

「他人事だと思って」

「いーじゃん、言っちゃえよー」

 珪が、ニヤリと笑い、

「ヒミツは守るよ~~」

 アキが、実に楽しげに、そう促した。そして、隣にいるリュータが、イタズラな顔で笑う。

「俺たちを信じてさー」

「面白がってない?」

「がってるよー」

 リュータが答え、3人は笑った。

 サクラは、諦めたように微笑んで、口を開いた。

「詳しくは言えない。ただ、LABと関わることになるかもしれないから、」

 アキも珪も、リュータも、笑うのをやめて、サクラの話を聞いた。

「もし、俺に何かあったら、LABが関わってるって思って」


*  *  *  *  *


 リュータと珪が帰ったあと、サクラとアキの2人は、酒を呑んでいた。

「サクラ、泊まってく?」

「帰る元気ない……」

「思い詰めすぎなんだよ、お前は」

 アキの言いように、サクラは、不服げに眉間にシワを寄せた。

「興味あんの?ないの?」

「少しある」

「もし、俺なら、話に乗るかもな。どんなことなのか、さっぱりわかんねーけど」

「アキは、そういうタイプだよね」

「リュータじゃないけど、俺も、お前の判断を信じる。って言っても、断れない状況なんだろうけどさ」

「俺は…………ここにいたい。先輩のとこで、のんびりやりたい。でも、最新の設備って聞いたとき、心が揺れたんだ」

 サクラは、チーズをかじって、グラスの中のワインを見つめた。

「アキ……お前には、話しておくよ」

「珪ちゃんやリュータには、言わなくていいのかよ?」

「アキからは、“サンプル”もらってるしね」

「なるほど」

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