B:祝
今年は、桜が早く咲いた。
ただ、薄着で出るには肌寒く、早春という言葉がちょうど良い。
「リュータ、招待状来たんだけど」
桜を撮りに行くと、カメラのメンテナンスをしていたリュータは、珪の言葉に手を止め、顔を上げた。
珪は、リュータの正面のソファーで片ひざを組み、そこへ雑誌を広げた格好のまま、ケータイを見ていた。
「招待状?」
「そう。ホラ、」
珪が見せてくれたケータイの画面は、メールだった。添付されている画像には、うぐいす色の枠に薄桃色の背景で、小豆色の文字が並んでいた。
書かれていた内容は――――。
「出版?」
「サクラが本を出すから、その出版パーティーだって」
「本って、何……あー!生命の神秘ってヤツか!わぁ、サク、すごーい!どこでやるの?」
「アキん家。行く?」
問いながら、珪は、返ってくる答えを予想していた。
「行く、行く!」
リュータが、子どものようにはしゃいでいる。それを見て、珪は、クスリと小さく笑った。
「4月9日だって。内輪のパーティーみたいだから、酒とご馳走、持っていってやろうか?」
「ってことは、珪ちゃんのおつまみで呑めるってこと?あー、俺、その日まで仕事がんばれそう」
幸せそうな顔をして、リュータがカメラを磨いている。珪はまた、小さく笑った。
「おおげさな……」
「大げさじゃないよ。じゃ、俺、桜撮りにいってくる~」
「いってらっしゃい」
静かに扉が閉まり、部屋が静かになった。
そろそろ仕事をするか、と、見ていた雑誌を片付けて、珪は、PCの前に座った。PCにメモリースティックを差し込んで、作業を開始する。
これは、先日の新月の日、リュータと共に盗んできたものだ。
やがて画面を埋め尽くす記号の羅列。これは、某大手企業の裏金の在処、それを示すデータのすべてだった。
珪は、元警捜。これをどうすれば、自分たちへ流れるようになるのか等ということは、把握している。慣れた調子でPCを操作していく。
ふと、手を止める。
目の前の作業とは別のところへ、思いは飛んでいた。
「(言うか?っていうか、アキは、気づいてそうだけどなー……。なんて言うんだよ。ドロボーです?元警捜だぞ?…………言っといたほうがいいのかなぁ。んー……でも、改めて告白することか?)」
深いため息をついて、天井を見上げる。
リュータは、まるで気にしていない。それを、当たり前のことと思っている。
「(それはそれで、問題なんだけどな)」
リュータの言葉を思い出す。
―― だって、珪ちゃんの友だちだし ――
リュータは、
「あーあ、バレてもいっか」
諦めにも近い感情。
仕方がない。灰色がかったターコイズの大きな瞳に、囚われてしまった。
リュータが珪を信じきって尊敬しているように、珪も、リュータを尊敬している。迷いなく進む、彼の姿を。それに、あの目を、見てしまったのだ。人を惹く、強い光を帯びた、大きな彼の目を。
* * * * *
4月9日――――。
底の広い紙の手提げ袋と、ホカホカの料理。タッパーに詰められた料理を、一つずつ入れていく珪の横で、リュータが幸せそうな顔をして、作業を見つめていた。にんまりと笑って、ソファー前のテーブルで、頬杖をついて。
「早く食べたーい」
「サクのお祝いな?」
「わかってるよぉ」
今は何を言っても、幸せらしいリュータを、珪は、半ば呆れたように笑って、ため息をついた。
「商店街で買い出しをして、あとはアキん家で作って。リュータ、酒持ってくの忘れんなよ?」
「あーい」
街の桜は、ほとんどが葉桜となっていて、遅咲きの品種だけが、そこに儚さを残していた。
「あー、あとリュータ、俺たちがドロボーしてること、アキとサクには言ってもいいかって……――――」
「ホント?!」
珪の言葉を遮ってリュータが言った。彼の大きな目が、更に大きくなっている。珪は、思わず吹き出した。
「お前、そんなに嬉しいの?」
「珪ちゃんの自慢ができる!」
「なんのよ?」
「アキに、いろいろ作ってもらえる!」
「いやいや、巻き込むな……」
「珪ちゃん、早く行こ!」
「ハイハイ」
外は、穏やかな春の空気。肌寒さも、ほとんど感じられなくなった。リュータの好きな季節だ。
リュータの片手には、縦長の紙袋に入った、赤ワインがある。彼が、数日前に選んだものだ。
2人は、近所の商店街で食材を買い込んで、
扉の取っ手の一部につけられたセキュリティーを解除するのは、リュータの役割。
少し重みのある引き戸を左へ引き開けて、リュータは元気よく最高にご機嫌な様子で、中へと声を掛けた。
「まいどー、ドロボーでーす!」
隣にいた珪も、室内を飾り付けていた
「なに、その告白ー!」
「お前、ホント言いたくて仕方なかったんだな!」
笑い声を上げながら、珪は、台所へと歩いていった。
「珪ちゃん、なんの心境の変化?裏稼業の告白なんて」
哲は、飾り付けに戻っていた。
「ん?俺の親友と、タローの見る目を信じようかと思ってね」
そう答えた珪を、哲もリュータも、感動の眼差しで見つめていた。
「珪ちゃんがイケメンすぎる……」
「知ってるけど、やっぱりイケメン……。この際、もうタローでもいい!」
珪は、呆れ顔で、キッチンから2人を振り返った。
「なんだ、それ……」
珪は、興味ないと言うように、並べる料理の仕度を始めた。
「サクは?いつ来るの?」
リュータが
「主役は、後で登場です」
「早めに来そう。サクのことだから」
リュータは、弾むような空気を纏わせて、キッチンへ歩いた。ワインを冷蔵庫へ入れて、珪の料理の仕度を手伝う。タッパーに入っていたものを、順に温め直し、皿に盛り付けていく。盛り付けのセンスは、珪よりもリュータの方にあり、珪は、作り足すもののほうに集中していられた。
ソファー前のローテーブルに、珪があらかじめ作って来たものと、
用意の手を止め、3人は、顔を見合わせて笑い出した。
「こりねぇなぁ、アイツ」
「頑固だよな、意外と」
珪は、そう言って、カラトリーをテーブルにセットする。
「サクの、そういう諦めないとこ好きぃー」
リュータは、
扉を開けると、爽やかな顔を少しばかり不機嫌に歪めたサクラがいた。
「そろそろインターホン使ってくれない?」
「アキが、俺でも覚えやすいナンバーにしてくれたら考える」
「リュータは、もう攻略してんだけど」
「俺とリューノスケを一緒にしないでくれる?」
「できねーことを、いばんなよ……」
玄関先で交わされているやりとりを、すぐ後ろで聞いていたリュータは、自分の名前を訂正するのも忘れてお腹を抱えて笑っていた。ひとしきり笑った後で、
「サク、おめでとう!」
「ありがと、リュータ」
ようやく中に招き入れられたサクラは、いつもと違うお祝いモードの室内に、感嘆の声をもらした。
「さすが、アキ。パーティーでもセンスあるね」
サクラの言葉通り、選ぶリボンの色から、それを留める装飾、祝を示す文字までもが、なぜかこの部屋と調和している。
「珪ちゃんの料理が冷める前に食べよ!早く!」
リュータが、サクラの手を取ってソファーへ導く。その姿を見て、
「珪ちゃんの料理が食べたいだけかよ、お前は。誰の、パーティーだ?」
「サクラでーす!出版のお祝いだよね」
リュータは、幸せそうに笑っている。
そして、周りはそれにつられてしまう。珪もサクラも
「そういえば、ちゃんと聞いてなかったんだけど、出版って、何?」
珪が、改めて訊ねた。
「珪ちゃんって、ホント、興味ないと覚えらんないんだねー」
サクラは、小さく笑ってから続けた。
「生命の神秘ってヤツ、前にここで話したろ?俺の先輩のシナ先生の知り合いに、出版関係者がいて、話の流れでそうなった」
「あれ?」
「そういえば、シナ先生は?一緒に来るかと思ってた」
「あぁ、診療所が終わったら来るって。先に始めててくれってさ」
サクラの言葉を聞いたリュータが、友だちができると喜んで、それを珪がたしなめている。
ポンッと、シャンパンの栓が開く音がした。
「ホラ、親子ゲンカは、帰ってからやれよ。乾杯するぞ」
「親子ぉ?!」
あまりな言い様に、リュータがむくれ顔をして哲を見る。本人は、睨んでいるつもりだろうが、まるで迫力はなかった。
「アキ……せめて、兄弟って言えよ」
珪のセリフは、余計にリュータを煽っていた。
「あー!珪ちゃん、大人扱いされてるからって!なに、その余裕!!」
「大人扱いってか、俺は大人だ。お前の反応が、子どもなんだよ」
まだ、ギャーギャーと文句を言うリュータを他所に、
「はーい、カンパーイ!」
「あ、待って!」
グラスを合わせる3人に、焦るようにして、リュータが遅れてグラスを合わせた。
笑い声と、喋り声、そして、美味しい料理と酒。いつもに増して、この家は賑やかだった。
「俺、サクのあの話、冗談だと思ってた。スゲーな、サク」
空いたグラスに、ワインを注ぎながら、珪がそう言って笑った。
「ホントにできるのか、が、気になってね。だから、」
そこまで言って、サクラは、珪とリュータの方を見て、優しく微笑んだ。
「2人のサンプル、ちょうだい」
「爽やかに、なんてこと言い出すんだ?サク」
珪は、思わず苦笑いを浮かべた。
「サクラー、こいつらのDNA使ったって、立派なドロボーができあがるだけだぞ?」
杯を空ける手を止めて、サクラは
「ドロボウ?」
きょとんとした表情をして、聞き返す。
「そう、ドロボー」
珪は軽く返して、追加で作っている料理を取りに、キッチンへ歩いていった。
「え?なに?ドロボーって……」
眉を曲げて、サクラは困惑の表情を見せた。
「俺と珪ちゃんで、大企業相手にね。色々、引っ掻きまわしてる」
無邪気に語るリュータを、サクラは、まだよくわからないという顔で見つめた。
「な?だから、止めとけ?」
「偉いヒトのとこに行く予定のお金をね、そっと横から戴いてるの」
「お金って……なに言ってんの、リュータ。本気?冗談、だよな?だって、」
困惑を残した、真剣な顔で言うサクラは、そこで言葉を止めた。
目の前に、リュータがいる。テーブルを挟んだ向こう側、こちらをじっと見つめている。先ほど、“親子”と言われ、睨んでいたのとは比べ物にならないくらいに、冷たい空気を纏わせて。
サクラは、背筋が凍るのを感じた。
「悪いヤツらから金盗って、ナニか問題でもあンの?」
そう語るリュータの口元は笑っているのに、瞳は闇を宿し、鋭く、不気味な色をしていた。
「俺は、“俺たち”を見捨てたヤツらから取り戻してるだけだ」
いつもの彼からは想像もできない表情と雰囲気に、恐怖すら感じた。
――――ゴンッ。
不意に鈍い音が響いて、サクラは、ハッと我に返った。
気づけば、リュータは、いつもの調子でむくれていて、頭頂部を押さえており、後ろでトレーを持つ珪を振り仰いでいた。
「ひどーい、珪ちゃん!今、細胞いくつか死んでったぁー」
「ハイハイ。運ぶの手伝え」
「もー!これ以上縮んだら、どうすんのー!」
「縮むか、アホ」
リュータが、ブツブツ言いつつも、トレーを受け取り、キッチンへ駆けていく。それを見送りながら、サクラは声を押さえて、珪にたずねた。
「ねぇ、リュータの出生って……」
珪は、やれやれとリュータを見送った後、そのままの表情でサクラを見下ろした。
「リュータのことは、本人に聞けよ」
「珪ちゃんは、知ってるの?」
「相棒してんだ。当たり前だろ?」
言い捨てて、珪はキッチンへ戻っていった。
キッチンに立つ2人を見つめ、サクラは、先ほどのリュータのセリフを考える。
「……“俺たち”か。“俺たちを見捨てた”……もしかして、」
「難しい顔して、どーした?」
「悪いな、サクラ。主役ほったらかしで」
「いや。勝手に楽しんでるから」
「で?どーしたの?」
サクラは、その問いに正直に答えたものか、少し悩んだ。しかし、親友である彼に、嘘は言いたくない。じっと、キッチンで楽しげにつまみを用意する2人を見つめる。
「…………リュータってさぁ、」
料理をつまみながら、
「ふん?」
「謎だよな」
「今さら?」
「あ、いや、そうじゃなくて。なにを、背負ってるのかなって」
真面目な表情を崩さないサクラを見て、
「背負う…………」
呟いて、
「聞いてみれば?リュータに」
真面目にそう言う
「ねぇ、アキって、実は珪ちゃんの兄弟でしょ?」
「は?」
できないから、今、こうしているのに、珪も
しかし、自分の予想が当たっているのなら、それは恐らく、リュータにとって重い過去――――簡単に聞くのは、憚れる。
サクラは、ソファーの背もたれに頭を預けて天を仰いだ。
「(勝手に探りたくないし……。それ以前に、“あそこ”は、データがない)」
「ねぇ!」
「うわぁ!」
突然、真上にリュータの顔が覗いて、サクラは短く声をあげた。体勢を立て直し、振り返る。
リュータは、楽しげに笑っていた。
その表情に、少し、ホッとする。
「なに?」
「うん。シナ先生って人、いつ来るの?」
サクラは、あぁ、と呟いて、壁掛けの時計を見た。
「診療は、もう終わってるだろうから、そろそろ来るんじゃない?あ、のさ、リュータ?」
「ん?」
「…………あー……なんでも、ない」
「そう?」
リュータは、不思議そうに小首を傾げた。しかし、興味はすぐに、隣にいる
「アキー、それなぁにー?」
サクラは、小さくため息をついた。
それを見て、珪がクスクス笑っている。
少しばかり、ムッとした表情で、サクラは珪を見た。
「なーにが、おかしいわけ?」
「いや、サクは優しいなぁって思ってさ。アイツのこと、色々予想して慎重になってる?」
「なるでしょ、そりゃ。俺の予想が当たってるならさ。珪ちゃん、なんて聞いたの?」
「俺は、普通に聞いたの。家で呑んでるとき。まさか、だったから。だから、聞いたとき後悔したんだ。一気に、酔いがさめたよ、あのときは」
―― 泣いていいんだ。ちゃんと、泣いとけ ――
かけた言葉が、正しかったのか、わからない。リュータが、乗り越えたのかもわからない。
珪にわかるのは、リュータの中には、まだ、怒りの種火が残っていることだけだった。
それから――――。
「あー、だからって、別に聞かれたくないことじゃないみたいだけど?」
「意識しすぎ?」
「優しすぎ」
珪が、楽しげな様子のリュータを見ながら、言葉を続ける。
「案外、強いしデカいよ、リュータは」
「……そっか」
呟いて、サクラは小さく笑った。
「珪ちゃんって、イケメンだねぇ」
「そりゃ、どーも」
興味なさげに応えて、酒を飲み干す。リュータが、珪が飲んでいたワインの瓶と小箱片手にソファーに座る。
「なに、なに?2人でなに話してんの?なんか、俺への賞賛の言葉が聞こえた気がするー」
珪とサクラは、顔を見合わせて楽しげに笑った。それを見て、リュータがブーブー文句を言っている。たしなめている珪がいて、サクラは、また、愉快だと笑った。
チャイムが鳴る。
「遅くなってごめん」
申し訳なさげに笑う、長身の男が1人、入ってきた。片手に、酒の入った紙袋を持っている。長い黒髪を後ろでお団子にまとめた、優しい顔つきの男だ。
「シナ先生、待ってたよー」
テーブルの向こう側で、史那の動きを期待の眼差しでじっと追っているリュータがいて、そんな彼を、珪が面白いとニヤニヤ眺めている。
サクラが立ち上がり、子どものように嬉しそうな顔をして微笑んだ。
「先輩、いらっしゃい」
「サクラ、改めておめでとう」
「ありがとうございます。って、本になるのは、先輩のおかげですね」
「で、君が、ウワサのリュータくん?」
史那が、ソファーからずっと、大きな瞳で見つめてくるリュータへ微笑みかける。リュータは、パッと表情を輝かせた。
「ウワサ?」
しかし、応えたのは、喜びが声にならないリュータではなく、不思議そうに眉を曲げた珪だった。
「サクラがね、面白い子に会ったって、よく話してたから。君が、珪くん、だよね?」
「はい……」
「よろしく。僕は、シナ。サクラから聞いてるだろうけど、診療所やってるんだ。イロイロ訳ありの患者も診てるから、なんかあったら、ウチにおいで」
にこりと笑う史那に、リュータが、感動の眼差しを送っている。
「どーしよう、珪ちゃん」
「なに?」
「俺、幸せすぎて……泣けそう……」
「そりゃよかったな。つーか、酔ってて涙腺弛んでるだろ?」
「珪ちゃんの人脈、すごすぎる」
「いや、この人は、サクの知り合いな?」
二人のやりとりを聞いて、史那がクスクス笑った。
「何て言うか……類は類を呼ぶって、ホントなんだね」
酒瓶を2つ、テーブルに追加して、
「え?それって、俺たちのこと言ってる?」
「他に誰がいるの?」
楽しげな表情はそのままに、史那は、すぐ隣に立っている
「俺からしてみれば、サクラもアキも、十分興味深いよ。見てて飽きないし」
白ワインをリクエストしてから、史那は続けた。
「サクラもアキも、冗談みたいな本気の話をするからさ」
珪が、それに深く同意して頷いている。
「この前も、ウチの診療所で話してたろ?ヒトの目のこと」
「目?」
話を聞くリュータの大きな目が、興味に輝いていた。
「サクラが言い出したんだよな。人の目と、同じ性能のもので、目としても使えるものが作れるのかって」
サクラは、軽く微笑んで、さらにそこに説明を加えた。
「そしたら、どうせなら、ヒトの目以上のものがいいって、アキが言い出して」
「2人で、どんなものにしたいかって、1日中話してたんだよな。簡単な設計図まで描きだして」
サクラもアキも、子どものように表情が輝いている。2人は、眼球型機械のこととなると、話が尽きないらしかった。リュータが、それを静かに微笑んで眺めていた。手の中の箱を、優しく撫でながら。
「リュータ、それなに?」
珪がたずねる。するとリュータは、殊更嬉しげに笑った。
「俺専用の目覚まし時計」
「…………起きろよ?」
無駄と知りつつ、珪は、その時計に少しばかりの期待を向けた。
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