価値−2

 桜蔵は機嫌よく鼻歌交じりに珈琲を淹れていた。

 室内に、香ばしい匂いが満ちていく。友人が好きだった豆の香りだ。

 そこに、紫煙が交じる。

 ソファで、珪が独特の輝きを放つ石を片手に睨みつけていた。先程から、見事なまでに動かない。珈琲が入ったカップ2つを両手に振り返った桜蔵は、ニコニコ微笑んで、先程からまるで動かない珪を見やった。

「きれいだよねー」

「あぁ……。いや、そうじゃなくて!」

 珪の悩みはそこだった。

 新月の日、盗み出したこの2億と言われているダイヤモンドだが、ここに何が隠れているのか、まだわかっていない。ダイヤモンドにしか見えないこの石を、どうすれば、そして何が見つかるというのか。

 ただただ、きれいなだけなのだ。

 光に透かしてみても、暗闇であっても、ただ美しい輝きを放つだけ。

 桜蔵が、珪の前に珈琲を置いて、隣りに座った。身体を寄せて、珪が掲げるようにしてみているダイヤモンドを見つめた。

「アキの考えそうなこと、かぁ……」

「ここにデータがあるとして、どうすれば……」



     *  *  *  *  *


 2人の部屋に戻った宇月とアリスは、まず、ダイヤモンドがあるかどうかを確かめた。

 借りている部屋は、集合住宅の一室。

 ダイニングキッチンと広いリビング、ふたつのベッドルームがある新しい部屋だ。

 新月の日に盗み出したものを隠している場所を探れば、それはたしかにあった。

「……盗られてはない」

 宇月の呟きを隣で聞いて、アリスが手のひらサイズの布を広げて、それを通してつまみ上げる。

「んー……」

「どう思う?アリス」

「ウヅキを煽るためだけに言ったとは思えないんだけどな」

「でも、あいつの目的は……――――」

 そこまで言って、宇月は、言葉を切り、思案するようにダイヤモンドから視線をそらした。

「あいつの目的……」

 元相棒は、何を話していたか――――今更に思い出してみる。

 なぜ、ドロボーをする自分と組んでいたのか。

 なぜ、稼ぐのではなく、盗んでいたのか。

 自分たちは、どこで育ったのか。

「アリス、これをアリスの知り合いが持ってたって言ったよな?」

「あー、俺が見たのは、小さい頃だけど」

「それって、どういうヒト?」

 アリスは、不思議そうな顔をしてダイヤモンドから相棒へと視線を移した。ニコリと笑って、ダイヤモンドを布ごとケースに戻す。

「なに、昔話?いーよ。してあげよう」

 その人もまた、アリスと同じ、もしかしたらそれ以上の裕福な家庭で生まれ育った。

 アリスが幼い頃から、父や母に連れられて屋敷に遊びに行った。その家は、まさに屋敷と呼ぶにふさわしい豪勢なもので、広い庭もあり、掃除、手入れ、料理など様々な家事に最新のロボットや端末が用いられていた。

 賑やかな家族がいて、確か、アリスは同い年くらいの男の子と、いつも遊んでいた。金に近い薄茶色の髪と茶色い目をした男の子だった。

 手先の器用な子で、様々なものを分解したり作り出したりしていたのを、アリスはよく覚えていた。

「名前は……何だっだかなぁ?」

 覚えているのは、自分の名前には漢字があてられると言っていたことと、漢字だと、一文字だということ。

 その子と、例のダイヤモンドが飾ってあるのをよく眺めたのだ。

 

―― ダイヤモンドって、一番硬いんだよ。この中に大切なものを閉じ込められたら、きっと誰にも盗られないよね。


 そんなことが可能なのか、当時のアリスにはわからなかったが、その男の子は、目を輝かせていた。

 アリスがその家に遊びに行っていたのは、12歳位までだった。それ以降のことは知らない。

 両親から聞いた話では、ここTOKに拠点を移す計画をしていたらしい。

 アリスが話を終えると、宇月は小さなため息のあと、口を開いた。

「連絡は?連絡先とか知らないの?」

「聞いてない。だってまだ子どもだったし、会うことが全てだったからなぁ、あの頃は」

「こっちに拠点を移す予定だったのなら、もしかしたら、今の所有者が、その友だちなんじゃないか?」

「えー、知り合いに譲るって言ってたのに?それなら、息子って言うんじゃないの?」

「例えば、所有者そのものは別のやつで、実質上の所有者がお友だち」

「あー……それともその逆……?」

 実質上の所有者が、あのビルに関係する誰かで、所有者は幼い頃の友だち。

 だとすると――――――――。


――この中に大切なものを入れたら……――


 この中に、何かが隠れている可能性がある。価値はともかく、大切な何かが入っているかもしれない。

 アリスは、ダイヤモンドを布ごと手にしてソファに移動すると、今度は棚から宝石用のルーペをとり、ダイヤモンドをじっくりと観察し始めた。

 何かが隠してあるとするなら、僅かにでも跡が残っているかもしれない。

「アリス?」

「ウヅキに昔話したおかげで思い出したよ」

「なにを?」

「本当の、宝探し」

「宝探し?」



  *  *  *  *  *


 ソファに並んで座り、ダイヤモンドを眺めていた桜蔵と珪は、一度それをテーブルにあるケースに置いて、珈琲を味わうことにした。

「たしか、これってアリスの知り合いが持ってたんだっけ?」

 珪がソファの背に体を預けて、珈琲に口をつけた。

「みたいだね。譲った時点で、所有してるのはアリスとは他人なんだろうけど」

「そもそも、それをどうやってアキは知る事になって、なんで俺たちに依頼してんのかってことだよな」

「そう、アキが依頼してきたってことは、これに加工をしてるってことになる」

「一度、アキの手に渡ってる……」

 今ここにいない友人のやりそうなことを考える。

 珪は、天井を仰ぎ見て思いを巡らせた。何か言っていなかったか、何か聞いていなかったか、2人で話さなかったか。

「アキが持ってた……?」

 桜蔵が呟く。

「アキ、かぁ……」

 桜蔵は立ち上がり、PCが置かれている作業コーナーに向かった。PCのスイッチを入れてデスクチェアに座る。

「ビルの所有者とか企業の関係者を探ってたけど、そもそもの持ち主を探してなかったかも」

 PCに文字を打ち込む音が軽やかに響く。

 珪も、珈琲を片手に作業コーナーへ歩み寄り、桜蔵の斜め後ろに立った。

「そもそもの持ち主って、たしかアリスの父親の知り合い?」

「そう。そこと何か関係あるのかも。アキのルーツってどこだっけ?」

「TOKで育ってるけど、生まれはちがうんだよな」

「アリスがたしか、US……、あった!これか」

 二人で画面を凝視する。

 アリスの基本情報を頭にいれると、桜蔵は更にその先をたどる。

 父親、母親は?親類は?

 その職業は?副業は?収入は?

 交友関係、仕事の取引先、同僚は?

 SNSは?

 桜蔵の手が止まる。

「…………珪ちゃん、」

 珪も、思わず身を乗り出していた。

「アキ……なのか?」

 よく知る顔がそこにあって、更に、幼い姿が隣にあった。それは、最近知り合ったサクラの作り出した人工生命体・ミニアキにも似た姿だった。

「あいつの遺伝子、強い……」

「うん……。今、それどころじゃないけどね?」

 アリスの父親を辿ってたどり着いたのが、アキの画像。おそらくは、アキの父親の写真。

 桜蔵は、更に辿っていく。

「アキが、アリスと知り合いだったとして、アリスの言う、父親の知り合いがアキの家族だったとしたら」

「そもそもこのダイヤモンドの持ち主は、アキの家族?」

「そう。そうなんだよね。譲った話が、アリスの理解してるところと違う可能性もあるんじゃない?例えば、所有者はアキで展示してるのがあそこ」

 PCを操作していた桜蔵が、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。

「みーつけた」

 それは、ダイヤモンドが辿った足跡。

 ダイヤモンドは、父親からアキへ贈られたらしい。アキが姿をくらます半年前。

「あの頃……ダイヤモンドを加工してた?」

 思い出すように、珪は眉を曲げた。

「アキなら、昔からやってそうだけどね」

「あー、確かにそうかも。ちっさい頃から色々弄ってた、って聞いたことあるし」

「アキの家が裕福なら、その手の道具も手に入れられるだろうしね」

「と、なれば」

「あとは、アキがあれをどう加工したのかを解き明かせばよいわけだ」

 2人は、ソファの上のダイヤモンドを振り返った。とはいえ、見えるのはソファの背だけだ。

「アキがいなくなる前にあの加工をしたとしたらさぁ、」

 桜蔵が声音に少々苛立ちを含ませる。

「あぁ、俺も思った」

 珪の声にも、同じように不機嫌な色がにじむ。

「直接俺たちにくれればよくない?!」

 アキのやりそうなことだと思いはしても、この手間は何なのだと、文句の一つもつけたくなる。

 珪が、不意に柔らかに笑い出す。

 それを不思議そうに見つめて、桜蔵は珪の言葉を待った。

「アキのやりそうなことだよな」

 珪は嬉しそうに笑っていた。

「考えそうなことだ。これにつられて、俺たちは、アキとEyesroidを探し出す決意を固くしただろ?」

「当たり前!会って文句言うんだもん!」

「あぁ、そうだな。文句言おう。で、その前に、あのダイヤモンドから大切なものを取り出そう」



 ダイヤモンドが2つ――――本物は一つ。

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