桜蔵とリュータ2
「寒いねぇ」
実に嬉しそうに笑って、桜蔵は言った。
黒のコートとゆるいデザインのニット帽を身につけて、コートの左右のポケットに両手を入れて、桜蔵は歩いていた。
街はクリスマスの装いに彩られ、にぎやかだ。
「雪が降れば完璧なのになぁ」
弾むような声音を聞いて、珪は小さく笑う。
「お前は、ロマンチストだな」
「あはは。芸術的感性って言ってよ」
いつもの商店街も、クリスマスの装飾で華やかだ。桜蔵ほどではないが、珪もこの時期の街中を歩いていると胸が弾む。
「ねぇ、珪ちゃん、コーヒーも飲んでいこうね」
「コーヒー?」
「イチゴフェアとクリスマスフェア、どっちがいい?」
出かけるまでの間に、桜蔵は近くのカフェで開催中のイベントを調べていた。
珪は、考える仕草もなく答える。
「イチゴに決まってる」
「あはは。やっぱり?じゃあ、洗剤とか買って八百屋さん寄って、商店街の裏のカフェに寄って、」
「夕飯前だからな?」
「はーい」
弾むような足取りで、桜蔵は、珪の少し後ろをついて行った。
* * * * *
キャスケットを被った男が、携帯を操作しながら歩いていた。
短い黒髪と黒い瞳。クルッと丸い形の目と薄い唇が、楽しげに弧を描く。
商店街の裏通り、小さくオシャレな店の並ぶ場所だ。どの店先にも、それぞれ独自のクリスマス装飾をしている。
―― ケーキ食べてから帰る ――
―― 好きだねぇ、甘いもの ――
―― イチゴフェアやってんだよね。お土産いる? ――
―― さっぱりした感じの一つ ――
―― わかった。シャンパンに合うやつ買っていくよ、アリス ――
―― ほどほどにしとけよ、ウヅキ ――
―― あーい ――
やりとりを終えて携帯を上着のポケットに戻し、宇月は軽い足取りで、目的のカフェに向かう。
空は、西からのオレンジと東の濃紺とが混ざろうとしている。
イルミネーションが、美しく輝いていた。
そのカフェは、通りに面して大きな窓があり、ガラスの扉と合わせて、開放的であり、かつ近代的な雰囲気を醸していた。少しだけ張り出した屋根に、イルミネーション用の電飾がバランス良く取り付けられ、オレンジ色の光をランダムに発していた。
ガラス扉に取り付けられた金属のプレートを押して、宇月は店に入った。店員の明るい「いらっしゃいませ」の声がかけられる。中をキョロキョロと見回せば、見たことのある二人連れの姿が見えた。
実に幸せそうにイチゴパフェを頬張る小柄できれいな顔とブルーグレーの瞳の男。そして、それを穏やかに見守る、まるで保護者のような空気さえもつグレーの瞳をしたモデル並みのイイ男。
宇月は、微笑みに闇を含ませて、二人に歩み寄った。
「りゅーうーたー。奇遇だな」
イチゴアイスを口に入れてにんまり微笑んでいた桜蔵の顔が、声を聞いた瞬間、苦虫を噛み潰したような顔に変わった。ムスッとした顔で、ゆっくりと宇月を振り仰ぐ。
「宇月ぃ〜?」
「美味そうなの食べてるな」
「そう。すっごい美味しいの食べてるから、さっさと出てってくれる?」
「隣空いてんじゃん、座らせて」
「商店街の向こう側でクリスマスフェアやってるから、そっちにどうぞ?」
桜蔵は、スプーンに乗せたイチゴをパクリと食べて、プイッと宇月から顔を背けて珪のほうを向いた。
「俺がイチゴ好きだってわかってて言うの、それ」
宇月は笑顔を崩さない。
「知ってて言ってる!」
「あぁ、そう」
気にする風もなく、宇月は、通路側に置いてあった買い物袋を桜蔵側の席に避けて、珪の隣に座った。
珪が、眉間に皺を寄せてそれを見つめていた。
桜蔵は、更に不機嫌な表情で、信じられないと向かいに座った宇月を見つめた。
宇月は、やはり気にすることなく、メニュータブレットを手にして注文を始めた。
「ちょっと、宇月!勝手に珪ちゃんの隣に座らないでよ」
「じゃあ、お前の隣にする」
宇月は、そう言って立ち上がろうとしている。桜蔵は、即座に返した。
「もっとダメ!う〜、珪ちゃん、ゴメン」
桜蔵の反応を見て、宇月は少し寂しげに笑った。
「相棒に対して酷い言いようだな」
二人の様子を黙って見ていた珪が、宇月が座り直したタイミングで口を挟んだ。
「そんな仲悪くて、よく一緒にやってたな」
「リュータは前からこうだけど?」
当たり前のように宇月は言った。
「人当たりは悪くないけど、壁は作るし、距離取るし。俺を通じて知り合うやつもいたのに、そんなだからその場限りでさ」
続けられた話を、珪は信じられない気持ちで聞いていた。しかし、同時に、思い出す言葉もあった。
昔、まだ4人でいた賑やかな頃、桜蔵が言っていた――――「友だちは、ここにいる人だけで全部だよ」――――と。
桜蔵は、独りで戦ってきた――――珪は、そう思っていた。宇月のことを知って、そうではなかったのだとわかったが、今、それも正確には間違いだと気がついた。
桜蔵はやはり、独りで戦っていたのだ。
同業者はいただろう。共闘することもあったのだろう。それでも、そこの関係は、ずっとその時だけのもの。仲間でも、同志でもない。それは――――。
宇月が、先を続ける。
「まぁ、こいつのそんなところが原因でケンカして、そのままサヨナラだったんだけど」
桜蔵は面白くないという顔で、水が入ったコップを手にした。
「何を人に無断で昔話してくれてんのぉ?」
「聞かれたことに答えただけだろ?」
ニヤリと笑う宇月を見て、桜蔵の顔は更にむくれていく。
「だいだいさぁ、あの時も思ってたんだけど、なんで俺にこだわるの」
「天性の才能にほれてるから。前にも言ったろ?同じ出身だしさ」
「だからって、今更来てストーキングって……。どうせ、ケータイ画面二人の写真のままなんでしょ?」
「さすがに違うわ」
宇月は、自分の携帯を取り出して、桜蔵に手渡す。桜蔵が身を乗り出すようにして、それを受け取ると、宇月はニッと悪戯な顔で笑った。
受け取った携帯の待ち受け画面を確かめて、桜蔵は動きをそして表情を止めた。そこにあったのは、雑多な街並み、古びたビルと狭い路地裏のような通り、ネオン、その隙間から見える近未来的に映る新しいビルの影。
今はない懐かしい景色が、そこに写っていた。
画面を見つめたまま、言葉もない桜蔵に、宇月が優しく微笑む。
「すごいだろ?」
「……なに、ここ。だって――――……」
戸惑いで言葉にならない桜蔵に、向かいに座る珪が首をかしげる。宇月は、満足そうな顔をして口を開いた。
「俺が、今拠点にしてる街。4区そっくりだろ?そっくりっていうか、そのエリアにある、まぁ、4区みたいなとこ」
「それにしたって……――――」
「あぁ、4区に似てる。やっぱりさ、居心地いいんだよな」
桜蔵は目を閉じて、心を落ち着かせるように一つ深呼吸をした。
「なるほど。俺の前に現れたわけがわかった」
桜蔵の手から宇月へ携帯が戻される。
桜蔵は、面白くないというような顔をした。
「コレを餌にするつもりだったんだ?」
「そりゃそうだろ?あの街を見つけたときから、お前に言いたくて連れて行きたくて見せてやりたくて、ずーっと考えてたんだから」
「……――――いらない」
「リュー……――――」
「俺は『桜蔵』。リュータじゃない」
きっぱりと言い放ち、桜蔵は、残りのパフェを食べ始めた。
その間に、宇月が頼んだタルトを店員が運んできた。いちごが溢れそうなほどに乗せられ、更にいちごアイスとベリーのソースが添えられている。
テーブルの上のそれをみて、宇月が頬を緩める。
早速いちごタルトをフォークで口へと運び、宇月は、いちごを堪能している。
いちごづくしのプレートを、珪は、じっと見つめた。
宇月は、にやりと意地悪に笑った。
「すっげー美味い」
「……そっちにすればよかった……」
珪は素直に悔しがり、残っているコーヒーを口にした。いちご好きとしては食べてみたいプレートだ。
宇月は、いちごだらけのプレートと珪の悔しげな顔を見て、幸せそうに、そして満足そうに笑っている。
「あんたさぁ」
タルトを頬張りながら、宇月は、珪に話しかけた。
「SEなんだろ?」
タルトを食べたい欲をコーヒーで誤魔化していた珪は、驚いた顔で宇月を見た。
「そう、だけど?」
「なんで知ってんの?って顔だけど、調べるに決まってるだろ、リュータが一緒にお仕事してるヤツのことなんだから。珪・
「……お前は?」
「表の仕事?」
「そう」
「似たようなもんだ。システムとかプログラムとか」
「じゃあ、」
「あぁ、でも、元々俺はドロボーだ。リュータと一緒にいた時は、サポートすることが多かったけど、侵入することだって朝飯前」
「だから、バーグビルにも単身侵入できたわけか」
「そういうことにしとこうか」
それに肯定も否定もしないで、宇月はにやりと意味ありげに笑った。
「侵入にはどうした?」
「最短で入って出られる手段を使った」
「それって……――――」
システム、プログラムに関して専門の二人は、桜蔵を置いて会話を続ける。話題は、バークビル侵入の方法。
「いや、やっぱりあそこなら……――――」
「あんたなら、トロトロしててムリかもしれないけど、俺なら余裕なの~」
「まぁ、どっち使っても30秒あればクリアできるけど?」
珪の自信ありげな表情に、宇月は鼻で笑った。
「30秒?へーぇ、俺なら30秒いらない」
「あぁ?!」
ただ眺めていた桜蔵が、言い合う二人を交互に見た後で口を尖らせた。
「ちょっと!なんで仲良くなってんの?!」
二人は同時に振り返った。
「はぁ?!」
「はぁ?!」
声と表情が揃う。
「仲良くなんてしてない!」
「仲良くなんてしてない!」
桜蔵は、息のあった返しに目を丸くしたあと、面白くないと口を尖らした。
「なにをお約束なことしてんのぉ?」
桜蔵の顔を見て、宇月は嬉しそうな顔をした。
「羨ましいか?」
「珪ちゃんは、俺の相棒だからね?!」
負け惜しみでもなんでもない、桜蔵は真剣に言っている。
当てが外れて、今度は宇月が口を尖らす番だった。プレートに残っているイチゴタルトを頬張り、プイッと顔を逸した。
その時、3人の座るテーブルに影がさした。
「ウヅキ、ケーキ食べるだけじゃなかったのか?」
責めるわけではないが、呆れたような声音。降ってきたその声に、宇月は、恐る恐るといったようにゆっくりと顔を上げた。
バツが悪く、笑顔も引き攣る。
「アリス……。よくわかったな、このカフェ」
いたのは、青い瞳に彫りの深い顔立ちをした、細身で長身の男だった。
「イチゴフェアをしてるカフェで、しかもお前が行きそうな場所なんて、すぐにわかる。まったく、ほどほどにしとけって言っただろう?」
宇月に苦言を呈してから、アリスは、桜蔵と珪に視線をやった。
「悪いね、邪魔をした」
ニコリと笑うその姿に、裏も含みもない。
桜蔵も珪も、戸惑いのままアリスを見つめて頷いた。
「ほら、残り食べちゃって。行くよ」
「はーい」
急かされた宇月は、プレートに残るタルトとアイスを大口を開けて食べる。
アリスが、ふと桜蔵に視線を止め、やはり、ニコリと笑った。
「はじめまして、貴方がウヅキの元相棒さん?」
「うん……」
「俺はアリス。ウヅキの世話係」
桜蔵は、目を丸くしてアリスを見上げた。
「世話……?」
アリスの挨拶を、宇月は慌てて否定した。
「違う!友人で仕事仲間だ!世話されてない!」
「してるでしょ。食事に洗濯、買い出し。あと、お迎え」
「お前のほうが得意だってだけだ!っていうか、お迎えってなんだよ?!」
「すーぐフラフラするから。実際、今もこうしてお迎えに来てる」
アリスは、やはり、責めるでもなく応えた。
珪が興味深いというように、二人のやり取りを眺めていた。
「相棒、いるんじゃないか……」
珪が、誰にともなくつぶやくと、桜蔵もそれに賛同して口を開いた。
「浮気は良くないよー、宇月」
「浮気なんてするか!俺は、お前とも仕事したいって話をしてんだ。っていうか、こっちに来いってこと」
ため息が降ってくる。アリスが、呆れ顔をして宇月のキャスケットを撫で回す。
「さっきから、ほどほどにしろって言ってるんだけど?」
「アリス!」
「食べ終わったんなら、行くよ?」
「……はーい」
渋々といったように返事をして、宇月が席を立つ。
「リュータ、今は桜蔵か……連絡、待ってる」
納得いかない顔のまま、宇月は先にレジへと向かう。それを見送って、アリスがやれやれとため息をついた。
「悪かったね。あんたのファンなだけなんだ。よく言っとくから」
レジの方から、宇月がアリスを呼ぶ。手には、ケーキの小箱。
「それじゃ、またね。リョータくん」
「桜蔵だってば!」
アリスは、明るい笑い声を残して、宇月と共に店を後にした。
店を出て、アリスはまだふて腐れ顔の宇月をちらりと見た。
「何話してたの?また勧誘?」
「……仲直り、したいからさ……」
小さく漏らす本音を聞いて、アリスは思わず吹き出した。
「なら、そう言えばいいのにー。ホントに、変なとこで引っ込み思案なんだよねー、ウヅキって」
「わかってるよ!」
「ところで、ウヅキ?」
「なに?」
不機嫌な声が返ってくる。
「何も盗られてないだろうね?」
「そんな間抜けなことあるわけないだろ」
「ほんとにー?」
アリスは疑いの目を向けている。
そして、少し思案したあとで言葉を繋げた。
「ウヅキ、携帯」
アリスは宇月に手のひらを差し出した。
「は?」
訝しげな顔をしながらも、宇月は素直に携帯を渡した。
受け取ったアリスは、しばらくいじった後でため息とともに宇月に返した。
「…………アホ」
「あ?!」
苛立ちをそのまま表して、宇月は、戻ってきた携帯を確かめる。桜蔵に携帯を渡しはしたが、拠点にしている街の画像を見せただけだ。
ほんの1、2分のはず――――。
「あいつッ……――――」
画面を支配している、一つの画像。それは、バークビルに忍び込んだときに自分が残した画像だった。
しかも、丁寧にコメントが加えられている。デザインされた、オシャレな文字で――――。
―― あんぽんたん ――
携帯を握りしめて、宇月はカフェの方角を振り返った。
アリスが、呆れ顔で宇月を見る。
「メッセージだけだと思ってないよね?」
「はぁ?!」
驚く宇月に、アリスは先の操作を促すように、彼の携帯を指差した。
宇月は、その先に待つ結果を予測して、血の気が引く思いのまま慌てて携帯を操作した。そこに隠してあるはずのものを確認する。
「――――……ない」
「あーあ。あーんぽーんたーん」
* * * * *
二人に戻ったカフェのテーブル――――桜蔵は、自分の携帯を見つめて機嫌よく笑っている。珪は、コーヒーを飲み干して口を開いた。
「仕上げは?」
「上々です」
桜蔵が珪に携帯を渡す。そこにあるのは、バークビルで盗り逃した裏金に関するデータだった。
「さすがだな。確かに、ここに来るまでにレクチャーしたし、前にも一度使ったことのある方法とはいえ、」
感心の目を桜蔵に向けると、目を輝かせて珪を見つめていた。
「……な、なに?」
「続けていいよ」
「(……あー、褒められて喜んでるわけか)よくできました」
「わーい」
子どものように喜んで、桜蔵は、ホクホクとした顔で紅茶を口にした。
事は予定通りに進んだ。桜蔵が考えていたとおりにだ。リベンジがこんなに早く進むとは、珪は思いもしなかった。
「それ以前に、桜蔵、なんで宇月がここに来るってわかったの?」
「必要な情報だったから。分析してた」
桜蔵がニコリと笑う。
「あいつのここ最近の動きとか、そもそもの趣味嗜好とかを考えると、ここかなぁって。たぶん、向こうもそれなりには分析をしてこの辺をうろついてたんだろうし?」
つまりは、こちらを監視しているだろう宇月の思考と行動を逆手に取ったのだ。
「(本気出すとすごいな……こんなにもあっさりと……)」
「でも、珪ちゃんが宇月と言い合ってくれてたおかげだけどねー」
「上手くいくとは思わなかったけど、悪い、途中から、作戦関係なくなってたわ」
桜蔵が笑う。
珪も釣られて笑った。
「帰ろう、珪ちゃん」
「夕飯だ」
「今日はなにー?」
「メインは魚です」
「じゃあ、白で」
「おっけー」
家事をするのは、珪の役割。しかし、桜蔵も手伝う。
朝が弱くて、友だちが少なくて、自分に正直な、ドロボーの天才――――それが桜蔵だ。
友だちを大切にする、感性豊かな芸術家――――。
珪が夕ご飯の支度中、桜蔵はやることがなければ、傍に立ち、料理ができあがっていくのを眺めたり、手伝ったりしている。
ソファー前のテーブルに料理が並ぶ頃には、桜蔵がお酒とグラスを選ぶのだ。
「さぁて、」
桜蔵の機嫌のいい声が、乾杯の合図。
桜蔵の選んだ白ワインを、珪が注ぐ。
「かんぱい!」
小さなリベンジを果たしたお祝いに、グラスが鳴った。
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