C:桜蔵とリュータ
4年前、珪は親友である
それは、生命の神秘に手を加えたものであり、残っていると自分たち4人に都合が悪いものなのだと言われた。そう言われると、考えられる可能性は――――――――桜蔵の、リュータのデータである、ということ。生命の神秘に手を加えた実験が、20年前に行われていた。4区が、その昔、取り壊された。その2つを繋ぐものがあるとしたら――――――――。
実験の失敗。
「(失敗、っていうか、逃亡?)」
パソコン画面を見つめて、珪は、小さく唸った。
―― なにも聞かないで…… ――
「(でもまぁ、答え合わせしなくても、そういうことなんだろうな)」
珪は、ちらりとUSBメモリを見た。
「(データ……か)」
あの日、確かに
LABからは――――。
今、そのデータのコピーがここにある。
しかし、ここにあるのは医学のデータ。
「(俺が見ても、流石にわからない)」
珪は、小さく唸って目を閉じた。史那に見てもらえば、なにかわかるかもしれないが、巻き込むことになる。
「珪ちゃん、どーしたの??」
突然聞こえた桜蔵の声に、珪の肩がビクッと震えた。
今、9時半を過ぎたところだ。いつもなら桜蔵はベッドの中。起こしに行くまで起きない。むしろ、起こしに行っても起きないのに。
「……おはよう」
焦る心を隠して振り返る。笑い顔が、少し引きつった。
「パソコンもつけないで唸るほど、何悩んでんの?」
寝起きのわりに爽やかな顔で、桜蔵は言った。
「いや、大したことじゃ……。お前こそ、早起きしちゃって、悩み事か?」
誤魔化して聞き返すと、桜蔵は、不機嫌な様子で眉間に皺を寄せた。
「もー、宇月が近くにいるのかと思うとさぁ……。ムカムカするし、珪ちゃんに対する態度でモヤモヤするし、夜中に何回も目が覚めた」
「へぇ、」
「なので、よいお昼寝のために、美味しい朝食をください」
「そりゃ、美味しいコーヒーもいるな」
軽く笑って、珪は椅子から重い腰を上げた。手にしていたスティックメモリーは、パソコンの上の段、所定の位置に戻して、キッチンへ。
メニューはもう決めていた。トーストとスクランブルエッグ、焼いたベーコンに、フルーツとヨーグルト。そして、淹れたてのコーヒーだ。
珪が朝食を用意してる間、桜蔵は自分の端末から今日のニュースをチェックしていた。
室内に、芳しいコーヒーの香りが満ちる。
「はーーーあ、」
深い溜め息をついて、桜蔵が頭を後ろの背もたれに預ける。天井を見るでもなく見つめた。
食欲を刺激する美味しそうな香りが届くのと一緒に、コトリと音がした。桜蔵が体を戻すと、ソファーに挟まれたローテーブルに、二人分の朝食が並ぶ。
「桜蔵」
珪が、桜蔵の向かいに座り、声をかけた。
「どうする?」
「なぁにが?」
「盗られたまま?」
桜蔵は、少し考えた後で、悪戯する子どものような顔をして笑った。
「まさか!」
「掠め取っていった本人が、すぐそばにいるとなれば……」
「俺からなにか盗ろうなんて、百年早い」
二人が盗むはずだった大金を、掠め取っていったのは宇月だと、桜蔵も珪も確信していた。ミニアキが作っていたリストの中にいた人物で、ここにいる上に、桜蔵に対して執着を感じる。
「それ」
珪は、桜蔵のセリフに宇月の影を見ていた。
「どれ?」
「俺からなにか盗ろうなんて百年早い、って、桜蔵のオリジナル?」
トーストをもぐもぐ咀嚼しながら、桜蔵は、その質問の意図がわからず、疑問に眉をひそめた。
「お前を待ってビルのラウンジにいたとき、宇月から言われたんだよな。同じ言葉」
「俺が、オリジナル!アイツはパクリ!」
桜蔵が、ここまであからさまに嫌悪を表すのは珍しい。珪は、少しだけ宇月に興味が湧いてきた。
* * * * *
桜蔵は、やる気に満ち溢れていた。あの日、大金を盗りに行って以来の意欲に溢れていた。グラフィックデザイナーとしての仕事に向かいながら、頭の中で算段をつける。
「(相手は、宇月だからなぁ)」
いつも相手にしている企業より、よほど困難だ。何しろ、相手はその道のプロ。しかも、元相棒。こちらが相手の癖や盗み方を知っているのと同じに、宇月も、桜蔵の癖や方法を知っている。
「んー……」
眉間にしわを寄せて唸っていて、桜蔵はふと気がついた。
宇月の現状はともかく、こちらは昔と違う点が一つある。
「珪ちゃん……か」
思い付いたそれに、桜蔵はニヤリと笑った。嬉々として作戦を練り直す。
ふと、桜蔵の脳裏に過去の映像がよみがえった。
―― 俺は お前の ! ――
怒りを振りまく宇月の姿だ。
今になって思う。あれは、怒りだけではない。あのときの宇月には悔しさと惨めさ、そして、悲しみが満ちていた。
―― ふざけんなっ! ――
彼の力を認めていないわけではない。宇月は、ドロボーの天才だと思う。
だからこそ――――――――。
―― 俺は、お前の駒でも道具でもねぇ!利用したいだけなら、俺は降りる! ――
喧嘩は前からしていたし、意見は合うが、気は合わなかった。それでも、仕事では上手くいっていたのだ。
最後は、口論になってそのまま別れた。
―― そんな考え方してるヤツに相棒なんて、一生かかってもできねぇよ。独りでやってろ ――
当時の宇月の言葉は、至極尤もだった。反論の余地もない。
簡単な話だ。
宇月は桜蔵を認めてくれていたし、尊敬も示してくれていた。親しみを込めて接してくれていた。でも、自分にはそれがなかった。
盗む目的が、そもそも桜蔵と宇月では違ったからだ。
盗むために盗む宇月と、取り戻すために盗む桜蔵と、二人は向いている方向が違っていた。
桜蔵は、手元へ視線を落として自問した。
―― 俺は、お前の駒でも道具でもねぇ! ――
自分にとって珪がどんな存在で、どう思っているのか。
―― 駒でも道具でもっ ――
デスクの上、左手を、ギュッと握りしめた。
「(……違う。そんなこと、思ってない。珪ちゃんは相棒で、大切な友だちだもん)」
眉間に皺が寄る。
―― 珪ちゃん……か、 ――
過去との違いを探していて思いついたとき、自分は、何を思ったのか。それを思い返していて、桜蔵はぞっとした。
「(違うっ!思ってない!)」
―― 独りでやってろ ――
浮かんだ言葉を否定したくて、桜蔵は首を横に振った。
「(違う!!珪ちゃんは友だちだもん!違う……!)」
思考の奥深くに追いやる言葉は、すぐ浮かんできては、桜蔵の心を支配しようとする。
桜蔵は、視界を塞ぐように顔を覆った。
「行き詰まってんの?」
不思議そうな声音に、桜蔵は、ピクッと指先を反応させただけで、顔を上げはしなかった。
珪が、裸足でペタペタと音をさせながら歩いてくる。確か、洗濯と乾燥をしていて、今までバスルームに篭っていたはずだ。その証拠に、テーブルに洗濯カゴを置くドサッという音が聞こえた。裸足で歩く音が、近づいてくる。
「……行き詰まってる、ようには、見えないな」
返事ができない――――――――桜蔵は、珪の次の言葉を待つことにした。
「それにしても、桜蔵ってセンスあるよなぁ。いつ見てもかっこいいわ、お前のデザイン」
桜蔵は珍しいくらいに照れた顔を上げた。
「珪ちゃん、褒めすぎ……」
斜め後ろにいる珪を振り返ると、なんでもないような顔をして、桜蔵を見下ろしていた。
「そうか?」
キャスターの付いたデスクチェアをくるりと回して、桜蔵は、珪を正面から見上げた。
相棒――――――――。
二人の間にある、見えない信頼。珪を見ていると、何故だか体の内側に広がるものがあった。安心とも、安らぎとも、安堵とも言えない、穏やかな何か。
ここにあるのは、根拠のない信頼だが、確かなものだ。
珪のハッカーとしての腕だとか、彼を通じて知り合った友だとか、彼自身の性格だとか、その全てが桜蔵が得た宝。
「ふふっ」
端正な顔を笑顔に崩して、桜蔵は口を開いた。
「珪ちゃん、ホントいい男」
珪は、訳がわからないというように眉間に皺を寄せた後、とりあえず「ありがとう」とお礼を言って、ソファーに戻った。
作業を中断し、桜蔵も、彼を追うようにソファーへ移った。
ホカホカの洗濯物を畳みながら、珪が口を開いた。
「連絡先、残しておいたほうが良かったんじゃないのか?」
宇月が渡してきたメモを、桜蔵はくしゃくしゃに丸めて捨てている。盗む先が彼ならば、接点は残しておいたほうが仕事は早い。
「何言ってんの、珪ちゃん」
桜蔵も洗濯物を畳みながら、彼に答える。
「宇月の居場所なら、いつでも把握できるよ?」
「ん?なんで?」
手を止めて不思議そうな顔をする珪に、桜蔵は得意げに笑いながらも、手を止めることなく続けた。
「発信器をつけさせていただきました」
「いつの間に……」
「メモを握らされたときにね。まあ、メモは捨てたけど、連絡先は記憶したから」
「マジか……」
「あー、嫌な特技」
きれいな顔を心底嫌そうに歪めて、桜蔵は呟いた。ドロボー稼業には便利な特技ではあるが、今だけは、一度見た情報を忘れないこの特技が、宇月を喜ばせてしまう。それが癪なのだ。
「お前は、必要ない情報は拾わないだろ。記憶してたんだから、大切なものだったんだよ」
珪は再び洗濯物を畳み始めていた。なんでもないように告げたその言葉に、桜蔵は嬉しそうに微笑んだ。
嫌いな相手を喜ばせてしまうものだったとしても、それよりも、目の前のこの人が認めてくれるのなら、それはもう欠点ではなく美点となる。
「ふふっ。まあ、実際、役に立ってくれてるからねー」
「で、作戦は決まったのか?」
「そこそこ。先に、表の仕事を終らせるよ」
「4時までに目処を付けてくれる?買い物に行きたい」
「おーけー。任せといて」
畳まれた洗濯物のタワーに、今綺麗に畳み終えた衣服を追加して、桜蔵はデスクに戻った。
やはり、相棒は珪しかいない。
気が合って息も合う、大切な存在。
止まっていた作業を再開しながら、手元においている携帯端末も操作する。そこには、地図上を移動する赤い点滅が示されていた。
次の標的は――――――――宇月。
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