Buddy-4

「珪ちゃん…………」

 少しだけ明るさの戻った桜蔵の声。この後に吐き出されるのは、どんな冷たい、もしくは闇を纏った言葉なのだろう。珪は、顔だけ彼に向けて、続く言葉を待った。

「今、ものすっごく美味しいもの食べたい!」

「…………は?」

 珪を見る桜蔵は、見慣れた顔をしていた。駄々をこねる直前の子どもの顔。

「できれば、珪ちゃんが作った料理が食べたい!でも、近くの美味しいお店でもいいから、とにかく美味しいもの食べたい!」

「……おなか空いたのか?」

「違うよ、幸せ感じるのっ」

 珪は、思わず吹き出した。その顔に、先程までの冷たく暗い色はない。

「はいはい。じゃあ、近くにサンドイッチの美味しいカフェがあるから、とりあえず、そこ行くか?」

「あ!おしゃれなパン屋さんがやってるカフェ?」

「そう」

「行く行く!」

桜蔵とビジネス街を歩きながら、珪は、数日前のミニアキの言葉を思い出していた。


ーーよほど嫌いか、歪んだ愛情の持ち主のどちらかでしょうね


「(今のところ、“歪んだ愛情の持ち主”だな)」

 落ち着いた色調、クラシカルな家具設え、桜蔵の好きなタイプの店だ。

 コーヒーとサンドイッチを頼んで、二人は、店の奥に席をとった。

「はぁーーーー」

 椅子に座るなり、桜蔵は、深い溜め息をついた。温泉にでも入ったのかと問いたくなるため息を。

 そして、野菜がたっぷり挟まったサンドイッチにかぶりついて、再度ため息をついた。

「……美味い……」

「機嫌は直ったか?」

「だいぶ持ち直した」

 その答えを聞いて、珪はサンドイッチにかぶりつき、先程のビルでのできごとを考えていた。

「もしかして、さっきのアイツ、桜蔵の嫌いな奴?」

 桜蔵の顔が、一気に不機嫌に変わる。それを見て、答えはわかった。

「……悪い、」

「10年も会ってないし、連絡もしてないけどね。するつもり無いけど」

「そういえば、桜蔵、連絡先のメモもらってたけど、あれ、どうした?」

 握りつぶしているのは見たが、カバンに入れる姿もポケットに入れる姿も見ていない。

「捨ててきた」

「……いいのか?」

「いらないもーん。珪ちゃんにあんな態度と口をきくヤツに、連絡するつもりないしぃー」

 桜蔵は、ブツブツと文句を続けている。珪は、それを見て可笑しくなった。彼の機嫌を損ねたのは、嫌いだという知り合いに会ったことではなく、ストーキングされたことでもなく、珪に対する非礼だ。

「桜蔵、」

 文句の合間を縫って、珪は声をかけた。

 桜蔵が、珪の声で我に返ったようだった。文句をやめて、少しの笑みを浮かべた。

「なに?」

「食事が進んでない」

 何を続けるかに悩んで、珪は、そう応えた。

 桜蔵は「あはは」と笑った後で、いつものように丁寧な食事を再開した。

「珪ちゃん、サク並に優しいよねぇ。ホント天使」

「お前、天使のイメージ間違ってるぞ?」 

 優しいと言ったその理由に、珪は、すぐに思い当たった。過去を聞かなかったーーーーそう簡単に聞けるはずがない。以前、桜蔵に昔のことを聞いて、今はもう存在しない4区の話をされた。そこにいたのだと。そして、全て無くしたことを。軽い雑談のはずが、桜蔵の背負ってきた大きな荷物を、それでも彼はそっと優しく見せてくれた。

 珪が知っているのは、子どもの頃の桜蔵のことで、それから先、成長してから自分と出会うまでのことは、気にしたこともなかった。一人だったのだと、勝手にそう思っていたから。

 気にはなる。

 誰とでも仲良くなりそうな桜蔵が、「嫌い」だと、そう言う相手。あのリストの中に存在していて、桜蔵が見つけた「嫌いな子」ーーーーおそらくは、それが「宇月うづき」だ。

「珪ちゃん、」

「んー?」

 気にしていない風を装って、珪は返した。ガブリとサンドイッチを頬張る。

「ちゃんと話すからね」

 桜蔵の凛とした声。こと過去に関しては、桜蔵はある意味強い。乗り越えたのかといえば、決してそういうわけではないのだろう。4年前のできごとがトラウマになっているし、いまだに、4区を潰した者たちに対し、強い恨みを持っている。

 感情的なだけはなく、冷静に、それを見つめる目を持っている。それが、桜蔵だ。

「……おー……」

 心の内を見透かされたことに、珪は、ただそれだけしか返すことができなかった。

 桜蔵は、クスクス笑っていた。とても、機嫌よく。

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