C

「さーくらぁ~~」

 珪は、ソファーから、2Fにいる桜蔵を呼んだ。出かける支度は、もうできている。自室にいる桜蔵待ちだ。

 普段からマイペースである桜蔵の支度に時間がかかるのは、百も承知だ。今に始まったことじゃない。それでも、急かさずにはいられなかった。

「さーくらぁ!まだぁ?」

「待って!!」

 すぐさま怒ったような声が帰ってきて、珪は、予想通りだった桜蔵のリアクションに小さく笑った。桜蔵の部屋の扉は、今開いている。そこから、次々と脅し文句が降ってきた。

「置いてったら締め出すからな?!」

「はーい……」

 珪の適当な返事は、おそらく桜蔵には届いていない。

「珪ちゃんの白い服、ひとつ残らず鮮やかに染めてやる!」

「やめてぇ」

「珪ちゃんのPC、全部めちゃめちゃにしやるからな!」

「それ、お前も困らない?」

「でかい交差点のど真ん中で、珪ちゃんの名前大声で呼んで喚いて泣き叫んでやるっ!」

「その場合、恥ずかしいのは俺なのか?」

「珪ちゃん!俺のケータイがなーい!!」

「少し落ち着け……」

 珪は、目の前のローテーブルに視線をやった。

「さーくーらぁ!お前のケータイ、ここ!」

「え~?」

 疑問符をたくさんつけた桜蔵の声が、近づくように上から降ってくる。吹き抜けと2Fとを遮る柵からこちらを覗いているだろう彼を、珪は見上げた。

「部屋行く前に、ここに置いてったろ?」

「よかった~」

 直後、階段を下りてくるリズミカルな音が、室内に響いた。

「おまたせ、珪ちゃん」

 キャスケットを被った桜蔵を見上げて、珪は、徐に立ち上がった。

「さて、行くか」

「珪ちゃん、ちゃんとUV対策した?」

「したよ。桜蔵が言うから習慣になってる」

「帽子は?」

「暑いからいい」

「暑いから被るのに~」

「はいはい」

 桜蔵は、キャスケットの他に、ブルーのレンズがはめられた細身のサングラスもかけている。

 世界政策機関が統治する中、自然と人工域のバランスまでも、ヒトはコントロールしていた。各地域に「最適な季節」が巡る。

 今、ここは夏だ。

「あつーい……」

 容赦なく突き刺さる日差しが、桜蔵のテンションを下げていく。彼の端整な顔立ちも、不快に歪んでいた。

「だから、何かあるなら行ってきてやるって言ったのに」

 珪は苦笑いを浮かべて桜蔵を見た。

「それはヤダ。……あ~、もぉ~……あっつい」

「はいはい。もう少ししたら涼しいところ入るから」

「え?」

 暑さに辟易しているのを隠すことなく、顔を上げる。

 桜蔵は、珪が示す先を見て表情を輝かせた。

「あ、ネットカフェ?」

「そう。定期メンテ。だから、もうちょい我慢して」

「我慢する~」

「俺、何軒かこの辺り回るけど、桜蔵はそこにいる?」

「ヤダ。ついてく」

「なら、手伝えよ?」

「はーい」

 桜蔵の足取りは、途端に軽くなった。

「単純っていうか、純粋っていうか……」

「え~?何か言った?」

 聞こえているのに聞こえないふりで、桜蔵が珪に笑顔を向けた。それを見て、珪は思わず笑ってしまった。

「言いました。単純って」

「あははっ。ありがとぉ」

 珪の得意先を回る間、桜蔵は、彼の周りにいて、キャスター付きの椅子に座り、クルクル回ったりメモ用紙を見つけては落書きしたりと、親の仕事についてきた子どもの如く楽しんでいた。

「外は暑かったでしょう?どうぞ」

 最後に訪れた店で、女性店員が僅かに頬を染めて、桜蔵に微笑みかけた。

「あ……」

 桜蔵が落書きから顔を上げると、差し出されていたのは彼の好きなアイスティーだった。

「どーも、すいません」

 しかし、笑顔で受け取ったのは、珪の方だった。

「俺にくれたのにぃ」

「働いてんのは俺。つーか、ちゃんと2つあるだろ」

「仕事終わってからにしなさい!」

「ひと段落ついてますぅ~。お前こそ、働いてから飲め」

「俺、もう働いた」

「は?」

 アイスティーを飲みながら眉根を寄せる珪を、桜蔵がニヤリと悪戯に笑って見上げた。その表情に、すべてを悟る。珪は、苦笑いと共にため息をこぼした。

「ほんっと、天職だよなぁ……桜蔵は」

「ふふふん」

 桜蔵は、大好きなアイスティーを啜った。

 ここに集まるデータはもう、すべて桜蔵の手の中だ。さっき、遊びながらここのコンピューターに細工をした。珪の顧客だ。メインがどこでどう繋がっているかなんて把握済みだ。コンピューターに関することは珪の方が得意だが、桜蔵にだって技術はある。こと、泥棒に関しては特にだ。効率の良い扱い方の全ては、珪から教わったのだが。

仕事が終わり、二人がランチをとることができたのは、1時を過ぎてからだった。

「お前の、そのやたら丁寧な食べ方は、一体誰の影響?」

 快適な室温に設定された古風なデザインのカフェで、桜蔵はざるそばを、珪は海鮮丼を食べていた。

「さぁ?俺、親覚えてないもん。生まれつきじゃないの?」

 桜蔵には家族がいない。なぜいないのかは、桜蔵にもわからなかった。ただ、自分と「家族」というものは関係がない――そう理解していた。

 そばをツルツルと吸い上げる桜蔵は、幸せそうに笑っている。

「桜蔵ってさぁ」

「ふん?」

「外で食う時、本当に幸せそうに食うのな?外食好きなの?」

「うーん。外食が好きっつーか……」

 桜蔵は、一度言葉を切り、箸でつまみあげていたソバを啜りあげて飲み込んだ。そのあとで、珪に向かって愉しげに微笑んだ。

「珪ちゃんが、仕事してるのを見るのが好き」

「はぁ?」

 珪は、訳が分からないと眉を曲げて、ソバを食べる桜蔵を見上げた。

「珪ちゃんってすげーんだもん。見てると、俺のことじゃないのに誇らしいつーかさぁ。俺も、珪ちゃんみたいにスゲーやつになって、珪ちゃんにスゲーって思われたいから、だから、頑張ろうって思えるの」

「……へぇ……」

「それが好き」

 わかるような、わからないような理由だが、ストレートな言葉は、珪を照れさせるのに十分だった。

「そりゃどーも」

「いえいえ。ねぇ、珪ちゃん、この後どうすんの?買い出し行く?」

「あぁ。ここを抜けた先にあるBEANSビル行く」

「俺、本屋行きたい!」

「なら、先に本見る?俺も、音楽データ買いたいし」

「うん」

「で、早く食べてくれる?」

「はーい」

 良い返事をしていたものの、桜蔵のスピードが上がることなど、珪は期待していなかった。出会って10年になるが、急いで食べる桜蔵など見たことがない。彼のマイペースにも、もう慣れた。

 彼を、「桜蔵」と呼ぶことにも、もうすっかり慣れてしまった。

「ごちそうさまでした」

 珪が、カフェに置かれていた新聞をきれいに読み終えたころ、ようやく桜蔵が、丁寧に食事を終えた。

 BEANSビルまでは、この商店街からさほど遠くない。にぎやかなアーケードの下を出れば、大きな交差点を渡るだけ。その距離でも、やはり桜蔵の顔は、暑さに辟易していた。

「あ~、涼しい~」

 BEANSビルの中は、適温よりやや低めの室温に設定されている。平日もにぎわうビルの中を、エスカレーターで上がっていく。少しだけ注目を浴びながら。

 自分に視線が向けられていることなど、珪は全く気付いていない。関心がないのだ。

 桜蔵は、気付いている。しかし、やはり関心がない。自分が見られていることよりも、珪に向けられている視線の方が、桜蔵にとっては余程おもしろかった。

「じゃ、終わったら下りてくるから」

「はーい」

 音楽のフロアへとエスカレーターを上がっていく珪と、彼を見る視線の数とその種類に桜蔵は小さく笑った。

「相変わらずだなぁ、珪ちゃん。気にしなさすぎ」

 いつもならまっすぐに美術関連の雑誌が並ぶコーナーへ行くのだが、広いフロアーを見渡した後、桜蔵はふらふらとファッション雑誌や音楽雑誌のコーナーを見て回った。大手の有名雑誌をひとしきり立ち読みした後、別のコーナーへ行こうと辺りを見回して、桜蔵は動きを止めた。

「うわっ。何、アレ……」

 本を探して店内を行く多くの客の中に、一人の少年がいた。目的があるのか、小さな体で一生懸命、棚の表示を見ながら歩いている。それが、あきにそっくりだった。

「珪ちゃん、珪ちゃん」

 興奮を抑えて、桜蔵は珪にメールを送った。


―― アキのミニチュアがいる!! ――


少年の姿を視界の隅に入れ、相棒の返信を待つ。

 反応は、すぐに返ってきた。短く一言だけ。


―― は? ――


 桜蔵は、少々イラつきながら彼に応えた。


―― だから、アキのミニチュア! ――


―― 何よ、ミニチュアって? ――


―― ミニチュアなの!いいから、早く来い! ――


―― 今、本屋? ――


―― そう。早く!! ――


―― 今、行きまーす ――


 こっちは急かすのに、珪は一貫してのんびりしていた。

 友人とよく似た少年は、コーナーをゆっくり眺めて回った後、確かな足取りで別のコーナーへ移動を始めた。やはり、ここに来た目的があるようだ。

「何、探してんだろ?」

 少年が向かっているのは、専門書のコーナーだ。とても子どもが見るような内容のものはない。

 桜蔵は、怪しまれない程度に距離を保って後を追い、様子を窺った。

「医学??」

 棚の分類表示に訝しみつつも、本を探すふりで少年を見る。

 少年は、真剣な面持ちで、自分より明らかに背の高い棚に並べられた本を見つめていた。

「(あの歳で、医学書?天才なの?)」

 読んでわかるのか、とか、そもそもタイトルを読めてんのか、とか、疑問は湧いてくる。

 何か有名な本でも探しているのだろうか。最近の情報を記憶の中から引きだしつつ、本棚を見ていた桜蔵は、不意に動きを止めた。

 頭に浮かんだ、名前と姿があった。

 瞬間、友人そっくりの少年のことも、珪を呼んだことも頭の中から消えていた。

 普段なら、決して見ない医学書を、桜蔵は、夢中で探し始めていた。きれいに並べられた難解なタイトルの中にその名前を求めて。医学書に目を向けたまま、ゆっくりと歩を進める。

 少年との距離が少しずつ詰まっているなど、桜蔵はまるで気づいていなかった。

 そして、一冊の本を見つけた――――自分と同じ名前が綴られた本。

 桜蔵は、目を細めて微笑んだ。読んでも、自分には理解できない。そんなことはわかりきっているはずなのに、思わず本へと手が伸びる。

 しかし、彼の手は、本に届く前で止まった。

 桜蔵の横から、もう一本、小さな手が伸びたのだ。

 見下ろせば、そこにいたのは、後をつけていたはずの少年だった。

「……あ」

 思わず出た声に、しまったと口を押さえる。

 少年は、本へ伸ばした手を下ろして、桜蔵をじっと見つめてきた。

 予定外の接触によって動揺した心をそっと隠し、桜蔵は落ち着いた様子で二人して探していたらしい本を取ると少年へ差し出した。

「これ?」

 自分と同じ「サクラ」の名が著名に綴られた医学書だ。

 サクラは、哲の友人で医者だった男だ。研究者気質で何かと興味あるものを突き詰めていく人だった。柔らかで穏やかな雰囲気を持っているのに、内にひどく熱い情熱を抱えていた。サクラという名前が、響きは好きだが女みたいだ、と以前話していた。それを思い出して、桜蔵は、懐かしさに目を細めた。

 と、そこへ――――。

「さぁーくーら」

 頭上から、珪の声と共に軽い痛みが降ってきた。頭を押さえて振り返ると、珪の目は、桜蔵を通り越して少年へ向けられていた。

 少年は少年で、先ほどよりはっきりした感情を持って、桜蔵を見つめていた。興味深げにじっと見上げてくる少年の視線を、桜蔵はどうしたのかと見つめ返した。

 少年が、戸惑いがちに口を開いた。

「……は、かせの……」

 興奮した感情と、それを抑える理性との間で揺れているのが、彼の口調でわかった。

「はかせ?」

 珪が、思い切り訝しげに聞き返した。

 桜蔵は手にしたままの桜蔵の本と少年の容姿と「博士」という単語から、一つの結論を導き出していた。

「……サクラ?」

 名前に反応して、少年がパッと表情を輝かせた。

 しかし、それはほんの束の間で、すぐに彼の顔から感情が消え去った。

「ねぇ、」

 桜蔵が、少年に友人のことをたずねようとした時だった。

 少年は、桜蔵の手から奪うように本を取ると、茫然とする二人の脇を走り去っていった。

「……そっくり」

 少年が走り去っていった方を振り返り、珪がしみじみと呟く。

 桜蔵は、珪の感想を聞いて、表情を輝かせ彼を振り仰いだ。

「でしょ?!まさに、ミニチュアでしょ?!」

「つーかさぁ、」

 本棚に並ぶ本の種類を見て、珪は眉を顰めた。

「ここ、医学書コーナーだよな?」

 子どもが興味を持つにしては、あまりに難しいタイトルが並ぶ。

「しかも、持っていったのって」

「サクラの本」

 医者だったサクラは、先ほどの本を出してから、軍へ出入りするようになり、やがて、帰らなくなった。同時に、連絡も取れなくなり、そして、二度と会えなくなった。

「サクを知ってるなんて、何なんだ?あのガキ」

「ただの子どもだよ?」

「だから、怪しいんだろ?サクは有名人じゃない」

「アキと似てたから、アキの関係者とか?」

 呑気な桜蔵の見解に、珪は、再び彼の頭を軽くたたいた。

「いったぁ!」

 うらめし気な目で桜蔵が珪を見上げる。

「無理やりポジティブに考えないの!」

「だぁって~」

「サクもアキも、軍と関わったせいで……」

「会えなくなった」

 珪の台詞を遮って続けた桜蔵の瞳が、鋭く光る。悔しさと怒りの中に、淋しさの混じる瞳だった。

「サクラを知ってるアキのミニチュアなんて、確かにあやしいって、俺も思う」

 それでも、違うと思いたいのは、アキが失踪し、サクラがいなくなり、これ以上、仲間を失くしたくないと心の底から思っているからだ。

「あの子も軍とつながってるのかもしれないし、アキがいなくなった原因が、EYESROIDにあるのかもしれないし、」

 EYESROIDは、サクラが考案し、哲が作った人工の瞳だ。それも、世界に二つとない、スーパーコンピューターEYES。誰も、仲間内しか知らないはずのものだった。

「狙いは、もしかしたら」

 桜蔵が、グッと拳を握る。大きな瞳は、更に鋭さを帯びていった。

「珪ちゃん……」

 とたん、珪の長い指が、桜蔵の髪をかき回した。

 彼の手をジャマだとはねのけて、むくれ顔で見上げる桜蔵の瞳からは、すでに鋭さは消えていた。

「きれいな顔で睨みつけないで。怖いから」

「背が高いからって、も~!人を子どもみたいにぃ~!」

珪がにやりと笑う。そして、もう一度桜蔵の髪をかき回した。

「珪ちゃん!」

 振り払おうとするほどに、珪はおもしろがって更にぐしゃぐしゃにかき回す。

「ちょっとぉ~!」

「桜蔵、」

 不意に、真剣な声音で珪が呼んだ。珪の手を振り払うのもやめて、桜蔵は、きょとんと彼を見上げた。

「なに?」

「俺は、今さら引き返さないよ?」

「当たり前じゃん」

そう答えて、桜蔵は、強気に口角を上げた。

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