B


「桜蔵ぁ――!!」

 1Fフロアが朝の陽ざしで包まれている。ロフト式の2F廊下にも、明るい日差しが注がれていた。

「さぁくら~!!」

 キッチンに立つ珪は、調理をしながら2Fを仰ぎ見て、何度も桜蔵を呼んでいた。

「飯できるぞ、起きろ!!」

 キッチンから覗ける2Fは、まだシンと静まり返っていて動く様子は見られない。珪は、きりの良いところで手を止めると、2Fへと上がっていった。1Fフロアの一番奥に備え付けられた金属製の階段が、カンカンとリズミカルに鳴った。

 1Fが見下ろせる2F廊下は、階段の上り口から曲がるとあとはまっすぐに伸びている。手前には桜蔵の部屋があり、その奥に珪の部屋が続く。そして、珪の部屋と廊下を挟んで向かいにゲストルームがある。玄関の上にあたる部屋となる。

 珪は、閉まったままの桜蔵の部屋の扉をノックした。

「おーい。起きてんの~?」

 反応はない。いつものことだが、ため息が出る。扉を引きあけて中に入ると、正面に見える窓はまだ青いカーテンで閉ざされていた。カーテンを通して差し込む光は、窓際に置かれたベッドへ注いでいる。

 桜蔵の部屋は、青を基調としている。桜蔵の好きな色だ。自由を表す色だからだと、珪は以前、彼から聞いていた。

「きれーに寝てんなぁ。中が適温だっていうのも考えもんか?」

 今は夏だが、この家の中は、常に最適な温度になるように調節されている。外気のような蒸し暑さで目が覚める、ということもないのだ。

 珪は、ベッドで眠る桜蔵に歩み寄り、彼の体をゆすった。

「さーくらぁ、起きろ~!」

「……ん~」

 ようやく、桜蔵が不快そうにではあるが、声を出した。

「朝飯できるから、おーきーろー。さーくらぁ」

「……朝じゃない……」

 目は頑なに閉ざしたまま、桜蔵はのんびりと実に気だるげに反論した。

 珪は、桜蔵の枕元に回り込みベッドの頭側から引っ張るようにしてカーテンを開けた。夏のまぶしいほどの陽ざしが桜蔵の体を照らす。

「朝なの!ホラ、起きろ」

「うん……」

「起こせって言ったのは桜蔵だろ?」

「ん~……」

 半分ほど、瞼が持ち上がった。ゆっくりとベッドに半身を起こし、目をこすっている。

「……今、なんじ?」

「10時前」

「え~?まだ、10時前ぇ?」

「まだ、じゃなくて、もう!世間はもう動いてんの」

 桜蔵をベッドから引っ張り出して立ち上がらせると、珪はそのまま手を引いて彼を1Fへと連れて行った。

「ん~……俺は、世間じゃないもん。桜蔵だもん……」

 だから寝ていてもいいんだ、という主張に、珪は項垂れた。昨夜、桜蔵が言ったのだ。起こしてくれと。いつも起こしてくれというのに、いつも彼は起きるのを渋る。

「はいはい。さぁ、顔を洗って飯にしような」

 桜蔵を洗面室へ押し込んで、珪は、ようやく調理に戻ることができた。

 後ろから、パタンパタンとスリッパの音が近づいてくる。

「桜蔵ぁ?」

 後ろを振り返ることなく、珪は、声をかけた。

「お前の目覚まし時計って、アキ特製じゃなかった?」

 哲は興味があれば、何でも作り出す。以前、あまりにも朝に弱い桜蔵のために、目覚まし時計を作ってプレゼントしていた。今も、彼の枕元に置かれている。

「そう。朝、すっきり起きられるようにって作ってくれたんだ。俺専用」

 珪の横に並んだ桜蔵は、プレートに並んだ朝食を見て「おいしそう」とご機嫌だ。

「俺、あの時計が鳴ってるの聞いたことないんだけど?」

 珪は、不可解だという顔をして、2Fの桜蔵の部屋を振り仰いだ。

「あははっ。俺も~」

 笑いながら、桜蔵はできあがった二つのプレートをソファーの前のローテーブルへ運んでいく。

「俺もって……。鳴らないの?」

「鳴るんじゃない?なんかね~、鳴ったら絶対目が覚める音だって言ってたよ」

「鳴らないんだから、意味ないんじゃない?」

「俺ねェ」

 近づくコーヒーの香りに、桜蔵は、運んできた珪をソファーから見上げ、得意げに笑った。

「目覚まし鳴る前に、スイッチ止められるの」

「アキ特製の目覚まし時計も、桜蔵には敵わなかったか」

「いーじゃん。ちゃんと起きてんだから。いただきます」

 桜蔵が、手を合わせる。珪も「いただきます」と挨拶してカップを手に取る。

「どうしたら、すっきり起きられるんだろうな?」

「俺、毎日、すっきり起きてるよ?珪ちゃんのおかげだね」

 先ほどまでの現実が、桜蔵のこのセリフを全否定してくれていた。

「どこがよ?」

「あははっ」

 桜蔵の不思議なところは、寝起きが悪いわりに機嫌はいいところだ。

「ホント、桜蔵って勤めるのに向いてないよな」

 機嫌はいいが、朝が弱く起きられない。その上、起き抜けは、いつもに輪をかけてマイペースだ。

「よく言われる~」

 珪の朝食は終わろうとしてるが、桜蔵のプレートには、半分以上が残っていた。

「桜蔵ぁ、俺、このあと出かけるけど……」

 何かついでに買ってくるものは――――そう聞こうとした珪の台詞を遮って桜蔵は答えた。

「俺も行く~」

 のんびりした口調に混じる、強い意志。

 珪は、どこか眠そうな桜蔵の大きな目を、改めてじっと見つめた。

「……なぁ、桜蔵?」

「一緒に行く」

 桜蔵の口調は、有無を言わせないものに変わり、珪は仕方ないと笑みと共に小さくため息をついた。

「外は暑いぞ?」

「はーい」

 4年前、哲は、「出かけてくる」と言い残してここを出たまま、帰ってこなかった。それ以来、桜蔵は一人になるのを極端に嫌がるようになった。

 しかし、珪も、桜蔵のその気持ちが分からないでもなかった。

 自分たちの周りから、一人、また一人と親友が消えてしまったのだから。

「桜蔵?俺は、アキみたいに消えたりしないよ?」

「……わかってるよ」

 何度このやりとりを繰り返しただろう。桜蔵は、必ずふてくされたように答えるのだ。

「わかってるなら、いいんだけど」



* * * *


 

そこは「LAB」と呼ばれていた。

 棟をいくつも連ねた複雑な建物が、緑の中にひっそりと存在していた。角は丸く、きれいな白の外壁を持つ建物だった。ガラスに曇りはなく、建物を囲う緑を鏡のように映している。その緑も、昔からある自然のものではなく、人工的に作られ、管理されているものだった。

国際政策機関という名の軍が世界を治めるようになり、国がなくなってどれほどの時が経ったのか、大きな争いは姿を消した。気候も自然も、コントロールされた世界だった。

 ここ、LABは、国際政策機関の管理下にある施設だ。

 中に入ると、明るい色の木の床とクリーム色の壁の廊下が伸び、所々にコの字型の取っ手が付いた半透明のドアがある。

 建物の奥にある部屋の一つに、「トレーニングルーム」と書かれたドアがあった。その向こうは、広い空間になっていて、10歳前後の子どもたちが鍛錬をしていた。

 左右の壁には、それぞれモニターが取り付けられており、今はただ黒い画面が子どもたちの動きを映していた。

 手合せをする者、筋トレをする者と様々だが、一つ共通していることがあった。それぞれの間に親密さはなく、笑顔は見られない。

彼らは、ここで生まれた。そして、ここで育てられた。LAB内で、ヒトが生まれる過程に手を加えて造られた特殊生命体だ。

やがて、トレーニングをする音だけが響くこの部屋によく通るチャイム音が鳴って、皆の注目が左右のモニターに集まる。


―――― No.000002・ミッションルーム107


 映し出された情報を確認すると、何事もなかったかのように、彼らは鍛錬に戻った。

 少年が一人、部屋を出て行った。金に近い薄い茶色の短い髪、同色の瞳を持つ少年だ。迷路のように続く木の廊下を、控えめな足音で進んでいく。顔には、少しの感情も映していなかった。M107と書かれたドアの前に来ると、取っ手の前で立ち止まる。

「No.000002。パスワード、1003」

 少年の声に反応して取っ手が赤く光り、カチャッと解錠音が響いた。横へスライドさせて、ドアを開ける。中は小さく簡素な空間で、入り口正面に向かってステンレス製の無機質なデスクがあり、それと向かい合うようにして、ドーナツを半分にしたような白いカウンターと座高の高い椅子が置かれている。

 デスクには、スーツ姿の中年の男が座っていて、少年がカウンターに着くと、デスクにはめ込まれたコンピューターを作動させた。

 すると、少年のカウンターにもコンピューター画面が現れた。映し出させたのは、これからやるべき仕事の内容とそれに必要な画像だった。少年は、それを見て、表情には出さないものの、心の中で疑問を感じていた。

 スーツ姿の男が説明を始める。

「任務は、Eyesroidアイズロイド及びアキ博士の捜索だ」

 画面に、Eyesroidの説明と共に予想図としてCG画像が載せられている。ゆっくりクルクルとまわるCG。

「Eyesroidは、アキ博士が開発した人の目の形をした、言うならスーパーコンピューターだ。実際に、目としての機能も備えている。義眼として利用可能だ。哲博士の失踪と共に、Eyesroidは姿を消した。この世界の貴重な作品だ。ぜひ取り戻してほしい。哲博士と共にね。新しいIDは書いてある通りだ」

 男は去り、少年は部屋に一人残された。画面に写された「哲博士」の画像をじっと見つめる。彼の姿は、自分とどこか似ていた。

何年前になるだろうか――――少年は、大切な人を思い出していた。

 それは、穏やかな表情の中に、確かな情熱を秘めている人だった。

――― すごいなぁ、見事にアキそっくり……。そうだ!今日から、No.2、君のことはアキと呼ぼう―――


 皆、製造No.で呼ばれるこの場所で、自分だけ、その人から名前で呼ばれた。体の中心がむず痒くて不思議な気分で、その人はそれを「嬉しい」と言うんだ、と教えてくれた。

 漆黒の短い髪、茶色の涼やかな瞳をもつ人。

「……サクラ博士……」

 気付けば、姿を消していた人。

ここはLAB――――生を製造、死を廃棄呼ぶ空間。世界を治める軍が、世界に秘密で造った、人工生命体の特別隊。ロボットではない、命が生まれる過程に少し手を加えて造られた、正真正銘、生身の人間。彼らが与えられるのは、名ではなく、製造No.。

 生は製造。

 死は廃棄。

「……サクラ、博士……」

 ぼんやりと、少年は、思い出の中の名前を呼んだ。

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