第2話 神域
目を覚めますと、眼前に見知らぬ空が広がっていた。
辺りに漂う新緑の匂いに、微かに吹く穏やかな風。耳を澄ますと、どこからか清らかな水の音が聞こえてくる。
状況を把握しようと、身体を起こし、周囲を見渡してみる。
そして、その美しさに思わず息を呑んだ。
あぁ、そうか、ここが天国か。
果てのない広大な草原に、色とりどりの花が咲き誇り、1本の巨大な樹木に向かって、澄み切った小川が心地よい早さで延々と流れ続けている。
生前なんとなくイメージしていた天国、楽園のイメージそのものだ。
身体に痛みもなく、母を亡くした事故の際に負った手のひらの傷も、綺麗に消えている。
ふと気になり、己の衣服を確認してみる。死んだ時に着ていた服……ではなく、一番よく着ていた服だ。つまりはトレーニング用のジャージウェア。
「つまり意識の中にあった、最も自分らしい服装が反映されるんだろうか」
なんてこった。白装束なんて意味ないじゃないか。
こんなことになるなら、こんなヨレヨレのジャージではなく、最新のブランドジャージに早いところ買い変えておけばよかった。
「おお、目覚めたか」
己の天国スタイルを憎々しげに眺めていると、背後から声がかかった。
誰だろう。振り向いて見てみると、長い白髪に偉そうな髭を蓄えている老人が、豪奢な椅子に座っていた。人の気配などしなかったはずだが……いや、そもそもさっきそちらを見たときには何もなかったはずだ。
雰囲気がそれっぽいし、神かもしれない。
「どちら様ですか?」
俺は、努めて丁寧にその神っぽい老人に尋ねた。仮に神だった場合、機嫌を損ねてしまえば地獄に落とされかねない。
「うむ、神様じゃ」
やはり神か。神っぽいもんな。
「ということは、やはりここは天国なんですか?」
「天国と呼ぶべきかは分からんが、現世ではあるまい。貴様は死に、儂がその魂を引き上げた」
天国ではない?
天国という呼称は現世の人間だけのもので、神的には違う呼称があるということだろうか。
そして、その神が俺の魂を引き上げた、というのは一体何のために?
「……よく分からない」
思うままの感想を口にした。そもそも、人間は死ねば必ず神に会えるものなのだろうか。なぜこの神……いや、神を名乗る老人は俺の前に姿を現したのだろう。
「貴様はあの世界に未練はあるか?」
未練……両親は死に、きょうだいもいない。友人と呼べる人間もいたことはいたが、未練と呼べるほどの関係でもなかったはずだ。
後は……もっと人々を助けたかったという思いはあるが……。
「いや、特にないです」
不思議だ。あそこまで生に執着していたのに、いや、人を生かすことに執着していたのに、いざ死んでみると何が俺をあそこまで突き動かしていたのか分からない。
ただ、誰かを救うためだけに生きたいという夢は中途半端になってしまったけど。
あぁ、でも、最期から考えると誰かを救うためだけに生きたと言えるのかな。
「うむ。貴様の現世での行いは充分に評価しておる。しかし、貴様のように若く、意志のある人間を、あのような生産性のない場所に永劫留め置いてよいものかと思うのじゃ。勿体ない。貴様のように力のある者を、有効活用せんのは資源の無駄使いというものよ」
生産性、有効活用、資源の無駄使い……。
随分エコの意識が強い神様だ。人間を実に大切に想っているらしい。ペットボトルくらいに。
「でも、ちょっと待ってくださいよ。俺に力なんてないですよ」
確かに体力には自信がある。人の命を救う職業はどれも体力勝負だ。しかし、そうは言ってもあくまで学生レベルの話だ。
俺はアスリートでもなければ、格闘家でもない。
その他の能力にしたって、せいぜい平均より上のものがいくつかある程度だろう。俺より高スペックな人間など、それこそリサイクルの必要もないほどいるはずだ。
「単純な腕力などどうでもいいわい。そんなものはいくらでも与えられる。しかし神々の力ではどうにもならんものがある」
神は、のそりと立ち上がり、ゆっくりと俺の肩に手を置く。置かれた手からは、体温を感じないどころか、手の感触が全くない。でも、何かに触れられている感触はある。
人ならざる、モノ。
もしかしたら、この老人の姿も、俺の『神』というものののイメージがそう見せているだけなのかもしれない。そう言われればこの天国のような場所も……俺のイメージ通りすぎる。
途端に、目の前にたつ老人が得体の知れない恐ろしいモノのように感じる。
「何か分かるか?」
「……いえ」
肩に置いていた手のような何かを離し、神はそれを俺の胸に置く。
「意志の力じゃ。願いの力と呼んでもいい。こればかりは、神にもどうにもできん」
意志の力?
そんなものが、なんの役に立つというのだ。
俺は一歩後ろに退き、『神の手』を自分の身から遠ざける。
「意志で人は救えない。願いで人は救えない。心が人を救うことはありえない」
救いたいと思うだけで人が救えるなら、両親が死ぬことなんてなかった。
願うだけで人が救えるなら、俺が火の中に飛び込む前にあの兄弟は救われていた。
「それは違う。霧島幸誠」
神は俺の目を捉えて続ける。
「貴様を救いたいと思ったから、貴様は救われたのじゃ。貴様が救いたいと願ったから、あの兄弟は救われたのじゃ。意志が、願いがなければ、身体は動かんよ」
その言葉に、ハッとした。
「俺に……俺に何ができるんだ?アンタは、何をさせようとしているんだ?」
「救いたいのじゃよ。世界を」
神が大きく手を広げると、草原が赤に染まった。炎の赤、そして、血の赤。
「救いを求める者がおる。救いたいと願う者がおる。であれば、儂はそれを繋げてやりたい」
神が広げていた手をこちらに差し出す。
すると、赤く染まった草原が元の色へと戻っていく。
「霧島幸誠、貴様がまだ誰かを救いたいと思うなら、死んでもなお、顔も知らぬ誰かを救いたいと願うなら、儂がそれを叶えよう」
「力を貸して欲しい、勇ましき者よ」
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