第8話 肌寒い季節の夜に、氷は少しだけ溶けた


 「ま、あなたのことは認めた訳じゃないけれど、よろしく」


 横に座った可奈かなは微笑んだ後そう告げた。


 「ああ、よろしく」


 その花のような笑顔に動揺してしまい、素っ気ない返しをしてしまう。


 「というか、さっきも言ったけどお腹空いてればお給料で何か食べればいいじゃない」


 可奈が俺の顔を覗き込む。その行動は幼くて、いつもの冷たい雰囲気を感じさせなかった。


 「妹がいるんだ、あいつが腹空かせてるのに俺だけ贅沢なんてできねーよ」

 「………」

 

 可奈は俺の顔を覗き込んだまま口を半開きの状態で停止する。


 「なんだよ…」

 「あ、いえ、あなたってもしかして優しい人なのかしら」

 

 俺が聞き返すと、はしたないとでも思ったのか、可奈は慌てふためいて居住まいを直した。


 「家族なんだから普通だろ」

 「そうよね…家族ね…」

 

 可奈は下を俯き、ボソリと中身のない寂しげな声音で尾ひれを付け足した。

今の発言に少し後悔をしてしまう。こいつらにはあまり身近ではない言葉。きっと羨んだことも何度もあるに違いない。


 「す、すまん…」


慌てて謝罪をする。


 「なんだ知ってるんだ。私たちの親のこと」

 「ああ、理事長から聞いた」

 「もう、あの人勝手なんだから」

 

 可奈かなゆう奈緒なお美雨みう沙羅さらの5人、それぞれの家族は、こいつらが幼い頃から海外で仕事をしていて、家に帰ることがほとんどないらしい。

 5人の両親は昔から親らしいことはせず、ほとんど子どもをほったらかしにしていたらしい。そのためここら辺の寮にそれぞれ1人暮らしをしている。大浴場で理事長に聞いた話だ。


 「でも大丈夫よ、みんな一緒だし全然寂しくもないわ」

 

 辛そうに笑うその笑顔に胸が苦しくなった。

 家族はどんなときでさえも支え合う。そんな存在だ。

 それは俺が一番わかっている。

 そして何よりも、支えが1つでも消えたときの喪失感は心をむしばむ。周りを見れば親がいる至って普通の光景を、羨ましい光景として受け取ってしまうのだから。

 高校一年生の時の記憶が少し蘇る。

 家族という柱そのものが消えてしまったとなれば、それは一体どんなにも辛いことなのだろうか。

 俺はこいつらが人生を舐めきっていると思っていた。けれど、違っていたのかもしれない。確かに色々と思うところはあるが、こいつらもこいつらなりに頑張って生きているのだ。それは何ら俺と変わらない。


 「はぁ。大丈夫だ?バカ野郎、ガキはガキらしく辛いときは頼れ」


可奈は15歳だ。1人で抱え込む悩みが多くなる年頃ではあるが、抱え込みすぎてはいつかは潰れてしまう。


 「あなたね、断る事に私達のことガキって子ども扱いするのやめてくれない?」


 可奈はむくれて抗議した。

 でも5つも年が離れているからそれは仕方がないのでは?と思ってしまう。

 まさかこいつら…


 「待てよ、俺のこと何歳に見える?」

 「15でしょ?高校一年生なんだし」


 やっぱり…あの理事長肝心なことを説明してねーなくそ。全く…だってこいつらに言ってないんだろ…


 「はぁ…理事長め…」

 「どういうこと」


 可奈は首を傾げ、訝しむような視線を向けてきた。

 

 「いいか、俺は20歳、今年の8月12日に21歳になる」

 「え、な、何言ってるの?」

 「本当は職員という枠で白皇高校に来るつもりだったんだが理事長のミスで生徒登録しちまったらしい」


 大浴場で雑談をしている時、その件について理事長からピース付きで「ごめんちゃい」と言われた時は、危うく風呂に沈めてしまうところだった。

 可奈は呆気にとられたような表情をしている。

 おい、せっかくの可愛い顔が口を開くことによってギャップが加わりさらに可愛くなってるぞ


 「え、ど、どうしましょう、私達ずっと生意気な口調で…」

 「あーあー、気にすんな、今更敬語使われたって居心地わりーだけだ」

 

 掌をひらひらさせると同時に、可奈の言葉の尾ひれを遮る。


 「そ、そう、ならこのままで」

 「そうしろ、またおいおい皆んなには俺から話す」


結局、これからの仕事のことでの考えはまとめることができなかったが、少なくとも一歩前に前進した気がする。


「さ…そろそろ帰るか」


 俺はベンチから立ち上がり背筋を伸ばす。月の光を全身で浴びて、まるで光合成をしている植物の気分だ。やっぱ雑草食ってると植物の気持ち分かんのかな


 「あの、蔵沢くらさわ君」

 「あ?なんだ」

 「あなたのこと凄い嫌いだけど…」

 「いいすぎや」

 「でも…その、もしかしたら相談するときあるかも…その時はお願いします」


 ここに来たのは俺と同じように考え事をしに来たからだろう。きっと、誰かをずっと頼りたかったのではないだろうか。

 可奈は手前で手を組み居心地の悪そうにそう言って少しだけ頭を下げる。

 街灯はすでに消えていて、月にも雲が覆いかぶさり、その表情をしっかりと捉えることはできなかった。

 

 「給料出るならな」

 「もう!最低」

 「嘘だよ、じゃーな」


 再び頭の中の父さんが何か言っているが、今の俺はこのくらいで十分なんだと思う。

 可奈に背を向け、その場を去る。


まだ6月。少し暖かさが混じっているが、肌寒い空気が流れる時間だ。そんな夜に、確かに氷は溶けたのだ。ほんの少しだけだが。

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