第7話 氷のお嬢様は月明かりの下で

 

 「——あなた、何してるの」


 氷のように冷え切っている軽蔑の色を含んだ声が、俺とドクダミ様のディナータイムの中止を告げた。

邪魔したのは白皇はくおう高校1年のガキンチョ赤嶺あかみね可奈かなだった。

 上には灰色のスウェット、下は黒のスキニージーンズと随分ラフな格好をしているところから察するに、宿泊先が近くにあることが分かった。

 その姿は学校での制服姿から放たれる凛とした雰囲気とは違って幼い印象を受ける。


 「あ…」


 急な可奈の登場に、あたふたし、口元に近づけていた雑草を下に叩きつけ無かったことにする。


 「あなた…まさか食べようとしてた?」


 さらに軽蔑の色を濃くして可奈は訝しむような視線を向けてた。

やめて、「こいつマジか」って視線やめて!俺も「俺マジか」っていつも思ってるから!


 「はぁ…悪いかよ」


 言い逃れはできそうにないので、諦めて太ももに右肘を乗せ、掌で頭を支え、吐き出すように認め、不貞腐れポーズをとった。


 「別にそんなこと言っていないわ。というかあなた貧乏なの?それは無いわよね?だって白皇高校にいるんだもの」


 白皇高校の授業料はアホ高いらしい。俺は理事長に仕事として生徒会を成立させるという条件で、引っ越し代、授業料、教材費、学校に関わるお金は全て免除してもらっている。

 その免除がなければ通うことは愚か、近づくことなんてできなかっただろう。

 つまり白皇高校は、庶民じゃ通えっこない学校だ。


 「貧乏だよ、理事長に免除してもらってる」

 「そうなのね、意外だわ」

 「勝手なイメージ付けんな」

 「その言葉そっくりそのままお返しするわ」

 

 可奈は立ったまんま、勝ち誇ったように微笑んだ。


 「どうして」

 「あなたは私が生徒会長だと思っているけれど、私生徒会長じゃないのよ?」


 まじか…


 「まじか…」

 「というかうちの学校には生徒会長なんて存在しないわ」


 それは知らなかった。でも考えてみれば思い当たる節はある。まだ白皇高校が始まって2ヶ月しか経っていない状態で選挙も何も立候補すら出てこないのが普通だろう。


 「あなたってプライド高そうなのに思ったよりも低いのね、雑草食べるとか底辺ね」

 

 可奈は口元に手を当てて微笑み混じりの声音で罵倒した。


 「変なところでのプライドは高い」


 変なところ。それは年下に少し言われただけでムッとしてしまう、そんなくだらないプライド。

けれど、この貧乏生活に関してのプライドは全く皆無だ。雑草は食べないと死ぬ。つまり、困窮した生活でのプライドは足枷あしかせなのだ。


 「仕事の給料入ったでしょ?何もやっていないとはいえ、理事長は入れたって言ってたわよ」

 「何もやらせてくれないのはお前たちだろ」

 「そうかしら、あなたもムキになってばかりじゃない」

 

 言い返せることがない。実際に大量の請求を全て免除されている分際で、この体たらくなのだから、自分でも本当にどうしようもないやつだと思っている。

 そして、不意にあおいの姿が脳裏に投影された。

 ここに来てから、葵の姿を見ると自分の愚かさに何度も呆れた。素直になれないあたりとか特に…だから言いたかったことを言って成長しよう。葵のためにも


 「あのさ、そのことなんだけど」

 「なに?」


 可奈は顎に右手を当てて首をかしげる。


 「えっと…その、なんだ…まあ、色々悪かったと思ってる。転入初日ので可奈に言った事も、生徒会室で5人に言った事も…まあその…言いすぎた。ごめん」


 必死に心の中にあった言葉を紡いだ。その言葉にはぎこちなさが現れていて気恥ずかしい気持ちに襲われ、途中から可奈の顔を見ることができなかった。


 ベンチに座っている俺とその横に立っている可奈。

 2人の間隙かんげきには沈黙が降り注ぐ。けれどその雰囲気を最初に壊したのは可奈だった。


 「…ぶっ…ふふっ…ふふふ。くっくく」


 横を見ると可奈は腹を抱えうずくまっている。

 

 「な、なんだよ」


ここまで笑われると、本当に恥ずかしくて仕方がない。


 「いや、ごめ…っぶ…ふふ…、なんか…急に…っぶ…素直に…なるから」


 相当面白かったのか、可奈の顔には涙が浮かび、それをスウェットの裾で脱ぐっている。


 「失礼だろ…人が謝ってんのに」


 俺は可奈から再び顔をそらし正面を向く。笑われたことが気恥ずかしくて、顔が赤くなっていたと思う。その表情を見られたくはなかった。


 ——スッ


 「お、おい」


 隣からシャンプーのいい香りがする。学校にいる時とは違って匂いが強い。

 あの男嫌い(特に俺)の可奈がベンチに座る俺の隣に腰を下ろしたのだ。その行動に意表を突かれ、俺は何も言えなかった。


 「本当に失礼ね…だから私からも。ごめんなさい。男の人が苦手っていうのは本当なの、かと言って初対面であれは最悪だと思うわ。謝ろうと思ったんだけど素直になれなくて…遅くなって、ごめんなさい」


 今までは、可奈のことを感情の無く、冷たい氷のお嬢様で嫌なやつだと思っていた。多分そのイメージは合っていると思う。けれど、今の可奈からは、そんな雰囲気は全くない。


 「ま、おあいこだな」


 男ならもっと気の利いたことを言えよ。頭の中で父さんがそんなことを言っている。けれど今の俺にはそれができなかった。


 「ええ、そうね」


 そして可奈はニコっと笑った。刹那の月明かりに照らされたその笑顔は耽美的たんびてきで15歳とは思えない儚さを孕んでいた。

そして、不覚にも20歳の俺はこんなことを思った。


今が夜でよかった。と。

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