第10話 幻の国の在処
港町・サマルカンドから首都・アトラスに戻って来たジェイコブは、自室で机に向かうと、父の足取りと謎の集団の目撃情報をまとめる。羽根ペンで見聞したことを、愛用する手帳に記し終えると、疲れ切った体を伸ばした。
「ようやくまとめ終えた……!」
安堵の表情を浮かべる旅人、しかしその目は血走っている。集中して書き上げたようで、横になることも忘れていた。不意に、窓から見えるアトラスの風景を遠目で見る。砂埃が風に舞い、太陽がぎらぎらと輝いているが、アトラスの市場はいつも賑やかだ。商売人のいきのいい声、子どもたちの笑い声、楽しそうな談笑――決して、絶えることはない。
「よし……次は、アリトルコ国の在処を明確にしないと」
休憩を終えると、自身が使っている地図へ手を伸ばし、机の上に広げる。使い古したものだが、訪れた場所は鮮やかな色で囲まれ、辿りつくまでの日数が記載されていた。
ジェイコブは旅人して短期で世界を訪れる一方で、密かにアリトルコ国の情報を収集していた。アリトルコ国の噂や『運命の女神の伝承』は、もはや持ち切りだ。我こそがアリトルコ国を発見すると息巻く旅人たちもいたが、彼らが再び祖国の地を踏むことはなかったと聞いた。
(アリトルコ国を目指したら、ボクもいつか、あの旅人たちのようになるのだろう)
今まで辿って来た軌跡を、指でなぞる。旅に危険がつきものなのは、理解していた。それでも、指をくわえて見ている訳にはいかない。父親の行方、アリトルコ国との関係――全てを知るには、ジェイコブにとっていい機会なのだ。あとは、アリトルコ国の場所を明確にするだけ。ジェイコブは、未知なる国の居場所に関して、心当たりがあった。
(ボクの推測が正しければ、アリトルコ国は大陸ではない。地図に記載されていないとなると――海に沈んだ、あるいは)
かつての記憶を探り出し、ばらばらとなったパズルの欠片を手探りではめていく。アリトルコ国に関する文献を、思い出していた。
『かつては1つの大陸で、栄華を極めたアリトルコ国。神々の酔狂な悪戯により、大陸は分断された』――文献では、こう謳われている。しかし、事の顛末は『アリトルコ国は幻となった』と記されているだけだ。文面だけ見れば、まだ完全に消滅しているわけではないと、考えていた。
加えて、ロイグ国に定住する前まで、グイドと旅したことは、朧気であるが覚えていた。穏やかな父が、一変して冷たい視線になったのは、たった1度きり。船乗りたちが酔っ払って、ある話をしたことだった。
(2つの大陸、2つの島。確か、船乗りがそんなことを言ったのは覚えている)
情景は曖昧、だけどその言葉は鮮明に覚えている。大陸と大陸を結ぶ島に訪れることはあっても、それ以外の島に立ち寄ることはなかった。だけど、使い古した地図に視線を落とすと、2つの大陸と1つの島しかない。アリトルコ国は、どこにあるのだろう。今まで得た情報を纏めた藁半紙を見るために、手探りで鞄の中を探したが。
「あれ?」
鞄の中を手探る手が、ピタリと止まる。ないのだ――今まで纏めた藁半紙も、スタンから受け取った書類も、鞄の中に入れたはずなのに。一体どこにやってしまったのか。頭の中がぐるぐると回る。片付けが苦手な父とは違い、整理整頓は心掛けたはずなのに。
「書類も、メモもなくした? 一体、どこに……?」
鞄の中をひっくり返しても、見つからない。ブツブツと独り言をこぼしながら探すと、寝台に置かれた分厚い本が視界に入った。『ハルシオンクロニクル』と記された本は、父の手紙によると、過去から未来まで記されているらしい。読み手によって、読める箇所が異なると記述されていたのを覚えていた。
まさか、この本に挟んだままなのだろうか。ジェイコブは寝台に移動すると、『ハルシオンクロニクル』を開く。幼い時に好奇心から手にした時、『運命の女神の伝承』が記されたページしか読めなかったが、今はどうなのだろうか。表紙に手をかけ、ページをパラパラと捲る。藁にも縋る思いでページを捲った時、ジェイコブの目の色が驚きに帯びた。
「……え?」
慌てて栞を挟み、他のページを捲る。大半のページは真っ白だが、読める箇所が以前より増えていた。同時に、慌ててカバンの中を確認する。父親の足取りを走り書きしたメモ、総合案内所の襲撃に関する情報を纏めた藁半紙、スタンから受け取った書類――カバンに保管していたはずのもの、全てなくなっていた。
「どういうことだ?」
視線は再び、『ハルシオンクロニクル』へ。見間違えるはずがない。ジェイコブの手に渡った書類が、『ハルシオンクロニクル』の一部と化していた。頭の中で理解することは難しかったが、目撃した以上、信じるしかなかった。達筆な自分の字、スタンが複写した書類、紙の質――全て自分の目で見て、手に触れたものは、覚えている。
背筋にゾクゾクと悪寒が走ると同時に、好奇心が旅人を刺激する。この本は生きている。根拠は分からない。だけど、旅人の勘が告げていた。『ハルシオンクロニクル』がどういった仕組みなのか、解明するのは後回しだ。本来の目的を思い出すと、自分が纏め、『ハルシオンクロニクル』の一部と化したページを、読むことにした。
なぜ、各地に『運命の女神の伝承』の一節が刻まれているのだろう。ジェイコブは『ハルシオンクロニクル』を机の上に置くと、ページを捲る手を動かす。真っ白なページが続き、見落とさないように目で追う。ようやく目当ての情報が見つかると、安堵した表情で目を通した。
別大陸から来た旅人の証言によると、アリトルコ国から来た集団は、こう告げたみたいッス。
『運命の女神の伝承』の一節は、異世界ラグナのどこかに散らばっている。アリトルコ国に踏み入れたければ、まずは魔円陣を作れ。その中に星を落とし、3つに分断した時、アリトルコ国の居場所がおのずと分かるだろう――と。
「魔円陣を作るということは、単純に考えると……丸か」
ジェイコブは、過去の旅を回顧する。穏やかな風吹く平原、信仰を広める教会。年中雪に覆われた極寒地、怪異が入り混じる島、大海原と空が交わる地、他者をも蹴落とす激戦区――危険な目にあいながらも、いい旅路だった。
道中、何かの伝承であろう一節を発見した時、何気なく地図にマークを入れ、手帳に書き残したが、今回は大いに役に立ちそうだ。発見した場所を通過するように、インクを染み込ませた羽根ペンで、地図に丸を描き込む。歪ではあるが、魔円陣ができた。その中に星を落とし込もうとした時、羽ペンを持つ手がぴたりと止まった。
「ちょっと待って、魔法陣である円の中に……どうやって星を落とし込むんだい?」
頭を抱える青年は、羽ペンを机の上に置く。眉間に皺を寄せて、思考を張り巡らした。一般的に思う浮かぶ星は、五角形の頂点をそれぞれ結んだものである。『運命の女神の伝承』の一節が刻まれたところを指でなぞっても、3つに分断することができなかった。
詰んだ、これは詰んだ。星を落とし込むだけでも頭が痛いのに、睡魔まで襲って来るのだ。ジェイコブは、使い古した地図を折り畳む。『ハルシオンクロニクル』を枕元に置き、横になって意識を手放すのには、時間はかからなかった。
◇ ◇ ◇
どのくらい仮眠しただろう。気が付けば、空はオレンジ色から群青色へ変わろうとしてた。もう夕方だったのか。ジェイコブは身体を起こし、仕事部屋を慌てて後にする。今頃、妻が家事をしているのだろう。何か手伝えることはないだろうかと、食事部屋に入った時だった。
「あ……おと、しゃぁ……ん」
まだ舌足らずの末っ子が、半べそをかいていた。一体何があったのだろうか。末っ子は擦れた声で、順番に事の顛末を教えてくれた。どうやら、上の子と喧嘩をしたようだ。貰った金平糖を見てお星さまみたいと呟いたら、上の子に反論されたらしい。泣くのを堪えていたが、悔しさのあまり泣き出すと、父親にしがみついた。
ジェイコブは末っ子の両脇を支えると、高く持ち上げたが、泣き止まない。外に出て、家の周りをぐるっと歩き、末っ子の興味を他に向けさせる。優しくあやしたおかげか、末っ子の涙は枯れていた。自分が仕事で明け暮れている間、妻は子どもの面倒を見ながら、他の家事をしていると実感すると、頭が上がらなかった。
「ご飯を食べたら、お父さんと一緒に金平糖を食べようか」
「うん、たべりゅ! こんぺいとう、お星さまみたいで、すき!」
そうだねと、返事をしようとした時、ジェイコブは帰路につく足を止める。思い出したのだ――地図の上に魔法陣を浮かべ、星を落とせなかったことを。だけど、末っ子の言葉がきっかけで、バラバラだったピースが繋がった。
居ても立っても居られない。ジェイコブは末っ子を抱きかかえたまま、急ぎ足で家に戻る。仕事部屋へ入り、地図を机に広げると、『運命の女神の伝承』の一節を発見した箇所を頂点とし、それぞれ線を結んだ。
(大陸と大陸を結んだ1つの島は、極寒の地とロイグ国を結ぶ線上と重なるのか……)
ジェイコブはぶつぶつと呟きながら、古びた地図を見つめる。歪な六角形ができ、その中に六芒星が落ちた。あとは、その星を3つに分断するだけ。六芒星に3つの対角線を引くと、全ての線が交わる中点ができた。
「……Eureka(見つけた)!」
ジェイコブの目頭が、ツンと熱くなる。今までの旅人が闇雲に探していたアリトルコ国の所在を、発見できたのだ。ヒントをくれた末っ子を抱きかかえる。終始キョトンとしていた末っ子だが、父親が喜んでいる様子を見て、満面の笑みで抱きついた。
(これで、ようやくアリトルコ国に行ける)
アリトルコ国が実在するのか。父の行方も、分かるのだろうか。落ち着いたら、旅立つ準備をして、自分の目で確かめよう――そう、胸に秘めた。
その後、痺れを切らした妻が、仕事部屋でジェイコブに雷を落としたのは、言うまでもない。しばらくは、ファティマの言うことを聞こう。最終的に自分のやりたいことを優先してしまったことに、反省した。
Halcyon Chronicle - Ⅰ伝承の始まり セイ @serina6sousaku
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