第9話 僅かな手がかり
襲撃に関する聞き込みを続けると、あっという間に1日が過ぎる。一晩、宿で過ごしたジェイコブは、更に聞き込みを続けるため、中心部となる区域に向かった。
太陽が真上でぎらぎらと輝く頃、すでにお腹がなる時間だ。看板に『ヴェーダ食堂』と書かれた食堂に足を踏み入れ、暖簾を掻い潜ると、太陽の光で眩しい世界から一転、ガラス細工でできたランプの灯火を頼りに、薄暗い世界へと誘われた。ジェイコブの目的は、2つ。情報収集と、妻のファティマの旧友に会うためだ。
「いらっしゃい……あ、ファティマの旦那! 来てくれはったの!?」
カウンター越しから、ジェイコブを呼び止める女性の声が聞こえる。振り向くと、このヴェーダ食堂を経営している女性が、自ら注文の品を作りながら、気さくに声をかけていた。
「久しぶりだね、ダーシャ」
ダーシャと呼ばれた女性の生き生きとした表情を見ると、ジェイコブは懐かしむように声をかける。元気そうでよかったと、胸を撫で下ろした。
彼女はかつてシェヘラザード劇団に所属し、踊り子だったファティマの旧友だ。港町で働く両親から生まれたせいか、重い荷物を軽々と運び、危険な場所へ平気で行くことがあったため、異端児扱いされてきた。危惧した両親は、花嫁修業も兼ねて、娘をシェヘラザード劇団に入団させた。しかし、彼女は精霊祭りで豪快な舞と、観客の目を引くような技を決めたことから、周りから有望視された。
しばらく在籍した彼女だが、食堂を開く夢を諦めきれず、退団後、小さな食堂を開業した。何事も最初はうまくいかなったが、苦労と経験を重ね、ようやく成功を収めた。低価格でボリュームのある料理が反響を呼び、今では評判のいい食堂だ。
「今日はどうしたん? ファティマは元気にしてる?」
「今日は、情報収集でここに来たんだ。ファティマはつわりで体調を崩している時もあるけど、子どもたちと一緒に過ごしているよ」
他愛もない会話、だけど女主人にとって、それは嬉しい便りとなる。ジェイコブはファティマから預かった手紙を、旧友であるダーシャに手渡した。
「いつもおおきに、旦那。ちょい待って、めっちゃうまい料理を作るわ!」
手紙を受け取ると、腰につけているエプロンのポケットにしまう。まだ彼が料理の注文もしていないのに、ダーシャは急ぎ足で厨房へと向かった。置き去りにされるジェイコブ、しかし顔馴染みであるからこそ、ヴェーダ食堂の女主人は、彼がよく頼む料理を把握していた。相変わらずだと呆れつつも、切り盛りする彼女を見て、ふと微笑んだ。
従業員から差し出された冷たい水は、旅人の渇いた喉を潤わせる。料理ができるまで、何をしようか。『ハルシオンクロニクル』をカバンから取り出そうとした時、少し離れたテーブル席から、中年の女性の談笑する声が聞こえた。何の話だろう。駆り立てられた好奇心、大勢の客でがやがやと騒ぐ中、青年は全ての神経を耳に集中させる。
「そういえば聞いて! この間、私、ヤバいのを見ちゃったんだけど!」
「この間……って、総合案内所で起きた騒動のこと?」
1人の女性が切り出した話題、それは青年がまさしく求めていたもの。鞄から藁半紙と筆を取り出し、メモとして書き残す準備はできていた。
「そうよ? ダイナバードを連れた旅人が、アリ……何とかという、よく分からない国から来た集団に襲われた騒動よ」
ダイナバード。旅人。アリから始まる国名――当てはめるなら、アリトルコ国のことだろう。父の手紙や数ある歴史本の中にも、同じ国名が書かれていたのを覚えていた。しかし、ダイナバードを所有している旅人は、数え切れないほどたくさんいる。その旅人がグイドでないことを、祈るしかなかった。加速する世間話、だけど青年にとって、耳を疑うような内容だった。
話を聞く限り、ダイナバードを連れた男性の旅人が、総合案内所というところから出てきたところ、「アリ」から始まる国から来た集団に襲撃されたらしい。集団の襲撃から守るように、「グイド」と呼ばれた旅人は矢を空に放つと、雨のように無数に降り注ぎ、総合案内所を死守したそうだ。総合案内所の騒動は、父も関与していた――居ても立っても居られない青年。カウンター席を一時的に離れると。
「お食事中、失礼――その話、詳しく聞かせていただけませんか?」
あくまで冷静を装い、談笑していた女性たちの席に近づいた。最初こそ談笑していた中年の女性たちだが、見知らぬ彼に声をかけられ、視線を彼に向ける。どうやら警戒心を抱かれているようだ。
「どんな些細なことでも構いません、お願いです。その旅人のこと、何か知っていたら――教えて下さい」
それでもジェイコブは引き下がない。どんなことでもいいから教えてほしいと、懸命に頭を下げた。
「私たちの情報で、いいのなら」
その席で食べていた1人の女性は、持っていたフォークを皿の上に置くと、一呼吸を置く。その後の出来事を、分かる範囲で教えてくれた。
彼女たちは総合案内の襲撃に巻き込まれたようで、建物の中から、集団とグイドと呼ばれた旅人のやり取りを目撃したらしい。遠目に見ていたため、詳しい話の内容までは分からないことを断りをいれると、集団が『ハルシオンクロニクル』と『ハルシオンの子』の在処のことを、尋ねていたことを明かしてくれた。
「なるほど……それで、その旅人はどのような反応を示したのです? 分かる範囲で結構です」
女性たちの証言を、藁半紙に記入する。簡易ではあるが、後で見返して、自分なりに纏めるつもりだ。ジェイコブの質問を聞いて、女性たちは首を傾げる。どうやら、旅人がどういった反応をしていたのかまでは分からないようだ。
「さぁ、そこまでは知らないわ」
「だけど、その変な集団は、旅人が所有していたダイナバードを傷つけて、飛びかかろうとしたの」
ダイナバードを傷つけたと聞いて、筆を走らせたジェイコブの手が、一瞬だけピタリと止まる。その日から数日が経過し、コルトルが傷だらけで戻って来たのは、記憶に新しかった。そのことを頭の片隅に入れておきながら、再び女性たちに話を聞く。
「それを見たサマルカンドの男たちが、集団を取り押さえようとしてね……そこから大乱闘よ」
女性たちは呆れた表情で、ため息をつく。集団がダイナバードを傷つけたのを目撃したシューバイツの男性が、集団を取り囲むと、決闘が始まったのだという。止めに入ることもできず、ただ眺めることしかできない。震える女性たちが最後に見たのは、旅人がダイナバードの背に乗り、住民と集団を切り抜けた姿だったと語る。
それに気付いた集団は、つむじ風を起こすと、取り囲んでいた住民を吹き飛ばす。牙を剥いた獣は、逃げた旅人を追った。憎悪の色を浮かべた表情で、「裏切り者」と呟きながら――。
「……そうですか」
見ず知らずの自分に、目撃情報を話してくれた女性たちに頭を下げ、感謝の言葉を述べる。同時に、食事を台無しにしてしまったお詫びとして、コーヒーと適当なお菓子を注文すると、その場を離れた。
あくまで好奇心を装い、普通に接していた。しかし、カウンターに席に戻るなり、大きく息を吐く。彼女たちの口から紡ぎだされた情報は、十分なものとなったが、受け入れ難いものだった。分かったことは、ただ1つ――先ほど仕入れた情報を肯定するのであれば、グイドとコルトルは、アリトルコ国から来た集団に襲撃されたことだ。
考えれば考えるほど、糸が複雑に絡み合うように、纏まりがつかなくなる。音をあげようとした時、カウンター越しから、ズシンという音が響いた。
「ファティマの旦那、お待たせっ!」
厨房で料理を作り終えたダーシャの威勢のいい声が、考える意識を遮断させる。目の前に置かれた料理を見て、神妙だったジェイコブの口から、美味しそうという言葉が漏れた。いつも彼が注文するのは、ロイグ国の郷土料理の1つだ。二等辺三角形に似た小麦粉の生地は、ヴェータ食堂特製の壷型の窯で焼かれたものである。焼きたてだろうか、熱がまだこもっていて、焦げ目が適度についていた。
傍らには、たくさんの香辛料と豪快にざく切りにした鶏肉を使った煮込み料理が置かれている。香辛料の匂いが、食堂に訪れた客の食欲を促進させる。今にも、お腹が鳴りそうだ。
「冷めんうちに、たんとお食べ!」
「ありがとう、ダーシャ……いただきます!」
目を輝かせながら、料理に手を合わせる。小麦粉の生地を食べやすい大きさに千切り、煮込み料理に少しつけて口の中に放り込めば、口の中でピリリと香辛料が刺激した。一口食べれば、二口、三口と増えていく。小麦粉の生地を千切り、煮込み料理につけて食べていたので、いつの間にか生地は小さくなり、煮込み料理が入っていた皿も、底が見えてきた。
幸せそうに食べるジェイコブを見て、ダーシャはフフッと笑う。ヴェータ食堂の女主人は、幸せそうに食べる客人の顔を見るのが好きなようだ。
「ファティマの旦那、さっきの話やけど」
ダーシャがふと思い出したように、ジェイコブに話しかける。豪快な行動を起こす彼女だが、静かに聞き耳を立てて、情報を収集することがある。おそらく、先程談笑していた中年の女性とのやり取りを聞いていたのだろう。最後の一口となる生地を放り込み、水を一口飲む。一呼吸置くと、黙って女主人と目を合わせた。
「彼女たちの話は、ほんまなんよ。それに……」
女主人は自身の目撃談も踏まえて、中心街で起きた出来事を話す。その日、中心街となる区域で、集団が1人の男を捕まえるために追いかけていたところを、多数の人が目撃している。女主人も、そのうちの1人だった。遠目で見かけていたせいもあり、追跡された男を見て、ジェイコブだと思い込み、声をかけるために駆け寄ろうとした。
集団が発動した風玉は、男に向けて投げつける。同時に、男はたくさんの装飾が施された細身の槍の矛先を地面に刺すと、地面が盛り上がり、長細い針を風玉にぶつけると、砂埃を巻き起こした。
激しい砂埃で視界を遮られ、これ以上近づくことはできないと判断すると、咄嗟にヴェータ食堂に駆け込む。砂埃が店内に入らないように、扉を閉めようとした時、不意にジェイコブに似た男の姿が視界に入った。
「彼はこう言うたわ。『ハルシオンクロニクル』も、あの人がどうなったのかも、あの子の居場所も、教えるものか――と」
それが、女主人が最後に見た男の姿。ジェイコブの父親だと分かっていれば、助けていたのにと後悔した。ゾクリと、ジェイコブの背中に悪寒が走る。予感は的中。父は何かに巻き込まれていると理解できた。居ても立っても居られない。会計を済ませ、もっと聞き込みに行かなければ。身支度を整え、立ち上がろうとした時。
「ジェイコブの兄貴――っ!」
客人の声でガヤガヤしていたヴェーダ食堂全体に、威勢のいい声が響く。勢いよく暖簾をくぐり、ヴェーダ食堂を入ってきたのは、総合案内所にいたスタンである。脇に大事そうに、封筒を抱えているようだ。
「こんなところにいたんっスね、ジェイコブの兄貴!」
「……スタン、営業妨害や。出入り禁止にするで?」
「悪いって、ダーシャ。それより、ジェイコブの兄貴……これを見てほしいっス!」
女主人として注意するダーシャを適当にあしらいつつ、スタンはジェイコブの隣に座る。そして、大切に抱えていた封筒を、ジェイコブに渡した。ジェイコブは手渡された封筒を開けると、中身を確認する。スタンに預けた父親の渡航許可書と身分証明手帳が入っていた。同時に、何枚か藁半紙が入っているのに気が付き、取り出すと、複製承認許可書と記載された藁半紙があった。藁半紙を持つ手が、震えている。
【ロイグ国入国証明台帳(ヴェスペイル暦617年1月22日)】
私、外交官グイドは、ガトレン国から帰還し、ロイグ国に入国したことを記す。
グイド
ジェイコブは手にした藁半紙を、次々と見る。出国・入国する手続きを、グイドはきちんと行っていたのだ。父の名前を見て、ジェイコブの目頭がつんと熱くなる。見間違えるはずがない。複製ではあるが、達筆ながらも読めるように書かれたその文字は、間違いなくグイドのものだった。
「スタン、これ……!」
「ジェイコブの兄貴が求めていた情報っス。台帳と渡航許可書、身分証明手帳を照らし合わせると、いくつか記録が残されていたから、探すのも楽っスよ! あとは、事務職員の襲撃時に目撃談を纏めたから、時間がある時に読むといいっスよ」
満面の笑みを浮かべるスタン、ジェイコブは何度も頭を下げてお礼を言い、彼の分のお昼をご馳走する。裏腹に、ダーシャは思わず彼を真顔で見た。元ジャガール盗賊団の一員だった彼だ。盗むことは、朝飯前だ。台帳から現物を盗んだものだろうかと、一瞬疑念を抱いてしまった。
「……先に言っておくッスが、台帳にある現物を盗んだりしていないっスからね!」
前言撤回、スタンに思っていることを読まれていた。確かに彼は、ジャガール盗賊団の一員として悪さを働いていた。裁かれた身ではあるが、ジェイコブやダーシャたちに手を貸していたことも事実だ。
「……せやな。かんにんしたって」
一瞬でも彼を疑ったダーシャは、自分を恥いた。自分がしてきたことは変えられないため、スタンは疑うのも無理はないと苦笑いを浮かべていた。
「ジェイコブの兄貴、これからどうするんっスか?」
料理を注文するためにメニューを手に持つスタンは、藁半紙と睨めっこして、自分なりに纏めているジェイコブに尋ねる。これだけ大掛かりなことを頼んだのだ、何かするに違いないと踏んでいた。滑らせた筆を止めて、一呼吸を置く。危険は承知の上で、既に覚悟を決めていた。
「そうだね、次は――アリトルコ国を、目指そうと思う」
彼の次なる目的地を聞いて、スタンとダーシャは驚いた表情をする。歴史書でしか記されていない国を、彼は向かおうとしているのだ。
「や……止めた方がいいっスよ! 幾多の旅人が目指しても、断念した報告が上がってるっスよ!?」
「それはあかん! 旦那には家族がいる。何かあったら、どないするん!?」
スタンはメニューを勢いよく机に置き、ダーシャは自身の身体をカウンターに乗り出す。言っていることはバラバラだが、息はぴったりだ。
スタンの言う通り、アリトルコ国を目指すことは、旅人にとって夢でもあり、最後の難関とも言われていた。アリトルコ国の名前が載っているのは歴史書のみであり、多くの詳細は記載されていない。多くの旅人がアリトルコ国を目指そうと息まいていたが、実際は断念した事例が多く報告されていた。地図ですら表記されていないが、ジェイコブは心当たりが1つだけあった。
(記憶が確かなら、船乗りが絶対に避ける場所がある。もし、そこに辿り着くことができれば――)
いつか、船乗りたちに絶対に避けて通る場所について聞いてみよう。このことは2人に言わず、頭の片隅に置いた。
また、ダーシャの言い分が分からない訳ではなかった。ジェイコブには家族がおり、かけがえのない宝物でもあることは理解していた。それでも、ジェイコブの好奇心は止まらない。旅人として、1人の人間として、アリトルコ国がどういう国なのかを知りたかった。
同時に、グイドの足取りを掴み、グイドという人物を知るいい機会だ。竪琴を弾いて、人々に伝承を語る姿を。毅然とした表情で、情報を共有する姿を。片付けが苦手で、よくナイフで手に怪我をするが、青年は父の優しい一面しか知らない。しかし、幼少期に『ハルシオンクロニクル』に触れた時の冷たい表情は、記憶に焼き付いている。遺言めいた手紙には、アリトルコ国には関わるなと忠告されていた。
(だからこそ、知りたい。父さんとアリトルコ国の間に、どういった接点があるのか。アリトルコ国はどういった国なのか――知りたい。知らなければいけない気がするんだ)
鞄から『ハルシオンクロニクル』を取り出し、胸に当てる。例え、この決断が間違っていたとしても、真実を知りたい――彼の決意は岩よりも硬く、揺らぐことはない。
「ごめんね、2人とも。だけど、こればかりは譲れない」
それだけ言うと、ジェイコブは口を閉ざす。旅人にこうも言われたら、スタンもダーシャも何も言えなくなっていた。
「……せやな。前からあかん言うても、聞かへんね旦那は」
「そうっスね。帰りを待つ身にもなってほしいっス」
呆れるダーシャは、手に額を当てて、頭を振る。兄貴と慕うスタンですら、ジト目でため息をつくほどだ。ごめんとジェイコブは謝ると、2人の小言を聞き流しつつ、手に持った『ハルシオンクロニクル』と記載された古びた本を、じっと見る。
(父さん、ごめんなさい。父さんからの手紙を見たのにも関わらず、ボクは約束を破ろうとしている。だけど、だけどボクは――)
どんな厳しい冬でも春が訪れるように、信じていれば、ハルシオンが奇跡を起こす。アリトルコ国に辿り着き、父親に会えると、この時は信じていた。
――ある程度の情報は、揃えた。あとは、アリトルコ国の所在を明確にすることだけだ。
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