第8話 伝承の流行
父グイドが失踪し、『ハルシオンクロニクル』を再び手にして、数日が経過した。ジェイコブはコルトルの背に乗り、首都アトラスから北東にあるサマルカンドに足を運ぶ。暦は、ヴェスペイル歴617年2月5日。目的地に着いた頃、潮風が心地よくも、肌寒いと感じた。
サマルカンドは、海の遥か向こうにある大陸と結ぶ、ロイグ国唯一の港町だ。海の向こうにある大陸の影響を受け、長い年月をかけて、独特な文化や建物が発展した。
「相変らず賑やかだね、コルトル」
賑やかな街を見渡すジェイコブの言葉に、コルトルは首を縦に振る。久しぶりに砂漠を駆け抜けるのが、嬉しかったのだろう。その足取りは、いつになく軽い感じがした。
サマルカンドの門をくぐり、港がある中心部へと向かう。このロイグ国と別の大陸へと繋ぐ手段は、船のみ。砂漠に覆われた国の人たちにとって、船に乗ることは羨望であり、名誉であった。
海に浮かぶ大きな船の上で、積み荷を降ろす船乗りの様子を眺めながら、その横を通り過ぎる。ある看板を見つけると、手綱を引いてコルトルに歩みを止めるように指示した。その翡翠色の目に映った文字は、『総合案内所』。土と泥でできた一般的なロイグ国の建築物とは違い、白と青のタイルが施されていた。
ジェイコブはコルトルの背から降りると、総合案内所の近くの小屋で、鞍や手綱を外す。井戸からくみ上げた水を飲み、気持ちが良かったのだろう。コルトルは顔を近づけると、毛並みを手入れしている主人に、擦り寄ってきた。
「コルトル、くすぐったいよ……!」
ジェイコブは観念したかのように、声をあげて笑う。コルトルもクエッと嬉しそうに鳴くと、ジェイコブの顔に再び摺り寄せた。小屋の主にコルトルを一時的に預かってもらうように頼み、代金を払った後、自身の足で総合案内所へと向かった。
総合案内所は、海の向こうへ行く者たちを見送る場所であり、海の向こうから来た者たちを受け入れる場所である。情報を聞き出すには、十分。どのような形であれ、父親の行方をある程度把握しておきたい。アリトルコ国について、少しでも知りたい気持ちが、勝っていた。
目的の場所にに辿り着いた瞬間、ジェイコブは思わず目を疑った。総合案内所の周りの地面が、あちこち抉れた跡が残っている。白と青のタイルが施された壁には、先端の鋭いものでつけた無数の傷が、残っていた。
「前に来た時は、こんな傷、なかったのに……」
一体ここで、何が起きたのだろうか。調べたいが、今回は目的がある。後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にした。
総合案内所の扉の前に立ち、慣れた手つきで取っ手を引く。扉をくぐると、アトラスの市場やサマルカンドの中心部とは違う光景が、青年の瞳に焼き付いた。受付で入国・出国の手続きをしている者、船から積み降ろされる数々の品物、船乗りや旅人たちの談笑、情報交換――何度も訪れても圧巻され、青年の好奇心を掻き立てる。
総合案内所に滞在している人々から、手当たり次第に尋ね始める。父の行方を、アリトルコ国の所在を、少しでも知りたかった。ところが、返ってきた返事は「知らない」のみ。中には、仕事の邪魔だと声を上げ、ジェイコブを突き飛ばした者もいた。
このまま聞いても、埒が明かない。ジェイコブは尋ねる人を、旅人に絞る。早速、入国手続きを終えた旅芸人に、尋ねてみた。
「グイドという旅人は知らないし、アリトルコ国も聞いたことない。だが、こういう伝承なら、私の国で流行っている」
海の向こうにある大陸から来た旅芸人は、とある旅の集団から伝承を聞いたという。話によると、ある日突然街に来て、世界の生い立ちから伝承のことを伝えると、忽然と姿を消したそうだ。その時は旅芸人も信用していなかったが、いくつかの国を回っていた時に、同じ話を聞いたという。これは流行する――そう確信すると、彼もこの話題を取り入れた。
「その、差し支えなければ、キミが聞いた伝承の内容を、分かる範囲で教えてくれないだろうか?」
「あぁ、構わないよ。確か名前は、『運命の女神の伝承』だったな……それを聞いて、歌にしたんだ」
旅芸人は持っていた弦楽器を手にすると、その繊細な指で、美しい音色を奏で始める。
それは昔々のこと ある女神がいた 人類に話したのは 7つの物語
始まりの地 閉ざされた扉 開けてしまえば 災厄に見舞われる
国の英雄 下す鉄槌 無実であれば 呪い歌が響く
若き騎士 神の子ども 枷を与えれば 浄化の雨が降る
気高き乙女 忠誠と誇り 踏みにじれば 愛憎の花が咲く
妖魔の頂点 浮草の旅路 地の底に送れば 恨みが蔓延こる
海の人魚 歌う小夜曲 ひとつ奪えば 涙が飲み込む
平凡な青年 崩れた平穏 革命起こせば 国が崩れる
美しい音色とともに、旅芸人の口から語られる伝承。気が付けば、1人、また1人と、音色につられて、その歌を聴いていた。
え、と呟いたジェイコブの唇が震える。自分が『ハルシオンクロニクル』で知った伝承の内容と、全く同じなのだ。それだけではない。旅芸人の歌を聴いていた観衆が、歌の邪魔にならないように、声を潜めて話を始める。
「おい、あの歌の内容って、確か……」
「あぁ、もう1つの大陸で聞いたものと同じだな。だけど、俺が聞いたのは、アリトルコ国という国から来たという謎の集団が、広めたという話だぜ?」
「その国は、まるで楽園のようだと言われているのでしょう? 所在もわかりゃしないのに……」
「それだけじゃないさ。あの集団、いきなり街にやって来て、歌い始めると思ったら、次の日には街にはもういないんだろ? そっちの方が怖い」
彼らにとって、細やかな噂。だけど、若き旅人にとって、十分な収穫だ。気が付けば、歌が終盤に差し掛かる頃には、その話で持ちきりだった。突然街に来た謎の集団、広まる『運命の女神の伝承』、楽園と呼ばれる国――収穫を得たジェイコブは、観衆の間を掻い潜り、早々にその場を立ち去った。
旅芸人から離れ、辿り着いた先は、総合案内所の近くにある待合所。ジェイコブは一息ついてから、石でできた椅子座ると、情報を整理した。
アリトルコ国から来たという謎の集団は、各地を訪れては、『運命の女神の伝承』を流している。旅芸人や観衆が、口々に揃えて言うのだから、それは本当だろう。まずは、信じてみることにした。そこから、疑問に思ったら、追及すればいい。
しかし、肝心な所で謎が深まる。その集団は、アリトルコ国からどうやって来たのか。何の目的で、伝承を広めたのか。分からないことだらけだ。集団から話を聞くこともできるだろうが、闇雲に探し回るのは、得策でない。しかし、思っていた以上に、アリトルコ国と『運命の女神の伝承』に関する情報を得ることはできた。
残りは、父に関する情報だけだ。ジェイコブは重い腰をあげると、総合案内所に足を運ぶ。すみません、と受付の職員に声をかけた、その瞬間。
「兄貴……ジェイコブの兄貴っスか!?」
ジェイコブを兄貴と呼ぶ男性職員の強面の表情が、一変。驚きを隠せない表情で、ジェイコブの肩を掴んだ。いきなり名前を呼ばれて驚いたが、顔に傷跡が残る男性職員の顔を不思議そうに見つめる。会ったことがある気がするのは、なぜだろうか。
バラバラになったパズルのピースを当てはめていくように、記憶を手繰り寄せる。そして、全てが繋ぎ合うと、彼の名前を呼んだ。
「……スタン!? 精霊祭りで、ジャガール盗賊団に入っていた……」
「そうっスよ! 久しぶりっス、兄貴!あの精霊祭り以来っスね!」
スタンと呼ばれた事務職員は、目を輝かせてジェイコブの手を握ると、元気よく握手する。元々、ジャガール盗賊団に入っていたスタンだが、盗賊団に疑念を感じ、精霊祭りでジェイコブに手を貸していた。盗賊団の一員だった彼が、サマルカンドの総合案内所で働いているとは、夢にも思わなかった。
「それにしても、今日は何でここに来たんっスか? 旅でもするんっスか?」
「いや、違うよ。今日は……」
ジェイコブは、順を追ってスタンに説明する。彼は旅人の最後まで聞いていたが、曖昧な返事をして、頭を掻いた。
「なるほど、兄貴の親父さんの行方を追っているということっスね……その日は非番だったから、詳しくは分からないっス」
スタンは眉を顰めて、申し訳なさそうに謝る。
「スタン、無茶なお願いだというのは分かってる。でも、どうしても手掛かりが欲しいんだ。何とか情報を、仕入れてくれないだろうか?」
「できる範囲でいいのなら、やってみるっスよ!」
何度も頭を下げる旅人に、スタンはいたたまれない気持ちになる。彼は、旅人のお願いを聞き入れることにした。
「兄貴。もし持っていたらでいいんっスけど、親父さんの渡航許可書と渡航用身分証明手帳を借りてもいいっスか?」
「父さんの渡航許可書と、身分証明手帳? 確か……あ、あった」
ジェイコブは腰につけていたカバンを開け、グイドの渡航許可書と渡航用身分証明手帳を見つける。ファティマは何かあったら困るからと言って、カバンに詰めたものだった。まさか、ここで役に立つとは思わなかった。さりげなく助け船を出してくれる妻に感謝すると、彼にそれを預けた。
「兄貴が希望なら、それ以前の台帳も確認するっスが……兄貴、どうするっスか?」
スタンの言葉に、ジェイコブは腕を組む。彼がいう台帳とは、誰がロイグ国からどのような目的で出国し、どこの国から帰還して入国したか記された記録書である。どのような目的であっても、国の朱印が押された渡航許可書と国章のある渡航用身分証明手帳を受付で提示する。最後に、台帳にその旨と署名を記さなければ、出国や入国はできないのだ。
直近の台帳は受付にあるが、過去の台帳は倉庫に保管している。莫大な数の台帳を1つずつ見て調べるとなると、それこそ時間の無駄だ。ジェイコブはスタンに、1月に入国した台帳を調べてほしいとお願いした。
「スタンの負担がかからない程度でいいよ。明日の昼まで、ここにいるから、できたらほしいけど……アトラスに置いてきたファティマが心配だ。間に合わなかったら、ボクの家に送ってくれ」
「了解っス、兄貴……ん? ファティマって……あの時の踊り子さんっスか!? 一緒に住んでるんっスか!?」
兄貴と慕う旅人から、スタンは住所が記された紙を受け取ると、惚気っスかと叫ぶ。まさか、ジェイコブとファティマが、結婚すると思っていなかったのだろう。受付に身を乗り出す彼に対し、ジェイコブは少しだけ乾いた声で笑った。
「話は聞きたいけど、まだ仕事中っス。兄貴、一旦失礼するっス! 明日のお昼、食堂で落ち合いましょう!」
スタンはジェイコブに、落ち合う時間と場所を取り決めると、笑顔で手を振りながら、元いた持ち場に戻る。ジャガール盗賊団の一員として、ロイグ国に迷惑をかけた彼が、罪を償って、一生懸命に働いている。その姿を見るだけでも、喜ばしいことだった。
鐘の音が、サマルカンドの街に鳴り響く。お昼の合図を示す音だ。手に持っていた羽のペンで、今回得た情報を藁半紙に簡単に纏める。走り書きだが、読み返すには十分だ。大事そうに藁半紙を『ハルシオンクロニクル』に挟むと、総合案内所を後にした。
ただ、ジェイコブは気が付かなかった。挟み込んだ藁半紙が、『ハルシオンクロニクル』に吸収されていることに。まるで自分の意思を持っているかのように、外部からの情報を記していることに。知ることも、知る術も、なかった。
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