Ⅱ父の失踪と蔓延る伝承

第6話 父の失踪

 父グイドが旅立って、どれほどの月日が流れたのだろう。少年だったジェイコブは、いつしか逞しい青年へと成長した。やはり、血筋は争えないのだろう――ジェイコブは、父と同じ旅人となった。


『百聞は一見に如かず』という言葉に影響されたのだろう。本からの知識を得るだけでなく、実際にその足を運び、翡翠色の目で確かめる。失敗と経験を積み重ね、ロイグ国の外交に貢献すると、ようやく旅人として認められた。


(父さん。ボクは、父さんと同じ、旅人になったよ)


 ジェイコブは、晴れ渡る空を眺める。宛所のない報告は、ふわりと風に乗せ、世界のどこかにいる父に伝わることを願った。


 また、青年にとって、もう1つ人生の機転が訪れた。自分に縁がないと思っていた縁談が、舞い込んだのだ。縁談を持ちかけたのは、アリギエーリ家の当主。ジャガール盗賊団に盗難されかけたが、あの事件がきっかけで、父はアリギエーリ家と情報交換し始めた。


(そういえば、宮殿で、よく父さんが誰かと話していたけど……アリギエーリさんだったのか)


 ジェイコブはぼんやりと、過去の記憶を思い出す。父の話をきっかけに、アリギエーリ家の当主との談話は続いた。そこから、あれよあれよと話は進み、当時は踊り子だったファティマとお見合いをしたが。


「絶対に結婚なんてしませんわ……!」


 出会ったその日に、ファティマに短剣を突きつけられた。一時は些細なことで揉めたが、ジャガール盗賊団が引き起こした事件と、精霊祭りがきっかけで、ようやく結ばれた。アトラスに住む人たちの中には、政略結婚だと噂していたが。


「……あっ、ごめんなさい! ジェイコブさん、私ったらはしたない……」

「大丈夫ダカラ、ファティマ。気ニシナイデ……」


 結婚しても、初々しいまま。会話をする時は普通なのに、指を少し触れただけで、お互い頬を赤く染め、トクンと鼓動が早くなる。そんな2人を見た人々は、パイ生地でナッツを包み、バターシロップをかけた焼き菓子を食べた時よりも、口の中が甘く感じた。


 旅人として仕事をこなし、時間が許される限り家族と過ごす。変わらない日常だが、子どもにも恵まれ、幸せをかみしめていた。そんな当たり前の日々が終わるきっかけとなったのが、ヴェスペイル歴617年1月25日――少し底冷えた冬の夕方のことである。その日、ジェイコブは急いで家に戻っていた。その手に強く握られたのは、1通の手紙。音信不通だった父親からの手紙を見て、居ても立ってもいられなくなったのだ。


(父さんが、帰って来る)

 

 今にも宙に浮きそうな足で、家へと繋がる道を駆け抜ける。父さんが帰ってきたら、何を報告しよう。旅人として世界を旅していることを伝えるか。それとも、ファティマと生まれた子を紹介しようか。それから、それから――。


 やがて、ジェイコブが住む家に辿り着くと、勢い良く扉を開ける。しかし、ろうそくの火で部屋は灯されていただけで、しんと静まり返っていた。辺りを見渡せば、大きいカバンが無作為に床に置かれており、黒色の羽が辺りに散らばっていた。


(黒い羽根? それに、ファティマもいない。一体、どこに……?)


 辺りを見渡したジェイコブは、首を傾げたその瞬間。


「落ち着いて……動いたら、危ないわ!」


 珍しく大声を上げる妻の声と、何かが外で暴れている音が聞こえた。慌てて外に向かうと、コルトルが妻であるファティマを威嚇し、恐竜のような大きな尻尾を闇雲に振り回していた。ファティマは驚いて、思わず後退る。何とかコルトルと距離を置いたが、腰が抜けたせいか、うまく立ち上がれない。警戒するコルトルは、尻尾を振り回す。尻尾の先端が、彼女を直撃しようとした。


「……っ!」


 ジェイコブはファティマを抱き寄せ、コルトルと距離を置くと、間一髪のところで避ける。幸い、コルトルの尻尾に当たることはなかった。もしも体のどこかに当たれば、軽い怪我で済まなかった。


「ファティマ、怪我はないかい?」

「えぇ、おかげで――ありがとうございます」


 抱き寄せられたファティマは、感謝の言葉を述べる。駆けつけた夫の顔を見て安堵したのか、今にも泣きそうだった。愛する妻をひとまず安全な場所に遠ざけると、ジェイコブはコルトルとの距離を少しずつ縮める。


「……コルトル」


 ジェイコブは優しく、その名前を呼ぶ。青年の声に反応したのか、コルトルは不安そうに、こちらをじっと見つめた。沈黙の時間が過ぎると同時に、コルトルは落ち着きを取り戻しているようだ。警戒心を解くと同時に、突然地面に倒れ込んだ。ジェイコブはコルトルの名前を叫びながら、脱兎のように駆け寄る。慌てて観察すると、深い傷を負っているではないか。そのせいか、息も荒い。


「ひどい傷だ。誰が、こんなことを……」


 ジェイコブは顔を青ざめて、ポツリと呟く。ダイナバードを傷つける行為は、法律により禁じられているのだ。一体、誰がコルトルを傷けたのか。詮索するより、まずは傷の手当を優先しないと。


「ファティマ、立てるかい? 落ち着いたらでいい。申し訳ないが、ご近所さんに事情を説明して、宮殿にいるダイナバード保護機関の職員を呼んできてくるかい?」


 ジェイコブは腰を抜かしているファティマに、手を差し伸べる。夫の手を借り、何とか立ち上がった後、膨らんだお腹に優しく手を当てた。びっくりさせてごめんねと、語りかけているようだ。


「もう大丈夫です、ジェイコブさん……ご近所の方に頼んでみますね」


 ファティマはスカーフを頭に巻くと、お腹を気にしながら、家を出る。妻の背中を見届けた後、ジェイコブは飼育小屋と隣接する倉庫から、ダイナバード専用の治療道具を棚から取り出した。消毒液を清潔な布に染み込ませ、コルトルの傷に当てる。傷口から染み込んだせいか、コルトルは苦しいような、悲しいような声で鳴いた。


(頼む。どうか、どうか、コルトルを――)


 コルトルの無事を祈りながら、無我夢中で応急処置を施す。気が付いたら、ファティマが家に戻り、ダイナバード保護機関の職員が駆け付けた。ダイナバードの専門医がジェイコブと代わると、的確に治療する。苦しそうに鳴くコルトルの身体を、ジェイコブはたくさん声をかけ、優しく撫でた。


「もう大丈夫だよ」


 全てが終わり、専門医は安堵の表情を浮かべる。ほし草を敷いた寝床の上で、コルトルはすやすやと眠っているのを見て、夫婦は胸を撫で下ろした。


「……だけど、グイドさんは? どこにいるんだ?」


 ダイナバード保護機関の事務員の言葉に、ハッと気づく。父さんは、どこにいるのだろう。ジェイコブは辺りを見渡すが、グイドの姿が見当たらない。


(そう言えば、そうだ……コルトルはいるのに、父さんはいない)


 汗を清潔な布で拭い、ジェイコブはふと疑問を感じる。手紙では、確かに「近々戻ってくる」と記載されていた。だけど、家の様子を思い返すと、父が帰って来た形跡はなかった。ファティマに尋ねてみたが、首を横に弱々しく降る。


「困ったな。グイドさんがいないとなると、問題がいくつか出てくるぞ」


 事情を聞いた保護機関の事務員は、険しい表情を浮かべて、腕を組む。少し考えた後、問題点を挙げた。本来、所有者がダイナバードの管理を怠ると発覚すると、違約金を支払わなければならない。さらに、所有権を剥奪され、ダイナバードは保護機関に返還されるのだ。このことに関しては、ジェイコブは承知していた。


 だが、最大の問題は、ダイナバードだけ戻って来て、所有者が行方不明となった場合である。誰が違約金を支払うのか。ダイナバードの所有権を代わりに譲るのか、放棄するのか。その判断を、連帯保証人に委ねられるのだ。


「今回の場合、ボクの判断に委ねられるということですか」

「そうだね。返事はいつでもいいから、纏まったら報告してくれ」


 保護機関の事務員は書類をまとめ、専門医は後片付けをすると、宮殿に戻る。夫婦は頭を下げて見送ったが、姿が見えなくなると、ジェイコブは深く息を吐き、星のない夜空を見上げる。手紙で帰ってくると書いていたはずなのに、なぜ、父が帰ってこないのか。なぜ、コルトルだけが、戻ってきたのか。靄がかかったかのように、考えがまとまらない。


 ファティマの身体を気にしながら、家の中に戻った。一度、状況を整理するために。コルトルのことを、いなくなった父親のことを話すために。朝日が昇るまで、今後のことを話し合った。

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