第4話 ハルシオンクロニクル
渡り鳥は、温かい場所を求めて、青い空を飛び立つ。時にその羽を休めるために、各地に降り立つこともある。ロイグ国を拠点とし、各地を渡り歩くグイドは、渡り鳥と同じなのだろう――ジェイコブはアトラス大図書館の窓際で、頬杖をついて本を読んでいた。
アトラス大図書館は、王が住む宮殿と隣接している。多くの報告書や文献だけでなく、国内外からの娯楽小説も収集されているため、学者から民間人まで、利用する幅が広かった。本好きの彼にとって、お気に入りの場所なのだが。
(……ダメだ、内容が入ってこない)
読んでいる本に集中できず、パタンと閉じる。頭の中を支配したのは、先日の出来事だった。あの日、ジャガール盗賊団の窃盗未遂事件に貢献したグイドとジェイコブは、王に報告をしたが。
「事情は分かった。しかし、日はすでに暮れている。それに、グイド……お主は帰って来たばかりだ。家でゆっくり休むがいい」
王が労いの言葉をかけてくれたため、日を改めて、グイドから詳しい経緯を話すことを約束した。
ロイグ国で問題になっているのは、ジャガール盗賊団だけではない。野生のダイナバードの乱獲も、浮き彫りとなっていた。グイドの報告によれば、あの時一緒にいたダイナバードは、乱獲されかけた群れの一頭らしい。密猟者の罠から何とか難を逃れたダイナバードは、帰還中だったグイドに保護された。
件のダイナバードは、傷を負い、体力を消耗していたが、順調に回復している。コルトルと名付けられたダイナバードは人懐っこく、宮殿に足を運んだ親子に、頭をこすりつけて歓迎した。コルトルとのやり取りを思い出しながら、ジェイコブは次の本に手を伸ばし、本をパラパラとめくった。
【ジャガール盗賊団による被害状況】
ロイグ国の各地で、最近出没している。街に突如現れては、窃盗を繰り返している。
また、最近は野生のダイナバードを乱獲し、女性、子どもをさらうことがある。
突然襲撃されることがあるので、外に行く時は十分気を付けるように……。
(書かれている内容は……このくらいか)
最新の情報はなく、ジェイコブは深くため息をつく。それでも、ジャガール盗賊団を捕らえたのは、快挙である。報告書を閉じると、少しだけ体を動かした。同じ体勢で読んだせいか、肩が凝っているような気がする。窓から新鮮な空気を吸うと、グイドと商人が話しているのが見えた。
(確か、あの人は……アリギエーリ家の)
記憶違いでなければ、先日、箱を盗まれた商人のはず。2人の会話はよく聞こえないが、楽しそうに長旅で得た情報を教えているのだろう。本を元の場所に返却し、苦手なジャンルの本に挑戦してみるが、その目に少しずつ退屈さが支配する。完読するのを諦めると、もっとワクワクするような、珍しい本も読んでみたいという欲求に駆られていた。
(そう言えば、父さんはいつも表紙がボロボロの分厚い本を、持っていた)
棚にあるたくさんの本をぼんやり眺めながら、ジェイコブは思い返す。以前、怖い夢を見て眠れなくなり、父親の寝室に訪れたところ、父親は事典と同じくらい分厚い本を、険しい表情で読んでいたのを覚えている。使いすぎなのか、表紙はボロボロで、なぜか色がくすんでいたと思う。あの時は本の中身を見たわけではないが、どの紙も黄ばんでいて、染みた痕が残っていた。
一体、あの本には何が書かれているのだろう。1つのきっかけが、ジェイコブの好奇心を掻き立てる。偶然なのか、運命のいたずらだろうか。グイドはジェイコブにカバンを預けていた。
「……探してみる価値はありそう」
少年は、歳相応の笑みを浮かべると、興味本位で父親のカバンに手をかけた。中を探ってみると、父親が愛用している竪琴と、旅に使ったのであろうと思われる小道具が無造作に入っている。小道具を整理しないのは、グイドの悪い癖だ。そんな父親に呆れつつも、カバンの底の方で何か平らで硬いものが手に触れる。片手で取り上げようとするが、うまく持ちあげられなかった。
ならばともう片方の手をカバンの中に突っ込み、小道具がゴチャゴチャしたカバンの中から取り出すと、ジェイコブは宝物を発見したかのように驚く。だけど、喜びの表情を浮かべたのは束の間だった。いつか見た、表紙がボロボロの分厚い本が、今。自分の手に収まったのだ。
「……これだ!」
ジェイコブはまじまじと、分厚い本を見る。相変わらず表紙はボロボロだが、かろうじて『ハルシオンクロニクル』と読むことができた。
(この本には、どんなことが書かれているのだろう)
緊張と興奮で、手に汗が滲む。パラパラとめくるページの音が、心地よく感じた。最初は期待していたジェイコブも、ページをめくるたびに、焦りと苛立ちを覚える。どんなにめくっても、真っ白なページばかり続いていた。半ば諦めながら、次のページをめくろうとした瞬間、ジェイコブの手がピタリと止まった。
「これ、は……?」
それは偶然なのか、必然なのか。ジェイコブは目を輝かせながら、その内容を読む。『運命の女神の伝承』と書かれたそのページを、ジェイコブは煮えたぎる好奇心で読んでいた。
【運命の女神の伝承】
1 始まりの地の扉を開けることなかれ。さもなければ、世界に災厄が降り注がん。
2 救世主に鉄槌を打つことなかれ。さもなければ、国に破滅の呪いが降りかからん。
3 十字架の騎士に枷を与えることなかれ。さもなければ、空から炎の雨が降り注がん。
4 気高き戦乙女に触れることなかれ。さもなければ、愛憎の槍がその身を貫かん。
5 妖魔の血に裁きを下すことなかれ。さもなければ、地の底からの恨みが蔓延らん。
6 海に住む者の住処を奪うことなかれ。さもなければ、海の涙が夕闇を飲み込まん。
7 民の願いを聞き捨てることなかれ。さもなければ、復讐の炎が革命を引き起こさん。
「これは、一体どこの伝承なんだろう……」
ジェイコブは首をかしげながら、もう一度『運命の女神の伝承』に目を通す。しかし、読んでも分からないことの方が多かった。思えば、グイドは長旅でしばらく滞在している時は、色んな伝承を竪琴の音色に乗せて歌ってくれた。けれども、この『運命の女神の伝承』を、皆の前で歌うことはなかった。どこの国なのか分からない伝承のはずなのに。パッと見るとあまりに不吉な文章のはずなのに。どこか懐かしく感じる。
同時に、1つの疑問が浮かぶ。グイドから、ロイグ国に住み始める以前、自分を連れていろんな国を旅をしたと聞かされていた。まだ幼かったため、記憶が朧気だったが、ある場所だけは、避けるように行くことはなかった。2つの大陸と、2つの島。確か、船乗りたちが酔っ払って、ある話をした時に、優しい父が一変して――。
「――何をしている」
その瞬間、ジェイコブは思考を止めた。父親の声だと分かっていた。けれども、その声色はどこか低い。振り返るとそこには、外で喋っていたはずの父親が、冷たい目でこちらを見下ろしていた。静かな雰囲気の大図書館で、空気が身震いするくらいに凍り付く。見たこともない父親の表情にジェイコブはただ、分厚い本を手にしたまま、立ち竦んでいた。
「あ、えっと……これは」
「――その本に触るな!」
ごまかそうとした少年の手から、グイドが『ハルシオンクロニクル』を勢いよく取り上げる。少年の手にあるのは、ただの虚無感と喪失感だけ。呆然としたまま、今にも怒り出しそうな父親の顔を見つめるしかなかった。2人の間に、沈黙が走る。稲妻が自身の身体に打たれたかのように、頭の中が真っ白になる。やっとの思いで、ジェイコブの口から出たのは。
「……ごめんなさい」
あまりにも弱々しい、彼なりの精一杯の謝罪だった。張り詰めた空気が、親子の肌に直に伝わってくる。しばらく様子を見ていたグイドは、ジェイコブに悪気はないと察し、いつもの穏やかな表情に戻した。
「……あ、すまない。急に怒って……」
グイドは未だに呆然としている息子に慌てて謝ると、目線に合わせる。ジェイコブはただ首を横に振ると、沈黙が再び流れた。
「……父さん」
冷静を取り戻したのか、ジェイコブは元気をなくした声で父を呼ぶ。父親の様子を伺うと、遠慮がちに質問した。
「どうして、その本に触れてはいけないの?」
「それは……言えない」
いつも優しく、丁寧に答えるグイドだが、今回ばかりは非常に曖昧だ。その視線は、どこか宙を泳いでいるようにみえる。
「だけど、これだけは覚えてほしい」
グイドは取り上げた本をカバンにしまうと、ジェイコブの両肩に自身の手を置く。
「ジェイコブ。君はいつだって、真実を知ろうとする。それはいいことだ。だけど、真実を知れば知るほど、闇が君を誘い、引きずり込むことがある」
父親の言葉が、戒めるかのように少年の心に突き刺さる。勝手に父が大切にしていたであろう本を読んだことを、少し後悔した。
「父さん、ごめんなさい……もう、勝手に触らないよ」
「いや、いいんだ。父さんも悪かった……さぁ、もう夕方だ。ジェイコブ、先に宮殿の門の外で待ってなさい」
ジェイコブは落ち込んだ表情のまま、大図書館を後にする。その場に残ったグイドは、カバンにしまった『ハルシオンクロニクル』を取り出すと、中身をざっと読んだ。ジェイコブが触れた時、ほとんどのページが真っ白のままだった。それなのに、グイドが触れた今。どのページにも文字がぎっしり記されていた。
「……アルキュオネー。君の言う通り、やはり、この本は」
パタンと本を閉じると、グイドは長く息を吐く。もし、あのまま息子がこの本に触れていたら、どうなっていたのか。現所有者である彼でさえ、分からなかった。だけど、『ハルシオンクロニクル』に触れただけで、ジェイコブ自身に悪い影響はなかった。それだけでも、幸いだった。
「でも――あの子が、無事でよかった」
安堵した表情すると、『ハルシオンクロニクル』を優しく、しかし強く握り締める。何かから大切な息子を守るために。何か意を決したかのように。全てを賭けてでも成し遂げうとするその表情は、窓から見える夕日だけが知っていた。
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