第3話 父の帰還

 ぎらぎらと輝く太陽の下で、広大な砂漠に蜃気楼が揺らめく。熱を帯びた風に乗った砂は、砂丘の遥か向こうのオアシスに辿り着く頃、舞うようにハラハラと地面に落ちた。ここは、砂漠の国・ロイグ国――国領のほとんどが砂漠で構成されている。その中でも、街と街を繋ぐ中継地点であるアトラスは、多くの商人や旅人が集い、砂漠地帯では唯一、自然と水に恵まれていた。


「さぁ、いらっしゃい! いい品が揃ったよ!」


 いきのいい商人の声が、アトラスの市場を賑わせる。どの商人のお店も、買い物客で繁盛していた。多くの人達が買い物で夢中になる中、歳のわりに落ち着いた少年が、1冊の本を読みながら、街を歩く。題名さえ分からない古びたその本の文を、カワセミの羽の色の目が追っていた。夢中になっていたせいか、不注意で人とぶつかる。読んでいた本を自分の胸元まで下げ、見上げると、近所に住む世話好きのおばさんが、呆れたように少年を見ていた。


「ジェイコブ。本を読みながら、買い物に来たのかい?」

「こんにちは、おばさん。そうだよ。でも、夢中になって……ぶつかって、ごめんなさい」


 ジェイコブと呼ばれた少年は、近所のおばさんの雰囲気に押されながらも、ぶつかったことを素直に謝る。


「いいのよ。次からは気を付けてね」


 おばさんは我が子のように、ジェイコブの頭を撫でると、自分の家へと戻る。ジェイコブは見届けた後、商人と買い物客の邪魔にならないように、小屋と小屋の間に移動すると、再び本に目を通した。



 この異世界ラグナは、かつては大きな大陸1つだった。

 そこに、アリトルコ国が存在し、栄華を極めた。

 しかし、神々の酔狂な悪戯により、その国は突如分裂。

 神々との戦いを経て、大きな大陸は2つの大陸と2つの島に分断された。

 分断された大陸と島は、長い年月をかけて、独自の国と文化を創り上げた。

 栄華を極めたアリトルコ国は地図から消え、その存在は幻とされている。



 なぜ、1つの大陸が2つに分かれたのだろう。栄華を極めた国は、幻の存在となってしまったのだろう。本を読めば読むほど、少年の好奇心は膨らむばかり。純粋に、その理由を知りたかった。 次の展開に胸を弾ませながら、次のページをめくる。しかし、そのページには、アリトルコ国の行く末を記した記述はない。それ以外の国の概要と生い立ちが、記されていた。満たされない好奇心は、虚しさへと変わる。本をカバンに入れると、本来の目的である食材の買い出しのため、アトラスの市場を回った。


 少年ジェイコブにとって、今日は特別な日だった。きっかけは、数日前に来た1通の手紙。外交を終えた父親が、アトラスに帰ってくるのだ。軽やかな足取りで、果物を取り扱う小屋へ向かった。商品を見終え、数ある果物の中からイチジクに手を伸ばす。父の好物であるイチジクは、ロイグ国では貴重な食材だった。


(せっかく父さんが帰って来るから……少し、奮発しよう!)


 父の喜ぶ顔が見たい。その思いで、ジェイコブは節約したお金でイチジクを買う。商人と品物を交換する形で、お金を渡そうとした、その刹那。


「盗賊だ! 誰か、捕らえてくれー!」


 賑わう市場から聞こえる商人の叫び声に、周りが一変。辺りが悲鳴と騒めきで溢れ返る中、人混みを掻き分けて現れたが、箱を脇に抱えた盗賊たちだった。箱を盗まれた商人は、盗賊たちの跡を追いかけるが、距離は離れていく。全力で走っていた商人も歳なのか、体力が追いつかない状態で、息が切れていた。


「へっ、このジャガール盗賊団が、あんたのようなおっさんに捕まるかよ!」


 自らジャガール盗賊団と名乗った盗賊たちは、商人の様子を横目で見ると、鼻で笑う。その盗賊の名を聞いた途端、市場は一気に混乱に陥った。


(ジャガール盗賊団……か)


 ここ最近、その盗賊団の名前を聞いたジェイコブは、記憶を巡らせる。記憶に間違いがなければ、ロイグ国各地で強奪の被害が発生しているので、注意喚起がされていたはずだ。自らは被害にあったことはない。それでも、この状況を、ただ見ているだけだなんて、我慢できなかった。


「おじさん……そのイチジク、預かってもらえませんか?」

「それはいいけど、ちょ……おい、どこに行く!?」


 商人にイチジクを預けるよう頼むと、ジェイコブは鞘からカマキリの刃のような形をした短剣を取り出す。2つの刃を1つに組み合わせると、弦のない弓が出来上がった。すると、弦のないはずの弓に、優しい緑の光が集い、弦を作りあげる。盗賊たちの行く手を妨げるかのように、少年は道の真ん中で悠々と構えた。


「なんだ? 俺たちにケンカを売るのか?」

「上等だ、コラァ! お前のもの、俺達が奪ってやるぜ!」


 ジャガール盗賊団は空いた手で短剣を持つと、ジェイコブに危害を加えようと飛び掛かる。


「あ……危ない!」


 市場に来ていた誰もが悲鳴を上げ、手で目を伏せた時、ヒュゥ……と光の矢が空を切る。ジェイコブが放った光の矢は、盗賊団が手に持つ短剣を、次々と弾いた。その矢から逃れようと、顔を青ざめた盗賊は、人混みに紛れこもうとするが、光の矢から逃れられない。逃亡を妨げられたと分かると、へなへなと力なく地面に座った。


 その騒ぎを聞いた市場の見回りは、この様子を見ると、開いた口が塞がらなくなる。齢10になった少年が、正義感だけで、ジャガール盗賊団に立ち向かっているからだ。呆気に取られたまま、抵抗する気力のない盗賊を捕らえる準備をする。手を後ろに回し、縄を付けた頃には、残りあと1人。商人から箱を盗んだ、リーダー格の盗賊のみとなった。


「さぁ、残ったのはキミだけだ。盗んだものを置いて。そうでなければ、この【トスカーナ】の矢が、どこまでもキミを追うだろう」


 ジェイコブは【トスカーナ】と呼ばれた弓を強く握ると、狙いを確実に定める。その姿は、狩り人そのものだった。このまま捕まるわけにはいかないと舌を打つと、リーダー格の男は地面を蹴って、ジェイコブに砂を浴びせる。砂が目に入り、注意がそれたのを見計らって、ジェイコブの横を通り過ぎた。


「しまった……!」


 目に砂が入りながらも、ジェイコブは【トスカーナ】を握り締め、人混みに紛れたリーダー格の盗賊の跡を追いかける。当然、盗賊1人逃がしてしまえば、新たに仲間を引き連れ、被害が更に拡大するだろう。それだけは、絶対に避けたかった。


「ハハハ、ざまぁみろ……!」


 盗賊は手にした箱を今一度抱き抱えると、走り続ける。ジェイコブとの距離を一定に保ち、アトラスを出る門を通り抜けた。あと一歩というところだったのに。少年の心を支配するのは、焦りと悔しさ。【トスカーナ】を持つ手が、じわりと汗ばんだ。



「いいかい、ジェイコブ。これは覚えておいて」



 ふいに、脳裏に父の言葉が蘇る。



「どんなに厳しい冬が来ても、必ず春は訪れる」



 そうだ、こんなところで野放しにしてたまるか。ジェイコブは思い直すと、光の矢をぎらつく太陽に狙いを定める。


「だから……決して、諦めてはいけない。このまま、引き下がれるものか……!」


 ジェイコブの表情に、もう迷いなどない。ありったけの力を込めて、光の矢を放つ。足止めになっていることを願いながら、急ぎ足で郊外へと向かった。何とか人混みを抜けて、郊外に辿り着いたジェイコブは、辺りを見渡すが、盗賊の姿は見当たらない。


 逃げられたのだろうか。胸が押し潰されそうになりながら、盗賊の姿を探す。逃がしたとなれば、最悪の事態を免れないのは、一目瞭然だ。追いかけるか、否か。選択を迫られる。足跡は既に、砂塵で消されている。完全に手掛かりを失った。【トスカーナ】を持つ手の力が、フッと抜けそうになった。


 その時、砂丘からアトラスに向かってくる人影が見えた。よく見ると、恐竜みたいな鳥が何かをくわえて、走ってこちらに来ていた。見間違えるはずがない――少年の暗い表情が、太陽のように明るくなる。鳥がくわえていたのは、先ほどまで追いかけていた盗賊。そして、その鳥を操っていたのは、ジェイコブが待ち望んでいた人物だった。


「ジェイコブ」


 聞こえたのは、低く、でも優しい声。少年によく似た容姿の男性が、目の前にいた。長旅のせいか、少し日焼けしており、色素の薄い茶色の髪は伸ばしたままだ。身に着けている白装束の裾がボロボロだが、少年は気にしない。そこにいたのは、ようやく待ち望んでいた、唯一の肉親だったのだから。父さん、と呟くと、ジェイコブは駆け寄る。父さんと呼ばれたグイドは、恐竜のような鳥から降りると、ジェイコブを抱きしめた。


「いきなりびっくりしたよ。上空で光の矢が雨のように降り注いだと思って、駆け付けたら、砂漠に人が横たわっていたから」


 グイドの言葉に応えるかのように、恐竜のような鳥はくわえていた盗賊を、無造作に地面に落とす。様子からしてみると、どうやら気絶しており、所々服が破れていた。最後の賭けのつもりで、放った矢が足止めになったのが幸いだった。急所を外したとはいえ、自分が盗賊の立場だったら、どこまでも追いかける光の矢に怯えていただろう。盗賊に気の毒なことをしたと反省しつつ、ジェイコブはグイドに、ジャガール盗賊団と今回の一連を話した。


「そう……だから、ジェイコブは【トスカーナ】の矢を上空に放っていたのか」


 グイドは腕を組みながら、神妙な顔つきで、未だ気絶している盗賊を見る。盗賊が抱えている箱をジェイコブに持たせると、慣れた手つきで盗賊の腕に縄を縛り、恐竜のような鳥の背に乗せた。


「久しぶりに帰ってきたら、ダイナバードの乱獲未遂に、ジャガール盗賊団の強盗、か。外交の報告だけじゃ、すまないようだ」


 恐竜のような尻尾を持つ、大きな鳥の顔を優しく撫でるグイドは、ポツリと呟く。どうやら、この鳥がダイナバードと呼ばれる動物らしく、一瞬でジェイコブの関心がそちらに向かった。しかし、父の小言を思い出すと、明るい表情が一変、少しずつ曇がかる。危険を顧みず、盗賊たちを捕らえるだけが、終わりではない。ジャガール盗賊団の被害は、増加する一方なのだから。


「さぁ、とにかく街に戻ろう……このことをきちんと、報告しないとね。でも、その前に」


 グイドはジェイコブと向き合うと、ふと、優しい笑顔を見せると。


「……ただいま、ジェイコブ」


 息子が待ち望んでいた言葉を交わす。


「……お帰り、父さん!」


 満面の笑みで、ジェイコブは言葉を返す。例え再会した場所が、砂漠でも問題ない。唯一の肉親であるグイドが無事に帰還してくれるだけで、ジェイコブの心は喜びと安堵で満たされた。再会を果たした親子は、お互いのことを話しながら、アトラスへと帰路に就く。目的の場所に到着した途端、現場を目の当たりにした人達から、感謝の言葉をもらい、盗まれた箱を持ち主である商人に返した。その一方で、グイドの後についていく形で、アトラス宮殿に向かう。それぞれ報告を終えると、久しぶりに、ジェイコブの家に長くまで明かりが灯された。

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