第18話 ダンシングブレイド18


「人は、人生とは不条理に耐えることも重要だという」


 紳士は、そう呟くと細巻きの葉巻に口を付けた。ゆっくりと煙を吸い、満たした口腔で味わった後、またゆっくりと煙を吐き出す。

 煙は流れ、壊れた壁を伝う。割れた窓から外へ流れていった。

 窓からは夕暮れが見える。


「時に神の試練だとか、己の鍛える機会だとか、避けられぬ運命だとか。まあそういった不条理に対しどう諦めをつけるかが、人類の積み上げた思想というものの根底だろうな。なにか仕方のないことに仕方がないと思えという、そういうものだ」


「それは、たしかにそうですね。わたしも冒険者をしていた時がありましたから、ダンジョンや依頼の途中で仲間を失うことは日常でした。しかしなにを失ったかよりは、これからをどうするかを考えないと生きてはいけなかった」


 紳士=ダーク・アローンと向かい合う白髪の男=ウォーベック・ベッコォーは、湯気を立てる紅茶を啜る。


「あの石細工の仮面、あれがここに来て私から多くのものを奪った。だが、今のわたしは血気盛んな若い冒険者ではなく、もう実戦から随分と遠ざかった中間管理職ギルドマスターだ。若い頃のように無理やり己を奮い立たす力は無い……」


「境遇、同情いたしますよ。まさか我々が追跡したいた仮面のヤツが、あなたの邸宅に侵入して狼藉を働くとはねぇ。私達がその場でアレを仕留められていたら、このようなことにはならなかったでしょうに」


 仮面の怪物がウォーベック邸宅に侵入。邸宅の一部を破壊して何人かの護衛。そしてメイドを一人殺して姿を消した。ダークは一夜明けたウォーベック邸へ赴いていた。


「まったく、うちの役に立たない戦闘奴隷ブレイドに足を引っ張られましてね。それに比べてお宅の戦闘奴隷ブレイドは羨ましい。見事に主人を守ったというではないですか」


「アルバートは……命がけでわたしを守ってくれたよ。だが、ユーチィは」


 初老の男の表情が悲しみに沈む。昨夜の惨劇を思い出し、手で顔を覆った。


「彼女は身寄りがいなくてここに来た……奴隷とはいってももう家族のようなものだったよ、まさかこんなことになるとは……年を取ると、涙もろくなってね……」


 バラバラに刻まれたメイドの死体。辛うじて頭が無事だったから彼女だと判断できた。


「まあまあ、そんなにも悲しまなくてもいいではないですかウォーベック殿。

ターゲットを仕留められず、追跡されて敵を連れてくるような無能奴隷にわざわざ丁寧に涙など流さずとも。

――それに、ここに来てあの奴隷は二週間も経ってはおらんでしょう」


 空気が、凍る。


「な、にを、言って」


「護衛ごと巻き込んで殺すとはなかなか注意深いようだが、護衛は一撃の殺し方。それに比べてユーチィの殺し方はバラバラに解体している。それはいけなかった。

これはユーチィの体の傷を隠すためでしょう?

なにせ傷の位置が同じ・・・・・・では正体がバレるかもしれんからね?」


「ユーチィは、仮面の男に殺されて」


「私達を『昨夜』襲った仮面の怪物は、ユーチィというメイドだろう?」


 紳士の言葉が、ウォーベックの心臓を貫く。


「お前、相当色々なところから邪魔だと思われてるな。非合法の奴隷売買組織……その奴隷確保や流通を裏でやっているだろう?

そういうことをやると、合法で真っ当な奴隷商をやっている奴らにひどく疎まれるものだ。ラズロのやつからはお前が他の奴隷商から暗殺用の訓練を受けた奴隷、女の暗殺奴隷ヴェノムを一週間前に買ったという話は聞いている。喜んで話をしにきたよ。

茶葉はいいものなのに、肝心の紅茶の入れ方もなっとらん、オマケに常に私の死角を狙うように動くメイドなど一発でバレるね」


「あの、クソジジイが。生かしておくべきでは無かった!」


 初老の男から、好好爺とした仮面が消える。根底にあった、欲望と残酷さが現れる。


「後で絶対に殺してやるというツラだな。しかし、お前にその『後』があればの話だが。なにせギルド団体に所属する人間がこういう非合法な商売に手を出すとそれはそれは面白いことになるからなあ……?

そして、私が境界大陸ここに来た理由の一つは、お前がもっている魔導体オーバード、『狂戦士の仮面ウルブヘジン』の回収だ」


「お前は……何者だ? そこまでなぜ知っている、やはりただの冒険者ではなかったか」


 ダークを睨みつけるウォーベックからは隠しようの無い殺気。渦巻く闘争の空気に、ダークは心地良さそうに笑う。


「私が何者か。少しばかり長生きすると、無駄に肩書きが増えてね。

私は、剣士、私は冒険者、私は教授、そして世界滅亡さえ引き起こしかねない危険な魔導体オーバードを確保し保管する魔導狩機構アカデミー調査員キュレーター……」


魔導狩機構アカデミーだと!? あの皆殺しの狂信者の!」


 驚愕するウォーベックを無視し、ダークは言葉を続ける。


「そして、私は――貴様が殺したリブラ・イリニッヒの旧い友人だ」


 ▲ ▲ ▲


 ダークがウォーベック邸を再訪する約十八時間前。

 ウォーベック邸から帰ったダークは、事情を話せと騒ぐヒートを資料が溢れる部屋と通した。


「しかし、こりゃなんなんだよ……」


 見わたす限り溢れる本や何らかの標本が詰まった箱。ダークの屋敷のほとんどの部屋はこの資料で埋め尽くされている。


「これらは私が西方大陸クラッシャーホワイトで集めたもののほんの一部だ。なにせ魔導狩機構アカデミーの仕事には膨大な文献の調査が必要でな」


「アカデミー? なんだよそれ」


「やはり知らんか。西方大陸での危険な魔導体オーバードを捕獲、管理する組織だ。私はその組織の調査員キュレーターでもある。この大陸に来た理由の一つだ。

ヒート、お前が知りたいのはこれだろう?」


 ダークの手が箱へ伸びる。


「!!」


 箱から取り出されるは、あの石細工モザイクの仮面。


「これは魔導体の一つ、『狂戦士の仮面ウルブヘジン』。装着した者の肉体を急速に改造、さらに使用する武器まで強化させ、恐れを知らぬ狂戦士へと変える道具だ。

『我は動くことを禁ず』」


「な!」


 ダークの命令に、奴隷の首輪が反応。禁止機構が動きを止めて直立のまま固定。


「て、てめぇ! やっぱり敵か! 死ねこのクモヒゲ!」


魔導狩機構アカデミーでの犯罪者を使用した人体実験での観察では、

着用すると、仮面内部にある緑のクリスタル、増殖機能を持つ結晶構造体が眼下や耳などを伝い脳や脊椎に侵入する。そして筋肉に到達し、神経伝達速度の上昇。筋肉繊維の膨張による超強化。そして皮膚に金属のような光沢を持つ複合繊維による外表を形成する。攻撃力、速度、防御力。あらゆる能力を大きく増幅できる。

ただし、着用者には常に耐え難い苦痛が襲う。それこそ、自我を保てる限界までのな。お前は耐えられるかな?」


 裏返す仮面。ゆっくりとヒートの顔へ迫る。


「う、おおおおおお!」


 必死に動いて仮面を避けようとするが、無駄な抵抗。仮面はヒートの顔面を覆う。とうとう、仮面は装着された。


「ぐ、う、おお! ――あれ? ……痛く、ない?」


「なにも起こるはずはなかろう。これはその『狂戦士の仮面』の資料用に作った模型イミテーションだ。さて、『我は禁を解く』」


 禁止を解除され、後ろへ倒れ込むヒート。


「な、なにすんだよこのボケナス! 人をバカにすんのも大概にしやがれ!」


「それは驚いた。お前の言動を見てとても人類とは思えんのでな――この仮面は重要度がそれほど高くないために、とあるグレードの低い施設で保管されていたが、管理者が横流しで売り飛ばしてな。それが発覚して流通ルートをたどるとこの境界大陸に行ったということが発覚したわけだ。その確保がここに来た理由の一つ。そして最大の理由が一つ」


「……まだ、理由があんのかよ」


「十日前、私の元に手紙が届いた。旧い友人からの手紙だ。内容は、『この手紙は自分の死後に自動的に届くものである』ということ、『その後の後始末を頼みたい』というもの」


 死後届く手紙、旧い友人。ダークの言葉に、ヒートも気づく。


「おい、それは……」


「これがその手紙だ」


 懐から出された便箋の端には、ヒートに見覚えのある形のサイン。


「お前の元の飼い主、リブラ・イリニッヒだ」


「お前が、リブラの!?」


 驚愕するヒートを無視し、ダークの説明は続く。


「リブラの手紙には、自分の死後に戦闘奴隷ブレイド、つまりお前を前日に売却したことになる手続きをラズロと交わしているということ。私には無関係な人間を装いお前を買って貰いたいという内容だった。私の口座にはすでにお前を買うための金が振り込まれていたよ。私は慌てて荷造りを急がせて境界大陸にきたというわけだ」


 なぜヒートがすでに売却されていたのか、なぜダークがそれをすぐに買ったのか。すべてはリブラが生前にそう仕組んでいたから。


「な、ぜ、なぜそんなことを!」


「彼女は自らが殺されるかもしれない可能性を考えていたということだ。彼女は西方大陸を拠点とするコリンズギルド本部より支部の内部調査を秘密裏に請け負っていたのさ」


 バドワイズの街での最大ギルド、コリンズギルドバドワイズ支部はあのウォーベックがギルドマスターを勤める所だ。


「な、なんで調査する必要があるんだよ。あのウォーベックさんが何か」


「律儀にまだ『さん』をつけるなど、つくづくアホだなお前は……本部の目の届かないことをいいことに色々悪さをする支部の話は珍しいものではない。リブラはそこでウォーベックが非合法の奴隷マーケットに参加していることを調べていた。開拓村や辺境の村から人を無理やりさらって、喉を潰して奴隷として売り払っていたんだよ、やつは」


「え、う、ウソだろあのウォーベックさんが!」


 またも驚くヒートに、どうにも飽きてきたのかうんざりとしたように首を振る紳士。


「リブラはそれを調べていて、自分が消される可能性を考えて私に後を任せる手続きをやっていたのさ。ただ、これはあくまでも保険のつもりだっただろうな……彼女ほどの後衛魔術師の腕ならば、多少の荒事では死なん。それこそ自分が調べている相手の手の者なぞ全て事前に頭に入れるくらいはする。そして勝てないか、苦戦する相手なら事前に逃げを打つ判断はできる」


 ダークの冷静な分析。リブラには冒険者としての必要な勘の良さと経験を生かす思考があった。単純な戦闘で簡単に死ぬような冒険者ではない。


「じゃ、じゃあなんでリブラは殺されて……」


「彼女の想定を外れることが起こったからだ。例えば、よく知る人間に寝首をかかれる、とかな」


「オ、オレは……!」


「お前じゃない。リブラの手紙ではお前の保護を頼む、とは言われていたが、お前が犯人であるという可能性は最初の頃は私も考えていた。しかし、お前を見ていればそんなことはすぐに間違いだと理解した」


 ダークの視線は、ヒートを見ていた。その感情を、その心を、その魂を隈無く観察していた。


「オレのこと、信じてたのかよ……」


「お前はバカだからな。バカでは彼女の寝首はかけん」


「あーそういうと思ってたよチクショウ!! つぅか、違うってわかってたなら思った時点で言えよクモヒゲ!」


「リブラには義理があるが、別にお前自身に義理はない。それに下手にお前を安心させるよりは、泳がせておびき寄せるのに使ったほうがいいからだ」


 ヒートは餌だ。ダークの狙う目標を誘う囮。


「おびき寄せるって、ウォーベックを、か?」


「それもある。ああやって理不尽に扱えば、慈善家の面をして引き取りたいなどと抜かすのが釣れるだろう? なにより、リブラを直接殺した存在を誘う目的もあった。お前ももうさすがに気づくんじゃないか? ヒート」


「そ、それは」


 リブラを殺した人間。恐らくは狂戦士の仮面ウルブヘジンの装着者。用心深いリブラを殺せた人間。

 ヒートの脳裏に、今まで出会った人々の言葉が響く。自分を信じなかった人間。自分を信じた人間。そして、そのどちらでもない人間。


『この主人殺しが!』


『信じているから』


『ああ、わかっている。お前がリブラを殺してないことくらい、わかっている』


 『わかっている』と言った。信じている、でもない。信じられない、でもない。目の前で見たことでもあるように、わかっていると、言った。


「アルバートの、おっちゃん……」



 △ △ △


「不条理とは人生に付き物だ。だがそれに首を垂れることは、誇りある紳士の生き方ではない。例え、それがどれほどに空しく、もう元には戻らないものであろうとも。私は、私の誇りのために復讐を果たす」


 運命へ挑むように、ダークは言葉を続けた。


「ここに来た私の最大の目的は、死した友の願いを叶えるため、そして友の無念を晴らすため」


 静かな、ダークの言葉。握りしめるワシ爪のステッキは、軋んだ音を立てる。

 空間を、冷たく、荒々しく、そして静止した嵐が吹き荒れる。


「私は、我が友の名誉と、無念、そして己の自身の消えぬ怒りのために。

ウォーベック・ベッコォー。お前に決闘を申し込む」


 殺意という、荒れ狂う嵐が。

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