第16話 ダンシングブレイド16


 雨が、降ってきた。

 夜の雨粒が、ヒートの黒髪を伝う。濡れゆく黒は、艶やかさを増していく。薄いシャツとズボン程度しか纏っていない体を濡らす。

 鉄格子の向こう、薄い暗闇に小さな家が見える。やや古びた造りの、二階建ての家だ。

 かつて、ヒートが暮らした家。

 リブラとヒートが、暮らしていた家。


「はは、入れ、ねぇや……」


 鉄格子には一枚の板が張られていた。ヒートは文字が読めない。だがこの板に書かれた赤文字の意味はなんとなく理解はしている。

 「売却済み」という意味だ。


 雨粒は増えていく。ヒートの乾いた笑いは止まらない。


 モザイクの仮面を見つけた後、ヒートは不定なる刃ヴァルト・アンデルスを持ち出してダークの家を逃げ出した。

 本当は、ダークに問いただし、命をかけてでも倒されねばならないのだと思う。例え、勝てぬとしても。

 しかし、ダークを倒すという選択肢が浮かび上がってくると、ヒートの中で現実を見据えた思考も湧き上がってくる。

 今の自分では、ダークには勝てない。それも無視できない現実だ。あの地下室での戦い、血が銀の流体へ変わる現象はなんだったのか、いまだにわからない。あの現象を使いこなせるようになれば、ダークに勝てるのか。しかし、再びあの流体を出そうとしても今のヒートにはそれができないのだ。

 自由を得るために戦うのではない。リブラの仇を取るための戦い。命と引き換えでも、勝てる方法を探さねばならない。それでも、恐怖があったことも、紛れもない事実だ。そして、逃げ出した所で、初めから行くあても無い。


 気がつけば、リブラとかつて暮らしていた場所へ来てしまった。


――どうすりゃ、いいんだよ……


 治安局へ知らせるか。主人殺しの汚名がある自分のいうことなど誰がマトモに聞いて動くというのか。

 誰も、助けてはくれない。それ最初からわかっていたことだ。


「おい、ヒートじゃないか。こんな雨の中でなにをやっているんだ?」


 後ろへ振り向くと、大柄な影があった。

 ヒートのよく知った声。戦闘奴隷ブレイドのアルバート。



 △ △ △


「さあ、お上がりなさいな。こんな雨の中じゃあさぞ冷えたろうに」


 好好爺とした印象の白髪の男が、にこやかにヒートへ語りかける。

 テーブルには湯気を立てる紅茶と茶菓子傍らにはメイド服の女がいた。

 そして、ヒートの隣にはアルバートがいる。

 室内の調度品は、落ち着いた印象だが細工は細かく、皆高級品なのだろう。窓から見える中庭には、丁寧に管理された生け垣や無数の庭石があった。夜の暗さでもわかる、かなり作り込まれた庭園。相当な資産があると思える。


「君のことはアルバートから聞いているよ。とても酷い目にあったんだねぇ。ここにいれば安全だから、安心しなさい」


 両手に指輪をはめた、身なりの良い白髪の男=ギルドマスターのウォーベック・ベッコォーは、慈悲の浮かぶ眼で押し黙るヒートを見つめていた。




 アルバートに連れてこられたウォーベックの屋敷で、ヒートは洗いざらいを訴えた。

 リブラの死の真相。ダークという男の不審さ。そしてダークの部屋で見つけた仮面。

 ヒートはあまり弁が立たない。その拙い言葉を、ウォーベックはじっと目を閉じて聞いていた。


「リブラさんとは私も知り合いでねぇ。ダンジョンで奴隷に裏切られて死んだとしか治安局に知らされてなかったんだよ……まさかリブラさんが可愛がっていた奴隷に殺されるなんてとは思っていたが、こんなことになっていたなんて」


 ウォーベックの顔に悲しみが浮かぶ。


「ヒートさん、だったね? 正直、今のヒートさんのいうことを治安局がまともに聞いてくれるとは思えない。もちろん疑っているわけじゃないが、あのダークという男が、仮面を発見されたと勘づかれれば君に何をするかわからないだろう。

そこでだ、ヒートさん。君さえよければ、このまま家の戦闘奴隷ブレイドとして来ないかね? あのダークにはなんとかこちらで交渉しよう」


「え、そんなの、できるの、……いや、でき、るんですか?」


「アルバートは家では主力なんだ。そのアルバートが君を助けてくれと言っている以上、見捨てることはできないよ。それにね、君が能力のある人間だとも聞いている。多少の金を積んでも、有能な人間は集めるべきだよ」


――あのクモヒゲとこの人、全然違う……!


 愕然として言葉も出ない。ここまで対応が違うとは。さすがあのアルバートが頼りにする主人だ。ギルドマスターにまでなる人間はやはり違う。クモヒゲとは人種からして別の存在だ。


「え、と、あの、オレは……リブラの仇さえ取れれば」


「君は本当にリブラさんのことが好きだったんだねぇ。でも、今はリブラさんのことではなく、まず自分が生き延びることを考えたほうがいい。リブラさんもきっとそれを望んでいたはずだ」


「え、あ、はい……」


 脳裏にリャーベイの言葉が響く。「まずは自分が生き延びることを考えて」そう言っていた。


「生きていれば、チャンスは必ず巡ってくるよ。……それとも、もう戦闘奴隷として戦うこと自体がイヤになってしまったかな?

なら、そこのユーチィは家具奴隷インテリアなんだが、彼女から仕事を教えてもらって家事のほうをやってみるかい? そっちも人手は不足していてね。君なら年も近いし娘とも良い話相手になってくれそうだ。ユーチィ、君も後輩が欲しかっただろう?」


 ウォーベックが示す先に、地味な印象の赤毛の奴隷のメイドがいる。ユーチィという名前らしい。


「そうですねご主人様。丁度、力仕事をやってくれる人が欲しかったところですよ」


 笑顔でメイドが答える。上手く答えられないヒートに、満足そうにウォーベックは頷いた。


「まあ、まずはこちらに来てからどちらにするか決めよう。ヒートさん、今日はここに泊まって」


「いや、その駄犬は今すぐ私が引き取っていくよ」


 朗々と響く、不機嫌さが滲む声り勢いよく応接間の扉が開く。


「いつかチャンスが、か。そんなことをほざいているやつに都合の良いチャンスは千年待ってもこないだろうな。今挑まぬ者に明日など来ない」


 叩きつけるようなプレッシャーが部屋に満ちる。ゆっくりとした一歩。黒が空間を切り裂く。

 ダーク・アローンがそこにいた。


「やあこれはこれは。お初にお目にかかるギルドマスター、ウォーベック・ベッコォー殿。私の名前は知っているようなので名乗りは省かせていただく。

で、うちのマヌケがこの家にいると知ってね。なにか不作法を起こす前に引き取りにきたよ」


 帽子を僅かに上げて礼をする紳士。


「……家の前には護衛がいたはずだが?」


「私の所有物がこの家にあるといっても話を聞かぬので、少し眠ってもらっただけだ。もう少しマシなものをつけたほうが身の安全のためだと思うがね」


 さらりとこともなげに告げる。


「さて、ヒート。帰るぞ。わざわざお前を引き取るために馬車まで借りてきたんだ。手間を取らせるな」


 一瞥もせず、ヒートの首を掴み無理やり立たせる。引きずってでも持って帰るようだ。


「やめろ! 離せよクモヒゲ!」


 もがいて拒否するヒート。紳士は威にも介さない。


「待って下さい、ダークさん。あなたとは商談がしたい。どうかお座り下さい」


「ふむ、私と何を売買したいと?」


「ヒートさんをこちらで買い上げたい」


「なるほど、これは物好きな方だな。……しかしその前に、失礼だがこの椅子は座り心地が悪そうだ。自前のものを使わせて貰おう、おいヒート。『我は立つことを禁ず』」


「は、え?」


 首輪の禁止機能が発動。脚の力が抜ける。膝から崩れ落ちるヒート。


「『我は肘を地面より上に上げることを禁ず』」


 ヒートの両肘が、地面にくっつく。両手両足を地面につけた四つん這いの体勢。


「よし、いいぞ」


 どっかりと、ヒートの背中に腰を下ろす紳士。脚を組み、優雅に寛ぐ。


「ダァァク!! 今すぐどけこのクソ野郎!」


 動けないまま怒鳴り続けるヒートを無視して、悠々とダークは葉巻に火をつけた。


「この奴隷は戦闘奴隷としては使えたものではないが、こうして椅子にするならなかなか悪くはない代物でね。それで、この奴隷を買い取りたいと?」


「やめろアンタ、その娘はまだ十五だぞ。いくら奴隷でもやっていいことと悪いことが」


 たまりかねてついに口を開くアルバートへ、煙を吐きながらダークは笑う。


「臭いな。近寄るなよ」


「……話を聞いているのかお前は」


「臭いから寄るなと言ったんだ。奴隷の耐え難い悪臭に辟易しているんだよ。自分の意志で自分の自由を売り渡す、そんな恥知らずの魂が腐った臭いなど、私には生ゴミをかがされているようなものだ。これだから奴隷は嫌いなんだよ」


 絶句するアルバート。傍若無人を絵に描いたが如きダークの言動。メイドのユーチィさえも表情が強張っている。


「ならばなぜ、あなたはヒートを買ったのかね?」


 もはや好好爺とした微笑はない。この紳士の全方位へ振りまく悪行に曇った表情のウォーベックが、ダークへ問いかける。


「そうだな、一言で言えば『人生のままならなさ』のせい、というところだな」


 ヒートに入れられた紅茶をダークは一口すすり、より滑らかになった弁舌。


「ふむ、良い茶葉をつかっている。で、あなたはそんな役立たずの奴隷を買いたいと奇特なことをおっしゃる。なにか慈善事業でもやりたいのかね? ならばこんなマヌケに金を出すよりも、慈善団体に寄附したほうがいくぶんかマシな使い方になると思うがね?」


「あなたは彼女を虐待している。過剰な虐待を禁ずる奴隷法はたしかに現実的にあまり守られている法律ではないが、法は法だ。ただ苛烈に責め立てるためだけに買ったのならば、それは止めてもらいたい。

もし、できることならば、彼女をこちらに買い取らせてもらいたい。彼女はうちのアルバートととも馴染みだ。見捨てたくはない」


「ほう、これは涙が出るほど優しいな。問題はこのバカにそんな値打ちがあるとは思えないことだが。で、そちらは幾らを提示してもらえると?」


 ステッキでヒートの頭を小突く。


「買った金額に、三割を上乗せしようそれで」


「足りんな」


 ウォーベックの言葉を一蹴する。薄ら笑いを見せる紳士。ウォーベックの顔がさらに強張る


「……ではいくらをお望みで」


「商談には簡単に心理を表情に出すことはオススメせんよウォーベック殿?

そうですな。買った金額の三倍……ざっとこれぐらいは欲しいですな」


 メモにペンを走らせる。それを見たウォーベックの表情に、苦痛。


「……わかりました。ではこの金額ならばヒートさんを売っていただけるわけですね」


「ほう、これはこれは。さすがギルドマスターは太っ腹だ」


 小切手にペンを走らせる。切ってダークに渡そうとした刹那。


「ああ、気が変わった。やはり三倍ではない、十倍にしてくれ」


「アンタ、いい加減にしとけよ、マトモに商談もする気がないのか!」


 とうとう怒鳴るアルバートに、ウォーベックは無言で手で制する。


「する気はあるとも。しかし気が変わるものは仕方あるまい。それで、十倍出すのかね」


「……では私が十倍の値で小切手を切れば、あなたの気はどう変わるのでしょうか?」


「そうだな、次はゼロを最後にもう二つほどつけてくれとでもいうかもな」


「どうやら、あなたとは商談ができないようだ。値が決まらないものを買うことはできない」


「実に賢い判断だ。この無能を高値で買って損をする被害者を出さずにすんでこちらも安心したよ。いやぁ良かった良かった」


 滑らかなヒートの黒髪を指で弄びながら、ダークの薄ら笑いは続く。


「さて、商談も無事円満に決裂だ。さっさと帰るぞ、駄犬ヒートよ。

ウォーベック殿。家の奴隷を保護して頂いた礼はまたの機会に来訪して必ずさせてもらう。必ずな・・・。私はこう見えて、義理堅くを信条にしているものでね」



 △ △ △



 夜もふけていた。薄い魔術照明が一つだけ灯る馬車の暗い室内で、ヒートは無言を通している。

 対するダークはもまた、無言のままにステッキを握り締める。

 流れる景色を見ながら、ヒートの目は虚ろだった。闇の色をただじっと見つめている。

 ように、演技をする。


――武器は、ある。今は狭い室内、やろうと思えば、刺し違えても、ここで……!


 両手には鎖。腰には蛮刀。ガラスに映る反対側のダークの体勢を確認。

 勝負は一発しかない。ミスをすれば首輪が締まる。成功しても首輪はしまる。どちらにせよヒートは死ぬ。

 だが、今しかない。理由はわからないが、ダークはヒートに執着がある。なんの理由かはわからないが、この先がどうなるかはわからない。

 ウォーベックの一件でよく理解できた。自分には、逃げ場所など最初から無いのだ。今を戦うしか、道は無い。


 もう言葉を交わす余裕もない。家に着くまでの、この馬車の室内で終わりにする。全てを。


「おい、ヒート。お前が荒らした荷物は私の研究資料だ。今回は資料を取り出しただけで損傷は無いようだから不問にしてやるが、次はない。もし毛ほどの傷でもつけたなら、逆さ吊りにして火炙りにしてやる」


 ヒートは答えない。後ろ向きのまま、見えないように蛮刀の柄に手を当てる。一瞬だ。隙を見て一瞬でけりをつける。


「おい、ヒート。こっちにこい」


――まだだ。まだ待て。


「おい」


 伸びた腕が、ヒートの後ろ首を掴む。


「ぐっ!」


「こっちにこいと言っているだろうマヌケが」


「や、めろお!」


 反射的にもがく。が、問答無用で無理やり引き寄せられる。


「こ、の!」


 今しかない、この瞬間で終わらせる。

 ヒートが、己の全てを込めて蛮刀を抜こうとした次の瞬間、頭のすぐ上を、緑に輝く影が通り過ぎた。


「なっ!」


 浅い斜めの軌道で通り過ぎた巨大な何か。馬車の天井が壁ごと斜めに斬り落とされ、道に落下。星空が覗く。


「な、ななあッッ!?」


「だからこちらにこいと言ったんだこのバカ者が」


 ダークの忌々しい苛立ちをこめたつぶやきが、横転する馬車の轟音にかき消される。



 △ △ △

 


「ゲホ、ゲホ! なんだよ、これ……!?」


 砂煙と、馬の悲鳴。道に転がる首無しの死体=先ほどの襲撃で死んだ馬車の御者。


「やれやれ、御者には悪いことをしたな。まさかここまで思い切ってくるとは……実に」


 横転する馬車から飛び出たダークとヒート。これぐらいならば彼らの身体能力をもってすればたやすい。

 問題は飛び出た先にあった。人気のない夜の馬車道に、異形の人型がいる。緑青色の金属の肌をまとう、膨れ上がった筋肉の異貌。


「あ、れは……!!」


「実に、話が早い」


 驚愕するヒート。依然表情の変わらぬダーク。

 それは、ヒートが予想していなかった相手。予測出来なかった相手。


「な、ぜ」


 緑青色の、モザイクの石仮面。


「――ぎぃいいおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」


 激痛から逃れるように、叫ぶ。追い求めた宿敵が、静寂の夜を引き裂いていく。

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