第15話 ダンシングブレイド15
「全くもって、期待外れもいいところだ」
簡素な椅子に腰掛けながら、紳士は優雅に失望を語る。
「あの
嘆息するダークの前には、息も絶え絶えに倒れるヒートがいる。武器は持たず、素手のままだ。
ヒートの格好は簡素なシャツとズボン。髪の毛もひとつまみにまとめている。
夕食を済ませたヒートを地下室に呼び出してみたのだが、あまり期待したほどではなかった。
「どこまで強くなったか、それを見てやろうと私は十分の時間をやった。『十分以内に私を殺してみろ』と言い、奴隷の首輪の機能を限定的に停止してやったんだぞ? その慈悲をお前はもう四十二秒も地べたにはいつくばることに費やしている」
懐から取り出すは銀の懐中時計。くすむ色合いから使い慣れたものだとわかる。ダークが宣言した次の瞬間、躊躇無く全力で襲いかかるヒートをいなしてみたものの、六分持たず体力が切れたようだ。
「ふむ、残り時間は三分十三秒。思ったよりは経ってないな。退屈は時間を引き伸ばすものだ。さて、余裕か? お前なりの余裕のアピールか? それとも時間という概念がないのか? 私は『私を殺せ』と言ったのだ。誰がお前の発想の自由度を見せろと言った?
さあ、立て。立って私を殺してみせろ。私を殺せば首輪は停止したままになるぞ。望んだ自由は目の前だ、ほらやってみろ」
紳士の熱のこもらない訴えに、ヒートは荒い呼吸を返すのみだった。
「はっ、はっ、あ、がああああ!」
やがて、気合いの叫びを発しながら立ち上がる。消耗と疲労。しかし目には殺意が燃える。
「そうだ、それでいい。やればできるじゃないか」
冷笑を浮かべ、紳士はゆっくりと立ち上がる。
「では褒美だ。追加であと十秒待ってやろう。その間に呼吸を整えろ」
「はっ、は、ひゅううううう!」
肺一杯に空気を吸い込む。限界まで吸い、今度は限界まで息を吐く。肺の底の底まで空気を押し出すイメージ。息吹と呼ばれる呼吸コントロール方。これにより乱れた呼吸を無理やり元に戻す。
「ぐっ!!」
息を限界まで吐ききった瞬間、ヒートの鳩尾に革靴のつま先がめり込んでいた。胃が裏返るような感覚。一瞬で飛び込んだダークの蹴りがヒートの胴体を捉えていた。
「がはっ、ごは、げほっ!」
咳き込みながら倒れる。空っぽの肺。息を吸い込めない。地獄のような苦しさにもがく。
「つくづく単純な頭の造りをしているな。脳の代わりにアメーバでも詰まっているようだな。お前はダンジョンでも敵が礼儀正しく準備を整えるまで待ってくれるとでも考えているのか? 奴隷の分際でどこぞの貴族令嬢より考えが甘すぎる」
「でめ゛ぇぇ、だぁぁくっ!」
「名前を覚えたのはいい。しかし、生憎だが二足歩行もできない下等生物に知り合いはおらん」
つま先が倒れるヒートのわき腹を突く。かすれた悲鳴が上がった。
「立て。猿でさえ二本脚で立つ。犬も芸を仕込めば二本脚で歩く。さっさとそのウジ虫の有り様から哺乳類程度に進化しろ。出来なければ絶滅だ」
三度目の蹴り。を無様に転がりながらヒートは避ける。距離を取り、必死に立ち上がる。
「――ぶっ殺してやるっ!」
圧倒的な差であろうと、ヒートに絶望はない。怒りと殺意が、彼女の内で輝く。
「だから、早くそうしろといってるだろう?」
笑う紳士に、弾丸の速度でヒートが突っ込む。即座に放たれる迎撃の蹴り。彼女は首をひねり避ける。頬にかすり、傷が走った。
「おおおおおお!」
宙を舞う一筋の血。前進は止まらない。踏み込みからの右拳を打ち込む。が、空振り。最小限の動きでかわされた。
しかしそれも予想している。即座に左拳の二撃目。ダークの右拳がカウンター気味にヒートの顔面を貫いた。乾いた打撃音、骨がきしむ。衝撃に空気が震える。またも空ぶるヒートの拳。
「いい加減、学べ」
「知、るか、よおおおおお!」
ダメージも意に介さず、反撃のローキック。軽々と紳士に膝でカットされる。通常ならば、安物の剣程度はへし折れる威力だというのに。
「まだだ!」
そのまま更にもう片方にロー、を打つとみせかけて、ダークの膝を上げる動きに合わせ脚を上げて可変式のハイキック。
「ふむ」
だがこれもあっさりと肘で防がれる。反撃にダークの左拳が伸びる。
「ここっ!」
拳にまたも顔面を貫かれながら、ヒートはダークの腕をつかむことに成功。反対側の腕をダークの脇下に回し、後ろから奥襟を掴む。
「ぬ」
「殺してやりてぇけどなあ!」
跳ぶ、というよりは自分の背中を足元に置いていく感覚。両脚でダークを挟む。
急激な体重移動。下側にヒートの体重に引っ張られ、ダークの細い体が回る。地面へ転がり、両脚で紳士の上半身を固定。左腕を掴んだまま体重を全力で後ろ側へ。
「ますは腕の一本だけでもおおおお!」
跳び間接からの流れるような腕ひしぎ逆十字の完成。
「ほう、やっといくらかやるようになったじゃないか」
地に倒れる紳士に依然焦りはない。ヒートが後数センチ後ろへ体重をかければ肘を破壊されるというのに、汗ひとつかくこともない。
――動、かねぇっ!
ヒートの全力が、紳士の左腕一本と拮抗している。
「まずは四肢の一つからでも狙おうと考えるのは正解だ。まあそれだけだな」
「!?」
掴んだ左手首がぐるりと回る。蠢く手が、一瞬でヒートの胸元へ潜り込んだ。驚くべき柔軟性。
「う、わ!」
激痛。たまらず技を解除。痛みと
「――テメエ、なにすんだよ!」
「なに、ではない」
背広から埃を払いながら、紳士はゆっくりと立つ。
「シャツに手を入れて乳首を捻り上げただけだ。あまり知られていないが、立派な人体急所の一つだぞ?」
「そういう話じゃねぇよ! やるなそんなこと!」
「というか下着はどうした。ミズベネディクトが買ってきてるはずだろう」
「上のやつは小さくてサイズが合わなかったんだよ!」
「……知能も無ければ恥じらいもない。人類と会話をしている気さえしないな。無駄な筋力と脂肪以外にお前はなにも無いのか」
「うるっせぇな真面目にやれよこの野郎!」
「ほう、真面目に、か」
ダークの姿が、視界から消える。
「な、!」
「ではそうしよう」
ヒートの
――見え、ねぇっ!
ダークの動きを目で追えない。残影を残し、黒が視界の端をよぎる。速すぎる。
「がっ!」
腹を突き上げる一撃。体が持ち上がる。宙に浮くヒート。無防備な彼女へ、更にダークの回し蹴りが迫る。
「ごっ!」
「さて、真面目にやればこの有り様だ。とかくこの世は私を失望させることばかりで気が滅入る」
倒れるヒートの頭を、ダークの革靴が踏みしめた。
「無駄な買い物で散財し、買ったものはこの通りの駄犬。頑丈なのは結構だが、少しばかり本気で叩けばすぐにこれだ」
ギリギリと、力が加わる。
「いい加減、処分しておくか。やはり奴隷なぞ買うものではなかった」
頭蓋を圧迫していく感覚。このままでは頭を踏み割られる。必死に頭を動かして逃れようとするが、ぴくりとも動けない。
今日何度目かの、死ぬという予感。凶牛鬼との死闘をくぐり抜けても、結局はこの男が壁となる。
わかっている、奴隷とはこういうものだ。主人の気まぐれで殺されても文句は言えない。物として所有される存在なのだから。
それでも、諦める気にはなれない。まだ自分は、何も成してはいない。リブラの仇も、死の理由も解き明かしてはいない。
ヒートには、死ねる理由さえない。何かを掴むために、生きたいと思う。それができなければ、死んでいることと代わりはない。
「――あ、あ゛あ゛ああああああッッ!!」
咆哮と共に、ダークの足首を掴む。握りしめながら、渾身の力をこめて立ち上がろうとする。傷の痛みも、疲労も感じない。自分の中で何かを振り切っていく、何かを壊していく感覚がある。
ぼこり
頬に熱が走る。血が泡立っている。突如として始まった沸騰。泡立つ血に
ぼこり ぼこり ぼこり
頬だけではない、全身の傷口から零れる血が、全て泡立ち、銀色を帯びていく。沸騰し膨れ上がる体積。ヒートの体を徐々に覆う。
「じゃ、ま、だああああ!!」
咆哮と共に、ダークの脚を押しのける。飛び退く紳士。音も無く着地。
「そうだ、それでいい。ヒート、もっとだ。もっと見せろ! お前を私に見せてみろ!」
今日初めて紳士の言葉に熱がこもる。
ヒートは立ち上がらない。四つ足のまま犬歯をむき出しに、ダークを睨む。全身へまとまりつく銀色の流体。蠢くながら四肢を伝う。
膨れ上がる力、熱量に侵入される脳髄。ヒートの自我が尖り、うねる。
「る、おおおおおお!」
叫び、飛び出す。今までとは比べものにならないスピード。衝撃に石畳が派手に割れる。
銀の光が走る。次の瞬間、なびく黒髪がダークの眼前へ。
「ほう!」
流体がまとわりつく左腕のなぎ払い。豪風一閃の一撃。寸前でかわしながら、紳士の顔に浮かぶ狂気の微笑み。宙を舞う紳士帽。
「やっとか、やっと望むものを見せてくれたな、ヒート! さあ、もっとだ!」
通り過ぎた
「私に全てを見せろ!」
「――おおおおおお!」
紳士の渇望と、少女の獣性が交錯する――と思えた瞬間、ヒートの体が落ちる。そのまま床へ転がった。
「……?」
勢いのまま、派手に転がり続け壁にぶつかってようやく停止する。
「ぜ、がは、が! ぐぅ、が!」
銀の流体は消えて、元の血液に戻っていた。少女は首を抑えてもがく。
「あぁ、そうか」
おもちゃを取り上げられた子供のように、紳士の顔に失望が浮かぶ。いつもの不機嫌さが戻る。
「――そうだったな、もう十分経っていたか。やはり退屈は長く喜びは短い。とかく時間の感覚とはやっかいだ」
すでに宣言した十分が経過していた。ダークを攻撃したヒートは、奴隷の首輪の主従維持機能により窒息させられているのだ。
「興醒めだな。やはり首輪など余計か。――『我は殺意を許す』」
首輪の拘束が、緩む。
△ △ △
「なるほど、おおよその話はわかった」
客室で、黒の紳士は無感情に頷く。座るは古い革の椅子。テーブルを挟み向こう側に座るは小柄な老人。表情には媚びた笑み。
ヒートを地下室に残し退出したダークへ、ベネディクトが来客を告げた。その老人との会話は、ダークの求める内容だった。
「良い参考になったよ。それで、これ以外に情報はあるのか?」
「へ、へぇ……今はこれが全部ですねぇ。この後もなにかありましたら逐一旦那に知らせますんで」
「そうか。ではこれは礼だ。また次も頼む」
老人=奴隷商人のラズロは渡されそうになった紙幣を受け取らず、笑顔のままで後ずさる。
「いえいえ、これからは旦那とも末永くお付き合いしたいと思っておりますので、今回はサービスということで……」
「ダンジョンで明日死ぬとも知れぬ冒険者相手にずいぶんと気の長いことをいうな」
「旦那のような方が普通の冒険者とは思えませんがねぇ。元いた西方大陸では旦那は一体なにを……?」
笑顔を崩さず、ラズロはダークの正体を計る。この明らかにただ者ではない男が、一体何者なのか。それを少しでも知っておきたい。
「私はただの冒険者さ。一介の剣士にすぎん。向こうでも今と大して変わらぬことをやっていただけだ」
「へ、へぇ、さいですか……で、ではあっしはこれで」
部屋を出て行く老人。ダークは葉巻を取り出し、火を付ける。
「さて、ピースは揃った。あとはこれをどう調理……ぬ」
視線が、天井を向く。不機嫌さが強まる。
「あのバカめ、私の部屋に入ったな」
△ △ △
――なんだ、こりゃ!!
なんとか立ち上がり地下室から這い出たヒートは、少しでもダークの正体を知るためにその自室――正確には複数ある部屋の一つへ侵入した。
本人から正体を計れぬなら、持ち物で推測するしかない。
「木箱だらけじゃねぇか……いくつあんだこれ?」
見渡す部屋には乱雑につまれた木箱の群。おそらくは船による渡航で運ばれてきたもの。木箱にはなにか読めないが外国語らしき焼き印があった。
「……本ばっかだな。これ」
蓋をあけるとギッシリと本が詰まっていた。なにやら古びた革の本や、真新しい表紙の本など様々だ。内容はヒートにはよくわからない。
「これは……瓶詰めか? うわ!」
別の箱には衝撃吸収用のおがくずに包まれて、ガラス瓶が入っていた、透明なケースには黄ばんだ紙のラベル。なにやら長い文章で書かれているが、なにかの名前らしい。
中身は、薬品につけられたらしい一つ眼で角の生えた赤ん坊。思わず落としそうになる。
「あいつ、剣士とか言ってたけど、なんかヤバい魔術師かなんかじゃねーか……?」
法に触れる実験をして、他大陸から
「これは……また箱か」
もう一つの木箱を開けると、またも箱。蓋をあけると、布にくるまれた
取り出して、布を解く。
「こ、れ……!!」
現れたものは、仮面。
モザイクにより形づくられた、空洞を表情にしたような異貌。
リブラを殺したものがつけていた、あの仮面。
「こ、れは」
なぜあの
なぜ、自分を大金を積んで買ったのか。
そして今なお、自分を飼い続けているのか。
今までの疑問が、ヒートの中で一つに繋がる。一つの答えへ導く。
「ダークは……オレを手に入れるために、リブラを殺した……」
モザイクの男は、ダークなのだと。
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