第14話 ダンシングブレイド14
きしむ音を立てるドアをくぐると、ギルドの中は煙草の煙でいっぱいだった。ヒートは顔をしかめながら歩く。安い煙草の匂いが、昔から嫌いだった。
荒んだ空気と、鋭利に尖った雰囲気。受付前の広間には、今日も仕事を求める冒険者達がたむろしてした。
傷だらけのテーブルでカードゲームに興じる革鎧の男。どこから持ち込んだか、酒を持ち込んで呷る白髭の古株。剣を下げた女。見知った顔もいれば、知らないものもいる。冒険者が流れてくることも、死んでいなくなることも、よくある日常。入れ替わりが激しいのは当たり前だ。
そんなものは、よく慣れている。このギルドルーム――冒険者斡旋ギルド事務所『コリンズ・ギルド』バドワイズ支部――付近住民からの通称名、
見慣れたものに注意を払うわけもなく、ヒートは受付へ真っ直ぐに歩く。流麗な黒髪と、整った顔立ち。高い身長と引き締まったプロポーションは、とても彼女が十代半ばとは思えない雰囲気を纏う。無法の地を進む、落ち着いた美女、に一応は見える。腰に蛮刀と両腕に鎖を巻きつけていなければ。
今はこの魔石を金に代える。魔石の買い取りはギルドしか出来ない専売買行為だ。
「よぉ、お前が主人殺しか?」
横から軽薄な声。見慣れぬ顔の新入りらしき赤毛の男。こちらに近づきながら、下衆な笑顔を浮かべている。一切無視して前へ。
男の手が、ヒートの胸元に触れる。
「待てよ、もう新しい
即座にヒートの拳が男の顔面にめり込んだ。超筋力、巻きつく鎖の重さが乗った一撃は、鍛え込まれた冒険者とてそう耐えられるものではない。
頭の片隅でアルバートの言葉、「今は無視しろ」がよぎる。が、よぎるだけだった。
男の体が派手に吹き飛び、背後のテーブルを壊しながら止まる。床に転がる歯。ポーカーをしていた者達は即座に後ろに引いていた。
「こいつ、新入りか」「この街であの『狂犬』のことを知らんとはな」「リブラの飼い犬といえばまず喧嘩を売るやつなんぞおらんぞ」
口々に呟くヒートを知る冒険者達。しかしヒートを見る目に親しみはない。関わってはいけない狂犬としか見ていない。ましてや、主人殺しの疑いがかかった狂犬だ。
冒険者とはこういうものだ。よほど親しい相手ではない限り、冒険者同士との関係は基本的に上か下かの二種しかない。手を出してはいけない上か、餌になる下か。
「こいつ、金にしてくれ」
無造作に、取り出した魔石を壁で仕切られたギルド窓口に突っ込んだ。冒険者はこうやって手に入れた魔石を金に変える。たしかレートが一週間ごとに変動するらしいが、細かいことは今はどうでもいい。ヒートにはその辺は良くわからない。
「当ギルドへようこそ。当ギルドの取引方法はご存知ですね」
大きめのメガネをかけた女性が、事務的に喋る。二十代半ばほどの年齢。赤毛をひとまとめにした髪型。そばかすが目立つ地味な雰囲気だが顔立ちは悪くない。
「リャー、ベイ……」
ヒートの見知った顔だ。リブラとは友人だった女性。ヒートも彼女とは親しくしていた。
「あの、オレは……リブラを」
「当ギルドの取引方法はご存知ですね」
ヒートを無視して、リャーベイは喋る。表情に感情はない。
「リャーベイ、違うんだ、オレはリブラを殺してない! 聞いてくれよ!」
必死に声を出すヒート。名も知らぬものにいくら猜疑の目で見られようとそんなものはどうでもいい。しかし見知った人々に疑われることはイヤだった。
「……取引方法のご理解に不備があるようですね。ではこちら側へどうぞ」
△ △ △
「あなた、一体なにに巻き込まれたの!?」
ギルド受付側の反対側、ギルド事務所へヒートを引き込むと、リャーベイは開口一番にそう言った。
「な、なにって、オレもよくわからなくて……リブラが殺されて、負けて、気がついたら売られてたんだ」
先ほどとは明らかに違うリャーベイの態度に戸惑いながら、ヒートはしどろもどろに今までの事情を話す。緑青色の仮面の男。突然自らを買い上げたダークという存在。
凛々しい美女の雰囲気から、わからないものに振り回される年相応の少女へ。
「……こっちもよくわからないのよ。いきなりリブラは奴隷に殺されて死んだって言われるし、あなたは売りに出されてるし。街の冒険者はみんなリブラは自分の奴隷に殺されたって噂してるわ。おかげで下手に表であなたと話すと何をいってくるかわかりゃしないあのゴロツキ共」
「オレは、そんなことはしてない!」
「そんなの、私だってそう信じてるわよ。いくら奴隷に殺される冒険者の話が多くたって、あなたとリブラにはそんなことは起こらないって、そう思ってたもの。……でもね、あなたが無実だとしても、その緑青色の仮面の男が誰か捕まえないと、それを証明することはできないわ」
「リャーベイ……」
彼女が自分を信じてくれることはわかる。しかし、それでどうにかなるわけでもないのも現実だ。
「それから、今はその絡んでくるゴロツキよりも……今のあなたの主人、ダーク・アローンに気をつけなさい」
「あの、クモヒゲにか」
アルバートもそう言っていた。
「なにか怪しいのよ。……いや、見た目だけの問題じゃなくてね?
うちのギルドにそのダークが冒険者の移籍登録に来たのだけれど、
冒険者は世界各地、ダンジョンのあるあらゆる場所に存在する。
各大陸から
しかし見も知らぬ土地であるほど、それまでの経歴は重視される。各地域に根ざしたギルドに移籍登録する際は、その経歴がどれだけ華々しいかでその後の仕事が決まってくる。それもなければ、人脈のつてを頼るしかない。
「人脈もない、経歴もアピールする気がない。一体なんの目的でこの
「オレも、あいつはよくわからない。なんの目的でオレを買ったのかもわからないよ。今は暇つぶしのおもちゃにされてるだけだ」
わからない。わからないことだらけだ。
「とにかく、いい? ヒート。今はもうリブラはいないの。私もあなたに大したことはできない。だから、ヒート」
わからないけれど、ヒートはやらなければいけないことがある。
「今は生き残ることだけを考えて」
リブラを殺した犯人を、見つけねばならない。リブラの仇を取らねばならない。例え、命を失うことになろうとも。
▼ ▼ ▼
「いい、ヒート? 冒険者は、本当はもう冒険者とは言えないのよ」
まだ幼かった頃のヒートへ、リブラは笑いながら語る。膝上にのせたヒートの頭。その黒髪を愛おしげに撫でながら、遥かな過去を語る。それは、神話の時代に迫る物語。
「本来、冒険とは未知へ挑む行為。未知へ命がけて挑む、制覇する行為行う者を冒険者というの。
現在のすでに踏破されたダンジョンで迷宮獣を狩って魔石を手に入れるだけの行為は、冒険者と言えるものでないわ。
己の力のみでリスクをねじ伏せ未知を掴み取る……それが本当の冒険者だったのよ。
私が知る限り、真の冒険者と言えるものはただ一人。人類最古の冒険者と言われるハンドマンだけよ」
「ハンド、マン……?」
睡魔にまどろみながら、ヒートはリブラの語る物語を聞く。
「この
度重なる少人数の探索は凶暴な迷宮獣や過酷な内部環境によりことごとく失敗。当時数百人クラスの冒険者による部隊が編成されて、とうとうその人員の八割を失いながらダンジョンコアのある最下層へ到達を果たしたの」
「そのリーダーが、ハンドマン?」
「ブー、ハズレ。違うのよ、ヒート」
微笑みながら、リブラはヒートの黒髪の感触を楽しむ。
「部隊は、最下層の中で一本の原始的な作りの剣が突き立っているのを発見したの。当初はダンジョンから生み出される
そのボロボロの朽ちかけた剣に赤黒く変わった男性のものらしき血の手形がついていたの。それが、
男の名はわからない。その手の形のみが、未踏領域に残されていた。
「その剣の作られた年代は、少なくとも六千年以上前。恐らくハンドマンはこの
落ちていた武器はその部族の特徴があった剣のみ。本来の名前もあきらかではないわ。そしてその後、制覇されたいくつかのダンジョンからそのハンドマンの使っていたと思われてる武器が見つかっているのよ。そして一カ所につき見つかる武器は一つ、大きさから推測される使用者の体格も全て一致。ハンドマンは恐らく極少数。あるいは単独でダンジョンを次々と攻略していったということよ。なぜ、そんなことを成し遂げたのか、その理由も不明。
私達が入植するよりも数千年以上早く、ほぼ一人で数々の未知に挑み踏破していった存在がいる。そして己が生きていた証を、武器を突き立てることで残した。まさしくハンドマンこそが最古にして最強の冒険者だったのでしょうね」
優しいリブラの目には、遥かな古代の風景があった。無人の荒野を、神々の峰を、遥かな海を、そして深遠の迷宮を、その身一つで突破していく、朱き肌の雄々しき戦士の姿があった。本当の名前さえわからない、ただ、その成し遂げた結果のみが残っている。
「その、ハンドマンのいた部族は……?」
「それがね、もう見つからないのよ。ハンドマンの出身とされるのは、高地の山脈森林を住処とした
そもそも、シャイアン族自体が文字を持たない部族なのよ。ゆえにシャイアン族ではない、シャイアン族を見たことのある他の部族の証言しかその姿を計れないの」
文明が成り立つ以前に、人知れず偉業を成し遂げた男の一族は、歴史の中に消えていった。
なぜ消え去ったのか、その理由さえわからない。
「その他の部族に伝わるシャイアン族の話では、シャイアン族は『銀の狼』を祖霊とする部族だったと伝えられるわ。銀は彼らにとって神聖な金属。狼は力と知恵の象徴。その身に精霊を宿し戦う強き部族。けして争ってはいけない相手。そう伝えられていた」
他の部族からさえそれほどまでに語られる者達が、なぜ消えていったのか。
「彼らがどこからきたのか、どこにいったのか。私はそれを知りたいの。わからないものを、知りたいと願うこと。そのために挑むこと。それが私の冒険よ。
ヒート、私に力を貸してくれる?」
彼女の問いに、ヒートは頷く。リブラの話していた言葉の意味は、正直半分もわかってはいない。だが、彼女の行く方向が、自らの進むべき方向なのだと、ヒートは信じていた。
△ △ △
「ぐ、はぁ、は、ぜぇ、ぜっ!」
一瞬、意識が飛んでいた。刹那の内に見たかつてのリブラとの思い出。冷たい床の感触が顔にある。体は熱い、流れる汗が水たまりを作る。喉は酸素を求めてかすれた声を出す。
地下室――石畳の床に突っ伏しながら、荒い呼吸のままヒートは相手を見上げる。
椅子に腰掛ける、
「なんだ、多少はマシになっているかと思えば、まだその程度か。この無能の犬め」
優雅な紳士の姿勢を崩さず、見下した視線のまま、ダークは語りかけた。
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