第11話 ダンシングブレイド11
▽ ▽ ▽
のしかかる怪物の体重。叩きつけられる拳。軋む骨。痛みと衝撃、死への予感がヒートの意識を侵す。朦朧とする中で、浮かぶ思考は一つのみ。
――死、ぬ、のか……? い、やだ……
生きたい、死にたくない、本能に基づいた最もシンプルな欲求。それだけだった。
――いやだ……リブラみたく、死ぬのか……
走馬灯のように今までの短い人生がよぎる。その中で一番強く浮かんだものは、転がっていくリブラの首。
――……ふざけんなよ
死にたくないという思いが、一瞬で裏がえる。死にたくないと願う資格が、自分にはないからだ。リブラの仇を取るまでは、ヒートには死に怯える資格はない。
まだ自分は、なにも成し遂げてはいない。
裏がえった思いは、怒りへと変わる。敵へ、運命へ、そして己へ。
戦えと、本能が囁く。抗えと、怒りが叫ぶ。
牙よ、吠えろ。
「ざ、け、ん、な、あああっ!」
組み伏せられたまま絶叫する。右手に持った鉄棒を回転。拳の打撃が引いた僅かな瞬間を突きミノタウロスと自分の体の間に滑り込ませる。
狙いは一点。
執拗に自分の股座にこすりつけられる、子供の腕ほどもある怒張。
確実に砕いた感触とミノタウロスの悲しげな悲鳴は同時だった。
喉を締め上げるミノタウロスの力が弱まる。強引にその指をへし折りながら拘束を外し、眼前の牛頭へ歯を向く。
牛頭の鼻先へヒートの牙が食い込む。噛みつきながら首を振り、肉を力の限り引きちぎる。獰猛な肉食獣の動き。
またも悲惨な悲鳴を上げるミノタウロス。本能的に離れようとした時、ヒートが脚を引き抜き上体へ渾身の蹴りを放つ。
反動で地面を転がりながらミノタウロスと距離を取るヒート。黒髪をなびかせて敵を睨む。技術や思考もへったくれもない。ここまでは全てヒートの本能的な直感の動きだ。
「……ぺっ!」
鉄棒を構えながらヒートは地面へ鼻先の肉を吐き出す。叩きつけられた肉片はやがて塵へと還る。
「マズい……」
細かい砂を噛むような感触に若干顔をしかめた。
「ぐ、ぅ、う、オオオオッッ!」
傍らの大斧を取り、血まみれの顔を振る凶牛鬼。痛みはあるがダメージ自体は大したものではないだろう。
むしろ半端なダメージは凶暴化を招く。
身長差でのリーチの分はミノタウロスに。
体重差でも分はミノタウロスに。
耐久力も恐らくはミノタウロスが上。
攻撃力もミノタウロスが上。
かろうじて勝っているのはスピードぐらいか。
今までミノタウロスはリブラと組んで戦ってきた相手だった。
リブラの後方支援魔術とヒートの前衛としての能力があって安定した勝ちを拾っていた迷宮獣だ。
だがリブラはもういない。ヒートはヒートだけの力で戦わねばならない。
それができなければ、リブラの仇は討てない。
今、超えるしかない。この壁を超えねば明日の自分は無い。
打撃を受けての負傷。組み討ちでの疲労。得意な得物とは到底言えないこの鉄の棒。
切りがない不利な条件の数々を、力でねじ伏せて勝てなければヒートはヒートではいられない。
ゆっくりと息を吸い、限界まで吐き出す。息吹により無理やり呼吸を整え、再び肺いっぱいまで息を吸う。体の隅々まで酸素が溶け込むイメージ。満ちる力。
「オオオオオオオッッ!」
叫びながらヒートは走る。後退はない。命ごいも助けも求めない。戦ってみせる。それしかない。
ミノタウロスも同時に飛び出す。咆哮と共に振り下ろされる大斧。
鈍い金属音と火花。貫くような衝撃にヒートの足元が僅かに凹む。辛うじて鉄棒で受け止めることには成功。
――ちっくしょう!
しかし、ミノタウロスとは真正面から力比べになる形なってしまった。ギリギリと大斧が鉄棒を断ち切らんと震える。全体重をかける構えを取る牛頭。
――こんな鉄棒じゃなけりゃあ!
棒術仗術の覚えはあれど得意というわけではない。せめて剣であれば。
――欲しい、もっと違う武器が! オレにもっと合う武器が!
抗うことに全ての力を注ぎながら、渇望は止まない。力が欲しい。武器が欲しい。敵を蹂躙する暴力が欲しい。
――欲しい、欲しい、欲しい! 武器が! 力が! もっともっともっと!
『使用者の身体・運動データ計測完了。
声が聞こえる。無機質な女の声。
「なんだ、これ……!?」
掲げた鉄棒が光り出す。発生した光輪の衝撃波がミノタウロスを弾き飛ばした。
「ウモオオオオオオッッ!?」
後ずさるミノタウロス。困惑の声を上げて光を見つめた。
鉄棒、というよりもはや棒状の光と化した物体は中央で二つに別れた。光が伸び、ヒートの腕へと巻きつく。
「ようやく剣がお前を理解したようだな」
ダークの声。光が強すぎてどこにいるのかわからない。
「おいダーク! これは……なんなんだよ!」
「言ったはずだバカ犬。これは不定なる刃だと」
「この武器に本来は決まった形はない。剣自体が持ち主に最も最良な形態を判断して変形する。故にそのポテンシャルを生かすも殺すも使い手の剣士としての能力次第だ」
二つに別れたヴァルト・アンデルスが更に変化を遂げる。刀身が広がり、峰は厚く、先はスピア状に。腕に巻きつく部分は鎖へと。
「お前に器が無ければただのガラクタよ。鉄棒の形態は使用者がいないブランクの状態だったのさ。――それがお前の最良か。なんとも
ヒートの両腕には、二振りの大型蛮刀。鉈のような刀身とスピアのように尖った先端。両腕前腕にはミッシリと鎖が巻かれている。
「まあ、いいさ」
柄を強く掴んだ瞬間、電流のような感覚がヒートに走る。即座に直感した。これは、
――これは、
気がつけば体が飛び出す。もうダークの言葉を聞いていられない。直感に突き刺され、本能が加速する。衝動をこらえきれない。
――これは、
「――――さあ、
――
飛び出すヒートに合わせるようにミノタウロスの振り上げが来る。
しかしヒートは振り上げの大斧に合わせ右の蛮刀を振った。
鈍い金属音と共に振り上げが止まる。衝撃でヒートの体が跳ね上がった。そのまま空中で回転。呆然とするミノタウロスの顔面に振り下ろしの斬撃を見舞う。
「ブォモ、モオオオオ!」
ヒートの動きが違う。今までと明らかに違う。
鎖のついた犬の動きから、解き放たれた餓狼の動きへ。
のけぞるミノタウロス、対するヒートは着地と同時にその足元へ飛び込む。
飛び上がるように蛮刀を切り上げる。目標は無防備な股間。
悲鳴を通り越し呼吸困難になる牛鬼、吹き上がる血、燃え上がるヒートの瞳。加速する暴力衝動が新たな暴力に飢えていた。
もっと、もっと、もっと。斬りたい。叩き潰したい。殺したい。
間髪入れずに追撃が入る、顔面をガードすれば脚を斬られ、斬撃を打てばカウンターで手元を斬りつけられる。あらゆるミノタウロスの動きが、ヒートへ斬られるために動いて居るようにさえ見えた。
「――――はっはっ、」
ミノタウロスの左の指を切り落としながら、舞い散る塵と血の中でヒートの表情が変わる。
笑っている。気がつけば声を上げて笑っていた。
無邪気な少女の笑顔ではない。
戦いを楽しむ戦士の不敵なる笑みでもない。
――ああ、すげぇ。これは……
ミノタウロスの肩に蛮刀が食い込む。下がる大斧。がら空きの首筋へ更に一撃。血飛沫を浴びながらヒートは笑う。笑い続ける。
「あはは! あはははは! あはははは! これ、これ、すごく……」
――気持ちがいい!
それは快楽を知った女の顔だった。悦楽の中で忘我にいたる寸前の表情。
「さぞ気分がいいだろうなヒート」
暴虐を舞うヒートを見ながら、ダークが語りかける。
「重量配分。刀身の長さ。武器の傾向。全ての要素がピタリと自分にだけはまる最良の武器だ。まるで自分の四肢が延長されたような錯覚さえ味わえる」
人が武器に合わせるか。武器が人に合わせるか。それは戦闘者永遠の課題の一つである。
武器を個人に合わせすぎれば他の武器に変えることができなくなる。
しかし個人に武器を合わせるのも限界がある。
今のヒートは、限界まで「自分に合う武器」を手に入れた最も理想的な姿。
「それで思う存分敵を斬り刻める。お前には生まれて初めての種類の快楽だな。気持ちが良すぎて狂ってしまいそうだろう?」
「あ――はははははっ!」
やがてミノタウロスが背を向ける。背を向けて逃げ出そうとする牛頭へ、ヒートは哄笑を上げながら蛮刀を振りかぶり投げつけた。
背中へ突き刺さる蛮刀。柄尻からは鎖が伸びヒートの腕へと巻かれている。もう片方は首へ巻きつく。この蛮刀をどう使えばいいか、どう使えば敵を倒せるか。ヒートの本能が教えてくれる。快楽がヒートへ正解だと囁く。
この武器は、こう使うのが最も気持ちがいい。快楽に従うだけで最良を選択し理解できる。これは確かに理想の武器だ。これに比べれば今まで使ってきた武器はただのガラクタ以下。
派手に倒れるミノタウロス。右の蛮刀を引き寄せて手元へ戻し、片方で首を締め上げながら背中へ乗る。先刻ミノタウロスにのしかかられた状態と立場が逆転した。
「お、れ、ろ、よおおおお!」
全力で左の鎖を引き絞る。もがくミノタウロス。しかし徐々にその力が弱まる。
ついには抵抗が無くなった次の瞬間、鈍い音を立てて首の骨が折れた。
「はあ、はあ、はあ」
鎖を解き、腕に巻き戻す。荒い呼吸のままヒートは力尽きたミノタウロスの背中を踏みしめ―――
「おおおおお! 死ね! 死ね! 死ねえええ!」
再び彼女は蛮刀を振り下ろす。斬られ、叩き潰される肉塊と骨。血飛沫が塵へと還る。動かない塵と肉の中間であるそれへ黒曜の髪を振り乱しながら、幾度も、幾度でも刃を振り下ろす。
斬る度に快楽が身を貫いた。暴力が止まらない。何度でも蛮刀を振り下ろしていたい。
やがて動きが止まる。肉の間から何かを見つけえぐり出した。
「よしよしよし、やればできるじゃないかヒート? 普段からそうやればいいんだ。やっとわかってきたか」
乾いた拍手。気がつけばダークがすぐ後ろにいた。
「……ふん」
ダークへと掲げた魔石。三十センチクラスはある、売ればそれなりの値が付く大物。
を、これ見よがしにヒートは砕いた。
薄い光がヒートを包む。魔石が破壊されたことによりヒートの潜在能力が引き上げられる。
「……金にならなくて残念だったなクモヒゲ!」
「構わんよ。生憎その程度の端金に興味はない。元よりお前を鍛えるのが目的だからな。お前はまだ弱すぎる、もう少しマシにしなくてはならんのだ。私をその辺の日銭稼ぎの冒険者と一緒にするな」
「ああ、そうかい。そりゃ良かったなクモヒゲ……じゃあ」
疲労で眩みながらもヒートは蛮刀を握りしめる。
「ついでにここでお前も死ねえぇ!」
投げつけた蛮刀は一直線でダークへ。その胸元を派手に切り裂く、寸前で超速のステッキに弾かれて壁へめり込んだ。
「ち、く、しょおおごごごごごっ!」
殺意を感知し締まる魔導輪にもがきながらヒートが崩れ落ちる。その様を呆れた目でダークは見つめていた。
「能力は上がっても記憶力は簡単には上がらんかあ。相変わらず手間がかかる犬だ」
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