第10話 ダンシングブレイド10

「ぐ、がああああ! があぎぃ!」


 剛力に抑えつけられた喉を枯らし叫ぶ。必死に潰されないように抵抗するが、のしかかる巨大な影はヒートに抵抗を許さない。

 眼前には影の顔が迫る。馬乗りになった態勢で巨躯が拳を降る。防御のために必死に上げた腕。その腕越しに衝撃が顔面を襲う。幾度も、幾度も。骨が軋む感覚。力が違いすぎる、このままでは耐えきれず骨折する。

 背中越しに感じる地面の冷たさ。顔を垂れる血の熱さ。沸騰する意識と乖離したように思考は冷たい。うっすらと自分は殺されるという予感がある。紛れもない死の気配に脳の奥が凍える。かろうじてまだ手には魔剣だという鉄棒を握っているが、反撃の糸口を掴めない。


 この牛頭の獣人、凶牛鬼ミノタウロスに。


「ブモオオ! ブモオオオ!」


 傍らにはミノタウロスの持っていた双刃の大斧が転がる。身長差のリーチからアウトレンジは不利と判断しインファイトを挑んだヒートだが判断を間違った。ミノタウロスの体重差はヒートの二倍以上。馬乗りになられては勝ち目などない。

 

――こ、の、ッッ!


 ズボンの股間越しに嫌な存在感がある。恐らくはミノタウロスのいきり立ち脈打つ怒張。迷宮獣に子孫を残す能力など無いというのに。強くこすりつけられている感触。

 ヒートの思考に生命への危機の他に更に屈辱への怒りが加わる。


「ハッハッハッ! これは面白いな!」


 ミノタウロスの背中から声が聞こえた。ヒートが今二番目に殺してやりたい存在の声。


「犬と牛で仲良くまぐわうのか! どんな子が産まれてくるのかぜひ見せてくれ! 退廃趣味の極みがこんな所で拝めるとは足を運んだかいがあった!」


 ヒートの主人。ダンジョンをスーツで闊歩する異装。黒い紳士。


「―――ごろ゛じでやる゛だあ゛ああくッッ!」


 ダンジョンローガン、その最下層でヒートの声が残響した。



 ▼ ▼ ▼


 ダンジョン最下層へ到着したダークがまずしたことは、ヒートへの質問だった。


「ヒート。で、お前の主人が死んだ場所はどこだ」


 予期しない質問に沈黙を返すヒート。即座にステッキが顎を打つ。


「いてっ!」


「答えろ。どこだ」


 渋々と指差した先。もうそこには血痕さえ残っていない。

 ダンジョンの特性として生きている存在は取り込まれないが、死んだ存在は即座にダンジョンへと吸収され迷宮獣を発生させる材料になる。

 まき散らされたリブラの血は消え去っていた。


「ここで殺されたか……で、お前の主人を殺した存在はどこにいたんだ? まあお前でなければの話だがな」


 指差した先は、リブラの死んだ場所のすぐ近く。


「それでお前はその時にどうしていた?」


「……リブラと一緒に倒した迷宮獣の魔石を集めていて、リブラと合流した時には殺される寸前だった」


「で、そいつはどんな奴だったんだ?」


「仮面の男だ! モザイクの、不気味な、緑に光るなんか気持ち悪い仮面だった! 体も大きくて、ここに出るミノタウロスよりもデカい! それと仮面と同じに緑に光るクリスタルみたいなものを生やして攻撃してきて……」


 覚えている限りの特徴を叫ぶ。誰も信じなかった言葉。しかしそれを叫ぶ以外にできることはなかった。


「――ふぅむ」


 ダークは顎髭に手を当て思案しているようだった。やがて口を開く。


「そんなやつがいるならまずダンジョンに入る前に目立つだろうな。お前以外にそいつを目撃したやつはいるのか?」


「……それは知らない」


「そんな目立つやつがいるなら他の冒険者はまず目撃しているだろう。だがなそいつは誰も見ていないんだよ。いたら治安局が最初に確保しているな。そんなデタラメを言えば主人殺しを免れると思っているのか? つくづく考えが浅い犬だ」


 薄く嘲笑を浮かべる。低脳な猿を笑う表情。


「俺は嘘は言ってない!」


 怒りのままに叫ぶ。


「で、その後はお前は何をした。嘘偽りなく語って貰おうかヒート?」


「……仮面の男と戦ったけど、オレは負けた。気がついたら目の前にはリブラの死体があった。リブラの死体を――迷宮獣が食ってた」


 当然の現象。迷宮で死んだ冒険者は迷宮獣の肉となる。


「ほほう。おまえだけ都合よく生き残ったと? それでその後は?」


 男の嘲笑が強くなる。嘘を並べる子供を見る目。嘘だとわかっていて、嘘を必死に語る人間を見下す目。


「迷宮獣を追っ払って、リブラの体を担いで、頭は布で巻いてダンジョンの出口を目指した」


 傷ついた体で、主人の体を背負って、ひたすらに歩いた。

 死体を狙う迷宮獣を、折れた蛮刀を奮い必死に追い払いながら、出口を目指す。

 捨てるわけにはいかなかった。こんな場所でリブラを一人で置いていくことはヒートにはできない。


「それで、道半ばで力尽きた所で他の冒険者に発見されて治安局に送られたと。健気な戦闘奴隷ブレイドのお涙頂戴話には残念なオチだなあ、ヒート?」


「――なんでこんなことをわざわざ聞くんだ? そのためにこんな最下層までオレを連れてきたと? オレを笑うためにここに来たのか?」


 屈辱と怒り。この男の下らぬ愉悦のために自分の忘れられない記憶は利用されている。ヒートにはそれが許せない。


「それも理由だな。ここにきた理由は三つだ。

一つはお前の主人の死に様を聞くこと。そしてもう一つは」


 傍らから取り出した小さな陶器の笛。ヒートへと手渡す。


「吹いてみろ。それは『迷いし者を呼ぶ笛ホルン』という魔導体オーバード・アイテムの一種だ」


 魔導体、ダンジョン奥地で稀に見つかるという解析不能な魔術が付与されたアイテム。

 訝しげに笛を見つめる。しばし迷った末に口をつけ息を吹き込んだ。


 意外と澄んだ音がダンジョンに響き渡る。


「……なんだ、これ」


「これは呼び笛だ。ダンジョンの迷宮獣、現在いる階層の最も強い迷宮獣を呼び寄せる性質がある」


「――なっ!」


「ちなみに笛を吹いた者を優先して狙うからな。つまり標的はお前になる」


「ふざけんっ……!」


 声が止まる。地を震わす振動が足から伝わる。いきなり膨れ上がる存在感に言葉が止まった。


 ズ ン


 いる。そこに在ると確信する。


 ズ ン 


 暴力の気配。暴虐の予感。戦闘が迫る。


 ズ ン


 ダンジョンの闇より、それは現れた。


 膨れ上がった筋肉。見上げる巨体。片手には大斧を地面に引きずる。吐かれる息は白く、熱と圧が渦巻く。

 曲線を描く双角。牛頭の獣人。ダンジョンローガン最強の迷宮獣。リブラの援護があって始めてヒートが倒せる相手。

 ミノタウロス。


「ブ、ブオオオオオオオ!!」


 咆哮が耳朶を打つ。怒りと苛立ちの叫び。


「いかんせんお前は弱すぎる。そこで少々鍛え直そうと思ってなヒート。まずはひとりでアレを倒して見ろ」


 呆然とするヒートへ、ダークは少しだけ――嬉しそうに声をかけた。

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