第6話 ダンシングブレイド6

 ヒートの状況は変わらず、というか悪化している。

 気が付けば買われていた、という状況はともかく奴隷の首輪を付けられたのが痛い。


「買うと言ったらあの奴隷商め、嬉々として足元を見てきてな。直前まで値引きするとかぼざいていたのだが……まあ金の問題はどうでもいい。問題はお前が実用に足るかどうかだ。戦闘奴隷ブレイドとしてな」


「そうか、じゃあ死ねクモヒゲ」


「だから人間が理解できる言葉で喋れアホ犬」


「ゴッ!」


 ステッキが強く鳩尾を突く。咳き込むヒートを尻目に、ダークはゆったりとした足取りで彼女の背後へ回り込んだ。


「まずは身体検査だ。病気や障害、寄生虫の有無、その他面倒な事を隠して売りつけるなんてことは奴隷商売にはよくあることだからな」


 パチリとゴム手袋をはめる音が聞こえる。


「隅々まで調べてやろう。それこそいやというほどにだ」


 ▽ ▽ ▽


 傍らにある机には、無数の金属製の器具が並べられていた。ペンチの様な形状のもの、ピンセット、魔石燃料による小型の発光器具、聴診器、注射器。その他医師が使うような人体を診察、もしくは観察するための器具類。


「次はこれをくわえろ」


 身長と体重測定の後、眼前に差し出された小さな棒状の何か。赤と黒で数字が書き込まれているガラス製の棒。すなわち体温計。


「……」


 無言で無視するヒート。視線で変わらず殺意を送る。


「嫌なら直腸検温にしてやってもいいんだぞ?」


「ちょ……ちょく、ちょう……? なんだそれ?」


「お前の尻にこれをねじ込んで計るということだアホ犬」


 しばしの逡巡。やがて観念したようにヒートは体温計を咥えた。


「噛み砕くなよ、中には水銀が入っているからな」


 ヒートの背後からダークの手が伸ばされる。大きく開かれた右手が、まずは彼女の右耳の下、顎の付け根を触る。左手はこめかみに。かなり強めの力で触られているためヒートの表情が更に曇る。


「……ふむ、頭蓋骨の骨相学的特徴は現地住民ネイティヴと一致するな。顔面に僅かなアザ。負傷は極めて軽微と。あの奴隷商の管理はずさんに過ぎる」


「顔のアザはテメェのせいだろ……」


「そうだな。そのまま死んでいれば解剖でもして更に詳しく調べられたんだがな……どれ体温計を見せろ」


 引き抜いた体温計を確認。台の上のノートにペンを走らせる。


「約三十七度。平均より高い。といっても調子が悪いようには見えんし顔のアザはもう治りかけている所から見ると、異常な回復力に関係があるのか?」


「知るかそんなもん!」


「バカ丁寧に一々答えんでいい。私はお前ではなくお前の体に聞いている」


 手が今度は二の腕に触れる。


「やはり筋肉密度が高い……そしてこの筋肉密度で成長が阻害されないということは、骨密度や形成も標準以上か。筋肥大症、ではなく遺伝的にそういう種族か?」


 次に背中へ。ヒートの黒髪をかき分け、首筋から背筋を柔らかな手つきで這う様に感触を探る。背中から腰、腹筋周り、やや安産型に発達した臀部へと。


「実に理想的な体幹だ。腕や脚を重点的に分けて鍛えているのではなく、インナーマッスルを含め全身を高密度に鍛え上げている。そこから生まれるハイレベルにバランスの取れた動きがお前の強みというわけか」


 ヒートの首筋に感じる息吹にわずかに身を震わせた。ダークが黒髪の香りを嗅いでいる。蠢く指は粘り着くように臀部を這う。汗ばむ肌の感触を確かめていた。


「美しい。人体の完成された美しさ、それを体現している。不自然な鍛え方や見せるための筋肉ではなく、実戦をライフワークとしてきたことにより磨かれた実用の極地としての機能美だ。やはり人体とはかくも美しい」


 美しさを称えながら、やはりダークの言葉に熱はない。彼の興味はヒートではなくヒートという人体にのみ注がれている。

 人間を買った、ではなく人間という形の道具を買った。それが思ったよりも出来がいい、その程度の認識といった所か。


「――それ以上触るなら殺す。絶対に殺す」


 だがヒートは道具に徹するつもりはない。どんな扱いであろうと、最後まで己という存在を諦めることはないだろう。


「お前の首をねじ切って殺してやる。心臓をえぐり出して殺してやる。手足を一本一本へし折って殺してやる!」


「なるほど、大人しくなる気はないか。そうやって前の主人にも反抗していたのか?」


 身をよじって怒りを示すヒート、しかし手は止まらない。無遠慮に内股へと伸びる。


「おい! 聞いてるのかクモヒゲ!」


「今の所病気などの兆候は無しと。お前、前の主人の時は魔導輪はつけていなかったようだな? もしつけていたらお前は主人と共に死んでいるはずだろう……そらもっと脚を開け、触診しにくいだろうが」


 魔導輪にはいくつかの基礎機能が存在するが、その主となるものの一つは「強制殉死機能」、つまり主人が死ぬと魔導輪が締まり窒息死する機能がある。

 奴隷の反抗を抑えるための機能であると同時に、ダンジョンで主人を危機から優先して守らせるために必要な機能だ。

 しかしこれも主人の許可により取り外すことはもちろんできる。


「リブラは……そんなものは要らないって言ってくれた!」


「そう、奴隷に寝首をかかれる冒険者は大抵そう言う」


 内股に触れる手がゆっくりと絡む。動脈部分の触れて異常がないかを確認。

 嫌悪感にヒートが身をよじり反抗する。しかし指は彼女の意志を無視して這いずっていく。


「愛し合っているからこんなものは不要だとか、平等な関係だから必要ないとか、奴隷であろうと優しく接するべきだとか」


 ヒートの耳元に響く声は、すでに声色が変わっていた。

 冷酷に現状を確認する観測者の声ではなく、暗く邪悪な熱情が潜む男の声に。


「本当に愚かしいな。そんなものは奴隷の演技に心理を誘導されたものに過ぎないというのに。少しばかり媚びへつらい、主人を楽しませてやれば簡単に自由が手に入る。そんなことは誰だって思いつくだろう」


 事実、奴隷に殺される冒険者は大抵は奴隷の演技に騙されて殺される。同情、愛情、虚栄心、そういったものを巧みに刺激され、首輪を解除させてから殺す。

 ダンジョンに潜れば、寝首をかくチャンスはいくらでもあるのだ。

 だがそれさえも本来は悪手である。主人殺しは重罪とされ捕まれば奴隷は死刑となってしまう。


「治安局に捕まって主人殺しで死刑行きと思いきや、まさかすでに奴隷商に売却扱いになっていたとは思いもよらぬ結末だったな? 借金のカタか何かで抵当にでも入れられていたか」


 追求を無言で返す。死にかけてダンジョンで発見されたヒートは、その後治安局で主人殺しを吐かせるための拷問にかけられる一歩手前で奴隷商に引き渡されたのだ。

 書類の扱い的にはリブラ死亡前に奴隷商への売却手続きが終わっていたという。こうなると主人殺しなのか個人間のダンジョンの戦いなのか立件が面倒くさくなってくる。

 そこに奴隷商のラズロが賄賂を渡して便宜を計らせてヒートの身柄を引き取った。

 混乱するヒートには何一つも事情を告げず、気が付けばこの紳士に売り払われて今にいたるというわけだ。


「ヒート、お前は男に抱かれた経験はあるか?」


「……チッ」


 唐突な問いに不快を隠さずに舌打ちで返す。回された男の手が今度は乳房を弄る。

 緊張と覚悟を固めるまでの逡巡の間、一瞬ビクリと硬くなる肢体の感触を楽しみながら、ダークの声に僅かな笑いが混じる。嘲笑、あるいは暗き愉悦を見つけた喜び。

 やったことがないことをやられる、そういう瞬間には大抵の人間は覚悟をするまでに時間がかかる。生き死にを賭けて闘い続けた戦闘奴隷でも、それは同じ。

 今ヒートによぎった抱かれるかもしれないという思考と、覚悟を決めるまでの逡巡の長さから経験の有無が解る。 


「やはり無いか。では質問を変えよう――女に抱かれた経験は?」


「……は?」


 いきなりの想定外の質問に混乱。思わず間の抜けた返事を返す。


「いまさらバカをアピールしなくてもいいぞ阿呆。女に抱かれた経験は、と言っているんだ」


「いや、オッサン、あんたがなに言ってるか全然わかんねぇんだけど」


「お前の前の主人――たしかリブラというのは女だったんだろう? 自分の体でも使ってたらし込んで、首輪を外してもらったんじゃないのか?」


「……黙れ」


 意味を理解する。理解した瞬間、もう言葉の続きを理解したくなかった。


「恥ずかしがらずに言ってみたらどうだ? 自由のために同性に抱かれたぐらいでお前にはどうということもないだろう、『私が大事なら首輪を外して』とでも寝床で囁いたんじゃないのか」


「……だから黙れよオッサン」


「恋人のふりをしてやったんだろ? さんざん楽しませてやったんだよな? だったら自由くらい安い代金だよなあ、ヒート?」


「……だ、ま、れ、よおおおお――!」


 絶叫と共に跳躍。ダークの手を振り払い、裸体が踊る。


――殺す! 今すぐに殺す!


 なぶられた恥辱からではなく、ましてやリブラとの関係を指摘されたからでもない。ただ、リブラがそういう人間だと侮辱されたことに、我慢が出来なかった。

 黒髪をなびかせ、繋がれた鎖が踊りぶつかる。空中で姿勢を撓ませて縦に一回転。鋭角な軌道で後ろ回し蹴りを放つ。

 斜め上から迫り来るヒートの踵。雷速の蹴りにダークは紳士帽ごと頭蓋を砕かれ脳漿を散らす、ということはなかった。


「さて」


 無造作に、ヒートの脚をダークの左手が掴んでいた。ピタリと握られたまま、ヒートは身動きができない。腕の鎖とダークの腕につり下げられた格好。


「離せ、この……が、ゴホ、ゲ!」


 追撃に蹴りを入れようとした刹那、ヒートが猛烈に咳き込む。喉をかきむしろうとするが腕は当然動かない。


「ふむ、魔導輪の動作は順調か。しかしこんな戯れ程度でも動くのは少々過敏に過ぎるな。お前も奴隷ならその首輪の基本機能程度知っているだろう、ヒート? 主人に殺意を持った攻撃をしたと判断すると遵守機能が発動することなどな」


 主従遵守機能、着用者である奴隷が主人を害そうとするなどの行動を取るとやはり自動的に首輪が締まる機能だ。これも基本機能の一つ。

 だが確実に殺意ありと判定されるヒートの渾身の蹴りも、ダークには戯れ程度でしかない。


「が、ガハッ、グ、あ、ああああ!」


 窒息にもがきながら、それでもヒートは従わない。ダークを近づけまいと、闇雲に自由な片脚を振り回す。


「まだ反抗するか、生きのいいことだな。いいか、その首輪には基本機能しかない。殉死機能、遵守機能、そして禁止機能だ」


 掴んでいたヒートの脚を離す。


「『我は禁ずる』」


 力ある言葉に首輪が反応。青い光=魔力の燐光。


「『立つな』」


 ヒートの足から力が失われ、鎖のついた腕からぶら下がるような体勢に。脚で床を踏みしめることが、立つことができない。

 荒い手つきでダークの手がヒートの首に伸びる。汗に濡れた魔導輪に触れた。


「……が、あああああ! ああ、が!」


 呼吸ができないまま、最後までヒートは抵抗する。獣よりも無様に吠えながら、それでも抗う。抗い続けた。


「……大人しくしていろバカが。『我は殺意を許す』」


 ダークの唱えた解除言語により魔導輪が喉の締め付けを解いた。

 乾いた呼吸音、むせながら存分に空気を吸う。


「とまあ魔導輪の性質は体で理解したな。それとこのバドワイズからでても魔導輪は作動するようになっている。街境でコヨーテのエサになりたくなければ逃げ出しても街を出ようとは思うなよ」


「い、いつか、殺す……殺、してやる……」


「元気で結構。しかしこの調子だとお前に殺されるよりも寿命で死ぬほうが先だろうな。なにより退屈で死にそうだ」


 ヒートの殺意を難なく交わし、ダークが笑う。


「それでは明日からおまえにはダンジョンローガンに潜ってもらおう。嬉しいだろう? お前のよく潜っていたダンジョンで、お前の元主人の死んだ場所だからな?」


 ダンジョン・ローガン。この街、バドワイズの中心にある。ダンジョンの名。


「それでは」


 携えたステッキ。左手が棒の部分、右手がワシ爪の柄を掴む。視線はヒート、その腕を繋ぐ鎖へ。


「今日は休め。脚の禁止機能は明日解いてやろう」


 銀光が一閃。続いてカチリという音。そのままダークはステッキを持って背を向ける。

 一拍の静寂。鎖が手錠ごとパックリと斬れた。

 それさえも確認せず、紳士は独房を出て行った。

 

――仕込み杖か……! 斬るどころか抜いたのが見えなかったぞ……


 笑えるほどに圧倒的なまでの実力差。首輪による自由の剥奪。未だ消えない主人殺しの汚名。何一つ、ヒートに希望はない。

 だが全てを諦める理由も、戦うことを止める理由もない。

 まだ自分は生きている。心臓は鼓動を打ち、血潮は燃えて、痛みが身を焼き、情けなさと悔しさにもがき、悲しみと怒りが渦巻く限り。この手に刃を握れる限り。

 それらがあるゆえに、ヒートは生きている。

 生きているのなら、諦める理由も戦うことを止める理由も存在しない。そんなことは死ねば飽きるほど出来る。

 自分が自分である限り、

 自らが自らであるために、

 己が己だと叫ぶために、

 戦うしかない。


――とりあえず、今は、


 思考が急速に落ちる。正直、今日は限界を何度も越えすぎた。


――今は、寝よう。

 

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