第5話 ダンシングブレイド5

 ▼ ▼ ▼


 最初に見たものは鮮血だった。

 吹き上がる紅に彩られ、鈍い音を立てて何かが無造作に転がる。何が起きたかわからず、足元にあるそれ・・がなにかもわからない。

 ダンジョンのゴツゴツとした床を転がり、疎らに散らばる亜麻色の髪。かつてヒートへと絶えず微笑んでくれた顔は無表情に弛緩していた。

 魂無く虚ろな瞳と、白い頬を自身の血が彩る。

 首から下は、熟れてはじけたザクロのような潰れた切断面が覗いていた。 

 一瞬をおいて女の胴体が倒れる。血を撒き散らしながら、魔術攻士ソーサラー用の軽装鎧が音を立てて床を叩く。魔導補助加速機構カタパルトを備えた魔導杖バレルロッドが真っ二つにへし折れていた。


 女――ヒートの主人、冒険者、魔術攻士リブラ・イリニッヒは死んだ。あっけなく、一瞬で、死んだ。

 ヒートを守り、ヒートを導き、そしてヒートが命を懸けて守ろうした女は死んだ。


 けれど、


「――――あ」


 ヒートはそれを理解していなかった。


「――――あ゛あ゛あ゛あ ぁ ぁ ぁ お゛お゛ッ ッ ! ! 」


 理解するより速く獣のように吠え、理解するより速く獣のように飛び出す。両の手に握りしめたは使い慣れた二振りの蛮刀。

 刹那の内に魂に渦巻く憎悪と怒り。思考よりも速く体が動く。振り乱した黒髪が逆立つように波打った。

 目標はリブラの背後、石細工モザイクの仮面の男――リブラを殺した存在へ。


 男の体躯はヒートを圧倒的に凌いでいた。巌のような肉体と、分厚い筋肉、そして緑青色の金属光沢を放つ奇妙なる外見。

 石細工モザイクの仮面には表情らしきものは見えない。精緻なるエメラルドグリーンの石片の組み合わせで形作られながらも、その造形から作り出された顔は人ではない。

 空虚なる眼らしき空洞、空虚なる口らしき空洞。空洞でかろうじて人の顔を象ったものとしか表現できない異貌だった。


「お゛お゛お゛ッ ッ !」


 ヒートは叫びながら走る。最短距離を最速で詰めた。


「――――ぎぃおおおおがああッッ!」


 仮面の男もまた咆哮を上げた。痛みに悶えるような悲鳴にも似た声。無造作に地面へと大剣を叩きつけた瞬間、エメラルドグリーンの結晶構造体クリスタルが無数に床から生えた。

 緩やかに蛇行しながらヒートを目指す。このままでは槍衾やりぶすまの餌食。

 ヒートは本能のままに双蛮刀を振りかぶる。結晶構造体を叩き割りながら、破片が舞い肌を切る。流れる血を踏みしめ、変わらずに前へ。沸騰する怒りと殺意が、そしてヒート自身が自らにそれ以外の道を許さない。痛みなどで彼女は止まらない。

 間近へと踏み込み、ヒートは力と感情に任せ右の蛮刀を放つ。狙いは膝上、巨体の体勢を崩すための一撃。


 ガ ッ !


 鈍き金属音を立てて弾かれる。モザイクの仮面、その右手にある鉄塊の如き荒い造形の大剣に防がれた。

 大剣の刀身、その大部分が血に染まっていた。

 リブラの生きていた痕跡。リブラを殺したという痕跡。


――殺す! 殺す! 殺してやるッ!


 殺意で沸騰し続けたまま意識、腕の痺れを意に介さずに更に蹴りを刀身へ放つ。鉄芯入りのブーツの一撃で刀身を抑えながら、それを足がかりに上に駆け上がる。

 勢いよく跳ね上がりながら左蛮刀を仮面の頭部へ。重力と加速を乗せた、幾度も迷宮獣を屠ってきた必殺の一撃。


 ゴ ッ !


 しかし斬れない。緑青色ろくしょういろの表皮を断ち切れず鈍い打撃音が響く。この表面は何か正体の掴めぬ金属らしい。

 空中で無防備なヒートに突きあがる結晶構造体が追撃。本能的に回転しながら、下方へ斬撃。舞い散る破片を被りながら猫のように着地。

 転がるように低姿勢を維持したまま移動。そのすぐ後の空間を大剣の振り下ろしが床ごと打ち砕く。

 制御されていない爆発的な威力に破片、ついでヒートも吹き飛ばされかけ、辛うじて蛮刀を床に突き立てて体勢を保持する。


――斬れない!


 攻撃を紙一重でくぐり抜けながらも、その力の差は歴然。ヒートの斬撃は通らず、その巨体から繰り出される剣に翻弄されるばかり。

 かけ離れた体重差

 見切るのがやっとな剣技のスピード

 圧倒的なパワーの差

 そして能力であろう足元からの結晶構造体による攻撃。

 全ての要素でヒートに勝ち目はない。


――それでも、それでも!


 それでも諦めるわけにはいかない。戦うことでしか、剣に握り続けることしかヒートは生き方を知らない。それさえも失ってしまえば、もう彼女は本当に何も無くなってしまう。それだけは嫌だ。絶対に嫌だった。


「――あ゛あ゛ああああッ!」


「――いおおあああああああッッ!」


 二人の咆哮が重なる。もはや人ではなく、獣だ。

 片方はもがきながら戦うために、もう片方は苦悶と激痛から逃れるように、喉を枯らし叫ぶ。叫びながら激闘を繰り返す。

 全力を振り絞りながら、圧倒的な差を覆すためにもがき、あがき、吠える。

 されど、この世界に奇跡は無い。

 当たり前のことが、当たり前に起きるしかなく、神は無慈悲に結果をもたらす役割でしかない。


「る、おおおおおおッッ!」


 狂乱するモザイクの叫び。対面する巨体が一瞬で消える。


――! 縮地!?


 次の瞬間には、ヒートのすぐ前に。放たれる大剣の突き。

 本能的に蛮刀を重ねて防御。避けられる距離ではない。

 しかし、分厚い蛮刀は、瞬く間に二本同時に折れた。

 蛮刀の破片が舞う中を大剣が直進。鉄塊の如き剛剣の突きがヒートの胸元に炸裂。衝撃に胸部鎧が吹き飛ぶ。


「があああっ!」


 威力に吹き飛ばされながら、ヒートの意識は闇に落ちていった。



 ▽ ▽ ▽


――痛ってぇ…!


 敗北の記憶、守るべきものを喪失した経験。その夢から覚めたヒートが見た光景は、先ほどとは違う場所らしいがやはり牢獄だった。

 そしてやはり一糸纏わぬ裸であり、やはり両手は拘束されており、やはり鎖が繋がって天井へとつり下げられている。

 違うことは二点。部屋が狭く内装が違うことからここは先程の牢獄とは違う牢獄であること。首に巻かれた朱い魔導輪チョーカー。それは契約をされたという証。

 奴隷として主人に繋がれたという事。


「目が覚めたかね。野蛮人バルバロイ? グッドモーニング、という時間ではないがな」


 突如として聞き覚えのある声が響く。ヒートは全力の殺意を込めて声の方向へ視線を動かす。


「――死ねクモヒゲ」


「まずは口の聞き方と上下関係から覚え込ませねばならんか。動物に芸を仕込む趣味は無いんだがなぁ。そういうのは調教師の仕事というものだ」


 漆黒の背広スリーピース・スーツ、漆黒の紳士帽。漆黒の顎髭と漆黒の丸い遮光眼鏡サングラス

 クモを想起させる手足の長いスマートなシルエット。どこか嘲笑的な笑いと滲み出すような不機嫌が見える表情。


「まずは主人の名前を覚えることから始めるか。私の名はダーク。ダーク・アローンだ。犬程度に知能があると思われたいなら一回で覚えろよ? この状況なら解るだろうが、お前を大金で買い取った主人ものずきというやつだよ」

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