第三章 総帥
シルヴァリア城に存在する大小二百の部屋の内、城門に匹敵する強度で建設された扉を有する部屋は一つだけだった。氷の王グリスの玉座が配された部屋、謁見の間である。最も面積の広いこの部屋は、国儀の際にも使用され、グリスが前王より王位を継承した場でもあった。
誰もが圧倒され、厳かな振る舞いを強制される場にも関わらず、まるで興味がないと言わんばかりの態度で足音を響かせ、最高級の赤絨毯の中央を玉座に向かい、直進する女が居た。中央管理軍総帥、イーレ=ヴェレンス大将、その人だった。
「ようやく会えたな、ヴェレンス大将……いや、総帥閣下と呼ぶべきだろうか」
「ヴェレンスで結構だ、グリス=シルヴォリア陛下」
グリスは内心唸っていた。不遜な態度が際立つヴェレンスだったが、流麗に彩られた黒の長髪に、吸い込まれそうな切れ長の目、長身の体躯に濃紺の制服を纏うその姿は圧倒的だった。
「私もグリスでよい」
「そうか、ではグリス、要件は至って単純だ。今回の誤認識について、説明願いたい」
一国の王に対して挑発的な態度を取れる人類は、数える程しか存在しない。ヴェレンスはそれに数えられる。褒められたものではない。グリスは気にせず言葉を返す。
「説明ならば、聞き及んでいるはずだが、なにが知りたい」
「ほう、ではもっと判りやすく言ってやろう。私をこの場に呼ぶために私の部下を拉致した狙いはなんだ」
ヴェレンスの言葉に、グリスは目を細める。賢しい女だ。詭弁は不要、ヴェレンスの目は語っていた。
「ヴェレンス、君に頼みたい事が二点ある。何度か君宛てに書状を出したが一向に会いに来てくれなかったのでね、少々手の込んだ招待をさせてもらった」
「下らんな、部下を拉致した相手の頼み事を聞いてやる馬鹿者がどこに居る。グリス、頼み方を間違えたな、失礼する」
ヴェレンスは踵を返し、謁見の間から去ろうとするが、グリスは一言でそれを制していた。
「異界が開こうとしている」
一瞬、ステンドグラスから注ぐ陽光が陰りを見せた。
「……ほう」
この場に着いてから、初めてヴェレンスがグリスに興味を持つに至った。
「異界とはなんだ」
ヴェレンスがグリスに問う。グリスは困ったように顔を傾け、王座から立ち上がり、歩み寄りながら話を続ける。
「亀裂の中にある世界、と言えば正しいかな。向こう側へ私自身が行ったこともなければ、家臣を亀裂に投げ込み覗かせた訳でもない。仮の呼称だが、私は異界と呼んでいる」
「それが頼み事となんの関係がある」
ヴェレンスは話しの結末を予測している、グリスはそう感じ取っていた。これは確認だろう。世界の真相を共有し合うに相応しい相手かどうか、試している。
「一点目は君の組織の活動目的に沿う内容だ。我が国の領土内において、亀裂の大量発生が懸念されている。その兆候も捉えている。残念ながら、避けようのない事態のようだ」
グリスは振り返り、巨大なステンドグラスを見上げる。まるで、懺悔をするように。
「我が国は知っての通り若輩者でな、敵も多い。我が国に唯一他国に優るものがあるとすれば、人造兵器の核となる霊石が大量に出土することだった。技術者を雇い、大量生産に踏み切った」
グリスは目を閉じ、自責の海を彷徨う。
「掘り起こしてはいけないものを掘り起こしてしまったようでな、生産が進むにつれ、亀裂の頻度も上がっていった。それを塞ぐ方法も霊石と人造兵器を用いれば可能であること、亀裂の兆候も霊石が示してくれること、大きな成果と共に、大きな代償を伴うようになった」
ヴェレンスはグリスの言葉に呆れていた。
「その尻拭いを手伝ってほしいのか」
「そうではない。今までは我々だけで亀裂の対処に当たっていた。修復も成功していた。だが今回の兆候は規模が大きすぎる。我が国だけの問題ではなくなるのだよ」
グリスが見せる焦りの色に、ヴェレンスは思う。自身が予測した結末の内、最も最悪のシナリオが始まろうとしているのではないだろうか。願わくば外れてほしい。
グリスは意を決し、ヴェレンスに向き合った。
「捉えた亀裂の兆候、その規模は、この国の領土を覆い尽くす程だ。人類史上、最大クラスの亀裂が発生しようとしている」
謁見の間に、三度静寂が訪れていた。人類史上最大クラスの亀裂。それが何を意味するのか。世界が終わるかもしれない。人類は今わの際に立っていた。
「頼れるのは、ヴェレンス、君の組織を置いて他にない。本来ならもっと早くに相談するべきだった。書状にもその旨を記し送ったが、君からの返答はなかった。言える立場でないのは十分承知しているが、なぜ読まなかった」
「書状は私の元に届けられてはいない」
グリスは目を丸くしていた。
「……どういうことだ」
ヴェレンスは沈黙で返していた。この事態、なにか裏がある。グリスはやり手であったが、事を急ぎ過ぎる若い王という認識だった。だが一国の王からの書状が私に届けられていないことにまず疑問がある。シーヴォリー王国で度々、亀裂の反応が出ては消えるを繰り返していたのはこちらでも把握していた。全てが嘘ではないにしろ、真実でもない。グリスの話しが虚実織り交ぜた巧妙な罠の可能性もある。もしくは故意に私へ書状を届けなかった内通者が存在しているか。ヴェレンスは考察の深みにハマる前に、グリスに問いていた。
「現状は把握した。確認し、対応を検討しよう。ところでグリス、もう一つ頼み事があると言っていたが、なんだ」
「それは……」
不意にグリスは、王の顔ではなく、一人の男に戻っていた。
「私の兄が亀裂を通り、異界へ行ったきり戻ってこないんだ。出来れば、探してほしい」
「おい」
これはヴェレンスにも予想外だった。シーヴォリー王立国は二王制だ。一人はグリス、そしてもう一人はアーノルド=シルヴォリア、炎の王と呼ばれる男である。遠征訓練中で不在と公式発表されていたが、遠征先は異界だった。生きている可能性は塵に等しい。ヴェレンスはそれも含めて検討しよう、と言い残し、謁見の間を後にした。頭が痛い。阿呆の兄弟か。
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