第二章 策略

 場を支配するのは物音一つ許されない静寂だった。見渡す限り赤い絨毯が敷き詰められたその場所は、一人の王のために作られた謁見の間。巨大なステンドグラスから差す後光を背に男は玉座に君臨し、謁見を許された者を見下ろしていた。シーヴォリー王立国国王の一人、グリス=シルヴォリア。氷の王とも呼ばれるグリスは、座したまま頬に拳を当て、先日の報告に耳を傾ける。

「お望みの件、網に掛かりました。少々扱いにくい者達ですが、事は万事なく運べます」

 恭しく頭を下げ、大袈裟な身振り手振りで報告を続ける男の名は、ステイル。中肉中背の体躯に白髪混じりの黒髪を後ろ手に結い、なにが気になるのか、眼鏡の位置をしきりに正していた。中央管理軍所属、シーヴォリー王立国の駐在官であり、階級は中佐だった。ステイルは計算通りと言わんばかりに得意気に語り、グリスはそれを見透かすように黙って聞いている。

「網に掛かった二人の内、一人はウィル=ヴィンハレム少佐です。我が軍の総帥お気に入りの猛者でございまして、あの者を取り戻すためなら総帥自らが出向いてくるは必定、予測通り陛下に謁見の申し出が成されておりました。後は上々、次なる手を打つ算段でございます」

 グリスを見上げ、ステイルは醜悪な笑みを浮かべていた。

「ウィル=ヴィンハレム少佐は我が軍でも疎まれる存在、私の力を持ってすれば策に嵌めるは容易く、赤子の手を捻るようなものでした。これからも私めを重用して下されば、如何様にでもお役に立つ所存でございます」

 聞くに堪えない自己主張。他の者を陥れ、自らを律する事を知らぬ痴れ者。グリスは呆れていた。役に立つ男ではあるが、手段を選ばぬそのやり口は好意に値しなかった。早々に眼前から消えてもらいたい。

「ご苦労だった、下がってよい」

 何やらまだ言い足りない事があるステイルだったが、グリスの一言により、もう一度恭しく頭を下げ、謁見の間から退出していった。グリスの溜め息だけが、低く吐き出される。

「清濁併せて国を成し、人を制し、王であれ。言葉は理解出来ても、理想通りに事は運ばぬものだな……」

 静寂の檻が再び降り立つ謁見の間で、グリスは一人、亡き父の言葉を思い出していた。王とは何か、これほど他者に相談し得ない問題も他にないだろう。頼れる人物は一人だけ居るが、今やその一人も責務を離れ、行方不明となっている。国の一大事に、手段を選んではいられない。私も所詮、ステイル同様痴れ者なのだろう。謁見の間を照らす陽光に彩られ、鮮やかに輝く金の長髪に、目鼻立ちがくっきりとした中性的なグリスの顔は暗く、深い、疑念の中へと沈み続けていた。

 シーヴォリー王立国が現在の国境線で区切られ、国として成り立ったのは今から五十年ほど前だった。弱小国、あまりにも若い国。グリスは初代国王から数えて四代目。初代と二代目は建国時の大戦により早くに亡くなり、前王も病に倒れ、グリスは僅か十代半ばで王となり、齢三十二、内政と外交一筋に国を支えてきた。時には強硬な姿勢を崩さず、搦め手を用いて隣国と渡り合うその姿を、国民は氷の王と揶揄していた。もう一人の王と比較して、の意が大半を占めているのだろうが、グリスは国民にあまり好まれていないと自己評価を下していた。それでも国が存続し、繁栄するのであればこれより望むことはなかった。我が国は二王制だ。光と影の役を演じる必要があるのなら、自分は影でいい。グリスは玉座に手を這わせ、来たる来訪者の到着を待つ。再び静寂の檻は破られ、謁見を告げる鐘の音がグリスを包み込む。

「ようやく事が進みそうだな」

 グリスの口元は、僅かに微笑を浮かべていた。


 シーヴォリー王立国は領土中央にシルヴォリア城を配し、そこから東西南北の区画に分かれ、産業毎に厳密な整地が行われていた。貧富の差を最小限に留めようとしたグリスの国策は奇しくも社会主義の様相を呈し、飢餓が発生しない代わりに、既知に富んだ開発も自然と抑制され、軍事国家でありながら、農業を営む国民が大半であり、工業国に対し、武力の点において大きく後れを取っていた。

 中央にそびえ立つシルヴォリア城は大小二百の部屋で構成されており、周辺にはいくつもの門衛塔が建築されていた。その一つに捕虜専用の地下牢が存在し、半日以上も前からウィルとアノンは、別々の地下牢へと収容されていた。武器や通信機の類は没収され、連絡手段の途絶えたウィルは苛立ちを隠せないでいた。

「王立国境団に扮するよく分からん連中ならボコって終わりだったんだが、まさか正規の連中だったとはな……こりゃ余計に事態をこじらせちまった予感がするぜ……」

 石畳に簡素な設備の地下牢は居心地が良いとは世辞にも言えず、手持ち無沙汰も相まってウィルは寝転びながら天井を眺め、地下牢の壁をひたすら踏み付けていた。看守も最初こそ注意をしていたが、ウィルの風貌、態度に気圧され、見て見ぬ振りを決め込むまでに至っていた。

 正規の王立国境団と言えど、目の届かない場所にアノンも収容されている。万が一の場合、組織には悪いが事を荒立てる必要がある。ウィルの顔は険しいまま、粗暴な態度を収める気にはなれなかった。

 幾何かの時が過ぎ、鉄格子の向こう、石畳の廊下の奥から乾いた靴の音が近づいてくる。ウィルの地下牢の前で音は止み、ウィルは目線をその先に移していた。

「中央管理軍の幹部職である少佐位として、相応しくない態度だと思わんのかね、君は」

 看守の声ではない。見覚えのない男だった。

「あんた、誰だよ」

「口の利き方は感心せんが、対面するのは初めてだろうから、名乗ってやろう。私は中央管理軍所属、ステイル中佐だよ。この国の駐在官でね、ここでは君の上官は私ということになる。判ったかね」

 ステイルの見下すような目に、ウィルはうんざりしていた。自身の態度に問題があるのは重々承知しているが、本部にもよくいる性質の輩だ。俺とは相容れない、初対面でのステイルの印象はその一言に尽きた。

「釈放だ、ウィル少佐、そこから出たまえ」

 ステイルの言葉と同時に、看守は地下牢の扉を開錠し、左へと押しやっていた。ウィルは無言で立ち上がり、地下牢の外へと歩み出る。ここに辿り着くまで頭部に袋が被されていたため、出口は判然としなかったが、ステイルが首で促し、後を付いて二人は歩き出していた。

「釈放したばかりで悪いんだがね、君には新しい任務が付与されることになった」

「……そりゃまぁいいんですがね、アノン中尉も釈放してもらわんと俺は動きませんよ」

 ウィルの言葉に、ステイルは背を向けたまま顔を歪ませる。

「もちろんだ、アノン中尉も釈放の手続きは既に完了し、私の部下が引率をする手筈となっている。心配は無用だ」

 アノン本人に会うまで確証は得られないが、どうやら無事らしい。暴れずに済んで幸いと言いたいところだが、どうにも腑に落ちない点が多い。ウィルは釈然としなかった。

 地下牢を抜けると石畳の廊下は延々と続いており、複雑に入り組んでいた。ステイルは迷うことなく地下から地上への階段へ辿り着き、気の遠くなるような螺旋階段を昇り始めた。駐在官は地下牢の構造まで熟知しているのだろうか。ウィルの疑問は湧き出る一方だったが、まずこれを聞かねばならなかった。

「王立国境団が俺とアノン中尉を目視した上で攻撃した理由はなんだったんですか、ステイル中佐」

「誤認識と聞いている」

「そんな言い訳で済むもんじゃないでしょうよ」

 ウィルの言い分は最もだった。中央管理軍は連合国政府直属の機関。言わば世界共通の組織、限定的な条件下で武力を行使可能な軍隊である。行動用の戦闘服は一目で判る迷彩柄をしており、先遣隊が各国で活動する場合、先に日程と行軍予定を通達する手筈になっている。

 よって緊急の場合を除き、双方は非戦闘協定を結んでいるのである。にも関わらず先制で警告射撃を行い、捕虜にするなど誤認識で済む話しではない。ウィルの怒気を感じ取り、ステイルは目線を配りながら制してきた。

「逸るな、ウィル少佐。この国では昨今、中央管理軍の戦闘服を模倣し、それらを悪用、近隣で亀裂の調査と銘打って施設や家屋へ押し入り、強盗を働く者が後を絶たない状況なのだ。世界共通の組織を模倣し盾とした犯罪だよ。王立国境団も、この国の情勢も、中央管理軍に対し敏感になっていた。その所為の誤認識なのだよ、判ってくれるかね」

「納得出来ませんね。我々を模倣した集団の犯罪が横行しているのであれば、それは重大な事態です。取り締まりに警務隊が動く状況ですよ。本部にも情報が出回り、より綿密な連絡を取って行動するような状況で、我々先遣隊にその情報が提供されず、結果として誤認識に発展するとは到底思えないのですが」

「そこも本部に確認したが、情報の提供や各国との連絡の際、不手際があったそうでな、その隊員は処分となったそうだ」

「んな馬鹿な……」

「同感だよ。本部の者がやった事とは言え、事態の起きた国の駐在官として謝罪したい。君とアノン中尉には苦労をかけた、すまなかった」

 ステイルの不意の行動に、ウィルは警戒心を強めていた。

「貴官は事の次第を本部に伝え、対応すべき行動を取っていた。謝罪すべき点はないでしょう。気になさらんで下さい」

「……そうかね、納得しろとは言わんが、まぁそういうことだ」

 言葉と裏腹に、ウィルの疑問は膨れるばかりだった。これほど重要な情報を伝達する際に不手際など起こるだろうか。物事に完全はない。それは判っている。だが、やはり腑に落ちない。自分の目で確認し、検討した事項以外、信用に値しない。ウィルの信条だった。善に見えて悪かもしれない。その逆もまた然り。今行動に移す時点ではないが、この事態は判然とさせる必要がある。ステイルの言葉がなにやら続いていたが、ウィルは話し半分で聞く事にした。判断を下すには材料が少ない。下調べを行う必要がありそうだ。ウィルの頬に風が当たり、草木の匂いが鼻を掠めていく。気付けば地上への出口は、目と鼻の先まで近付いていた。

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