track:13 診療記録 [mine]


 風上ふうじょうみねは広場の石段に座り、低い空に敵の姿を描いた。

 けれどその輪郭は朧げで、性別すらわからない。

 先ほどヨエルが送ってきたメッセージには、『シュンからの伝言。メイではなく君を傷つけることが目的かもしれない』と書かれていたが、犯人になり得るような人物に心当たりがなさすぎて困っている。

 幼馴染のめい以外とは確実に距離を置いてきたので、一方的に嫌われることはあっても、殺意に結びつきそうな出来事に覚えがなかった。加えてライバル視されるほどの優秀さもない。

 それでも、大切な人を奪うという行為が、標的の内面を抉る容赦のない制裁であることは理解できる。

 きたるべき日の下準備を思い立ち、図書館に場所を移した。

 油断は死と敗北を意味する。後には細い爪跡しか残らない。

 ひっそりとした冷たい書架に精神病の本が並んでいる。

 叶うなら、詺を死なせようとした犯人を、気が済むまで痛めつけてやりたい。

 被害者の平復を祈り、猟奇犯への防衛殺傷を許容するのがこの街のルールだ。



 駅周辺を避け、住宅街の端に建つ小さなクリニックを訪ねる。

 予約を入れる手間を省かなかったお蔭で、無意味な待ち時間という拷問を回避できた。

 ほどなく番号が呼ばれ、通路の奥に導かれる。

 医師はどこか消極的な印象の男性だ。短い挨拶を交わし、勧められた椅子に座る。

 受診の理由は悪夢と不安のW主訴にしておいた。

「夢の話ですが、深夜に駅までの道案内を依頼されたとき、その方を人殺しと間違えて、許されないことをしてしまいました。一度だけではありません。シチュエーションを変えて何度も……。いつか現実で取り返しのつかない過ちを犯す気がして怖ろしくなります」

 医師はゆっくりと頷いた。「そのような夢を見始めたのはいつ頃ですか?」

「憶えていません。公共の場で、過剰な警戒心を捨てられないことが原因ではないかと考えています」

 いくつかの問いを挟み、最後に女学園の情報提供を促された。

「入学してからほどんど通学していません。クラスに溶け込まないわたしを気に入らない人も多いと思います。ですが壁を壊せば、迂闊に築いた人間関係に殺されます。二面性、策略、裏切りと嘲笑、攻撃的な思考回路……。幼い頃から他者の歪んだ心理に興味がありました。わたしはひとりの方が向いているみたいです」

 協調しない個体を悪と見做す一方で、裏と表を使い分けて群集に取り入る者が否定されない世界のあり方を疑問視している。

「馴れ合いを嫌うことがいけないわけではありません。自由を愛する人ほど生き辛さを抱えて苦しんでいます。……謂れのない中傷から身を守るのが難しい社会です。このクリニックに来てくださった患者さんも、律儀でやさしい方ばかりでした」

「そこにつけ込まれて深手を負わされたのですね。そして何人かは命を絶ってしまった」

「その通りです。私の治療が至りませんでした」

「いいえ。使われる手口の卑劣さは調べ尽くしたつもりです」

 1枚のカードのために純粋な医療機関を利用したことを謝罪したい。しかしここで席を立つわけにはいかない。

 顔を上げると医師と視線が合った。弱く微笑みながらスカーフの結び目を見つめる。

「わたしはいつか、人を殺すかもしれません」



 路上の画家から譲られた絵を詺の病室に飾った。

 あの医師は対話の記録をカルテに残してくれるだろう。犯人の行動が読めない以上、最悪を想定して動かなければならない。遊ばれている現状を直視すべきだ。

 カーテンの隙間から覗くと、整列した街灯に淡い光が咲いている。

 過ぎた夜、公園で背中合わせに座り、空が霞むまで詺の歌を聴いていた。

 砂時計の硝子器のようなふたりの距離感。紺碧に包まれた詺の裏声が、透き通った笛の音に似ている。

 部屋が寒かったので、制服の上に着ていたカーディガンを彼のベッドに重ねた。

 やはり狙われているのは詺だ。ヨエルに昼間の返事を送る。

「居場所は訊かれなかったけど、『offオフ・ theザ・ lightsライツ』の4人はあなたのことを必要としてくれてるみたいよ。……わたしは友だちがいないから少し羨ましかった」

 横に流れた詺の前髪を正面に戻す。目元が覆われると、酷く閉鎖的で、人間を拒絶したがっているように見えた。

 彼はいつも無関心な態度で他者を遠ざけていたけれど、それと同時に、感じ取ってしまった誰かの痛みを静かに深く労わろうとしていた。

 生き方に夜の気配がにじみ出していて、音楽に愛された詺の、体温よりあたたかい暗さに心を預けたくなる。

 外は雨だ。



                               track:13 end.

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