track:12 SKIT Ⅱ get credits [Syunn, joel]


 アン維勲ウェイシュンは扉を叩くBPM157で目覚めた。

 窓を隔てた中通りの静けさで早朝だと気づく。

我很忙ウォヘンマ……」

「シュン、起きてくれ!」

 ベッドに寝転んだまま忙しいと言ったが撃退できなかったようだ。

 しばらく遣り過ごしたものの、眠気が薄まると同時にヨエルの口調が気に掛かり始めた。加矢間かやまめい、あるいは他のメンバーに何かあったのだろうか。

 急いた指でドアを開けると、パジャマ姿のヨエルがやつれ気味に微笑んでいた。

 ラブレターを渡す仕草でタイプされた紙を差し出してくる。

「起こして悪いけどこれ読んで。……手首怠い」

「また徹夜で描いてたんですか」

 話の内容と文書を要約すると、先ほどアーブル音楽院から連絡があり、ふたつのピアノクラスを教えに行けとのことだ。意欲的に取り組めば出席停止中の単位は保証してくれるらしい。遠方の講習会に参加していたピアノ教室の講師2名が、現地の悪天候でシティ・トルドに帰れない状態だと書かれている。

 4人で行きたかったけれど、森林公園の騒動を境に青葉あおばは部屋からほとんど出て来なくなり、二谷にたには奇妙な怪我をして酷く塞いでいる。ヨエルひとりでは同時にふたつのクラスを指導できないので自分が選ばれたというわけだ。

 ピアノは全科必修のため、コンクールで予選落ちしない程度には指が動く。

「俺はOKですよ。でもこのままだと二谷と青葉がまずいことになります」

「心配しなくていい。ボクの計画に従ってくれれば単位は大丈夫」

 完徹の割に自信ありげなスマイルだ。

 二谷、青葉と遣り取りをした後、ヨエルが音楽院と交渉し、許可が出た。

 生徒に接するのは自分たちだけだが、二谷にはクラスの進度に合わせた楽譜を頼み、青葉の方は伴奏なしの歌を録音させた。どちらも教材として使用する。



 派遣の講師ふたりでレストランに入った。

「そろそろメイを返してほしいね」

 記憶に刻まれた彼の歌が、胸の空洞に透き通った花弁を注ぐ。

 惨殺体に関していくつか訊きたいことがあったけれど、L館で二谷と青葉から聴取をした夜以降、警察とは音信不通だ。近頃は模倣班という猟奇グループの影響でニュースの情報が制限されている。

「なぜ犯人は詺さんを狙ったんでしょうか。謙虚な人なのに思いきり攻撃されてますね」

 ヨエルは浮かせたフォークを下ろし、緩やかに俯く。

「あの独特の暗さが目につくんじゃないかな。無関心な顔して実力あると余計に。……義理堅くてやさしいけどね」

 ライブの途中、加矢間詺がマイクを通して伝えた『自分について』に、静かな労りと共感が寄せられていたことを思い出す。彼の話を聞きたくて『offオフ・ theザ・ lightsライツ』の公演に来てくれた人もいただろう。感傷的な余韻を引き継いだ鍵盤の音が、この世界と器用に溶け合えない誰かを支えている気がした。

 自分の心を奥底まで覗き込んで弾くことを加矢間詺の演奏から教わったけれど、命を削るように曲を書いていた彼が、昼に殺され、夜の闇に癒しを求めていた日々を知っている。

 本人は「生まれつき悩ましい体質だから諦めてるよ」と言い、冗談ぽく灰色の壁に寄りかかっていた。


 辿り着いたピアノ教室は、庭にプリスクールだった頃の遊具が残っていて朗らかなムードだ。

 受付の案内で担当のクラスに向かう。ヨエルが上級の生徒に伴奏のつけ方、自分が中級コースで二谷の楽譜を教えることになった。

 初めてだからといって早く来すぎたかもしれない。

 無音の教室で譜面を開く。

 作曲者の好みが反映された、荒々しくも遊びの効いたメロディ。その下層に、何かから逃げ惑うような狂おしい足音が聴こえる。

 二谷は頑なに生い立ちを明かさず、誰に対しても無口で鋭利だ。ドイツで調達したという枯草色のジャケットを着ていて、機嫌がよくても悪くても生意気な笑い方をする。

 癖のある生き様は、さながら混ぜ合わせた珈琲と炭酸だ。

 鉛筆書きの雑な音符が彼そのものに思えてきて、仲間を失わずに済むよう祈りたくなる。



 緊張を宥めて待っていると受け持ちの生徒が現れた。皆、初等部の中学年だ。

 簡単な挨拶の後、男子2名と女子3名がそれぞれのピアノに着いた。

 まずは彼らが練習してきた課題をひと通り聴かせて貰い、複製した二谷の楽譜を配って手本を弾く。

「この曲を今日のレッスンに使おうと思うんだけど……」

 反応を気にしつつ教室を見回すと、ひとりの女子と視線が合った。

「これ、サイン入ってますけどメンバーのニタニが書いたんですか?」

 そうだよ、と頷く。彼女の落ち着き払った表情からは賛否が読み取れない。

 隣の男子が「先生、シュンですよね?」と追い打ちをかけてくる。

「黙っててごめんね……。ライブ来てくれたのかな。ありがとう」

「この間の公演が中止になった本当の理由を教えてください。MC暗い人が自殺したって聞きましたけど」

「ちょっとアクシデントがあっただけなんだ。大丈夫。死んでないよ」

「先生、何かかくしてません?」

 厳しい教育の副産物なのか、大人のような口調で話す子どもたちが怖すぎる。


 危うい空気ではあったけれど、二谷のハードな曲を気に入ってくれた感触があり、密かに胸を撫で下ろした。ヨエルは上手くやっているだろうか。

「この中にアーブル音楽院受ける予定の人いる?」

 3つ手が挙がった。

「弦楽より鍵盤の方が倍率高いのかな……。受験のとき、俺は周りが全員敵みたいで息苦しかったから、どんな環境でも集中して演奏できる余裕を作っておくといいと思う」

 そして、楽譜通りの音にしか興味のない、氷像のような弾き手にならないでほしいと言った。技術を磨いてトロフィを集めることと、愛のあるピアノ奏者になることは違う。

 音楽は常に感情との対話だ。耳を塞いでも自分の心からは逃れられない。


 親しげな男女の生徒を見て、女の子にかつてのホァンレイカを重ねてしまった。

 いなくなった人の分まで前向きに生きるのは素晴らしいけれど、全人類に批難されても取り返したい命くらいは誰にだってあるだろう。

 どちらも置いていかれることなく同じ日に死ねたとしたら、それは願ってもない幸せな人生だ。

 ふと思う。犯人は加矢間詺ではなく、風上ふうじょうみねを生きたまま殺すために行動を起こしたのではないか、と。



 臨時講師を終えた後、懐かしい情景が目に浮かんだ。

 故郷の街でひっそりと続けていたストリートライブ。

 台風の前触れにざわめく草花と、穏やかな晴天の不調和。

 突風に煽られたレイカの髪が、ときおりTシャツの布地に刺さり込んでくる。

 その日は駅前が無人になるまで演奏すると決めていた。

 けれど、抗うように弾いたバイオリンも、彼女の潔いクラリネットも、脅威的な風力で空に吸い上げられ、自分たちの耳にすら届かない。

 ハンドサインで送られた通行人からの励ましを胸に刻む。あのとき貰ったコインは今も、レイカが持っていたキャンディ缶の中だ。

 過去に戻れたら、訳もなく同じ場所にとどまることをやめて、吹き飛ばされた自分たちがどれくらい遠くへ行けるかを見届けたかった。

 永遠とは縁のない命だ。

 風はふたりに、思い出を強く握り締めるよう警告する。



                               track:12 end.

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