track:02 シツレンフェイント(暴風雨ver.) [Aoba]
手書きの地図にストリート名と番地が添えられている。
昨夜、
在籍している音楽院からは、騒ぎが収まるまで授業に来なくていいと言われ、『
晴れているのに風が冷たくて、現実の上を歩き続けることを諦めたくなる。
指示された住所に辿り着くと、褪めた色の洋館が佇んでいた。
住宅というよりオフィスのようだ。
躊躇いながら石段を上り、硝子扉を押し開ける。
音を立てずに中に入ると、通路の壁に寄りかかっていた少女と視線が合った。
彼女は学生証と同じシャン・ド・フルール女学園の白い学生服を着ている。長めの茶色い髪にほんのりと淡いウェーブを潜ませていて、写真のストレートヘアよりフェミニンな印象だ。
「はじめまして。来木青葉です」
風上峰はどこかクールな上目遣いで口元を綻ばせた。
「来てくれてありがとう。……意外と大きいのね」
顔の雰囲気が幼いうえに最年少なので、華奢なイメージを持たれやすい。
「これでも『off the lights』の中でぼくが一番小さいんですよ」
峰は軽く背伸びをしながらこちらを窺っている。
「男子が巨大化してるのね。シティ現象かしら」
手招かれ、奥へと歩き出した彼女について行く。セーラーカラーの真っ白なワンピースに不思議な色味のスカーフを結んでいて、女学園らしい装いに目を引かれた。
「あの、加矢間先輩は……」
出入りしていた警察も教えてくれず、学院側も口を閉ざしていて、状況を知る術がなかった。
「話はできないけど今のところ大丈夫よ。そこに座ってて。すぐ戻るから」
直射日光が当たらないよう、窓の位置が工夫されている。
勧められた席に着いてしばらく待つと、峰が湯気の立つカップを運んできた。
「ここ、父のアトリエなの」
服飾デザイナーをしているらしく、壁にシックなドレスの絵が飾られている。
テーブルを挟んでようやく、風上峰を真正面から見た。やわらかな曲線に縁取られた瞳と唇のあどけなさが可愛らしいけれど、話し方はさっぱりとしていて心理戦に強そうだ。
「寒い?」
興味深げに手元を観察され、紅茶のカップを手の平で覆っていることに気づいた。
「すみません。体調が優れなくて……」
「もしかして変なレポーターに追われてるの? レーザーガンなら用意があるけど」彼女は司令官のような笑みを浮かべ、曲げた中指の関節で桜色の頬に触れた。
「日を改めましょうか?」
首を横に振ると、一旦席を離れた峰が、黒い上着とスープをカートに載せてきた。
「詺のこと心配してくれてたのね。おなか空いてるでしょ? ……このコート、試作品だけどよければどうぞ」
差し出されたものを丁寧に受け取って袖を通した。食事も有り難い。
「ねえ、『煮炊き』って何?」
突然の質問に頬が熱を帯び、食べかけのマカロニを吐き戻しそうになる。
「ええと、それは、……あれです。ぼくと
「二谷と来木だから『煮炊き』ね」
彼女は悪戯っぽく笑い、それ以上は追及してこなかった。
「そういえば、声楽科ってどんなことしてるの? オペラとか?」
「ぼくは普段ライブでやってるような歌を専攻してます。授業では発声の基礎と、ときどき合唱も」
『off the lights』の活動を始めた頃から同じ学部の男子生徒と上手くいかなくなり、コーラスでは絶対に声を出すなと命令されている。自分の居場所はグループだけだ。
「あなたが作った歌、いくつか聴いてみたの。創作過程のエピソードとか、秘密じゃないなら教えて」
機会を貰ったので、悪天候の中、外を歩きながら録った曲について話してみた。さほど前のことでもないのに記憶が遠い。
『off the lights』の仲間はいつまでも元気で、誰も欠けたりしないと頑なに信じていた。
なのになぜだろう。歪んだ現実が心の拠り所を殺そうとする。
・
ぼくが第一発見者です、と口にしたとき、風上峰は何度か瞬きをして僅かに身を乗り出した。
「あなたが……?」
「はい」
喉の辺りが重苦しく、言葉を繋ぐための弧線がほしくなる。
「……昨日の朝、」
いつもの時刻を過ぎても加矢間詺が起きて来ないことに気づいたが、徹夜した日は稀にa.m.-1の授業を欠席するケースがあったため、すぐには部屋を訪ねず、他の3人を送り出してテーブルを片づけた後に様子を見に行った。
ノックをしても返事がないのでドアを開けて室内を覗くと、彼はベッドの縁から片腕を垂らすような格好で横たわっていた。
「床に着いた手の側に割れたティカップが落ちてました」
本人は何をしても応えてくれず、パニックになりながらレスQを呼んで、通学途中のヨエルに連絡をした。事態が二谷と
その後、隊員がポリスに通報し、ひとりずつ別室で事情を訊かれた。
L館のどこからも遺書らしきものは見つかっていない。
「ぼくもメンバーも、加矢間先輩に危害を加えるようなことはしてないです。原因として思い当たるようなトラブルもありませんでした。でも……」
朝食の席に現れなかった時点で彼の部屋へ行っていれば、大事には至らなかったはずだ。
「詺自身が死ぬと決めたなら、止めるのは不可能だったと思う。青葉くんのせいじゃない」
・
少し休んでいくよう促され、布張りのソファに寝かされた。
毛布があたたかくて安らぐけれど、使い慣れた自分のベッドが恋しくなる。
「薬箱に子ども向けの風邪シロップしかなかったの。あなたは無駄に大きいから2.5倍飲むといいわ」
指示通り、ボトルの中身を小さなキャップで飲み下す。
保温のため、峰がやさしく身体を包み直してくれた。肌が触れた瞬間、彼女が自分を通して加矢間詺の断片を見つけようとしているのがうっすらとわかった。
「加矢間先輩は、試験が迫っていてもライブで披露する曲を書いていました。個人名義で自由に活動していたら、もっと高く評価されたはずなのに……」
自分が手にしたハートの
命が創り出すものの価値は平等ではない。
存在の価値も平等ではなかった。
声楽科のクラスで孤立している姿を想像すると、生きていくのが嫌になる。
「詺、あなたのこと気に入ってたでしょ」
「えっ」
「歌うときの声、涙腺緩そうで綺麗だったから」
track:02 end.
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