track:03 真情報告 [mine]
「まだ起きないの?」
窓硝子の向こうに涼しい午前の青が滲んでいる。居心地がやさしくて、この隔絶された空間を自分の部屋より好きになってしまった。
変わらず彼は、魔術にやられたような深い眠りに就いている。
陽に守られた髪はさらりとしていて、洗い立てみたいにやわらかい。
改めて部屋を見回したが、詺の母親が来てくれた気配はなかった。
見舞いの花もなく、彼女の息子は2日前と同じパジャマを着ている。
親としては、陰鬱とは無縁の明るく積極的な子どもを望んでいて、真逆の性質を持った詺を受け入れられなかったのかもしれないけれど、せめて彼の歌だけでも愛してほしいと願わずにはいられなかった。
「上手くいかないことばかりね。……次があるなら、わたしは感情を持たない生きものになりたい。海辺の砂とかでもいい」
久しぶりに詺と人間の話をしたかった。たとえば、狡猾な顔に仮面をつけている奴らとの共存に嫌気が差し、荒んだ色を引きずりがちな自分について。
「昨日、メンバー
『
ほどよく洗練された外側とは異なり、内面はどこか自信なさげで、争い事を好まない雰囲気を持っていた。
詺の事件で眠れなかったらしく、かなり衰弱していたが、セルラの画面に映した青葉は笑顔で元気そうだ。
ふと、帰り際に返された学生証のコピーと写真を取り出してみる。
詺が青葉を気に入っていたのは間違いない。心遣いが律儀で、歌も、声の余韻も、胸から涙が溢れそうなくらい素晴らしかった。
だからというわけではないけれど、『off the lights』のメンバーに詺を追い詰めた者はいないと言った彼の言葉を信じたかった。
・
昨夜、どうしても気になってしまい、詺の自殺騒動について調べた。
半ば予測した通り、騒ぎを起こした者に対する容赦のない批判と中傷が散らばっている。
何をされても決して陰口を言わない詺が罪人のように罵られていて辛かった。
内容のほとんどが、ライブの中止に対する意見ではなく匿名の攻撃だ。
詺は、人の痛みや苦しみを探し当てて斧を振りかざしてくる者たちにも、自分の歌を届けたいと思っていたのだろうか。
敵は、大嫌いな草原に出向き、美しい蝶を捕えては羽を裂いて弄ぶ。
悪にすらなれない無価値な生命体だ。
そういう奴らに詺はいつも狙われる。人前では隙を見せないのに、冷静さを装った表情の裏を読まれて、気がつくと的にされている。
闘うつもりのない彼の手を掴んで、白い指を右の耳に載せてみた。
目を閉じると、水色の花びらが流れ込むように新しい世界の音が聴こえる。
でも今は音楽より、寂しさを隠そうともしない傷だらけの声で「峰」と呼んでほしかった。
「とにかくあなたに死なれると困る。わたしはイレギュラーな出来事に慣れてない」
詺は、本当に自分の意思で毒を飲んだのだろうか。些細な感傷で、積み重ねてきたものを闇に葬るような真似をするとは思えなかった。
しかし、何を遣り遂げても自分を尊いと感じられないのなら、その気持ちごと心中するしかないのかもしれない。
受け継がれてきた音楽を、『かつては存在していたけれど今は存在しないもの』にさせないために詺が生まれてきたのだとしたら、最高に素敵で最高に試練だ。
協調性のない彼がグループを抜け出さなかった時点で、『off the lights』の活動に愛情を持っていたと判断してよいと思う。真剣に取り組んでいたからこそ、誰にも打ち明けられない悩みを抱えていたのだろうか。
他にも疑問がある。突発的な事故ではないのに、なぜ遺書も別れの言葉もなかったのか。そのような場合、自殺ではなく事件扱いになると知っていたはずだ。
もしかすると、何者かが自殺に見せかけて殺そうとしたのかもしれない。
――だとしたら誰が……?
謎の増殖が止まらなくて眩暈がする。落ち着いて証言と情報を集めなければ。
・
詺の大きくて薄い手の平を頬に移したとき、鍵盤に置かれた指の温度を初めて意識した。
きっと自分の肌が感じているより熱く、研ぎ澄まされた感覚と引き合うように緊張している。
叶うなら、詺の音楽に応え続けたピアノからも話を聞きたい。
track:03 end.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます