第4話

音久奈を追って店を飛び出すと、植物園へ向けて早足で歩いているのを見つけた。


【武】

「ちょっと、音久奈! どうしたんだよ!?」


呼びかけるとピタリと立ち止まり、肩を震わせながらその場でうずくまってしまった。


【音久奈】

「そう……だよね? おかしいよね……」


【武】

「音久奈、どうしたんだよ? なにか悪い事言ったなら謝るよ!」


【音久奈】

「ううん、お兄ちゃんは悪くないの……僕が悪いだけだから」


女がこう言い出したら要注意だと友達が言っていた。


必ず男の方が悪いから、自分を責める発言を真に受けると逆ギレしてくると……


言わないでもわかれよという意味だと……


じゃあ……音久奈の場合は?


【武】

「いや、俺が悪かった……ごめん……」


じゃあ、なにについて謝っているのかと理由を尋ねられたら、俺は答えられない。


けど、音久奈を傷つけてしまったのは事実だから、それに対して頭を下げている。


【音久奈】

「お兄ちゃん……こっち……」


震える声で俺を呼びながら立ち上がると、音久奈はバラ園へと入り、迷路のように花を観賞できる道を歩き始めた。


【音久奈】

「お兄ちゃん……男の人同士が付き合う事に対して、どう思う?」


いきなりなんの話を始めるんだ?


哲学的問答なら苦手だが、率直な感想を求めているなら自分なりの考えがある。


【武】

「多くの人からは理解されがたい事だけど、

 好きだとか愛してるっていうのは、

 事実なんだからそれでいいと思う……」


音久奈は俺に背を向けたまま、赤いバラをめでるようにしている。


その姿は美しく煌びやかありながらどこか色褪せているようにも思えてしまう。


【音久奈】

「これから……真面目な話をするけど……いいかな?」


重々しい口調と背中から発せられる雰囲気に思わず息を殺す。音久奈には見えていないだろうけれど、静かに頷いた。


【音久奈】

「これから言う事を聞いて、僕の事を嫌いになるかもしれない……

 それでもいい?」


小さい頃からずっと俺の隣にいた音久奈。


いじめられていたのを助けた事、一緒に遊んだこととか、いたずらをして叱られた事とか、いつもそこにあった可愛らしい笑顔とか……


様々な思い出が脳裏に過る。


ずっとずっと、一緒にいた音久奈を嫌いになるような話。


この話一つだけで、今までの楽しい思い出がすべて跡形も残らず崩壊してしまう……


だが、音久奈の様子からは冗談ではなく本気だというのがひしひしと伝わってくる。


俺はそれを受け入れられるだろうか?


音久奈を嫌いになる覚悟はあるのか?


あるならば聞いてもいいが、ちょっと想像できないから怖気づいてしまう。


【音久奈】

「やっぱり、ダメ……?」


【武】

「聞いてみないと……わからない……」


【音久奈】

「やっぱり、お兄ちゃんはそれだから、女の子にモテないんだよ……」


【武】

「どういう事だよ……全然わかんねぇよ」


【音久奈】

「……もし、これを聞いてお兄ちゃんが僕を嫌いになるなら、

 それでもいいと思ってる。

 それが答えだし、事実なんだから……後悔はしない」


ふっと一陣のやわらかい風が吹き、庭園にざわめきが満ちる。


この先、音久奈が口にする言葉があまりに恐ろしく思えて、本当なら耳を塞ぎたい気分だった。


だけど、そんな気持ちを必死でこらえる。


嫌いになりたくなんかない……ずっと、一緒にいた大切な人を、簡単に嫌いになれるはずなんかない。


【音久奈】

「じゃあ、言うね……」


青々とした木の葉が風に舞い上がり、俺の元へと舞い降りる。


それと同時に、周囲が静まり返り、意を決したように音久奈はフリルを揺らしながら振り返った。


【音久奈】

「僕、お兄ちゃんの事が好き……大好き……

 ずっとずっと、昔から大好きだった……」


俺へと向けられた真剣な言葉の重み。


緊張した潤んだ瞳。


妙な静けさをまとった可愛らしい顔。


胸が締め付けられるような感覚が止まらない。


嫌いになるのか? 俺を好きだというその一言で?


だけど、音久奈が口にした言葉に、社会的な不安が付きまとう。


いくら世の中がそういった愛に寛容になろうと、すべてが許されるわけではない。


じゃあ、社会を抜きに考えると俺はどうなんだ?


俺の本心は!?


音久奈の事をずっと求めていた?


ずっと隣にいて、いないときはどこか寂しくて、ずっと心の中で欲していた。


ずっと一緒にいたいと思っていた。


だけど、一生、音久奈を愛してあげられるのか?


幸せにしてあげられるのか!?


その不安を排除したくて、やっぱり嫌いになってしまいそうになる……


嫌いになりたくないのに……好きなのに、それが不安で仕方なくて……不安を感じないためには嫌いになればいいだけなのに……


【音久奈】

「どう? 嫌いになった!?」


【武】

「いいや……今は、まだ……音久奈はさ、自分の事、どう思ってる?」


【音久奈】

「どう思ってるって?」


【武】

「男だとか女だとか、どんな人だとか……そんな感じでいいんだ……」


【音久奈】

「うーん……わかんない……じゃあ、お兄ちゃんにとって、僕はどんな人!?」


音久奈はどんな人? 隣にいると安心するし、女の子みたいに可愛くて……だけど、互いに男だから打ち明け話もするわけだ。


じゃあ、俺を好きな音久奈の事が、俺は嫌いか?


嫌いになるとしたら、どうして嫌いになる?


脳裏にこだまする問いは、答えを出さないまま同じところを低回するばかり。


【武】

「……男の娘……かな?」


無意識に口走ったその表現は、なんとも曖昧で頼りないものだった。どうとでもなる浅はかな言葉に逃げてしまった自分が、酷く情けなく思えた。


しかし、それが本心だ。社会的に言えば音久奈は男だし、自身が男だという自我の元に生まれて暮らしている。


なのに、俺からすると、音久奈は女みたいで――じゃあ、音久奈が女として生まれていたならば、俺は音久奈を好きになっただろうか?


【武】

「やっぱり……そうなんだな……」


【音久奈】

「ダメ……だよね……」


今にも涙に崩れそうな愛しいその顔。いつも一緒にいたはずなのに、こんな表情は初めて見るから、その先の表情を見るのが恐かった……不安を拭ってあげたくて大きく歩み寄ると音久奈の後頭部に手を当て、口づけを交わす。


【音久奈】

「んっ……ちゅっ……ちゅぴっ……お、お兄ちゃん……ど、どうしたの?」


プルプルと弾力のある唇が絡みつくキスの感触は夢を見ているようだった。ファーストキスにも関わらず不意にされたもんだから、微妙に抵抗しようとしながら震える。やがて、俺を受け入れると熱を帯びた吐息を漏らし始めた。


【音久奈】

「ぢゅるっ……はぁっ……んちゅっぢゅ……れろっ……はぁはぁ……」


【武】

「正直なところ、まだ約束はできない……でも、俺の男の娘でいてくれるか?」


俺の言葉が信じられないとばかりに息を呑んでしばらく呆然としていた音久奈は、瞳からわずかに雫をこぼすと可愛らしい笑みを閃かせた。


【音久奈】

「いいの……本当に?」


【武】

「音久奈が本当にいいなら」


やさしく笑いかけると静かに歩み寄って俺を強く抱きしめる。


【音久奈】

「……どうして、僕は男なんだろうね? 女の子だったらよかったのに……」


わずかに不安そうな声を漏らしながらギュッとしがみつくようにした。そんな音久奈の頭をやわらかく撫でてやると、くすぐったそうに微笑む。


【武】

「音久奈が女として生まれてたら、遥香ちゃんを選んだかもな……」


【音久奈】

「お兄ちゃんの……いじわる!」


【武】

「音久奈だったかもしれないけど……」


【音久奈】

「もう……じゃあ、お兄ちゃん……あの、もう一回、ちゅーして」


小さな背丈に合わせてわずかに膝を曲げると、ふわふわの唇目掛けてキスをする。


くにゃりくにゃりとよがるように動く感触がたまらなく扇情的だ。


【音久奈】

「ちゅるっ、ちゅぴっ……んちゅくっ……ふふっ……どう?

 やっぱり、僕と結婚したくなっちゃった?」


音久奈はじゃれつくように俺の腕に抱き着くと、腰を押し当てながら聞いてくる。


くすぐったそうによがるたび、硬いなにかがビクリと震えて……


こんなに可愛いのに……男のそれが反応しているなんて……


そのギャップだったり、俺達だけの秘密だったりが、とても愛おしい。



【武】

「音久奈は?」


【音久奈】

「うん……僕も、お兄ちゃんと結婚したい!!」


【武】

「僕もって……」


結局は相思相愛というわけだ……いつも一緒にいたとしても知り得なかった互いの姿を、セックスによって知って、満足したという事だ。


だけど、やっぱり心のもやもやは晴れない……


【武】

「なぁ、音久奈……」


【音久奈】

「なに、お兄ちゃん?」


【武】

「音久奈は……不安か?」


【音久奈】

「……うん……実はね……だけど、もし、何かが起こっても……

お兄ちゃんと選んだ道だから……僕は後悔しないよ」


明るく気丈に振る舞っているけれど、やっぱり不安は拭い去れないようで、華奢な体がわずかに震えている。


音久奈も不安なのを知って、俺は逆に安心した。


この不安な気持ちも、二人だけにある大切なものなのだから……


それに、俺が不安がっていちゃいけないという勇気も溢れてくる。


【武】

「そうだな……俺達の選んだ道だから……」


二人の不安が消えて、幸せになるまで――幸せになったその先も、一緒にいよう。


あの日、初めましての挨拶で交わしたように……


音久奈と俺は小指を絡めて新しい約束を結んだ。


……fin

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二度目の初めまして 白鳥一二五 @Ushiratori

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