第2話
翌日、音久奈と約束した時間より十分も早く、駅西口の自販機前で俺は待っていた。
毎度の事ながら早く来すぎたみたいで、暇を持て余してしまう。
十分前が早すぎるというのは妙な話だが、絶対になにがあろうと音久奈は五分以上遅れてくる。
つまり、短く見ても十五分、長い目で三十分以上早く着いたという事にもなるのだ。
音久奈が待ち合わせの時間を守った事がないので、それを叱った事もあったが、あの顔でうるんだ瞳をされるとそれ以降なにも言えなくなってしまう。
そういう奴って、得だなと思う……世の中では可愛ければとかイケメンならとか、そういう不都合で理不尽な――
ぼんやりと考えているとスマートフォンにメッセージが届く。画面には音久奈の名前と謝罪の一文章が表示されていた。
【武】
「えーっとなになに……
ごめん、お姉ちゃんが事故ってちょっと大変な事に……本当にごめん……
って、本当にまずいのじゃんこれ」
どうやら、遅刻どころじゃないらしい。
照姉が事故に遭ったのは俺自身も心配で仕方がない。
【武】
「マジ? 今から俺も行こうか!? 送信っと」
送ったタイミングで付近にいた人のスマートフォンが鳴り、思わず確認しまう。
フリルのついた可愛らしい服装の、長い黒髪をツインテールに結った小さな子が、俺の近くで背を向けているだけだ。
この世の中じゃあこういう偶然が起こるのも普通だろうな。
そう思いながら、昨晩、音久奈から送られてきたメッセージを読み返す。
【武】
「兄貴、ありがとう! 大切にする!! ってなんなんだろう?」
朝起きたと同時に今日は音久奈の誕生日であると気が付いた。
だけど、プレゼントはまだ送っていないし、直接会うのだからその時に祝おうと思ってたのだが……
【武】
「いや、大丈夫! それより、兄貴もこの際だから女の子ナンパしてみたら?
って、家族がピンチの時にどういう気の利かせ方だよ!!」
爆発でも起こったかのような空気の衝撃が体に響き、スマートフォンから顔をあげると、駅前の道路で3台の車が事故を起こしていた。
音からして前の車が急に止まったもんだから、後続車と並びにその後ろの車まで突っ込んだみたいだ。
【武】
「うわぁ……玉突きじゃん……」
その時、近くにいた小さな子が図星と行った表情でチラリと俺を伺った。
わずかに横顔を見た程度だが、可愛いという事がわかる。それほどに可愛い子だ。
【武】
「玉付き事故見ちゃったよ……送信、って誤字ってるし……いや、玉突きだ」
たんなる偶然なんだろうか? 俺が二回送ったと同時に、その子のスマートフォンも二回受信した……
いや、グループトークなら頻繁に鳴るのもおかしくないし、やっぱり偶然だろう。
その時、可愛らしい服の華奢な体つきの子はツインテールを揺らしながら、チラリと俺を振り返った。
視線が重なり合う……
引かれ合う磁石のように、しばらくの間、互いから逃れられなくなって、時が止まったみたいに周囲が静まり返った……
しかし、やがてせわしない雑踏が動きを止める。
【武】
「あれ?」
その子はヤバイと言わんばかりに目を逸らすと、スカートのフリルがひらりと舞い、細く白い絶対領域に引かれたガーターベルトのラインがチラリと見えた。
白くてやわらかそうなふとももを、わずかながら窮屈そうに締め上げるその明暗にドキドキしてしまう。
が、俺が気になったのはそれだけじゃない……
あのクリクリした――俺にだけ見せる人懐っこい瞳……
ふわりと一陣の風が吹き、いつも隣にあった匂いが俺の鼻腔をくすぐった。
【武】
「えーっと……音久奈、どうしてここにいるんだ!?」
ビクリと飛びあがりそうな程の大きなリアクションは、バレたと言わんばかりだ。その子――音久奈と思われる人物は、俺に背を向けたまま振り返ろうとしない。
【武】
「音久奈?」
【音久奈】
「えぇ、嫌だなぁ……誰ですかそれ!?」
【武】
「いや、喋ったら音久奈だってバレるだろうに……」
してやられたと言わんばかりの反応は化かし合いに勝ったみたいで心地がいい。
【武】
「というより訊きたい事が山ほどあるんだが、まず照姉は!?」
【音久奈】
「嫌だなぁ……知りませんよそんな人」
【武】
「ウソなんだな……で、なんでそんな格好をしてるんだ?」
【音久奈】
「ある人からの……誕生日プレゼントで……あ、兄貴こそ!
こんな物送りつけて、どういうつもりなんだよ!?」
メイドみたいな服装のまま、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
せめてもの抵抗とばかりにツインテールをブンブン振り回して、怒りを露わにする音久奈は子供っぽくて可愛らしい。
というか、いつものような男の服よりも、こっちの方が似合っているというのが不思議で仕方ない。
それどころか、気が付くと目が離せなくなっている自分がいる。
【武】
「って、俺が送り付けた? 何の話だ!?」
【音久奈】
「変な名前書いてある荷物だよ!
も、もしかして、兄貴……じゃ、ないの?」
【武】
「いや、というか差出人不明の荷物開けるなよ……」
【音久奈】
「音聞いて振って確認したから大丈夫だと思って」
【武】
「振ったら爆発するだろそういうのは……」
こういうところ本当に子供っぽいんだよな……
【音久奈】
「兄貴が送り主じゃなくて、女装をさせるのも兄貴の趣味じゃない。
兄貴は変身できる魔法の道具だなんて知らなかったんだよな……
えっ! それなのになんで僕だってわかったの!?」
【武】
「いや、だっていつも通りだし……」
そう、良くも悪くもいつも通り。
むしろ、今まで何故、女装をしなかったのかが不思議なくらいである。
【音久奈】
「えぇっ!! いや、全然違うでしょ!! ほら、ほら、見てよこれ」
スカートをたくし上げようとしたその手を止める。
【武】
「ストーーーーップ!! それはダメ。
今のお前はどっからどう見ても女だから!!」
【音久奈】
「でしょ!? どっからどう見ても女なのに、なんでわかったんだよ?」
たしかに、いつもの音久奈よりは可愛い。三割増し、いやそれ以上に……
【武】
「でも、もともと女の子みたいなもんだし……」
【音久奈】
「えっ、ウソでしょーーーー!!」
なるほど、ナルシストならいざ知らず、音久奈のような性格で自身は男であるという認識を持っている場合、元からどれほど可愛かろうが、自分をキュートと思わないわけだ。
そして、この類の服を着た事によって、女装という意識が生まれ、自分が可愛いという事を初めて発見したかのように認識するのだ。
音久奈はこの服を着て、鏡を見るとこう思ったんだ……
えっ! 誰? この可愛い子? もしかしてこれが自分!? 初めまして!!
でも、俺からすると……
そうですあなたはもともと可愛いです。だから大人しく常日頃(つねひごろ)から女の子の服を着てくださいという事になる。
いや、最後の部分は撤回しよう。それだと俺が音久奈の女装を求めている事になる。
【武】
「で、なんでこんなウソついたんだ!?」
【音久奈】
「それは……兄貴を驚かせようと思って……ほら、よくあるじゃん?
可愛い子と思ったら男だったっていうドッキリみたいなのがさ」
【武】
「いや、これじゃただの予告ドッキリだろ……
てか、そういえば魔法の道具がなんとかって?」
【音久奈】
「あぁ、それは――」
と言いながら、音久奈は人気のない場所まで俺の手を引いて、周りに誰もいない事を確認するとスカートをたくし上げた。
フリルのついた女物のパンティがもっこりと膨れ上がり、男のモノの先端からあふれ出したらしい粘液が、しっとりとシミを落としている。
なんで勃ってるんだ……
女性もののパンツが盛り上がっているのといえば、妙な好奇心に駆られてしまう……嗅いでみたい……女性下着はいい匂いがしそうなもんだし……というかそもそも、なんで勃起してるんだ……
【音久奈】
「ちょっと兄貴……あんまり見ないで……恥ずかしい……」
艶めいた吐息混じりに言う姿は扇情的で、冷静さを失いそうになる。が、俺は男だ。深呼吸すると音を立てないようにゆっくりと唾を飲み込んだ。
相手は女装した男だ……なにもない様子を装わなければ……
華奢な脚を包み込む黒いソックスの悩ましい明暗に、思わず息が荒くなってしまい、ペニスが立ち上がりそうになるが、深呼吸をしてとにかく冷静に。むっちりと太ももに絡みつくガーターベルトを指で弾いてみたくなる。
【音久奈】
「もともとは普通のベルトだったんだけど、つけたらこんな感じになって……
デザインは色んなのに変えられるけど……って、兄貴?」
【武】
「あ、いや……なるほどな……そもそも、どういうベルトだったんだ?」
つい見とれてしまったなんて間違っても言えない……
【音久奈】
「普通のベルトだよ、スーツとかに合いそうなやつ。
制服に使ってたベルトがボロボロになっちゃったから」
ってなると、俺からのプレゼントは決まったようなもんだろうか……
【武】
「そういえば、昨日はごめんな」
【音久奈】
「えっ、なんのこと?」
【武】
「いや、今日、誕生日だったのに忘れててさ。おめでとう」
【音久奈】
「そ、そんな……ありがとう……」
照れた様子の笑みもまた可愛らしく、音久奈が本当に女で付き合っていたなら、この場ですぐにキスしていただろう。いや、周囲の目からしても女の子だから、音久奈が嫌でなければしてしまうのがいいかもしれない。
【音久奈】
「そ、それなら……今日、一日だけでいいんだけど……お願いがあるんだ」
【武】
「ものによるな」
【音久奈】
「あ、兄貴ってば酷い! 僕、誕生日なんだよ!!」
【武】
「冗談だって……で、なんだ? あらたまって……」
もじもじおどおどしながら、妹がおねだりのように上目遣いで見つめると、背のちっちゃい音久奈はつま先立ちになって俺の耳元に囁いた。
【音久奈】
「今日一日だけでいいんだ……その……
甘えても、いいかな? お、お兄ちゃん!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます