二度目の初めまして

白鳥一二五

第1話

物事の裏側はいつだって、多くの人にとって、受け入れがたい事実を孕んでいる……


……もう十年くらい前の話になる……小さい頃の思い出だ。


人と関わるのがヘタクソで友人もいなかった俺は、昼休みになると体育館裏の入り口の屋根の上で昼寝をしている事が多かった。


そう、こうして一人静かに過ごすのが、俺の楽しみだ。


今日の給食は旨かったとか、今日発売のマンガ雑誌が楽しみだとか……


とにかく考えるでもなく色々な事を脳裏に過らせ、建物の日陰の下でウトウトし始めた頃、なにやら複数の声が近づいてくる。


【武】

「なんだよ……うるせぇな……」


まぁ、鬼ごっこで走り回っているなら、すぐに通り過ぎるだろう。


そう思って無視しようとするけど、少年たちは俺の寝ているすぐ下で、誰かに罵詈雑言を吐きつけているばかり。


もう少しだけ待ってみればどこかへ行くだろうと我慢していたが、一向にいなくなる気配はなくて、いよいよ俺は限界だった。


【武】

「クッソ……ぶっ潰してやろうか……」


【???】

「やめてよ……」


可愛らしくて今にも泣きだしそうな弱々しい声。


ふと気になって屋根の上から覗き見る。


【武】

「なにやってんだよ……」


三人の少年に囲まれているらしきその子は、細く白い腕で抵抗していた。


なるほどな、状況は把握できた……となると、話は少し変わってくる。いじめは許せないという口実によって、俺は迷う事無く三人の排除を実行出来る。


彼らの意識がいじめの中心へ向いた次の瞬間、俺は屋根から飛び降りて少年の一人にケリを喰らわせる。


【少年B】

「えっ……ごわっ!!」


着地して屈伸状態の脚部に力を込め、飛び上がる勢いを利用してもう一人の顎めがけて頭突きお見舞いしてやる。


【少年C】

「うっ、うわぁぁ!」


あっという間に倒された二人を目にし、怯えた様子で最後の一人は逃げ出した。


【少年B】

「おい、待てよ!!」


【少年A】

「くそっ、覚えてろよ!!」


まったく……力に屈する程度なら、暴力なんて振るわなきゃいいんだ。


とは、正義みたく思ったものの、別にそうじゃない。


ただ殴りたかっただけ。本当にそれだけ。


【武】

「はぁ……もう大丈夫だ」


しかし、あまりに怖い経験だったのだろう……いじめられていた子は、涙に肩を震わせ小さくうずくまったまま顔を上げようとしない。


【武】

「ほら、泣くなよ。大丈夫だから?」


俺の声に落ち着きを取り戻したのかその子が顔を上げる。


【???】

「ヒクッ……えっ……あれっ?」


花も恥じらうほどの可愛らしい顔と涙に濡れたクリクリとした瞳に見つめられ、ときめきという言葉を頭によぎらせた。


初めてだった……


一陣の風が吹くとともにその子の長い髪が揺れ、香りを俺の鼻に運んでくる。


肺に飛び込んだ匂いが神経を刺激し、心臓を激しく鼓動させる。


窒息するかと思えるほど息苦しく、時が止まったかのような静けさに包まれ、ただその子を見つめ続けた。


が、自分をいじめていた相手を倒した俺が恐いと映ったのか、その子はまたうずくまって泣き始めてしまう。


【武】

「あぁ……お、おい……泣くなよ! 泣くなってば」


【???】

「コラ! 私の弟いじめるな!!」


【武】

「お、弟!?」


姉と思われる人物を確認するよりも、いじめられていた子にばかり気が行ってしまう。


なにかの見間違いかもしれないと思ってもう一度、いじめられていた子へ目を向けるが俯いて泣いているばかり。


【???】

「このヤロー!!」


飛び蹴りを食らった俺は地面に倒れ込み、少女はのしかかると拳を握りしめた。


【???】

「お姉ちゃん! あかりお姉ちゃん、違うの!!」


どこからどう聞いたって、男とは思えない透き通った声質に一命をとりとめた気分になりながら、本人をしっかりと目にした。


男とは思えない可愛らしい小さな顔は、見ていて思わず時間を忘れてしまうほどの魅力にあふれていた。


涙に濡れた肌は綺麗に整っていて、頬の膨らんだ部分が柔らかそうだ。


【照】

音久奈おくな! どういうこと!?」


少女は立ち上がると弟の音久奈に事情を聴き始め、俺が助けた恩人であると知ってきまりが悪いように頬を赤らめた。


【照】

「えっ! あっ、あの、ごめんなさい……」


【武】

「いや、別にいいけどさ……」


まあ、あの状況なら俺がいじめていたみたいに思われても仕方がない。


腑に落ちないが、女の子相手に手を上げるわけにもいかないので、そう思う事にしておく。


【照】

「で、またなんでいじめられたの?」


【音久奈】

「いつもの事だよ……女みたいな名前だって……もう、僕イヤだよ……」


再び泣き出しそうな音久奈に声をかけながら照が頭を撫でるが、それでも涙が止まらないらしい。


【武】

「音久奈か……いい名前じゃん!」


【音久奈】

「えっ……ほ、本当?」


【武】

「お父さんとお母さんが考えてつけた名前なんだから、大切にしなきゃ」


今まで同じ理由でずっといじめられてきたんだろう。だから、褒められるのは初めてで嬉しいらしく、音久奈は泣き止んで徐々に笑顔を取り戻そうとしている。


【照】

「そうよ、音久奈。お父さんとお母さんの事、好きでしょ?

 だったら大切にしなきゃ、お母さんたちが泣いちゃうんだから……

 それで、あなた名前は!?」


【武】

「武っていうんだ。名前が古臭いって俺もよく言われるけど、よろしく」


【照】

「武、いい名前じゃない!

 弟を助けてくれてありがとう。音久奈も、ほら!!」


【音久奈】

「その……助けてくれて、ありがとう!

 そ、それで……お願いがあるんだけど……」


【武】

「なんだ? 言ってみろ!?」


【音久奈】

「と、友達になって欲しいんだ……」


【武】

「泣かないと約束できるならな」


【音久奈】

「うん、わかった!」


【照】

「それじゃあ、二人とも指切りしましょ!!

 ゆ~びき~りげ~んま~ん」


【武】

「う~そついたらは~りせんぼんの~ます」


【音久奈】

「ゆびきった!!」


【照】

「音久奈、よかったわね。こんな強い友達が出来て。

 武、これから弟をよろしくね!!」


きっと、俺はこの時、惚れたのかもしれない……その笑顔があまりに可愛くて……


【音久奈】

「よろしくね、お兄ちゃん!!」


……


…………


……


放課後の校門前。ベンチに腰を掛けて夕日に染まる校庭をぼんやりと眺めながら、音久奈の姉貴が迎えに来るのを俺達は待っていた。


【音久奈】

「なあ兄貴?」


パックジュースのストローからぷっくりとした唇を離すと、音久奈は可愛らしい声で俺に話しかけた。


【武】

「いや、兄貴ってなんだよ? ってか、このくだりも何回目だよ!?」


【音久奈】

「いや、いいじゃん、兄貴なんだから」


【武】

「いや、別に兄弟とか子分じゃねぇから。昔みたいに武でいいじゃん」


何故かはわからないが音久奈は最近になって、俺の事を兄貴と呼ぶようになった。


あまりに違和感がありすぎて、毎回ツッコミを入れてしまう。


【音久奈】

「じゃぁ……た・け・る!?」


とは言ったものの、男にしては長い髪をかき上げながら、透き通った声で色っぽく呼ばれると、思わずうろたえてしまい、どうしてか心臓の鼓動が激しくなってくる。


数十年前に出会ってから、音久奈の見た目はまったく歳をとった感じがなくて、幼い女の子みたいな可愛らしい姿そのままだ。


学ランを着ている事に違和感を覚えるし、男装しているだけなんじゃないかと思えるくらいだ。


セーラー服を着ていた方がいいんじゃないだろか?


水泳の授業の際の時は目のやり場に困る男子生徒も多いし、俺もその一人だ。


実は、女の子でした! とか言われても九割の人はまったく驚かないだろう……


【武】

「な、なんだよ……」


おそらく多くの男子が変声期を終えたであろうこの年齢になっても、声まで女の子みたいだし……


小さい頃からいつも一緒にいたのに、どうしてか最近では音久奈と会話するだけで混乱するようになってきた。


【音久奈】

「ほら、また嫌そうな顔する。

 最近ずっとそうだから呼び方気にしてるのかと思って」


サラリと黒い髪を揺らしながら、唇をツンと尖らせてすねた表情を示す音久奈。


最近、音久奈の様子がなにかがおかしいと感じつつも、なにがおかしいのか俺自身もわからず、沈黙してしまう。


その時、俺達の前を通りすがった男子生徒と女子生徒が、明日の土曜日に動物園に行こうとか話題にしながら、互いに名前で呼び合っているのを耳にする。


カップルを目で追いながらつい沈黙してしまう。これじゃあまるで、意識しているみたいだと思い、気まずい雰囲気をどうにかしようと口を開こうとした。


【武&音久奈】

「そういえば……な、なんだよ……」


なんだこの状況は……どうすればいいんだ……


【音久奈】

「兄貴から言いなよ」


【武】

「いや、どうせ大した話じゃないし」


【音久奈】

「ほら、どんな話?」


【武】

「この前見た映画の話だよ」


違う事を言い出そうとしていたが、その話題がどうでもいいだけに、適当な理由を繕って音久奈の話を聞こうとする。


【音久奈】

「本当に映画好きだよな……その話、長くなりそう?」


クスリと笑う顔から垂れる汗の雫が、初夏の風に吹かれてキラキラと輝いて滴る。


上着の裾の間に落ち、座っている時特有のズボンの膨らみがわずかに濡れた。


それなのに、女の子みたいな華やかな香りが音久奈から漂ってきて、胸部にむず痒い息苦しさを感じて、溺れているような気持ちになる。


【武】

「長くなるな……で、音久奈はなんだったんだ?」


スクールバッグを漁りつつ音久奈はなにかを取り出すと、明るい表情で見せてきた。


【音久奈】

「じゃーん! 兄貴、姉ちゃんから動物園の前売り貰ったんだけどいる?」


【武】

「いや、子供じゃあるまい、じゃーんって……動物園か、全然行ってないな」


思春期になるとどうしてか親と出かける事も少なくなるから、そういう場所に行く機会もめっきり減っていた。


だからといって、友達と行くのはたいていゲーセンとか映画とかそんなんだし。


【音久奈】

「じゃあさ……二人で行こうよ。昔みたいにさ……」


音久奈は俯きがちになって妙に重々しい顔をしている。


【武】

「いや、俺はいいけどさ、お前はいいのか?」


【音久奈】

「えっ? なにが!?」


【武】

「なにが? って、男と行って楽しいのかって話だよ」


【音久奈】

「って言っても、僕も兄貴と同じで、彼女とかいないし」


たしかに、失礼な話だが音久奈に女が出来るとは思えない。


そこらにいる女よりは可愛い顔してるもんだから、付き合った相手が嫉妬するんじゃないだろうか?


【武】

「そうか……って、兄貴と同じでは余計だ」


【音久奈】

「だってそうでしょ? じゃあ、兄貴、もうすぐ何の日か覚えてる!?」


改めて聞かれるという事はなにか重要な日のはずだ……しかし、思い出せない。


【武】

「えっと……何の日、だっけ?」


【音久奈】

「ほら、そんなんだから兄貴は女の子にモテないんだよ!!」


【武】

「いや、それとこれなんの関係があるんだ!?」


微妙に怒った様子だから、なにか音久奈に関係する日なわけだが……


【武】

「あれ、そういえ――」


その時、馬の駆けるがごとくエンジン音を響かせるバイクが校門の前に到着する。


音久奈の姉――照が迎えにやってきた。


【音久奈】

「あ、お姉ちゃん、もう来たんだ」


【武】

「毎度派手に登場するな……」


俺達を含め、通りすがる生徒達の視線はすべて照へと向けられている。


【照】

「どうした、青少年たちよ、呆けた顔をして……

 この空冷4サイクルOHV45°狭角V型ツインエンジンの音に、

 心まで焦がされてしまったのか?」


すごく自慢げに上から目線で声をかけてくるのが、やさしくて強くて弟思いだった照姉だとは、誰の目にも信じがたい……


デニムのハーフパンツにタイツ。上はTシャツのみというラフな装いをしているが、バイクに乗る格好としてはかなり危険に思える。


かたや、幼い頃からまったく変わらずに小さく可愛らしい音久奈と言い、あっちの家系の遺伝子はなにかが普通の人とは違っているようにさえ思える。


【武】

「いや、そのセリフも何回目ですか?」


【照】

「エンジン回転数でいうと3000RPM程度かな?」


つくづくバイク乗りはイかれている。


いや、バイク好きの人間にまともな奴はいないっていうのは、バイク屋の息子の言葉だったか……


【武】

「わかんねぇよ……てか、その服装やめたほうがいいんじゃないですか?」


【照】

「何故だ、青少年よ?」


【武】

「いや、事故ったら危ないじゃないですか……

 ほら、脚とか怪我したら、お嫁にいけないかもしれないですよ?」


【照】

「いいんだよ。世の中に存在するオスもメスもクズしかいない。

 それなら私は、鉄クズと死ぬまでだからな!!」


【武】

「いや、死ねなかった時の心配をしてるんだけど……」


というか、男も女もって……照姉にとっちゃ女も対象内なのか……?


俺と照姉が会話している間、音久奈はヘルメットをかぶり、パッセンジャーシートに腰を下ろした。


この時ばかりは音久奈が男で学ランを着ていてよかったとおもう。スカートでバイクに乗るのは怪我とかもそうだし、なにより風も心配だからだ。


【武】

「それじゃあ明日、駅前の広場で待ってるぞ」


【音久奈】

「うん! あれ、そういえば兄貴、さっきなんか言おうとしてなかった?」


【武】

「そうだっけ?」


そもそも、あまりにも瞬間的に思い出した事だったから、日常的でありながらあまりに衝撃的な照姉の登場によって上書きされて忘れてしまった。


【音久奈】

「あーぁ、やっぱり兄貴だな……まぁいいや。それじゃあ、明日楽しみにしてる」


【武】

「おう! それじゃあ照姉、気を付けて!!」


【照】

「safety first!!」


敬礼よろしく人差し指と薬指で挨拶するとエンジンが轟音を巻き上げ、重厚でローロングなフォルムが勇ましく立ち上がりながら走り去っていく。


【武】

「なにが安全運転だ!! やっぱり、照姉の送り迎えはやめさせよう……」


夏の近づいている匂いが漂う中、自宅へ向けてを歩き出そうとするが、一陣の風が静かに胸に吹き抜け、わずかながら寒気を感じてしまう。


最近だとこんな事は何度かあったものの、それがどういったときに起こるのかははっきりしていない。


ただ、妙な静けさが聴覚を覆ったり、匂いが退屈だったりするとき、または目の前に色があるようで、色がないような感覚に襲われると、こんな風になる。


自分が激しく無力で、孤独で、どうしようもない気持ちに見舞われる。


そうなり始めたのは、いつからだっただろうか……

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