第6話

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「ふーん。それでこの子は今日から私達の家に居候するわけ?」

 ズゾゾーッと意地汚らしく紙コップ奥底のジュースをストローで吸おうとする、舞猫の行動は苛立ちの現れだ。

 その証拠に、校門の外に出てから一度も顔が笑っていない。

 チラリと弐祐が視線を流せばゴミでも見るかのような目付きで睨み返されるのがオチだった。

 今、弐祐達は大桜町大桜駅の近くのファストフード店で、話し合いをしていた。

 大桜町は町の象徴たるグランドマークタワーが近くに建っている事もあり、沢山の企業の本社が近隣に散らばっている。

その為駅の利用者も多く、学校帰りの若者や会社員達が店の中を埋めていた。その中で三人分の席を確保する事が出来たのはラッキーだったと言えた。

 それと言うものの青目の少女の存在を、先日クロウの戦略によりお肉パーティに囚われそのまま友達の家に拉致監禁された舞猫に、懇切丁寧にそしてバレない程度の嘘を吐いて、この場を収めてもらう超高難易度ミッションに挑まねばならなかったからだ。

 さすがに、頭上のてっぺんから怒りというマグマを大噴火させている舞猫と共に青目の少女を連れて帰るわけにもいかない。

 そもそも連れて帰らせてもらえない。

 説明をしなければ、帰途途中に肩を外す勢いで肩を掴まれていた。

 暴力による統治であった。悲しきかな女性君主制。弐祐の救いは慈尾奈だけだが未だに連絡は取れない。

「で、弐祐。詰まる所、青目のこの女の子は親族に当たるわけだけど、家族全員が牡蠣の食中毒で突然死んじゃって、親族引き取る人間が居なくて自分が立候補したと、それでいいのかしら」

「そ、そうです舞猫の姉御! へい、あっしは嘘なんかつきやしませんぜ!」

 舞猫をこれ以上怒らせてはいけない。

公共の場だというのに、紙コップの中の氷を摘んでは投げてを繰り返し、地味な嫌がらせが弐祐に対し続いているというのにこれがワンランク上がったらどうなってしまうのか。考えるだけで恐ろしい。

 両手でスリスリとゴマをすって、兎に角機嫌を取ろうとした。

 舞猫の冷たい目つきは校門時ゼロ度だとするなら、今は氷点下マイナスをぶっちぎって南極大陸に足を踏み入れている。

 狼狽し切った弐祐に最早正常な判断はできない。

 冷め切った炯眼は視線の先を移し、何の話をしているかも理解できていない少女の元へと移される。

 彼女は注文した五つ目のハンバーガーを頬張っていた。

「で、本当なの? お嬢さん」

 初対面の人間だから配慮しているのか、弐祐と比べると大分物腰柔らかな質問の仕方であり、声音も怒っているようには聞こえない。

 何より笑顔が添えられているのが巧妙だった。

 校門からファストフード店までの間、徒歩に電車を利用したがそれまで一切笑みを見せなかった舞猫が、少女にだけは笑ってみせた。

 その意味を幼い少女の思考回路は曲折して理解する。

 この人は自分には心を許してくれている、優しい人だと。

 咀嚼していたハンバーガーを一気に飲み込んで、少女も同様笑顔で答えた。

「ううん! 違うよ!」

「ギザマぁぁぁぁぁぁっっっ!!?」

 最大の敵は味方だった事を知った弐祐である。そもそも脳が親の言う事を聞きたがらない小学生並みの知能をしている少女に、話を合わせる事を期待した弐祐が間違っていた。

 弐祐は叫びつつ、即座に腕を交差させ防御の姿勢をとる。

 肩を外す、よくて腹パン一回。最悪キンタマを潰されると考え、脚も太腿の側面を差し出し急所の全てを庇う滑稽な姿だった。

 だが、攻撃は一向に来ず、瞑った目を恐る恐る開くと、そこにはやはり笑っていない舞猫の姿。

「ひっ!」

「別に……。もういいわ。どうしても言えない理由が、あるんでしょう」

「え……、あれ。じゃあ、肩外しも腹パンも、キンタマ潰しも無し?」

「しないわ」

 若干、呆れ気味そう首肯した舞猫。

 弐祐は疑問に思う。以前彼女の目の前に落ちていたセミを投げた時はキンタマを豪快な蹴りで蹴り潰れたものだが、なんともあっさりしている。

 例えるならいつもは味噌スープなのに今日はわかめスープ。全く濁りがない。

「貴方も……教えてはくれないのでしょう?」

「うん、ごめんね。私、の事は言っちゃいけないって言われてるんだ」

「不服ね。非常に不服だけれど」

 しょんぼりとしょげている少女を見て、舞猫の中の怒りが急速に減少していく。

 最後にはまるで母親のような暖かい微笑を零し言った。

「それを承知するのも良妻賢母の道かしらね」

「え、え! 奥さんなの! 誰の誰の!」

「将来的にお付き合いする予定であります」

「ひゃーっ! じゃあお姉ちゃんだ!」

「いや違うからな」

 妙に食いつく少女に対し、舞猫もいつものノリで弐祐を夫と紹介。少女もそれを信じたのか、きゃっきゃっと喜びながら話を弾ませていた。

 舞猫の告白を軽く躱す弐祐はそこからまた三十分ほど置いてきぼりにされてしまうが、同性による話やすさでもあるのか、舞猫と少女は服の話題で盛り上がっていた。ガーリースタイルがどうとか、セレカジ系がどうとか、弐祐には別次元の話をしていた為内容を一つも理解はできなかった。

「というか貴方、寒くないの? 代謝が良いのかしら。私はもう少し着込まないと凄い寒いのよね」

「寒い? 全然、だよ!」

 舞猫の質問に対し、腕を広げて元気をアピールする少女。

 やせ我慢してると勘繰ったのか舞猫は、少女の腕を優しく掴んでにぎにぎと確かめた。

「貴方……凄い冷たいじゃない。これで寒くない、の?」

「うん。そんな、に?」

 自分自身でもよく分かっていない様子の少女に舞猫は唇に人差し指の関節を当てて考え込む。

 しばらくして舞猫が切り出した。

「そうよ。三人で冬物の洋服の買い物に行きましょう。私の服ばっかり使って貰うわけにもいかないし、自分のが欲しいでしょう? 丁度荷物持ち役もいる事だしね」

 目線がちらりと弐祐に向く。

 それは言わずもがな自分が荷物持ちだと言う事の証左である。

 だが弐祐も女子に重い荷物を持たせるほど薄情な男ではない。

 無言で残り少ないジュースを吸った。

「やった! お買い物! いっかい、してみたかったんだぁ」

「なに貴方お買い物した事ないの? もしかして箱入りかしら」

「箱……確かに箱には入ってたよ!」

 少女の言う箱がまさか養液で満たされた生命維持装置だとは、さすがの舞猫も思うまいと、心中笑う弐祐だった。

「……? まぁ、良いわ。私的には家近くの商店街なんかは安くて良いデザインのが置いてあるからおすすめよ。えっと……貴方の名前は聞いてもいいかしら。私は舞猫、黒劔舞猫よ」

「私、の名前?」

 少女は首をかしげるとなぜかうんうんと唸りながら考え始める。

 名前を言うだけにそこまで時間がかかるのかと弐祐は不思議に思ったが、納得のいく結論はすぐに出た。

 彼女は一度死んで、蘇ったのだ。まだ信じた訳ではないが、それを基盤としてロジックを組むなら彼女の脳内に異常が見られてもなんの不思議はない。思えば昨日よりも話し方が少しハッキリとしているようにも聞こえる。子供っぽさも少し抜けた。とはいえ、小学生低学年が高学年に変わったくらいの変化だが、それはやはり、あの棺桶のような形をした生命維持装置の中から出た影響なのだろう。

 そうして出した少女の答えは、

「みかん! 三つの甘さで三甘みかんだよ!」

 自然と、吸うのを弐祐はやめた。

 それは別にジュースが無くなったとか当たり前の理由ではない。

 少女の口から飛び出した名前が、忘れもしない事故で亡くした妹の名前と同じだったからだ。


 ---


 舞猫が指定した行きつけの店は霜崎町商店街の“ア・ラ・モード”という店だった。

 霜崎町商店街は若者がこぞって大桜町へと上京してしまう為、過疎化の一途を辿るそれほど賑わっていない商店街である。最近ではちらほらとシャッターを閉めっぱなしにしている店も見かけるようになっていた。

 そんな中一際派手に飾られた装飾を施す洋服屋、店を飾るア・ラ・モードの看板は黄色や赤の電飾が点滅し、どちらかというとキャバクラの看板に見られてもおかしくない外観であった。

 しかし内観は寂れた商店街に置いておくには勿体無い品揃えと華やかさであった。ショーウィンドウに飾られるマネキン達はそれぞれポーズを取り流行りのレディースを着こなしている。

 元々スーパーだった店内も東京に進出した大手衣料品店と比べてしまえばさすがに見劣りはするものの、商店街に置いておくにはもったいない内装へと仕上がっていた。

 三年ほど前から営業するア・ラ・モードは、ロンドンの芸術大学へと留学した商店街出身の店長が、様々な衣料品店から引っ張りだこの存在でありながら、商店街復興の為に建てられた店なのだった。

「んまぁ、おかげ様でこっちは閑古鳥鳴きっぱなしなのよねぇ。遠いところから態々来てくれるお客さんもいるけどー」

 舞猫と青目の少女──三甘が服を選ぶ中、弐祐は一人レジで惚けていた店長に捕まっていた。

 レディース専門店でありながら、店員はドリルの様に回転した前髪三本が特徴的な男の店長一人。おカマ口調ではあるが服の下からでもわかる筋骨隆々な肉体ははち切れんばかりだった。

「んじゃ、ここも危ないんじゃないんですか?」

「ん、何、経営がって事?」

「そうそう。そもそもこんな商店街に建てようって気概が関心もんですよ。正直、俺ならこんなとこには店構えようとは思わないですね」

 弐祐が言うのも無理はなかった。

 シャッターが閉まりつつある、霜崎商店街。今空いている店は野菜販売を兼ねているコンビニに加え、古本屋、リサイクルショップ、小さな歯科院、花屋にドラッグストアくらいである。商店街特有の何かはなく地域民達が最低限暮らせるような店しか残っていない。そして交通機関はそれなりに不便であり、霜頭駅と山手川駅の二つに挟まれた位置にあるので徒歩で十五分はかかってしまう。態々この商店街に来る理由が無ければ皆、そこから二駅先の大桜町へといってしまう。

 ここへと立ち寄る理由が無ければ、商店街も廃れていくのは仕方がない話だった。

 つまり、店長のした行為はこの霜崎商店街に来る理由を作ったわけだが、弐祐はそもそもそこが疑問だった。

「て言うか店長。店長ってそんな遠いところから来てくれる人がいるような著名人なんですか?」

「あんら言ってくれるじゃない。ほら、あそこに写真飾ってあるでしょ、賞状と花束持ったやつ。あの賞ね、日本人がとったの初めてなのよ。英国に対して贔屓目が見られがちな中で取ってやった最高の賞なんだから」

「Ozuデザインセレブレーション……? ふうん、よく知らないけど、凄い賞なんですか?」

「十年くらい続いてるのよ。その中で日本が審査対象に加わったのは三年目くらいかしら。それから一向にファイナリストにすら入れなかった日本が初めて大賞を取ったのよ。そりゃ、日本人デザイナー達大喜び。あたしも泣いて喜んだわ」

「へぇ、あなたが……。人は見かけによらないとはよく言ったもんですね……」

「あんた。同じ出身のよしみでもぶん殴るわよ」

 訝しげな細目で言った弐祐の言葉がよっぽど気に食わなかったのか、作られる拳には太い血管が走っていた。ついでに店長の額にも何本か走っていた。

 舞猫は幼馴染の義妹で同棲している事もありほとんど容赦ない攻撃を仕掛けてくる。

 だがそれでも女子の腕力だ。最近はメキメキと力を上げて、女子の枠組みを外れそうにはなっているがそれでもまだ女子の力の範疇である。

 だが目の前の拳が顔面に突き刺されば全治一ヶ月では済まない威力だろう事は、経験則で弐祐は察知する。

「ごめんなさい許してください……。コロサナイデ」

「な……何よあんた。突然子犬みたいに震え始めちゃって……。目が死を悟ってるじゃない」

「俺はどちらかと言うと、毎日アマゾンの中でゴリラと手を繋いでいる日常と近いものを送っていますので、かなりそう言った暴力ものには鼻がききます」

「アハハッ! 何それ意味分かんないけど、面白い例え使うのねあんた。気に入ったわん」

「恐悦至極にございます」

 堅苦しく精一杯の敬意を表していた弐祐だったが、もう気が済んだのか店長が首を振った。

「良いわよさっきまでので。それでなんだっけ。あたしが店構えようとした意味がわからない、だっけ? あたしもね、最近はやっちゃったかなって思ってるのよねぇ」

「え、それってつまり……後悔、してるって事……」

 言葉を選ぼうと詰まった弐祐だったが、結局そのまま出して、ハッとして口を塞ぐ。

 しかし店長はその様子を見て、微笑しレジに肘をついて顎を手のひらに乗せて、物憂げな表情で言った。

「そうねぇ。最近じゃロンドンから帰ってきた頃に比べて人も減ったし、収入が仕入れ値に見合ってないのよね。だからもしかしたらもう、この店も閉めてしまうかもしれないわ」

「そんな……。どうにかならないんですか?」

「どうにもならないわよ。商店街から人が減るのは自明の理。そこに復興目的で作るなら遊園地でも建てろって話なのよ。一介のデザイナーが頑張ったところで、どうにかなる次元じゃないのよね。なるべく安い素材を使ってデザインしてやりくりしてきたけど限界。このままなら、来月でおしまいかもねぇ」

 店長の視線の先には服を次々と試着室へと運び、三甘を着せ替え人形のように遊ぶ舞猫の姿だ。

 彼女に限らず三甘の方もオシャレができるのが嬉しいのか、早着替えで舞猫にそのコーデを見てもらっている。

 店長のデザインがやはり良いのか決めるに決めかねているようだった。

「あの子ね。黒髪の子。開店して以来ずっと来てくれてるのよ。凄い気に入りましたってね。安いのから本気で作った高い服まで色んなの吟味して買ってくの。嬉しいわよねぇああいう子が居てくれるっていうのは……店長として、冥利に尽きるっていうか」

 気持ちが分からない弐祐ではなかった。

 慈尾奈が料理を作る暇もなく夜遅くに帰った時のことだ。中学一年とまだまだ幼い頃、舞猫と共に作ったカレーを食べてもらった時の慈尾奈の表情は今でも強く印象に残るほど良い笑顔であった。

 作り手が、脳を極限まで捻って汗水流して作り出した商品を、笑顔で次々と試着している姿はどのように見えているのだろうか。

 きっと、弐祐から見た慈尾奈のようにキラキラと輝いて見える筈だ。

「間違えたかなぁって思うときもあるけど、あの笑顔を見ちゃうとね。馬鹿らしく思えるのよね。あたしの浅はかな考えがさ。ま、金が必要なのは当たり前なんだけど、ね!」

 ニッと真っ白な歯を見せながら力こぶを作る姿は、少し痛ましく見えた。

 傷だらけの兵隊が強がっているような悲しくなる姿だった。

 だが弐祐は笑顔で、返す。

「俺もまた来ますよ。レディース専門店でも、メンズも置いてあるみたいですしね。店外のハンガーラックに、なんか……凄いぞんざいな扱いでしたけど」

 メンズ。適当に置いてあるから。値段はその時つけるわ。という看板が掛かった明らかに内装と比べてやる気のないメンズ販売だった。寧ろ泥棒されても別に構わないみたいな感じで置いてあった。

「良いのよ。店舗拡大したらメンズ用の店もこの商店街に構えるつもりだったけどそううまくはいかないわねぇ。偶に盗まれるし」

「やっぱ盗まれてた」

「でもあまりもんだし、別に構わないわよ。出来ればデザイナーとしては買って欲しいけどね」

 不満げに息を漏らすと、両腕を大きく上に上げて身体を伸ばす店長。

「まだ時間はあるわ。もう少し頑張ってみるわよ。もしかしたら何か運に恵まれるかもしれないし」

「俺もそう願ってますよ。舞猫があそこまで喜んでるんだ。無くなって欲しくない」

「舞猫……ふぅんあの子の名前舞猫って言うのねぇ」

「なんですか。まさか狙ってんですか。女子高生を」

 弐祐が冷たい目つきで問い詰めると、店長は違う違うとかぶりを振って、いやらしい顔つきをしながら弐祐に顔を寄せた。

「ずっと気になってたんだけど、あんたどっちがコレなのよん」

「っ!? な、なんです突然!」

 ピンッと立てた小指は恋人の証。顔を真っ赤にして狼狽する弐祐も、意味を瞬時に理解するくらいには思春期であった。

「あんなに可愛い子二人も連れて来て、おじさん気にならないって方が病気よん! さぁ、白状しなさいよ! どっちがあんたの良い子なの? どこまでヤったの? ヤっちまったの??」

「っ!? や、やってないし、どっちも違う! 何もないし何の感情もない! ま、舞猫に限っては一方的に好いてくれてるけど……ォ゛ッ!?」

 店長から目線を店内に移そうとした瞬間、目と鼻の先に舞猫がおり、弐祐は変な声が漏れる。

 舞猫はその様子を不審に思い、首を傾げて言う。

「何。私の名前が出て来たような気がしたんだけれど」

「べ、別に悪口じゃねぇよ。で、ですよね店長!」

「大好きラブチュッチュッって言ってたわん」

「嘘……遂に弐祐、私と……?」

「言ってねぇよ! そんな事一言も!」

「あら、良いツッコミね」

 漫才が繰り広げられる中、白のボアブルゾンを羽織り冬服コーデをした三甘が走ってレジに駆け寄る。

 他の客前では絶対にしてはいけないマナー違反行為だが、皮肉な事に客は一人もいない。

「決まんないの! てんちょー手伝って!」

「あらあら可愛いわね。暇だしあたしの手腕見せちゃおうかしら」

「やたたー!」

 二人は意気揚々と試着室へと向かっていった。舞猫も頬を染めながら「遂に遂に……」と呟きながらそれに追従していく。

 完全に孤立してしまった弐祐。男が一人いるには少しふわふわした空間なので居心地の悪さは尋常じゃない。

「あ、そういえば弐祐」

「ん?」

 気分転換に弐祐は店の外に出ようとした弐祐を舞猫が呼び止める。

「知ってた? あの子って色が落ちただけで、元々黒髪だったそうよ。私と同じね」

 唐突に、舞猫はそう言って微笑み試着コーナーで服と睨めっこする二人の元に戻って行った。

 弐祐は店を出て携帯を見ると時間は八時を過ぎていた。あれだけ通話した慈尾奈からは連絡も無く、留守電にメッセージすら入っていなかった。

「まだ仕事をしてるのか……? 一体何をやらせてんだ」

 慈尾奈が三日くらい家を開けるのは珍しい話ではない。彼女の仕事が何なのか知らない弐祐ではあったが、慈尾奈が家を開けるときは前もって連絡が入るので心配はしていなかった。

 今回もそれくらい忙しい仕事を回されてしまったのだろうかと思うと、心が痛む弐祐であった。

 全ての元凶は三甘であり、策を実行したのはクロウであるが、なぜか弐祐は自身が片棒を担いでしまったようで気分が良くなかった。

「帰って来たら謝ろう……うん、それと言い訳も考えとかなきゃいけないな」

 弐祐は寒空の下、独りごちた。秋に入った今の時期、八時はもう充分に肌寒い時間帯だ。

 吐く息が白くまではならないが、そこまで脂肪も筋肉がない弐祐はブルっと身体を震わせて店の側の壁に背を預けた。

 今晩の献立を考える。

「そいえば舞猫は着込まないと寒いって言ってたな。クリームシチューとか……良いかもな」

 仕込みに時間はかかってしまうからレトルトになるが最近の技術は馬鹿にしたもんではない。五分そこら電子レンジで加熱しただけで充分に美味しい料理が沢山出来るのだ。

 この速度で技術が進化して行ったらいつかAIなどに任せて人間は料理を作る事を辞めてしまうのでは、とふと考えてしまう弐祐。

 便利に勝るものは何一つ無いのだから。

 きっと舞猫は文句を垂れるだろう。その未来の風景が容易に想像出来た。彼女は弐祐の料理を過大評価している節がある。初めて食べたときは店が出せると騒いだので大変だった。昨日は友達の家で高級焼肉を食して来ているのだからそれを交渉材料に使えば、舞猫は引き下がってくれるはずだ。

 三甘は、三甘はどうなのだろうか。

 昨日の昨日まで養液の中にいて、安い百円のハンバーガーをA5のステーキでも食べているかのように目を輝かせ頬張っているような彼女はレトルトのシチューを食べさせても良いのだろうか。

 あの少女こそ、真の食の楽しみを知るべきなのでは無いのだろうか。

 なにせあの少女は、三甘は弐祐の真の妹かもしれないのだから。

(……三甘。お前は……俺の妹? だから俺の家に来た? そんな事があるのか、そんな夢みたいな事が)

 弐祐の知る限り妹の目は青くはなかった。髪の色は茶色でもなかった。だが舞猫の言う事が本当ならば三甘の元の髪色は黒。弐祐の妹と同じ色だ。しかも漢字も同じ。一歳年下の妹だ、成長していれば今の側にいる三甘と同じくらいだろう。

『彼女の言っていることは全て事実です』

 ふと脳裏によぎる初めて会った時のクロウの言葉。

 だがそんな都合のいい事があっていいのだろうか。地球には何千何万と家族を失い嘆き悲しむ人間がいるのに、妹が蘇って自分に会いに来るなんて、弐祐には信じられなかった。そもそも三甘との思い出など無いに等しい。雷のエピソードしか覚えていないのだ。昔はどうだったか、よく覚えていないが妹に対しての思い入れなど無い。

 妹が蘇ったと言われても困惑するだけなのである。

「俺に……どうしろってんだよ……」

 弐祐は自分でぼやきながら、それでも三甘が妹だと仮定すると辻褄があう事に気付いていた。

 妙に幼い言動、初対面で妹と名乗った三甘、自分の元にやってきた蘇生した被験者。

 ならば三甘が自分に預けられるのも納得がいく、なんせ蘇生された人間は自分の妹なのだから。

 今後どうするべきかも分からず弐祐はただ地面の隅に体育座りでうずくまった。

 インターネットで調べて出てくるなら幾らでも検索しよう。

 本に書いてあるならいくら払ってもいい買おう。

 だが自分と同じ経験をする人間などいるものか。家族が蘇って会いにくるなんて、経験誰にもアドバイスをもらえない。

 これからどう接すればいいのか、分からない。

「にいちゃん。うずくまってどうしたんだよ。腹でも痛いのか?」

 現実逃避を始めようとしていた弐祐の頭上からかけられたのは太い男の声だった。

 声の方に頭を上げて見るとそこには、バイクのメットを被り、装飾控えめな機能重視の茶色のカラーリングを施したジャケットを着た大男がいた。

 ア・ラ・モードの店長を見た後だからか、鍛えられた筋肉の厚みが服を弾け飛ばしそうな程、力を溜めているのが分かる。

 メットのシールドが店の光を反射して、表情はほとんど見えなかった。

「いや、すいません。大丈夫です」

 尻についた埃を払ってその場を立ち、小さくお辞儀をする。

 変な人間に絡まれては困る。心配して寄って来てくれた男ではあったがなぜか不吉な予感がしてたまらなかった。現に弐祐の肌は鳥肌が立って、無意識的に視線は合わせようとすらしない。

「お、そうか。そりゃあ良かった。じゃあさ、一つ聞きてぇことがあるんだけどよ」

「は、はい? なんでしょう?」

 あんまりにも軽い感じで問われたので今まで警戒していたのも失礼と、弐祐はなるべく崩れないように意識した笑顔で男に向き合う。

 いつのまにか男はバイクのメットを剥がし放り捨てており、その素顔が現れていた。

 弐祐はギョッと目を開く。髪一本生えていない禿頭、俗に言うスキンヘッドには頭部を斜め一直線に切ったような古傷があったからだ。

 凶悪な人相は直感で逃げに徹しようとした己が間違っていなかったことを弐祐に自覚させたが、次に飛び出した言葉はあまりにも意外な言葉であった。


「霊玉って、知ってるか?」

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