第4話
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「私のコードネームは“クロウ”。R計画警護隊トップリーダーを務めている者です」
突然、いつからいたのか黒ずくめの女はそう名乗った。
弐祐は新しく出てきたワードに小首を傾げた。
「は……はい? R計画? 警護隊? またなんかややこしくなってきたぜ」
「難しく考える必要はありません。端的に言うならそこの少女を蘇生させる計画がR計画。私はその護衛任務を受けていると言うことです」
「あぁ、そりゃわかりやすい」
クロウは詰まる所予期せぬ事態で落ちてしまったこの少女を引き取りに来たのだ、弐祐的にはそれが一番面倒がなく済むのだが世の中早々上手くはいかない。
弐祐はクロウの一言一句に気を配り、反応出来るよう身構えた。
「そう身構えないでください。別にとって食おうって訳じゃ、ないんですから。今回は単純に、お願いをしにきたんです」
「お願いを……? 一体平凡で何の取り柄もない俺に何を……」
嫌な予感がした弐祐はゴクリと唾を飲み込んだ。
未だに威嚇をし続ける少女を挟んで、クロウは礼儀よく正座して言った。
「この少女を引き取ってもらいたいのです」
「どうして承諾されると思ってんだ馬鹿かっ!!」
思わず少女の肩を掴み乗り越えて怒鳴り散らかす弐祐。
想像していた中でも一番最悪の答えだった。
家をぶっ壊したけれどお金が払えません。は一番許せない選択肢であったが、目の前で唸る変態少女をこの家に置いておく選択肢も中々に大凶である。
裸を見せる事に何の躊躇もなく、初めて出会った他人に遠慮なくキスをかましてくる変質者を家に住まわせた日には、数ヶ月後には露出教の変態に弐祐が調教されてもおかしくない。
なにぶん身体の快感欲求に駆られ自ら唇を突き出した弐祐だ。
もしもっと深いところまで攻められたら抗える自信がない。
「こんなに可愛い女の子と同棲できると言うのに、貴方、不能ですか?」
「もう間に合ってんの! 可愛い女の子なら既に二人もいるから! 不思議少女、大人お姉さんに加えて変態少女が追加されたらさすがに俺もうやってけないよ!」
「あらら……両手に華に口にも華とは、三刀流ですね」
「三千世界っ、てうるさいわ! 兎も角、正体不明の女の子なんてうちには入れられません! 余裕もないです!」
見事なノリツッコミをかましたところで、弐祐は手を乗せた肩の主、少女が唸るのをやめて、目をうるうるさせながらこちらを見ている事に気付く。
「どうして……? 私、いらない子?」
「おいおい待ってくれ。俺は別にそういうことを言ってるんじゃあないんだ。そもそも引き取る準備もしてないんだぜ?」
「あんなに激しいのしたのに!」
「してねぇよ! 誤解のされる言い方やめようねぇっ! しかも、したんじゃなくて俺はされたの、争う余裕もなく!」
「女の子の初めてを奪っておいて、何の責任も取らないつもりとは、貴方ダメ男ですね」
きっと仮面の裏ではジト目になっているのだろう低い声で指摘されたダメ男十七歳童貞弐祐。
ファーストキスは数分前知らない女の子に奪われ、よもやその後を期待した哀れな男である。
「仕方ないじゃん! 俺初めてだったんだから! こう、なんていうの、舞い上がっちゃったの! だって、可愛いし……」
「意外と、根からのダメ男なんですね……」
深い溜息と共に、少女は自分が褒められたことが嬉しいのか弐祐の身体に擦り寄っていた。
擦り寄るどころか、身体を押し付けて、くぅーんと鳴きながらスリスリしていた。
「まぁ、貴方がダメ男なのは兎も角としてですね。埒があかないので交渉としましょうか」
「金ならうちは間に合ってるぞ」
交渉と聞くと真っ先に思い浮かぶのは金銭だった。
だが弐祐には亡き家族が遺してくれた多大な遺産があるのだ。
それに加えて、黒劔姉妹の家賃などのおかげでそれほど資産としては減っていない。
次に思いつくのは情報などだが、生憎弐祐に知りたい情報などは一切なかった。
難攻不落の弐祐城である。
「今現在、私のチームのものが君の家を突貫工事で直しています」
「え……! それ、本当?」
駆け寄って窓を開け、外に乗り出し下を見ればクロウと同じ黒ずくめの人間がぞろぞろと玄関に入って行っている。
数人は家の周りで何かを設置しているが、設置しているもの自体も黒い為か、夜の闇に紛れてほとんど視認できない。
「マジだ……。でももう皆寝る時間だぜ。今から工事なんて始めたら近所迷惑で訴えられるぞ」
「そこもしっかり配慮しています。家の周りでせっせか働いている部下がいるでしょう? それは簡単に言えば音相殺装置、アクティブ消音といって、逆位相の音を出して騒音を相殺するシステムを利用した装置なんですけど、我々R計画に携わる工学科担当が改良を加え、ほぼ無音の域に到達しました。私達のスーツの繊維にも無音状態にする技術が使用されているんですよ。原理はよく知らないですが、床が軋む音くらいしかわからない筈です。そこは技術で行いますけど」
クロウの話を聞いてもう一度外を見る。
確かに目を凝らしてみると、大きなスピーカーのような装置を組み立てているのが見える。
つまりはスピーカーで周りを囲んで工事の音を全て消し、その上で工事を行おうというのだ。
「て言うかそもそも、さっき装置が落ちてきてすげぇ音しただろ! 絶対近隣住民集まってくるぞ! そこはどうすんだ!」
「野次馬に出てきた人間達は全て催眠スプレーで眠らせて自宅のベッドまで搬送させてもらいました」
「根回し完璧かよ!」
思わず突っ込んでしまうくらいの手際の良さだった。
だがそれでもまだ腑に落ちない事が弐祐にはあった。
「ていうか、工事をするなら昼間にやればいいじゃないか、なんで態々夜にやる必要があるんだよ」
「それは、そこの少女がここに居る事を知らせない為です」
クロウは淡々と言った。先程までのふざけた雰囲気が吹き飛ぶくらいには、義務的な話し方だった。
それで、弐祐は突然現実に引っ張ってこられたようで、思わず訊き返した。
「……なに?」
「なにも奇をてらった答えは返してませんよ。そのままの意味です」
「そういう事を訊いてんじゃあない。その言い方だとよ、まるでこいつが、追われてる《・・・・・》みたいじゃないか」
「その通り。話が早くて助かります。意外と、頭は回るみたいですね」
挑発じみた言い方をされながらも弐祐は黙った。
平々凡々な生活を送り、凡庸な人間であると自負している弐祐だったが、ここまでの情報を提示されて察しがつかないほど頭が悪くもなかった。
「にすけ?」
よっぽど深刻な表情をしていたのか、心配する声をかけつつ少女は弐祐の顔を覗き込んできた。
目の前にいる少女は蘇生された一度死んだ人間だ。どんなにアホで変態じみた女だったとしてもその事実はどうやら信じた方が話は次へと進んでいく。
死者蘇生の技術なんて、宇宙へわりかし簡単に行けるようになり、何キロの地上を吹き飛ばす兵器を作り、地球の裏側と交信が出来るようになった今の時代ですら現実に出来ない超技術である。
まだ空飛ぶ車も出来ていないというのに、先に人体、どころか生命の冒涜とも取れる蘇生技術をもし、邪な考えを持つ人間が知ったとしたら?
最悪邪な考えを持たずとも、同じ研究者であればその技術の内容を知りたいと思うのは自明の理だろう。
つまり、今この少女は人類の進化の戦争の渦中に立たされている。
本人が自覚していないままに。
居場所を見つけさせないためとは
「さて、では諸々の事情を話す前に理解していただき大変私としては手間が省けて助かりました。この子をよろしくお願いします」
「こらこら待て待て。今の話を聞いて、百歩譲ってもハイそうですかと頷くあんぽんたんはいないぞ」
勝手にお辞儀をして帰ろうとするクロウの手首を掴んで静止させる。
このまま押し切られてしまえば変態女を危険な日常と共に押し付けられてしまう。
それだけは絶対に避けなければならない事だった。
「おや、こんな可愛い女の子が危険な目に遭っていると知って尚、助けようという気持ちがわかないなんて貴方それでも男ですか?」
「そうだぞ! にすけ! 私、と一緒に暮らすんだ!」
「お前らさっきまでいがみ合ってたじゃないか! なに仲良く俺の敵に回ってんだよ!」
振り返り仁王立つクロウの圧に加え、横から飛ばされるヤジの攻撃は、即席とは思えないコンビネーションであった。
確かに、ここで物語の主人公ならばきっと見捨てられないと女の子を救うのだろう。
何の理由もなく、同情という船に乗って一緒に危険という三途の川を渡っていくのだろう。
だがそれを許容出来るだけの度量は弐祐にはない。
それを本人も自覚していた。
「残念だがな。俺は空手10段でもなけりゃ剣道10段でもない。サバゲーの達人でもないし、二次元なら最強の勇者ってわけでもない。何の取り柄もないんだよ。そんな俺にこいつが守れるとは、俺が思えない」
それは本心であり、何とも格好のつかない理由であった。
自分でも思わず舌打ちが出るくらいには、くだらなく、滑稽な理由だった。
引き取っても構わないなんて無責任なことは言えない。
なぜなら、自分に守る力がないのだから。
守りたい理由はなく、守る力もない。
「超能力があるわけでもねぇ。身体能力が異常に高いわけじゃなく、神様を身体に宿してるわけでもねぇし、代々受け継がれた使命だとかでもねぇ。七十二億の人間の中から偶々選ばれたのが俺ってだけだ。偶々落ちたのが俺の家だっただけだろ。そんな適当に決めていいのかよ。こいつは人類の希望で、成果で、未来なんじゃないのか? 俺みたいな凡人に預けていい宝じゃないだろうが」
死者蘇生の技術が果たしてあっていい技術なのかは、弐祐には分からない。
人間は生と死があるからこそ人生を謳歌する事ができる、なんて言葉を言った人間がいるが、弐祐もそれは同感だった。
そうでなければ、十年前自身の所為で家族を失ったあの時の悲しみはどうなってしまうのか。
人が死んでもまた生き返るからいいかと、捻じ曲がった考えへと豹変してしまった暁には、人間の生と死に対する感情はきっと薄くなるのだろう。
現実で愛する人間が死んでも、漫画で大好きなキャラが死んでも、そこに悲しみがうまれなくなるのかもしれない。
今、弐祐がそんな事を考えてもきっと意味のない事なのだろうが、それでも、これからの人類の未来が変わるような
何の責任もなく引き取る事など出来るわけがなかった。
「にすけ……」
弐祐の悪態は自分自身の心をも傷つけた。
それに気付いているのか、少女は自ら自分を貶めていく自分の姿に心配の視線を送っている。
もしかすればそれは哀れみなのかもしれないが。
今そこに気付いてしまえば、何の過失もない少女に在らぬ暴言を吐いてしまいそうで、弐祐は自分が嫌になった。
弐祐の主張が終わったのを見計らったように、クロウが口を開く。
「貴方のおっしゃる通りですよ。今、君が目の前にしているのは現在人間が成せる最大限の力を発揮した技術と奇跡の結晶。とはいえ、それだけが全てではありません」
「どういうことだよ、他にこいつに何かあるってのか?」
不満そうに弐祐が言うとクロウは顔を少女へと向けた。
「確認ですが、貴方も生命維持装置……私達は正式名称“Make a miracle cocoon”からとって
「あぁ。電極シール見たいのが沢山貼られた裸のこいつが緑の養液の中に浮かんでた……てそれがどうした?」
「胸に、緑の石が埋め込まれているのも?」
「あ、あぁ……見たぞ」
「何照れてるんですか。裸でも思い出しましたか?」
「……ち、ちげぇよ!」
思春期の男子が赤い顔を隠しながら必死に否定するときは、肯定の意味である。
それに気付いていない弐祐を見て、クロウはクスッと苦笑を零した。
「何笑ってんだよ……何笑ってんだよ!」
「いえ。では話を続けますけれど、その緑の石はある錬金術師が生み出したと言われています。大部分はこの石が存在したおかげでこの子は蘇生が出来たと言えます」
「そういえば、こいつもこの……“霊玉”が蘇生の証とか、なんとか言ってたな」
「はい。この和名“霊玉”は中世ヨーロッパではよく“賢者の石”という名前で呼ばれました。“霊玉”は元々液体だった事もあり、今でも石だ液体だと色々な説が飛び交っていますが、どちらも間違いではありません」
「知ってる知ってる。賢者の石は俺でも知ってるぞ。偶に漫画に出てくるからな。あれだろ、どんな事でも出来る願いの叶う石ってやつなんだろ?」
「どこの知識が分かりませんがそれは違います。七つにでも分かれて集めると龍でも出てくるのですか?」
「何だかんだオタク文化に詳しいよなあんた」
「コホン……ま。兎に角。“賢者の石”は一般的に卑金属を金に変える力を持っていたり、不老不死を与える石だったりと諸説ありますが、金に変える力はデマであり、不老不死の力が真実です。実際、不老不死にする事は出来ませんが、それに近い力を持つのが“賢者の石”です。“エリクサー”も同様に不老不死の薬と呼ばれていますがあれは“賢者の石”が液体時の名前なので同一です」
「そういえば、“霊玉”は霊界と現世を繋ぐ鍵とも言ってたなこいつ」
弐祐は隣で話に混ざれない少女を見た。見つめた拍子に、宝石のような青い瞳がキョトンと見つめ返す。なんだか面映ゆくなった弐祐は目を逸らした。
クロウは二人のことは気にせず話を続ける。
「ええ。“霊玉”自体をそのまま利用しただけでは効果は得られません。その石に宿る力は不老不死ではなく、霊界から霊的エネルギーを莫大量供給する事にあるのですから」
「それなのに、昔の人間達は不老不死の薬だとか言って騒いでたのか? なんかおかしくないか、それ。少なくとも近い力を発揮出来たんじゃないのか?」
クロウは首肯した。話には入れない少女は一人でタオルケットと遊んでいた。
「始皇帝は不老不死を目指し水銀を飲み死にました。英雄王ギルガメッシュは親友の死に怯えて不老不死を求めました。血の伯爵夫人バートリ・エルジェーベトは女の血を浴びて永遠の若さを手に入れようとしていたという説があります。このように古来より人間は若さと寿命を得る為、愚行と知りながらも手を尽くして不老不死を求めました。史上に残る人間だけではなく、時には悪魔を降ろし時には神に願い時にはあるかもわからない魔法に縋り、そうして不老不死へと辿り着いたのが錬金術師でした」
クロウの口からは次々と有名人の名前が飛び出してくる。
十七年生きていれば必ず聞くようなワードばかりだ。特に始皇帝の水銀による死亡などはよく印象に残る話だ。中国史を遡っても秦の始皇帝ほど尖った帝はいない、世界史の先生がそう自慢げに言っていたのを弐祐は思い出す。彼が行なった偉業のほとんどを弐祐は知らなかったが、中国を統一までした人物の死因が不老不死を求めた結果による毒殺とは、なんとも笑えない話、人間の業は深いなと感想を抱いた事もよく覚えていた。
「錬金術師の祖として有名なヘルメス・トリスメギストスがいますがこちらの文献は我々では入手していません。代わりに知り得た情報は現在世界で確認されている“霊玉”を作った人間の正体でした。名をパラケルスス。本名をテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム」
「聞いた事ない名前だな。世界史でも習わなかったぞ」
「まぁ、一般教養の範疇を超えてますからね。錬金術師なんて知る必要ありませんし」
それもそうだ。ただでさえ徳川家は十五人もいて、インド史はヴァーヴァーしててローマはヌスクスウス多くて何が何だか分からない。その中に魔術師や魔女、はたまた錬金術師まで出てきてもらっては脳がパンクしてしまう。
「彼は主に医学で活躍する人物で、当時是が非でも金を生み出そうとしていた錬金術に手を出し、医学に化学を加え独自で“賢者の石”を作ったとされています。彼が何を思い、“賢者の石”を求めたのかは知りませんが、不老不死が目的ではない事は確かです」
「そんなすげぇ奴が昔にはいたんだな。それで、この“霊玉”がすげぇ事も分かった。つまりは
「そうです」
あっさりと、クロウはそう言った。
だが尚のこと弐祐はこの話を承諾するわけには行かなくなった。
歴史的に考えても国宝級の遺産が少女の胸には埋められているというのだ。
誰が好き好んでそんな重大任務を受けるというのか。
弐祐の未だ承諾しない態度を見て深い溜息をついて、クロウは言った。
「ならこちらにも考えがあります」
「なんだよ。さっきも言った通り、金じゃ動かねぇからな」
弐祐の言葉にかぶりを振るクロウ。
「可愛い女の子。そしてその子に起きている状況を説明すれば健全な男ならば動いてくれると推測していましたが、さすがにそう上手くはいかないですね」
落胆した声音は精神的な攻撃のつもりだったのだろうが、弐祐は自分自身で自身の事をボロクソに言えるくらいには自分の評価が低いのだ。
この程度では梃子にもなりはしない。
「今、突貫工事なのは先程もお伝えした通りで。多分今頃、生命維持装置が撤去終わる頃でしょうか」
「あぁ、あのデカイのな。相当重そうだがもう撤去が終わるなんて仕事が早いな」
「えぇ、私の部下は優秀ですので」
まるで貴方とは違いますからと言わんばかりの台詞だったが、それはさすがに考え過ぎなのか。
それでもクロウの言葉に棘があるのは事実だった。
彼女の言いたいことが、弐祐はまだ理解出来ない。
「工事部分は、穴の空いた屋根、二階の床の穴、そして一回の床の穴に加えその他諸々の掃除になりますけれど、先程も言った通り私の部下は優秀で、写真一枚でその時のものと遜色ない仕上がりを見せてくれます」
「部下自慢は良いよ。それで何が言いたいんだ? 遠回しすぎて全然ピンと来ないぞ」
溜息混じりの弐祐の反応にしめたとばかりにクロウはくすりと笑った。
「つまりですね。それだけの完成度を誇る我々ならば、こちらでデザインする事も可能という事です」
「へぇー。良いね。前よりかっこよくもできるってわけか」
「そう、貴方の貧相な家の庭を南禅寺の小方丈庭園風に改築も可能であれば、貴方の安普請な外観を絢爛豪華な物に仕上げて、モン・サン・ミシェルの横に建っても遜色がない物に仕上げて見せましょう」
「え、さすがに世界遺産は言い過ぎじゃね」
勿論、それは彼女なりの比喩だったのだろう。世界遺産と呼ばれてもおかしくない程完璧な仕事をする、と。だが、弐祐が言った心ない一言(紛れも無い事実だが)により、両手を大きく広げて言い切ったクロウが、カクカクと動いて正面を向いたと思うと、言った。
「巨乳の女の子イヤンイヤン放浪記〜九州編〜」
「…………?」
「私は貴方の言いなりにはならないっ〜同級生編〜」
「……う、うぉぉぉぉぉっ!!? ち、ちょ、ちょちょちょちょっと待てててて……おま! そ、それ、どこで!」
言葉の意味を理解した弐祐がクロウに詰め寄ろうとすると、クロウは後ろに手を回し何かを目の前に突き出した。
それはまるでカードゲームの手札のように綺麗に両の手に収まり並べられた、秘蔵のエロDVDの数々だった。
勿論、弐祐の。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ! ちょっと貴方なにしてんの! 女の子の前でそんなもの出さないで!」
「いきなりおかまになるなんて相当に焦ってますね」
取り返そうと必死にクロウの手に飛びかかるが、さすがに警護トップリーダーの名は伊達では無い。
全てが紙一重で躱され、彼女の尾を引くスーツの切れ端すら捉える事は出来なかった。
「なるほどなるほど。幅広くというわけではなく、会社で決めているんですね。余程この会社がお好きなようで」
「なに人の性癖確認してんだぁっ! っていうかいつの間に取ったんだよ、……はっ! まさかお前!」
「ここまで来ればさすがに分かりますか? この様々なDVDの名前……良い名前ですねぇ、家の外観に上手く利用出来ないものでしょうか」
悪魔、その一言に尽きた。
クロウの表情は仮面に隠されているものの、完全にマウントを取った彼女はきっとほくそ笑んでいる事だろう。
弐祐は弱みを握られてしまったことに歯噛みした。
お金を積まれるよりも、自身の性癖を暴露されることの方が由々しき事態だった。
弐祐は自分が平々凡々の凡庸と知っていながらも普通とはいささか外れた境遇に身を置いている事を、知っている。
もしこのまま“催眠術で嫌なあいつに復讐を”や“田舎で待つ幼馴染が信じられないほど可愛くなっていた件について”なんてロゴが凡ゆる手段を用いて家の外観に取り付けられてしまえば、黒劔姉妹までなんと呼ばれるかわからない。
ご近所からの変態呼ばわりは甘んじて受け入よう、姉妹らからの軽蔑の眼差しは涙を飲んで耐え抜こう。
だが、自分を引き取ってくれた姉妹に迷惑がかかるのだけは避けたい事態であった。
「っていうか慈尾奈さんは! 工事してる間にさすがに帰ってくるんじゃないのか?」
「この家の住民なら明日の朝まで帰ってこれない量の仕事を追加しときました。因みに妹さんの方はご友人の親御さんに高級焼肉をくじで当ててもらい、今頃はパーティじゃないでしょうか。彼女がお腹いっぱいになると泊まって帰る事はリサーチ済みです。隊員も姉妹両方の近辺に配置させてるので、不測の事態が来ても対処可能です」
「もう、マジ根回し完璧かよ!」
これで逃げ場は完全に塞がれた。
これから出す答えには計り知れない責任の重さが付き纏う。
それこそ、人生で一番の決断とも言える結婚の決意程に、重大な分水嶺となるはずだ。
失敗は許されない。
「ねぇねぇ、その絵はなに? 裸の女の人が映ってるけど」
「めっ! 女の子は見ちゃいけません!」
少女が目を煌めかせて興味を持ち始めてしまった。
両目に手で塞いで視界を塞ぐ。精神年齢が幼い少女に見せるのは、弐祐的に何か躊躇われたのだ。少女は見せてよーと首を振っている。
「どうしますか? 報告ではもう、家の床の穴を塞ぐ工事に加え、隣の部屋でも穴を塞ぐ工事を始めようとしているそうですよ」
「ぐぅぅぅっ!」
拒否すれば黒劔姉妹に自分と同様の変態疑惑がご近所から向けられてしまう。
だがそれ以上に少女を匿う事で、姉妹を危険に巻き込んでしまうのではないかという懸念が弐祐の頭の中から離れる事はなかった。
弐祐を今まで育ててくれた慈尾奈、失意の底にあった弐祐を共に成長しながら見守ってくれた舞猫。かけがえない家族。
ベッドに腰掛け、膝の上に肘を置き組んだ手に額を預け弐祐は考えた。
考え、考え抜いた末、答えを出した。
「……わかった。預かろう」
「やっと決断してくれましたね。では」
「待て」
早々に立ち去ろうとするクロウを強い声音で静止させる。
「……何か」
ドアノブにかけた手を下げ、首だけを弐祐に回してクロウは返事をした。
億劫そうな返事に弐祐は隠せない苛立ちを声に乗せながら訊いた。
「こいつを預かりはするが、舞猫と慈尾奈さんにだけは絶対危険な目に合わせるな。お前らの精鋭で二人を護衛しろ。それが条件だ」
「……随分と上から目線ですね」
「当たり前だ。俺は引き取る側だ。引き取るにも条件はいるだろう」
今現在、弐祐が持ち出せる最大限の譲歩の条件であった。
断っても目覚めは悪いし姉妹に迷惑がかかる。
だが引き取るならば姉妹にさえ迷惑がかからなければ何の問題もないのだ。
勿論、弐祐自体に強力な負荷がかかるのは承知ではあったが、自分自身のことは勘定に入れていない。
それが弐祐という男だった。
自身を卑下する故の、圧倒的に自己最底辺価値観である。
賭けのようなものではあった。
なにせ相手の意図が全く読めない。
何が何でもクロウ側は、弐祐に保護役をさせたい。その理由が全く見当がつかない。
何の取り柄もない弐祐を選ぶ理由が、分からない。
ならば自分を差し出しさえすれば、他の条件を少しは飲んでもらえるのではという淡い期待。
案の定、クロウの声音は重く怒りを孕んだものになっていたが、それでも弐祐は顔色変えずにクロウを睨み続けた。
「度し難い男ですね。自分ならばどうなってもいいと思っているところがどうも」
「……?」
今までの物腰柔らかな敬語が消え、クロウの素が飛び出す。
威圧的な言葉は語り掛けたものではなく、どうやら独り言らしかった。
クロウの漆黒の仮面についた小さな丸から瞳が覗く。
真っ赤な、真紅の瞳。
切り裂くような炯眼に脂汗が額から噴き出すが、弐祐は引かない。
青瞳の少女は深刻な状況に、首を傾げて両者へ視線を行ったり来たりしている。
そうして数分と長く感じる数秒の後、クロウが溜息を吐いた。
「構いませんよ……。それくらいの事は勿論最初からする予定でしたし」
「……そうか。そりゃ、良かった。後、俺は預かりはするが責任は一切持たねぇからな。こいつがどうなっても俺を暗殺とかはしないでくれよ」
「しませんよ」
安堵に全身の力が抜けていった。まるで穴を開けて空気を吐き出しながら萎んでいく風船のように、ベッドに倒れ込む。
内蔵されたスプリングが弐祐の体重を押し返し、ぼいんぼいんと弐祐の身体を跳ねさせた。
「にすけ? だいじょぶ?」
「ちょっと疲れちまったな……」
ベッドに登って来てこちらを覗き込む少女。
その無邪気な姿が心が疲れてしまった弐祐の癒しになっているのか、先程まで鬱陶しかった彼女の行動が嫌ではなくなっていた。
目を瞑って、腕を庇にして瞼を焼く蛍光灯の光を遮る。
慈尾奈と別れてから色々なことがありすぎて、時間感覚が狂っていたが今は既に十一時を回っている。
体力的にも精神的にもゼロ寸前な弐祐は既に眠気が限界まで襲って来ていた。
落ちてくる瞼に抗うことなくそのまま深い闇に身を委ねる。
その様子を見て、少女もその横で丸くなり睡眠を始めた。
「妬けますね……どうも。意地悪がしたくなりますよ」
棘がある言葉とは裏腹に、扉を開けながらクロウは照明のスイッチに手を当てていた。
そのまま出て行かず、足を止めてボソリと呟く。
「弐祐くん、君はどうあってもこの少女を守る立場にあるんです。私が脅迫をしなくてもね」
クロウが後ろを振り向くと、既に少年は寝息を立てていた。
さすがにこの数秒で寝てしまったという事はないだろうと思いつつ、照明を消してドアを閉める寸前、真紅の瞳の突き刺すような視線を寝始めた弐祐に浴びせながら、言った。
「
反応はない。
弐祐は少女と共に既に深い眠りについていた。
クロウはギィーっと音を立てながら「おやすみ」と言ってドアを閉めた。
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