第3話
3
慈尾奈が仕事で出て行き、舞猫は友達の家に行き、今日の家には弐祐一人。
一人の空間で、皿洗いをする水の音に加え、食器を水切りかごに入れるカチャンという音が響いた。
弐祐は一度手を拭いて、台所に常備されたBOSEのミニスピーカーに手を伸ばして電源を入れた。
携帯のブルートゥースで接続し、曲を流す。
流す曲はインセクションの“勿論、風”。
こちらは偽宝島と比べて不思議感が強い曲だ。mvでカツラが飛んでいくシーンをなん度も繰り返し流す、しかも真顔がドアップにされる故初見の人間は皆笑い必至であった。
それは兎も角として曲はゆったりと、風景を主に歌詞に入れた心を落ち着かせる曲調であった。
それを部屋いっぱいに広がるよう音量調整を施した。
リズムに乗って皿を洗うのも楽しくなってくる。
だがそうしてリズムに乗って皿を洗う内に、いつのまにか皿は洗い終えていた。
そのままスピーカーを持って弐祐はお風呂場へと移動する。さすがに中に持ち込めば湿気で壊れてしまうかもしれないので、お風呂場の外から音楽を流しながら入浴タイムを楽しむんだ。
そしてきちんと身体を温めたところでお風呂を出て、弐祐はリピート再生4回目の“勿論、風”を聴きながらリビングのソファーに座るった。
曲に身を任せて、テレビに電源をつける事も携帯をいじる事もなく目を瞑った。
火照った身体が妙に熱く感じられた。噴き出る汗を首に下げた手拭いで何度も拭った。
拭う度、いつもの日常と違う不快感を味わっていた。
いつもならリビングにいる主が駆け寄って来て膝の上に頭を乗せて一緒に寝ていたはずだ。
雑種の犬、こまち。色合いは白色の毛の上に茶色の毛が被った栗の色合い。柴犬より少し薄目の色。
他の雑種がどれほど大きくなるのかは弐祐は知らないが、こまちは相当に大きい犬だった。
抱き抱えると人の腕をはみ出るくらいには大きかった。毎回顎の下をペロペロと舐めて来て、それがとても嬉しいと感じられた。
餌を用意すれば行儀よくきちんとお座りをして挙動は一切ない。
何かの大会に出せばもしかしたら勝つ事が出来るかもしれないと、弐祐はつくづく思っていた。
唯一の欠点は、いつもリビングにいるこまちは部屋から弐祐が降りてくるたびに抱きついて来た事くらいか。
ドアを開ける度に飛び掛かってくる為、弐祐はいつも押し潰されていた。
可愛らしく愛らしいその行動を、一度も嫌と思ったことは無かったが、毎回顔を涎でベトベトにされる為、顔を洗うのが面倒だとは思った。
だが、そのこまちはもういない。
こまちは昨日の朝息を引き取った。
弐祐が生まれる前からずっと家を守って来た家族がまた一匹、弐祐を置いて死んでしまったのだ。
慈尾奈も、舞猫もいるが彼女らは家族であっても、血の繋がりのない家族だ。
全てを許す事が出来るまでには恐ろしい時間がかかる。
十年経った今でもまだ遠慮が残っているのだ。
だがこまちは違った。血の繋がりは無くても全てを許せる最後の家族だったのだ。そして思い出が誰よりも多い家族とも言えた。
脳裏に浮かぶ、こまちとの思い出の日々に、弐祐の目尻には涙が浮かんでいた。
「こまち……」
流した涙が頬を伝う。
曲が感情の起伏を増長させる。
こみ上げる感情がどうにも抑えられない。
一度は忘れようとしたこの事実に、一人という空間が、漂うこまちの残滓が、忘れさせてくれない。
──大声で叫んでしまいそうだ。
思わず、口を開けて泣きだしそうになったその時であった。
強烈な爆発音が曲に掻き分けて耳に流れ込み、空気の振動はまるで地震のように部屋を揺らした。
「な……なんだ?」
勢いよくソファーから立ち上がった弐祐はその場で立ち往生した。
爆発音以降何も音がしないからだ。
スピーカーから流していた曲を止める。大音量で流しているのだ、必要な情報を聞き逃している可能性がある。
そうして耳をすます。
静寂な空間、流し台の蛇口から垂れる雫の音のみが部屋に響く。
どこかで大きな花火でもしたのだろうか。勿論、今の時期的に考えてもこの大桜町で花火をする人間がいないのは市民である弐祐が一番よく知っている。
だからこそ不可解だった。防音設計されている家の壁を突き抜けて、しかも大音量で音楽を流している部屋にいる人間の耳に聞こえる程の爆発音。
それは、コンビニやスーパーで売っている安物の花火では決して聞こえる事のない音の大きさだ。
多少の音はまだしも、何かが爆発したと鮮明に聞き取り振動が建物を揺らすなど尋常ではない。
だが幾ら待てどもそれ以降アクションは起きず、音はおろか振動も何もなかった。
「外で何かやってるのか……?」
安物の花火ではこんな音は出せない。そう結論付けたが、それは単なる勘違いという事もある。尋常では無くても弐祐は物理学者では無いのだ。もしかすれば最近のスーパーに売っているものはかなり良品で、本物と大差ない華やかさをウリにしているかもしれない。
そう思い、リビングの庭へと通じるガラス戸を引こうとしたその瞬間、それは《・・・》落ちて来た。
轟音と共に飛来したそれは一瞬にして視界を白へと変え、衝撃波で弐祐を吹き飛ばした。
踏ん張りが全くつかない弐祐は情けない叫び声をあげながらガラス戸を突き破って庭へと転がり出る。
そしてそのまま庭の煉瓦の壁に激突した。
腕で作った庇は真正面から飛んできた数多の飛来物から身を守ったが、同時に目の前で起きた全てのことを理解させなかった。
とはいえ、もし仮にその現場を見ていたとしても、弐祐は理解する事は出来なかっただろう。
なんせ、空から家のリビングに向けて天井を突き破り、箱が落ちて来たのだから。
「な、なんだ……?」
未だ煙で家の中は何も見えない。
まず始めに思ったのは、今日黒劔姉妹がいなくて本当に助かったというところだ。
位置的に言えばリビングの上は両親が寝ていた部屋、今現在黒劔姉妹が使っている部屋だ。
もし今日彼女らがいたならば木っ端微塵に吹き飛んでいてもおかしくない。
次に何が落ちて来たか。検討がつくはずもなく、ただじっと煙の先を見ていた。
次第に煙は晴れていき、天井の穴から射す月の光に照らされた物体がその姿を見せる。
機械的な棺桶のような形をした箱。四人分、縦に折り重なって入ってもまだ余裕があるだろう、ぶ厚い箱。
箱自体も重厚な金属で作られており、どこから落ちて来たのか分からないが傷一つ付いていない。
もし、飛行機が飛んでいるような高度から落ちて来たのであれば、頑丈さは折り紙つきと言える。
中央部では赤い光が点滅し、上部では緑の丸い光が箱から発されている。
緑の光、それはどうやら箱の中身が見えるようになっている丸窓からの光のようだった。
「何か入ってる……?」
中身を確認しようと近寄って手を伸ばす。
後少しで中身が確認できようその瞬間、ポーンっという音と共に赤い点滅が緑に変わった。
「な、なんだ!」
箱の蓋をしていた鉄栓が次々と回転して、その錠を外していく。
左右対称に箱の端に取り付けられた鉄栓が六本ほど飛び出た瞬間、箱が開く。
蓋の中心に台形型に線が入り、上部と下部がそれぞれウィーンと機械的な音を発し開いていった。
それはまるでSFの宇宙船の扉が開くような近未来な感じであった。
「うわわ、なにこれ……ネチョネチョしてる……」
箱が開いた瞬間飛び出して来た緑の養液は、最早機能を果たさなくなっているガラスが無くなったガラス戸から庭へとどんどん溢れていく。
足場を緑の養液が支配したところで、足の不快感に顔を歪めながら屋内へと侵入して、箱の中身を見る。
それは綺麗な裸の少女だった。身体中には電極シールの様なものが幾つも貼られ、それでどうにか無意識の身体を立たせている様だった。
身長は弐祐より少し高く顔つきは幼い。しかし、学校にいるどの女子よりも可愛いと言えた。
茶髪の長髪は胸部まで伸び、長く伸びる手足の筋肉はしっかりとつき、代わりに余分な贅肉は全くない健康体。
お陰で胸の膨らみも尻も、合って無いようなものになってしまっている。
そんな健全体の少女の中でも一際目を引いたのは、胸に埋め込まれた燦々と輝く緑の宝石だった。
まるで太陽のように自ら光を生み出している。
どういう原理で宝石が光っているのか、弐祐の知る由もなかったがそれはとても美しい光だった。
「って、俺はなにをまじまじと女子の裸を見てるんだ! くそっ、おい! 返事しろ! 生きてるのか?」
顔を両手で隠しながら、それでも指を開けてチラチラと前方を確認。
近寄っていき、肌を突く。
返事が無ければ、呼吸の音も聞こえてこない。生きているのかすら不安になってくる状態だったが、状況が動いた。
弐祐が突いた所為で身体の絶妙なバランスが崩れて、電極シールが徐々にプチプチと剥がれ倒れたのだ。
弐祐の元に。
「うわ」
支えきれずに倒れる弐祐は、女体の柔らかさと暖かさに僅かな感動を覚えていた。
──すげぇ柔らけぇ。しかもあったかい、生きてる事は間違いないみたいだ。
倒れる床は本来瓦礫やガラスの破片で針の山の如く危険な場所のはずだったが、緑の粘液のおかげで多少痛い程度で済んだ。
覆い被さられ、動こうにも必ず少女の何処かに触れてしまう羞恥心に身体を動かす事が出来ない弐祐。
妹がいる人間は女の扱いに慣れているなんて偏見が強いが生憎と、弐祐の妹は義妹であり触れた事も増してやアクシデント裸を見た事はない。
実の妹の記憶は無いに等しいので意味はなく、弐祐が狼狽するには充分なシチュエーションであった。
「ちょ、ちょっと。起きろよ、おい」
なんとか外から手を回し肩を揺さぶる。
その度に当たっている若干あった胸や柔らかい肌の部分が妙に感じ取られ、弐祐はどんどんいやらしい気分に陥っている。
なんとかしないといけない。しないと自分がもたない。
そんな使命感を持ちながら、早く起きてくれと願う弐祐。
そうして遂に少女は起きた。
「あっ……げほっ……ごほっ」
口から緑の養液を吐いて嗚咽する少女。
鋼鉄の箱の中は緑の養液で満たされていたのだ、どうやって酸素を供給していたのか科学者ではない弐祐には理解できようもない。
科学者である父ならば、理解出来たのかもしれないが。
「う……うん?」
瞑っていた瞼を重そうに開く少女。
粘液が付いているのか何度も瞬きをしている。
青い瞳。深い海を思わせる青い瞳。
一瞬、外国人なのかと弐祐は思ったが次に飛び出た言葉でその推測が間違いである事を知る。
「こ……こ、は」
日本語である。
しっかりとした発音の日本語。
まごう事なき日本人であった。
もしかすれば、日本生まれの外国人かもしれないが。
日本人であれば、意思疎通が可能である。弐祐は心の中で深く安堵して、口を開いた。
「ちょっと、退いてくれるかな……」
「……?」
漸く気付いたのか自身が押し倒している弐祐の事をじっと見つめた。
深海を思わせる青い瞳で、弐祐の黒い瞳をじっと見つめて、見据えた。
不思議そうにパチクリと瞬きする様子は可愛らしいものだったが、この後の展開を弐祐は知っている。
叫ばれ、引っ叩かれ、警察に通報されて、お縄につく流れだ。
そもそも天井を突き破って箱が落ちてきた時点で警察がどう対応してくれるのか、全く想像が出来ないが、今後の少女の行動なら占い師でない弐祐にだって予想出来る。
さぁ来いと言わんばかりに頬に力を入れて、目をぎゅっと瞑る。
その様子を未だにじっと見つめていた少女が遂に──動く。
「にすけ! にすけ!」
「ごめんなさい裸を見たのは不可抗力で決して見たくて貴女様の裸を見たわけではなくどうか警察に突き出すのだけはご勘弁南無阿弥陀仏────は?」
信じられない言葉に弐祐は呆然とした。
それまでの無様な狼狽っぷりを忘れてしまうほどに、驚いた。
自分にまたがる少女が殴りも叱咤の一つも入れずに、嬉々とした表情で自分の名を呼んでいるのだ。
これが不思議でない筈がない。
「な、何で俺の名前知って──ふぁっ!?」
「にすけ」
突然、頬にキスをされた弐祐。
思わず変な声が出てしまう。
頬を抑え、少女特有の柔らかい唇の感触を意識化で反芻しながら、自身の頬と少女の顔で何度も視線を行き来させる。
「な、なななんでこ、こんな」
と、そこまでいった瞬間だ。
今度はぬるっと、それでいてザラッとした感触が顔中を襲った。
それは見るまでもなく、つい最近まで知っていたはずの感触。
「にすけにすけにすけにすけにすけ!」
可愛らしい女の子が、ベロをベロベロさせながら少年の顔を舐めまくる。
そんな絵面が繰り広げられていた。
一度は、殴られないでキスされてしまった喜びや、知らない女の子といえど身体の柔らかい感触が何とも心地よく、このままでもいいんじゃないかとトチ狂った考えが浮かび上がりもしたが、弐祐はここに来て改心した。
これは、おかしいと。
「とりあえず、服を着ようか……」
未だ、にすけと呼びながら顔を舐めまくる少女にそう弐祐は告げた。
場所は変わり、弐祐の部屋に。
裸で、しかも真冬、付け足して天井から吹き抜けが出来てしまった今の家の暖房は当てにならない。
一階でくしゃみをしていた少女も、今では暖かいダウンに身を包んでいた。
下着や諸々の服は一旦舞猫のを借りている。電話は姉妹共に繋がらないため事後承諾になってしまうのが痛いところであった。
部屋の様子は箱が落ちてきた衝撃で勉強机のものは粗方落ちている程度で、後はクローゼットの中の服が何着か落ちていたくらいだった。
物を持たない事が役に立つ事があるとは、弐祐は自分の無駄遣いをしない主義に関心を覚えた。
そして今現在、弐祐の部屋中心に二人は向かい合って座っている。
少女は今も飛び掛かりたいのかウズウズしているのが、傍目からでもよく分かった。
その様子に何か既視感を覚える弐祐ではあったが、まず質疑応答の時間だ。
「それで……君の名前は?」
「わかんない」
「どっから来たの」
「うーん、わかんない」
「親の名前は?」
「おぼえてないし、わかんない」
「なんにもわかんないじゃねぇか!」
「そんな事言われても、私、わかんないものはわかんないんだ。それよりにすけ! 撫でてよ! いつもみたいに!」
キョトンとした顔でわかんないを連呼しておきながら、なぜか弐祐に対し強烈な好意を抱いている。
それくらいの事は今までの態度を見ていればどんな鈍感男でも気付くだろう。
だが、弐祐は美少女との接点を記憶の回廊を探し巡り歩いても一向に見つかる気配はない。
出会ったこともなければ会話した事も無いはずだ。
美少女と適当に約束をし回って放ったらかしにし、尚且つ名前と顔まで忘れるような薄情男ではないと、自分でも信じたい。
と、弐祐が薄情男以前の問題として少女は自身の名前が分からないと言っているのだ。
得体の知れない少女。何と呼べばいいのかもわからないのでは扱いに困る。
「俺はお前と会った事はないし、喋った事もない。記憶にないぞ」
「うーん、と。その話をするとすごい長話になっちゃうから、私、むずかしい話話すの得意じゃないしなぁ」
「何だそれ……お前のわかる範囲でいいから話してみろよ」
「じゃあね、かんたんに言うとね」
本当に説明するのが難しいのか、少女はにっこりと笑顔で驚く程早く答えた。
「私はにすけの妹だよっ」
「…………うちには間に合ってます」
痛くなる頭を手で押さえながら、空いた手でNo! と突き出した。
それが癇に障ったのか少女は頬を膨らませて言った。
「なにそれ! 私はれっきとしたにすけの妹だよ!」
「あのなぁ。こっちには困る程変人な義妹が一人もういるんだ。妹詐欺なら他所でやってくれ」
「妹鷺? 私、は鳥じゃないよ。よく見て、ほら、羽生えてないでしょ?」
「鳥の話じゃあねぇ! これ見よがしに脱ぐんじゃあねぇ! もしかしなくても見せたがりなのかな!」
背中を見せるため折角着せた服を脱いで背を向けてくる少女に対し、弐祐はしっかりと両手で目を塞いで(指の間は空いている)少女を制す。
それでも少女は悪い事をしている意識はないのかキョトンと弐祐を見ていた。
「あぁ、もう。話進まないじゃんか。じゃあ、あれだ。何であの箱の中に入ってたんだ?」
「あれはね。私、のね、せいめいいじそうち、だったの。あれと一緒にね、なんねんも過ごしてきたんだよ」
たどたどしく喋る彼女の口調は難しい言葉で更にたどたどしくなった。
生命維持装置。確かに彼女が棺桶のような形をした箱の中から出てきた時、緑色の粘液が一緒に出て来ていた。
あの緑の粘液がSFなどで見かける培養液ならば、確かに彼女の言い分には理解できるものがあった。
「んー、じゃあ生命維持装置に入ったお前が何で空から落ちてくるんだよ。空中浮遊研究所でもあるってのか?」
「ないとは言い切れないけど。私、はずっとあれに入ってたから、どこにいたかまでは知らない」
質問に対する答えを用意出来ないことにしょぼくれる少女。
さっきまでは散々な回答だった割には大分真面目に応対してくれている。
弐祐の真剣さが伝わったのかも知れない。
新しい質問を考えている弐祐の前に、少女が口を開いた。
「でも、少しゆれてたかな」
「ゆれてた? 生命維持装置がってことか?」
「うん、なんかね。今までそんなことなかったんだけど、揺れがくらくらくらーって」
「ふーん……揺れねぇ」
その揺れは十中八九空を飛んでいる時の事の筈だ。
培養液に入った状態でどれだけ揺れを感じ取れるのかは、さすがに自身で揺られて見なければわからない。
この拙い少女の言葉だけで正確に判断する事は出来ないだろう。
彼女の言葉を真に受けるならば、今まで研究所にいたが何かハプニングか、実験かで空を運んでいたところここに落ちて来た、という話と弐祐は結論付けた。
それが一番考えやすく、納得出来る結論だったからだ。
「じゃあ次な。何で生命維持装置なんかに入ってたんだ? どこが悪かったのか?」
「それはね。あ、これ言っても良いのかなぁ」
それは少女が初めて見せた渋った姿だった。必死にうんうん唸りながら考えていうべきか、言わないべきかを考えていた。
埒が開かなそうだったので、弐祐は助け舟を出す。
「どういうことだ?」
「私、はね。研究の中でもちょう、ちょう、ちょう重要な、研究だから、すっごい秘密なんだって。ハゲたおじちゃんが皆に言ってた」
ハゲたおじちゃんというのは研究所の偉い人の事だろうか。
所長くらいの地位に就いていそうな人物だというのに、ハゲたおじちゃん呼ばわりは報われない。
とはいえ、実は実際に研究員達からハゲたおじちゃん呼ばわりはされているかも知れないが。
「いいよ。別に。今はすっごい緊急事態だし。ハゲたおじちゃんも許してくれるよ」
「許してくれるかな?」
「ウンウン、ダイジョブ」
かなり適当な返しをする弐祐。
もうこれ以上話を詰まらせるのが嫌だったのだ。
顔も比例して情けない子供を騙す悪い大人の顔付きになっていた。
「私、死んでたの!」
「……はい?」
「私、死んでました!」
「言い換えればいいってもんじゃない! て、死ん……えぇ、どゆことよそれ……」
「そのまんまの意味だよ。私、はね。ずいぶんと前に死んじゃってたんだけど、それをね、はかせが助けてくれたの」
随分とぶっ飛んだ話が来てしまったものだ。と弐祐は頭を抱えた。
空から女の子が降ってくるだけでも宝くじを当てる確率より低いだろうに、今度はその女の子は蘇生された人間だという。
こんなのは現実ではない、フィクションだと、心の中で叫んだ。
そんな弐祐を置いてけぼりにして、話は進んでいく。
「おじちゃんの研究がね、死者のそせいだったらしいんだけど。その対象が私、だったの。なんで死んだのか、いつ死んだのか、いつ目を覚ましたのかとか、ぜんぜんわからないんだけど、気付いた時は涙を流したおじちゃんが目の前にいたんだ。ぼろぼろ涙流してさ……、私、生まれ帰って来てよかったって、喜んでたんだ」
少女の思い出している顔付きは非常に憂いを帯びていて、目の前で泣いている人間に対してどう感情を抱けばいいのか分からないと言った具合であった。
弐祐もそれを見て、嘘だと言及するつもりにはなれず、とりあえずこの話も本当の話として進めるのが一番だと感じた。
罪悪感からかこめかみ辺りをぽりぽりと掻いて、視線を逸らしながら言った。
「で、でもお前……全然普通の人間と変わんないと思うけどな。少なくとも見た目も、感触も……感触に関してはまぁ、あんまり比較対象ねぇけど」
残念ながら女生徒のお付き合い経験は皆無。
義妹には触れることはほとんどないし、義姉もあちらから抱き締めてくれた記憶はあるが、もう感触など記憶の彼方だ。
弐祐の保証などあってないようなものだったが、聞いた少女は大はしゃぎで喜んで言った。
「本当に! 私、外に出たことなかったから普通の人と同じかどうか、すごいきになってたの! じゃあ皆も胸についてるんだねこれ」
「っておい! もう少し恥じらいを持ってだな……」
徐に脱ぎ始める少女に、最早ルーティーンと化した両手は指の間を開けつつ両の目を塞いだ。
だが今回に限り、指の間が空いていたのは都合が良かったのだろう。
指の間から見える物は胸ではなく、緑の光を放つ宝石であった。
視界は緑の光に埋め尽くされ、部屋の中で小さな花火でもしているかのように少女の胸で薄い緑の光が輝いていた。
「そ、そういえばこれ……」
弐祐は少女が生命維持装置から出て来た事を思い出した。
扉を開け、培養液を出し終わった後姿を見せた彼女の中でも一際目立ってのが胸の宝石だった。
それを今の今まで忘れていた。
そして、どこかで見覚えがある宝石であった。
「これが私、がそせいした証。“霊玉”」
「れ、“霊玉”?」
「そう、なんでも霊界とげんせを繋ぐ為のカギになっているらしいよ。あれ、でもそうなると皆、生き返った人ってことになっちゃうの? あれれ?」
「ここに来て今度は、幽霊妖怪の類まで入るのか……」
「どうかした?」
脳のキャパシティオーバーに頭を抱える弐祐。
死者の復活だけでも、三流映画に出て来そうな要素だと言うのに加えて、妖怪幽霊の類にまで手を伸ばして来た。
今までの話はまだ信じるに足る証拠もないが、お涙頂戴ストーリーと迫真の少女の演技のおかげで騙されていたが、こればっかりは納得は出来ない。
きっとこれはあれなのだ。胸に宝石を埋め込んだ少女が、トチ狂ってこんなドッキリを仕掛けて来たのだ。もしくはこれは夢だ。
弐祐は自身を納得出来るだけの理由を探しに、永久不滅の思考回路へと誘われることとなった。
「おーい。あれぇ、返事しなくなっちゃったよ。霊玉が、どうかしたのー?」
「お化けはいない、妖怪はいなければ鬼太郎もいない……」
「むーっ。つまんないっ!」
自分に対する答えが返って来なくなってしまった弐祐に、ご機嫌斜めの少女は頬を膨らまして声を荒げるがそれでも反応は返って来なかった。
少しずつ近づいて、肩を揺らしても、頬を往復ビンタしても、何をしても反応がない。
そうして近付いて少女は気付いた。弐祐は唇から血を流していることを
少女は弐祐が全く動かない事を良い事に、そのまま弐祐の唇を、奪った。
「────────ッッッ!!??」
思春期の男子が可愛い女子に唇を奪われて正常な精神でいる事は難しい。
それが童貞なら尚更である。
長い柔らかい感触が唇に残る。
それだけではない、少女の生き物ように動く舌が唇を舐めているのだ。いつかAVで見たディープキスのごとく。
逃げようにも自身の欲求に加え、顎を両手で持たれている為弐祐はなされるがままだった。
何時間と感じるその感触も、その実、数秒である。
「ぷはっ」
長いキスは終わりを告げ、少女は自らその唇を離した。
「おま……何をっ」
弐祐は心地よい感触でありながらも、正体不明の女にファーストキスを奪われた事を悪態つこうとして視線を交わす。
交わしてしまった。
交錯する視線。数センチもない距離には学校にはいない超級の美女。
まるで蛇に睨まれたカエルのように硬直する弐祐。
「血が付いてたんだよ? 血」
「……血、あれ……唇切ってたのか?」
唇を指でなぞると少女の言う通り指の腹が赤く染まる。
にしても療法にしては強引が過ぎないかと、文句をつけようと正面を向けば青い瞳。
キラキラと輝く深い青の眼は吸い込まれてしまいそうだった。
そうして互いに見つめ合い、磁石が引き合うように段々と、少女の唇が迫っていく。
相変わらず掴まれた顎は外す事が出来ない。
「ちょ……ま……もう血は止まったって」
口では言いながらも身体は身じろぎ一つしない。
もう少女に身を任せてしまっていた。
少女が目を瞑り、弐祐も目を瞑る。
──これは不可抗力。そう仕方がない。仕方がなく俺の唇は奪われるのだ。
そんな戯言を心にしながら、唇が触れるのを待った。
今でも少女の微かな息が、漂う仄かな香りが、どんどん弐祐の正常な判断を奪っていった。
無窮にも感じ取れる受け身の時間。待てども待てども、唇は、あの心地よい感触はやって来なかった。
それどころか息も香りも遠ざかった。
弐祐は唇を突き出したまま片目だけを開けて様子を伺った。
そこには深刻な顔をして弐祐の部屋のドアの先を見る少女。
先程までのふわっとした幼いイメージを容易く崩してしまうほどに真剣な表情だった。
「ど、どうしたんだ……?」
「だれっ!」
強い力で顎を引っ張られ、首の骨からは悲鳴が上がりつつ少女の後ろへと投げ飛ばされる弐祐。
人体の重心を置いた場所を振り回されたなら、抵抗していない人間はいとも容易く倒される事を実感した。
「お、おい! 何すんだ!」
無様に転がりながらも少女に向かって叱咤した。
だが少女は弐祐の事は視界に入れていない。
弐祐を守っているのか大きく両手を広げて、何かに威嚇するように扉に向けてグルルルっと唸っている。
「お、おい……どうしたんだよ」
弐祐が声を掛けても少女はその威嚇を解く事はない。
弐祐にはもう何がなんだがわからなくなって来た頃、ドアの向こうから声が返ってきた。
「その少女については、私が答えましょう」
「え」
どこか聞き覚えがある声だった。
少女が威嚇を続ける中、ドアが少しずつキィーっと音を立てて開いていく。
そこに立っていたのは全身黒づくめのスーツに身を包んだ女性だった。
顔には三日月型の模様に、小さな丸が描かれた黒い仮面を被った得体の知れない女性。
まるで夜の闇に紛れ込む為に全て黒にしましたと言わんばかりに、ミディアムヘアーも黒色だった。
弐祐の理解が追いつく前に話はどんどん先へと進んでいく。
「彼女の言っていることは全て事実です」
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