46.さやえんどうの蔓のように
そんなカティヤの内心の焦りを見透かしたかのように、エステルが忌々しげに言った。
「お嬢様に変なことを吹きこんだカティヤではないでしょうか。余計なことをするのはたいていあの子ですもの」
こちらに背を向けて座るその顔は見えないが、声が刺々しい。
あんたこそ余計なことを言うなとカティヤは心の中で毒づく。
このまま問いつめられるのだろうかと覚悟したが、ルイスは力なく首を横にふった。
「犯人も気になりますが、先に対策を考えましょう。まず考えるべきは、絶対にジェレミア様に知られてはならないということです。お嬢様ご本人にも、それだけは理解していただかないといけません」
彼はフォークを持つ手を止め、気鬱そうにつぶやいた。
「リーゼ……お嬢様には忠実にお守りする者が必要です。いま疑いの目を向けられるのは困ります。成長するまでは、お側を離れたくはないのです」
ルイスは注意深かった。本人といるときには「リーゼ」と呼び、いささかくだけた言葉も使う。それが、リーゼロッテとパルムの交わした約束だったから。
だが、それ以外の場ではあくまで使用人としての態度を通した。
主を愛称で呼んでいることがバレたなら、不適切な関係性を結んでいると判断されかねないからだ。
公爵家の紹介状があるからジェレミアもルイスを断れなかったが、遺産の相続人である妹に近づいてきた男を、心から信じているわけではないのだろう。
リーゼロッテの命を救ったともいえる家庭教師だが、エステルら長年仕えている者とはちがい、彼は屋敷内に住むことをまだ許されてはいなかった。下宿先から通勤していた。
『まかり間違ってもリーゼロッテを手なずけて、彼女が権利を有する財産を我が物にしようなどと考えるな』
はっきり言うことはないものの、ジェレミアは態度でそう牽制をしていた。
エステルはうなずいて見せた。しかし、こうも口にした。
「ただ、あまりお断りになられては、おかわいそうにも思いますわ。最近のお嬢様は、とても生き生きとしていらっしゃいますもの。自由にさせてあげたいですわ」
「ああ」
ルイスは苦し気に息をもらした。それにはカティヤも同意だった。
「ルイスのことがすき。けっこんするの」と断言したときから、リーゼロッテは変わった。前より積極的になった。
彼女は目に見えて成長している。おどおどとたよりなくつる草を伸ばしていたサヤエンドウが、支柱を発見して、ぐんぐんと背を伸ばし葉を茂らせ始めたかのように。
別人というほど変化したわけではないが、以前の心細げな面持ちはいくぶんなりをひそめていた。
ほわんとした忘れな草の色の瞳に、いまはふしぎな力が宿っていた。彼女が好む言い回しでたとえるなら、まるで妖精が一夜のうちに魔法をかけたかのようだった。
さまざまな事柄に、ほんの一歩、足を踏み出す勇気も手に入れたようだ。
ルイスが結婚などできないのですとやんわりと断っても、めげなかった。ふられてしょんぼりしても、しばらくじっと考えこんで、それから代替案を探してきて、家庭教師を説得しようとすることもあった。
ねばりづよく何度も結婚を申しこんだ。
ルイスの辞退の表現が遠回しだったせいもあるだろうが、リーゼロッテにとって、断られてもあきらめられないほど強い願いなのだろう。
「でも、けっこんしてかぞくになったほうが、きっとたのしいわ」
「いまは、むりなのね。なん年さきならいいの?」
「いいほうほうをかんがえてみるわ。ルイスももう一ど、かんがえてみて?」
ルイスはそのたびに、子どもの精神状態に配慮をしながら拒否をしなくてはならなかった。「また、大人になってからじっくりと考えてください」と、表情も言葉も極力やわらかに辞退をした。
そんな彼の言動を見て、子どもはたびたび手元のノートになにかをメモするようになった。
それからリーゼロッテは自分に向けて、ひとりでこう言い聞かせていた。
「わたしはりゅうににてるのだもの」
「りゅうはしつこいの」
「だからゆめをかなえられるのよ」
リーゼロッテは確実に変化している。まっすぐ人の目を見てものを語ることも増えた。
興味を持つ対象にじっと視線をそそぐ姿には、まさに言い伝えにあるような竜のごとき執念深さがあった。アクアマリンの瞳が一途に好きな相手を見つめるさまは、まるで己のなすべきことを見つけた探究者のようでもあった。
現在の彼女は、自分の中に強い願望を見つけ、それを核として行動をしている。それはもはや習慣となりつつある。
目標が明確になり、そこへ向けて強い意思を持って行動することで、積極性をも身につけていっている。その事実自体には、よい成長を促している面があることも否めない……とルイスは分析しつつ語っていた。
それは側で使える者たちにとっても、喜ばしいことでもあるのだが。
実際、ルイス、エステル、カティヤ以外の使用人たちは、微笑ましいものを見る目で幼いお嬢様の恋を見守っていた。
彼らは、六歳の子が家庭教師を好きな気持ちなんて、子どもが子犬をほしがる気持ちと大差ないと思っていた。本気の恋愛だとは思っていないが、リーゼロッテが楽しそうなようすを見るのはうれしいものだったので、応援していた。
「なんといいますか……。ずいぶんとたくましくなられた気がしますわ。目標が決まられたからでしょうか」
エステルが複雑そうに言った。
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