47.やはりあいつか

 ルイスは同意するようにうなずいた。


「たしかに、僕はお嬢様に好きなものを持ってほしかった。熱烈に好きなものがあれば、それが心に幸福感をもたらすともに、やりたい目標を明確にしてくれる可能性があります。好きなものを通じて友人を得、味方を増やすこともできる。きっと彼女の将来のためになると考えていました。ただ……」


 こちらも複雑そうな表情だ。


「他のことだともっとよかったのですが……。たとえば遊びとか勉強とか、友達とか趣味とか。世の中にほめられることでなくとも応援するつもりでした。虫やカビの観察でもいいし、ゴミみたいなものを集めることだっていい。僕と結婚以外のことなら、なんでも」


 苦々しく笑った。


「パルムの時から友達としておだやかな関係を築けていると安心していましたが、まさか結婚したいと言い出すとは思いませんでしたよ。どうやってお断りすべきか、最近はそのことで頭がいっぱいです。最初は子どもの言うことだと軽く考えていましたが、なぜかこの件に関して、お嬢様は驚くべき執念をお持ちなので」


 リーゼロッテがルイスに結婚を持ちかけている場面を、カティヤも何度も見かけた。子どもの頬は桃のように明るくつややかだったし、家庭教師はいくらか痩せたようだった。

 悪気はなかったとはいえ、多少は、うしろめたい。


「もちろん、お嬢様のことをきらってお断りするのではないです。ただそれぞれの社会的な立場を考えて、常識的にお受けできることではありませんし、この話が本家の耳に入るとやっかいなことになります。お嬢様にとってよいことはなにもない」


 豚肉の炒め物の脂はすっかり白く固まっていた。

 ルイスはそれを時折、思い出したように口に運びながら、考え、考えするように語った。


「はっきりお断りして傷つけてしまうのもよくないでしょう。これからも繰り返し、遠回しにお伝えしていこうと思います。協力していただけると助かります」


「もちろんですわ。ああ、でも、ほんとうにお嬢様のお心を傷つけるような物言いはお控えくださいね? 泣いてしまわれるようなことはないように。どうかどうか。あくまで夢をこわさないように、いまは無理なのですとだけおっしゃって、やんわりと諭されてくださいませ」

 

 エステルが祈るように手を組み合わせて懇願した。リーゼロッテの繊細な心が傷ついて、また殻にこもってしまうことを、なによりも怖れているらしい。


「それがいいでしょうね。やんわりと伝えながら、興味の対象が他へ移ることを待ちましょう」


 そう言うとルイスは、最後の炒め物のかけらを口に運んだ。


「六歳の時に好きだった異性を、十六歳になっても好きな人なんてほぼいませんからね。時間が解決してくれるはずです。くれぐれも、その前に本家にバレないようにだけ」


 カティヤは、温度と味のないお茶を飲みほした。そろそろ立ち上がっても不自然ではないだろう。

 台所の食べ物を盗むネズミのようなひそやかさで部屋を出ると、赤髪のメイドはしずしずと持ち場に戻っていった。


 


 その後姿を目で追ったあと、ルイスがつぶやいた。


「やはりですね」


「ええ……」


 地の底から響くような暗い声でエステルは同意をした。

 ふたりの話は聞こえているはずなのに、カティヤが最後までだまっていた。恋愛話が大好物で、ひときわ野次馬根性が旺盛な彼女が、口を挟んでこなかった。


 気に食わないやつが困った状況に陥ったと知れば、だまっていられるような性格ではないのに。大笑いしながらからかってくるはずなのに。


『モテる男はつらいわねぇ。未来の旦那様。ジェレミア様のことを「おにいちゃん」って呼ぶ準備でもしといたほうがいいんじゃない?』


 言う。絶対にそのくらいは言う。


 そんな性分のカティヤが、視線を泳がせながら静かに沈黙していた。それが答えだった。


 エステルがテーブルの上で固く握った拳が、小刻みに震えていた。


「ただただ愚かなのですわ。あとさき考えない子なんですの」


 憎悪をこめた目で彼女の去った扉を見ていた。

 対するルイスは、醒めた表情だった。


「してやったりという表情ではなかったから、悪意があってやったことではないのでしょう。考えが至らなかっただけだと思われます。あのようすだと、しばらくはおとなしくしているでしょう。いま彼女をつついても詮無いことです」


 そう言いながら、空いた皿をまとめ始めた。


「彼女ではなくお嬢様と向き合いましょう。とりいそぎお嬢さまを説得しながら、ジェレミア様への対策を考えるのがよいでしょう」


 ルイスは空になった皿を手にすると、食欲のなさげなエステルを残したまま、目覚めたリーゼロッテを出迎える準備をするために、あわただしく部屋を出て行った。

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