23.メイド対家庭教師

 ルイスは特に感情を動かされなかったのか、変わりのない冷静な態度で口を開いた。


「憶測ですが、これまでは奥様がその分の不利益を賄い、帳尻を合わせられていたのはないでしょうか。現在この帳簿は本家のジェレミア様に提出しなくてはなりませんので、使途不明金があるとこの屋敷の使用人、主に帳簿管理に携わっているエステルや僕の信用問題に関わります」


 ですのでおぼえているだけでも教えてくださいと、ルイスはカティヤの書いた買い物メモを見えやすいようにテーブルに置いた。

 カティヤはあんぐりと口を開けてその様子を見ていた。


「できれば次からはすべての買い物で、金銭受け渡し後はよく確認して、店の人が発行した領収書をもらってきていただけると助かります。間違いがこれひとつならともかく、あなたのメモは正しいほうが稀なので」


 最後の一言がカティヤの怒りに油を注いだ。

 ……そうだけど!

 ミスは多いけど? 多いけれど……。

 だからなんだっていうの? 計算が苦手なだけなのに。わざとじゃないのに!


 そんな少額の買い物でそこまで面倒くさいことを強いるなんて、なんという心のない奴だろう。


 ああ、やっぱりあたしをこの屋敷から追い出そうとしてるんだわ。

 そうはいかない。思い通りにさせてたまるもんですか!


 カティヤの緑の瞳が燃えあがった。


「渡さないから……!」


「え?」


 怪訝そうにルイスが黒い瞳を瞬かせた。長い睫毛がなんだか無性にイラつく。


「お嬢様のことはあたしのほうがよくわかってるのよ! いくら計算ができたって渡さない! あたしたちのほうが長いんだからね!!」


 そう言い捨てると赤い野分のごとき勢いで部屋を出て行った。


 エステルが立ち上がった。


「ちょっと、あなた! 待ちなさい」


 お小言を口にしながらカティヤのあとを追いかけて行く。

 残されたルイスはその後姿を見送ってから、あきらめた様子でメモをポケットにしまうとミアのほうを見た。この気の毒なメイドの少女は、気まずそうにちいさくなりながらも、最後のケーキのかけらを口にほうりこんでじっくりと味わっていた。


「僕の分のケーキもいりますか?」


 ルイスからの提案にミアの顔がぱあっと輝いた。


「いいんですかあ!? ……あ、ごめんなさい。おなか痛いんです?」


「食べるよりやりたいことがありますので。おなかも空いてないですしね」


「わあ……! ……あ、あの、すみません。よろこんじゃだめですね」


「いいんですよ、気を使わなくて。いつもあなたが人一倍働いているのは知っていますからね。堂々とたくさん食べてください」


「ううっ……、じゃ、じゃあ、いただきまあすっ」


 ミアは涙を浮かべんばかりの表情で礼を言った。その感激は、ケーキが増えたためか、仕事ぶりを褒められたからか。はたまたその両方からか。

 にやつく口元を、すでにケーキを味わっているかのようにもぐもぐさせたあと、さっそく空の皿を携えていそいそと部屋を出て行った。




 誰もいなくなった部屋はがらんと静まり返って、急に室温さえも下がったようだった。

 ルイスは帳簿を手に取ったが、仕事を再開することはなく閉じて片付け始めた。


 エステルが怒りと困惑の入り交じった顔をしながら戻ってきた。


「逃げられてしまいましたわ。申し訳ありません。あんな失礼な態度をとらないように、あとで重々注意しておきますので……」


 自分の監督責任だと肩を落とすエステルに、ルイスは笑顔を見せた。


「いえ、それは大丈夫です。それよりすこし休憩しましょう」 


 その顔がどこか嬉しそうだったので、エステルは不思議に思った。


「ですが……」


「気を使って言っているわけではないのです。僕も追いつめすぎたかもしれません。カティヤ・エーメリー嬢はこの屋敷に必要な人ですからね。いまやめてもらったら困る」


 帳簿と筆記用具とカティヤが残していったティーセットを手に、ルイスは扉に向かった。


「それは私が片付けておきますから」


 慌ててエステルは、カティヤの食器を奪うように受け取った。ルイスが来てからどれだけ屋敷の運営も主の心も救われていることか。彼にこそこの屋敷をやめてほしくはなかった。


 扉を開けてエステルを先に行かせながら、ルイスは楽しそうに語った。


「カティヤのお嬢様への思いが本物であるだけでなく、あの疑い深さがいい。遺産の相続人であるお嬢様の所には、悪い輩も近づいてくると考えた方がいいでしょうからね」


 廊下に出たところでミアとすれちがった。大事そうにケーキの皿を抱えて歩く年少のメイドの少女は、笑顔でぺこりと頭を下げて使用人控室に入っていった。


「だとしても、あのような態度は教育によくありませんわ。……それに、私が先生をここにお呼びしたのですから、申し訳なくて」


 悔しさをにじませながら語るエステルに向けて、ルイスはこたえた。


「むしろ呼んでもらえて感謝しかないです。そうでなければ、僕がお嬢様や奥様にできることはなかったですからね」 


 なぜ彼の機嫌がよさげに見えるのか、エステルには理解できなかった。あとでカティヤに説教をするという仕事がひとつ増えたことを思って、ため息をつきながら廊下を歩いた。


 我の強い彼女のことだ。どうせ素直に聞き入れはしないだろうし、恨みがましい目を向けて、「えー、でも……」とネチネチと反論してくるのだろう。それでもやるべきことをやるのが亡き奥様、それに幼い主の代理としてこの屋敷を管理する己の務めだ。


 ため息をつくたびに老けこみそうな気がする。同い年とは思えないくらい気楽そうに仕事も同僚との交流もこなしているように見えるルイスの姿は、とても頼もしくもあり、少しだけ恨めしくもあった。

 


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