24.小川に足りないもの

 

 午後の陽だまりの庭で、リーゼロッテはひとり遊んでいた。大きな石をひっくり返しては、その裏に潜んでいたちいさな虫たちがうごめくのを眺めていた。

 平べったい石の下に、アリが横に広がった巣を作っていたものもあった。急に覆いを取り去られて驚いたアリたちが、あわてて卵やさなぎを抱えて地中にもぐっていくのを見るのは、とりわけ面白かった。


 そうやって無心に遊んでいたが、草花に囲まれた小道の向こうから、ルイスがこちらに歩いて来るのを見つけて立ち上がった。


「ルーイス!」


 リーゼロッテは叫びながら駆けていって、青年の体に抱きついた。


「ちょうぼのおしごとおわった?」


「すこし休憩に来ました。どうしてもリーゼと遊びたくなったので」


 ルイスがそう言ったので、リーゼは飛び跳ねた。


「とってもいいことね。おとなだってあそばなきゃだめだもの」


「大人も遊んでいいものでしょうか?」


「あそんじゃだめなひとなんて、いないの。おかあさまがいっていたわ」


 ふたりが語らっているところに、エステルが様子を見にやってきた。 


「ね、かたぐるまして? このまえみたいに。そうしてくれたら、すてきなおがわを見せてあげる。わたしのおがわよ」


「お嬢様。きちんとルイス先生とお呼びください」


 困ったようにエステルがそう注意した。

 リーゼロッテはルイスの手を取って引っ張りながら、


「いまはじゅぎょうちゅうじゃないから、いいの。先生じゃなくて、おともだちだもの」

 

 と、不服そうに言い返した。先生になる前からルイスは友達だったのだ。

 授業中は先生と呼んでも、それ以外のときは名前で呼びたかった。実際、その呼称の使い分けはリーゼロッテには難しくて、しばしばごっちゃになっていたけれども。

 そんな子どもの様子を見てルイスは笑った。


「いいですよ、ただのルイスで。では肩車で小川まで行きましょうか」


 ルイスはしゃがんで子どもを肩に乗せ、しっかりと脚を抱きながら立ち上がった。一気に視線が高くなって、リーゼロッテの胸は高鳴った。


「こっちよ」


 リーゼロッテが指をさして行く先を示し、ルイスはそれに従った。


「ふふっ、足のうらがふわふわするー。そらをとんでいるみたい」 


 これまで母やメイドたちとしか遊んだことのないリーゼロッテにとって、ルイスと遊ぶのは新鮮に感じられた。

 こんなふうに肩にのせられたり、抱えられたりして、高いところから地面を見渡した経験はなかった。視線の高さがが変わるだけで、ちがう人になったようでおもしろい。


 大人たちがむずかしい話をしたがるのも、いまなら納得できる気がした。こんなに空の近くで暮らしているのだから、きっとリーゼロッテよりたくさんのものを見て賢くなるのだろうと考えてみる。

 もしこのままルイスの肩の上で一か月も過ごしたなら、リーゼロッテの心はまるでいまとはちがったものになる気がする。


 その小川は、庭の片隅の野をひっそりと流れていた。大人ならひとまたぎで越えられるほどのささやかな川だった。

 リーゼロッテは川辺に座って、水面を見つめてなにかいないかと探しながら、せせらぎの音を聞くのが好きだった。屋敷で目にすることができる水の中でも、この川の水は特別清らかな気がする。同じ水でもコップの中の水と小川を流れる水とは、まったくちがうもののような気がするのはなぜだろうか。

 

「すてきなおがわでしょう? でもね、かんぺきじゃないの」


 リーゼロッテはそう言いながら川面に手を浸した。夏が近いことを思わせる水温だった。やさしく肌をなでる透き通った水の感触は、心を落ち着かせてくれるようで好きだ。


「だって、アヒルもカメもいないのだもの。たまにカニやこざかなをみかけることはあるわ。でも、いつもじゃないの」


「ここにアヒルかカメにいて欲しいのですか?」


 ルイスが問うた。女の子は真面目な表情でうなずいた。


「もちろん。みずべにいきものがいないのは、さみしいわ」


 その言葉を聞いて、青年はなにかを考えているようだった。


「そういえば、ブライトウェル家の敷地内には池があって、アヒルやカメが住んでいましたね。晴れた日には、カメがたくさん岩の上に登ってきて日向ぼっこをしていましたよ」


 ルイスがそう言うと、リーゼロッテは口を大きく開けて、たまらないように叫んだ。


「たくさんいたの!?」


 この屋敷の裏庭にも人工の池があり、子どもひとりで近づいてはならないと言われている。にごった水をたたえているだけで、生き物が遊ぶ姿は見られない。

 キッチンに近い場所に防火用水を兼ねて作られていて、もとは鱒を養殖していたらしい。

 いまではこの池になにが住んでいるのかを正確に知る使用人はいない。庭師の孫たちがたまに遊びで釣りをしているのを見かけるくらいだ。


「アヒルにはヒナもいた? ヒナはおやどりのあとをついてあるくのでしょう? わたしも見たいわ!」


 熱心にたずねる子どもに、ルイスはうなずいた。


「ヒナを連れて歩く親鳥の姿も見たことがありますよ。よかったらそのうちに、いっしょに公爵家に遊びに行きましょうか? あなたの伯父様にあたるお方が当主をつとめておられるお屋敷ですから、きっと歓迎してくださるはずです」


 ルイスといっしょに公爵家に……?


 それは、思いもかけない提案だった。



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