25.ブライトウェル公爵家の親戚たち

 仲良しのルイスといっしょに馬車で首都まで旅をして、貴族のお屋敷に泊めてもらって、美しい庭でアヒルやカメを眺めるなんて、どんなに楽しいだろう。


 リーゼロッテの心の中には、見たこともないブライトウェル家の庭の風景が広がっていた。池は静かに苔色の水を湛えている。陸に上がったカメの甲羅は日光にさらされて、少しずつ乾いていきながら鈍くきらめいていた。

 そんな美しい光景を、想像するだけではなくて実際に見ることができたなら……。


 カメの顔を間近で観察してみたい。どんな目をしているだろう? きっと丸い黒瑪瑙のような目じゃないだろうか? 鼻は? 耳はあるのだろうか?


 真っ白でふかふかなアヒルを抱っこできるだろうか? もし鳥が知らない子どもを怖がるなら、ただただ眺めるだけもでいい。できれば餌を手渡して、くちばしで受け取って食べてくれたならうれしい。

 落ちた羽があればもらってしまってもいいだろうか。誰にも見せたことのない宝物入れに入れて、ときどきうっとりと眺めては愛くるしい姿を思い出したい。でもルイスにだけはこっそり見せてあげよう。

 

 そんな夢のようなことが実現できると思うと、苦しいくらいに胸がドキドキした。

 生き物たちが遊ぶ池はなんて魅力的なんだろう。


 だが夢中でその風景を追ううちに、膨らんでいた期待の気持ちはだんだんとしぼんでしまった。

 怖い。会ったことのない親戚はとても怖い。ウェザリーの親族みたいに、嫌悪感をうかべた表情で、リーゼロッテのことを見おろしてくるかもしれない。

 怖れが、溶けた鉛のように胸の中に広がっていく。

 ひどくきらわれて悪しざまに言われるくらいなら、最初から会わないほうがましだ。


 よい想像と悪い想像とが浮かんで、考えれば考えるほど板挟みになってしまう。

 だまったままもじもじと考えているリーゼロッテを見て、ルイスが重ねて言った。


「公爵家には大きなお庭があります。大きなおとなしい犬とつがいの鹿もいますよ。今年の春先には子鹿も生まれたと聞きました」


 リーゼロッテは目を見開いた。

 犬!? 親子の鹿!! 


 ああ、彼らの毛並みはふかふかだろうか? それとも、サラサラしているだろうか? 


 実物の犬と触れ合った記憶はほとんどないが、飼われている犬には誰にでも人なつこいものもいるらしい。もしそんな性格の子なら、近くに寄って見てもいいだろうか。

 もしかして、その子がリーゼロッテのことを気に入ってくれたなら、ちょっとくらい頭をなでさせてもらえるかもしれない。


 子鹿はどうだろう。なでなでさせてもらえるだろうか? もしかしたら抱っこもできるだろうか? 

 それが無理でも、近くに寄ってきて黒い瞳でじっと見つめてくれるなら……それだけでもたいへんに幸せだろう。

 いや、近くに寄れなくてもいい。遠くから眺められるだけでうれしい。親鹿と並んで歩く姿はどんなに愛らしいだろう。


 生き物が好きなリーゼロッテの心は激しく動いた。

 欲求も恐怖もそれぞれ激しくて、どうしていいのかわからなかった。


「行ってみたいわ。でも……おじさまがわたしのこと、きらいだとおもうなら、行きたくないの」


 しばらくだまって考えていたが、思い切って正直な気持ちを口にした。


「公爵家はすこし前に代替わりをなさっていて、こちらの奥様――アリーシャ様のお兄様が当主となられました。いまの当主様は怖い方ではありませんよ。あなたのお母様をかわいがっていらしたよきお兄様でした」


 さらにルイスはつづけた。


「お姉様も弟君も、奥様とはたいへん仲が良くていらっしゃいましたから、姪にあたるあなたのことを悪く扱うはずがありません。いまは弟君は海外留学をなさっていて会えませんが、僕のような下働きの者にさえやさしく接してくださる聡明な方です」


 不安な表情を隠せない女の子に向けて、ルイスは微笑んだ。


「あなたのお母様は、公爵家でみんなから深く愛されていたのですよ」


 リーゼロッテははっとした。

 そうか、ルイスはこの屋敷に来る前の、娘時代の母を知ってるんだった。

 彼の口ぶりから想像するに、アリーシャは家族の皆からとても愛されていたようだ。それはリーゼロッテの記憶の中の愛情深い母の姿と一致する。


 母は誰にでもやさしく接する人で、さらには誰よりも美しいと評判だった。リーゼロッテとちがい内気な性質ではなく、みだりに怯えるような姿は見たことがない。常に勇敢で誇り高かった。

 ブライトウェルの家族からも愛されて当然だったと思う。


 しかし、自分には母のように誇れる点はない。母に似た素敵な女の子だと想像されていたら困る。なおさらがっかりさせてしまうだろう。


 母が実家の公爵家で愛されていたといううれしさと、娘である自分はその美点を引き継がなかったという引け目、ふたつの気持ちが胸の中に渦巻いていた。

 返答をためらう子どもの姿を見て、ルイスは口を開いた。


「僕から見ている限り、リーゼは若いころの奥様によく似ています。きっとブライトウェル家の皆様もお喜びになられるでしょう。ただ……どちらにせよあまり悩まないでください」


 彼はどう説明するべきか、すこし迷っているようだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る