22.お茶のひととき
使用人食堂兼休憩室の片隅のローテーブルで、エステルとルイスが額を突き合わせるようにして帳簿のチェックをしていた。なにか問題があるのだろうか。その表情は明るいものではない。
自分用のティーセットをお盆に載せて運ぶカティヤは、その様子を横目に見て、そういえばそろそろ締め日だったかしらなどと他人事に思っていた。
「カティヤさーん、ちょうどいっしょですね!」
長テーブルの端っこにちょこんと座って、笑顔のミヤが手を振っていた。カティヤと休憩時間が被ったのが嬉しいらしい。人なつっこい犬みたいなわくわくした表情で、カティヤが横に座るのを待っている。
その期待を裏切れるほどカティヤは冷徹ではなかった。他にお喋りしたい相手も見当たらなかったこともあり、おとなしく隣に席をとった。
ミアの皿には、一切れの重曹ケーキが載っている。シナモンとナツメグの香りがただよっている。たっぷりの干し葡萄を入れて焼き上げたこのケーキは腹持ちも良く、なんといっても安上がりな菓子だ。労働者階層に人気の食べ物で、この屋敷でも使用人の定番のお茶菓子となっている。
今日のものは木苺と、ルバーブのジャムが添えられているぶん、普段より豪華だった。
たしか主人であるリーゼロッテのお茶菓子は、輪切りのレモンのシロップ漬けを載せたレアチーズケーキだった。あちらであればカティヤとしても一口食べてもよかった。見た目にも優美な甘味であるから。
美しい人でありつづけるには、優雅に食べられる食べ物を選ぶことも大切だというのが持論だった。
使用人のお茶の時間がきちんと確保されていることはありがたいが、体を動かす仕事の者が多いためか、食事もおやつもやたらとボリュームのあるこってりとしたものが多い。主のもののように繊細な料理が出ることは稀だ。
料理人はもうすこし食事内容と美容についても考えて欲しいと、カティヤは常々思っている。
あれぇ、とミアはリスのような丸い瞳でカティヤのお盆の上を見つめた。
「カティヤさん、またお茶だけですか? おなかすきません?」
「言ったでしょ、ダイエットしてるって」
ふ~ん……と、ミアは不思議そうにカティヤのお茶を眺めていた。
「カティヤさん、痩せているのに、ずっとダイエットなんですね。もっといっぱい食べてもいいと思うんですけど」
「甘いものを我慢しているから痩せているのよ?」
つんと澄ましてカティヤは答えた。ミアと同じように食べて、彼女のように丸々と肥えた手でひもすがら洗濯物と格闘するなんて、想像をしただけでも怖気が走った。
いまは人手が足りないからと、カティヤも掃除や雑用などをさせられている。でも自分は亡き奥方からも美的センスを認められていたし、リーゼロッテからの信頼も厚い。
実質の立場は、幼主の側付きメイドであるはずだと自負していた。本当にやりたいのは、いまのような一般のメイドのするような家事ではない。リーゼロッテを綺麗に着飾らせて、話し相手となり、ともにパーティに出席するような侍女としての役割だ。
優雅さのない重曹ケーキはごめんだが、カティヤとて甘いものは恋しかった。
湯気を立てる紅茶にひとつまみのラベンダーシュガーを入れて、カップを揺らしながら、ほのかな花の香りと甘みを楽しんでいた。そんな己の姿が、周囲の目にもきっと美しく映っていることだろうと考えると、さらにお茶がおいしく感じられた。
「カティヤ、すみません」
優雅な時間をさえぎるように男の声がした。背後から声をかけてきた男の顔を見るなり、カティヤの眉間にしわが寄った。
大きなかたまりをケーキの口に運びながら、ミアもそちらを見た。
ふたりに見つめられたルイスが、手にした紙をカティヤに見せながら口を開いた。
「少しお時間を頂きます。この買い物報告メモなのですが」
いつものように物腰は柔らかいが、(『頂いてもよろしいでしょうか?』ではなく『頂きます』と切り込んできたところに性格が出てるわ)とカティヤは心の中で毒づいた。
「あなたが書いたこの部分ですが、卵二百個は二十個の誤記でしょうか?」
「そうよ、二百なわけないでしょ」
ムッとしながら答えた。当たり前のことを、なぜいちいち質問するのだろう?
「それから、おつりがあわないようです。三ネリー二ペジエとありますが、このメモを計算すると一ペジエ足りません。記入に誤りがあると思うのですが、どこがちがっているのかおぼえていませんか?」
カティヤはしばし唖然とし、それからいきり立った。
嫌がらせだ。こんな細かなミスさえ追及してくるなんて陰湿な嫌がらせに違いないと、心の中でひとり確信していた。
(自分一人がお嬢様に気に入られて権力を握りたいから、この屋敷のメイドの中でも最も愛されているあたしがじゃまなんだわ)
だからこんなくだらない間違いをうれしそうに見つけてくるのだ。「あの目障りなメイドをを追いつめてやろう」といういやらしい魂胆で。
そもそも、自分はこの男を信用していない。公爵家の紹介状があるからといって、絶対に悪いことを考えていないとはいえないだろう。遺産の相続人である子どもを思うがままに操ろうとしている可能性だってある。
最初はそんなつもりではなくとも、実際に金儲けの手段が目の前にちらつくと心揺れるのが人間というものではないか?
そうはいくかと持ち前の負けん気が巻き起こり、カティヤは噛みつくように答えた。
「一ペジエくらいいいじゃない! なに!? それが足りないから屋敷が破産するって言うの? 奥様はそんな些細な間違いで文句つけたりしなかったわよ!」
その剣幕に無関係のミアが驚き、ぴゃぐっというような奇妙な音を漏らして震えた。そして同僚をなだめようとしたのかおずおずと手を伸ばしかけた。
が、怒りに燃える目を向けられて、怯えたように身を縮めてだまってしまった。
エステルもペンを持つ手を止めて、離れたところからなにがあったのかと注視している。
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