43.ルイスと結婚?


 カティヤのその言葉は、苦しまぎれの思いつきだった。


 いきなりの提案に、リーゼロッテはきょとんとした顔をした。なにを言っているんだろうと表情が物語っている。

 不意をつかれて驚いたのか、幼い面立ちから不安の影は消えていた。


 よかった。涙が止まってる。


 泣くのをやめた子どもを見たカティヤは勢いを得て、リーゼロッテが喜びそうな楽しい架空の話をさがしては語った。


「ルイス先生と結婚しちゃえば夫婦になりますでしょ。そうしたら、お給料なんて関係なしに、ずっといっしょに暮らせますわよ。家族ですもの!」


「かぞく……?」


 他人の心を想像するのは苦手だ。でもいまは必死に頭を回転させながらリーゼにとって楽しいであろう空想を広げてみた。

 愉快な話をすれば、リーゼロッテの気分も明るくなるだろうから。


 本当であれば『あんなやつ追い出しちゃいましょうよ』と言いたいところなのに、なんで正反対の提案する羽目になってるんだろう。

 そうじれったく思いもしたが、リーゼロッテを落ちこませるよりはましだ。


 リーゼロッテは、ぽつりとつぶやいた。


「かぞくになって、ずっといっしょに……」


 鏡の中の青い瞳が明るく見開かれた。なにかを理解したように。

 そのままリーゼロッテはしばらく無言のまま立ちつくしていたので、カティヤは子どもがひきつけでも起こしたのではないかと心配になってきた。

 

 声をかけようとした瞬間……。

 リーゼロッテは勢いよく振り返るとカティヤの顔を見た。その表情は夏の海のように生き生きと輝いていた。

 

「そうだわ! わたしたち、おたがいにだいすきだもの。けっこんって、すきどうしがするのだものね。どうしてかんがえなかったのかしら」


「ええ……」


 青い目の輝きを見て、カティヤはたじろいだ。リーゼロッテのこんなにはつらつとした表情をこれまでに見たことがあっただろうか。

 幼い女の子の瞳はいまや、まるで神のお告げを聞いた人のように大きな驚きと恍惚に揺れていた。まるい頬は躍動的な薔薇色に輝いていた。


「とってもすてきね! きっと、とってもたのしいわ!」


「え、ええ……まあ……」


 カティヤは女の子の勢いに引いていた。

 ほんの冗談のつもりだったのに……。くすっと笑いながら機嫌を直してくれるだけでよかったのに。

「やだ、もう、へんなこといわないで?」みたいな軽い反応を想像していたのに。


 雰囲気を明るくしようとしてとっさに言っただけで、まさかここまで本気の反応をするとは思わなかったのだが。 

 そんなに家族が欲しかったのだろうか。

 最近はかなり立ち直って明るくなったように見えても、母親と死別した辛さはやはり癒えきってなかったのか。


 でもいくら仲がよかろうと、ウェザリー商会の遺産を受け継ぐリーゼロッテが、ただの使用人と結婚などできるはずがないのに。 

 まだ己の立場も、社会の仕組みもよくわかっていないのだろう。たった六歳の子だ。


 とりあえずいまは調子を合わせて機嫌をとることだけを考えよう。あとのことは誰かがどうにかしてくれるはず。

 あたしみたいな安月給で働くメイドがそこまで考える必要ないわ、と自分に都合のいい思考の方角に舵を切った。


 その短絡的な決断が、リーゼロッテの運命を変え、これから長きにわたって家庭教師の頭を悩ませつづけることになるとは、気づく余地もなかった


「きっと楽しいですわ。結婚したら二度と離れなくてすみますし、ルイス先生と毎日遊んだりお勉強したりして過ごせますわよ」


「ああ……ありがとう、カティヤ!」


 リーゼロッテは感極まったように叫んでから、ぴょこぴょこ飛び跳ねた。それから背伸びをすると、カティヤの頬に口づけた。

 そして「ルイスに見せてくるわ」と言って、急いで部屋を出て行った。


 残されたメイドは、ぽかんとその姿を見つめていた。

 「なに、もう、いきなり……」と迷惑そうにぶつぶつ口の中でつぶやいた。だけどその頬にはうっすら赤みがさしていた。

 幼い者にまっすぐに愛情表現をされるなんて、これまで経験したことがなかったから、くすぐったくてどんな顔をしてよいのかわからなかったのだ。

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