41.弱いところをつかれた

 カティヤが振り向くと、ルイスが真っ直ぐに端正な面立ちを向けていた。

 薄い微笑みを浮かべた表情には、いいようのない翳りがあった。それがなにかこちらの腹をさぐられているような気にさせるのだった。


 整った眉からほっそりとした鼻筋にかけては絵画のように繊細だった。薄い口もとのやわらかな印象が強いが、怜悧な瞳には思慮深さとともに野の獣のような警戒も浮かんでいる。


 やはり、リーゼロッテが信じているような『いい人』には見えない。

 貧しい町をさまよっているころに、こんな目をした人たちを見てきた。苦しみのあまり、世の中を、神を、憎んだことのあるまなざし。


 それでも顔立ちだけは整っているので、まともに近くで見るとたじろいでしまう。


(なに? まさかやっぱり告白とか……)


 内心は焦りながらも、カティヤはつんと顎をあげ、高慢に構えて毒づいた。


「誰が気安く名前を呼んでいいと言ったのよ」


 出会ってすぐに、自分から『カティヤと呼んでください』と言ったことは忘れていた。


「失礼、エーメリー嬢」


 ルイスは素直に訂正した。挑発してやったのに、腹を立てているようすはない。

 相変わらず、腹の底が読めない。


「きっとあなたは腑に落ちていないでしょう。どうして自分まで呼ばれたのかと」


「……そうよ! どうせあたしのことなんて信頼してないでしょ?」


 袖にされたことに加え、そんな奴がリーゼロッテの一番のお気に入りになったことが耐えがたかった。エステルやミアならまだしも、この屋敷のために働いた日数もまだ浅いこの新参者が。


 恨みの気持ちから散々憎まれ口を叩いたのに、なんで大事な秘密の会議に呼ばれたのかわからない。

 仕事ぶりが評価されたはずもない。しょっちゅうエステルから叱られているのを見ているだろうに。


 餌を差し出す人間を警戒する野良猫のように、カティヤは眼前の男をじっと見あげた。

 対してルイスは敵対心がないことを示すように、にこやかな表情のまま軽く首をふってみせた。


「エステルから聞きました。あなたが母親を亡くしたばかりのお嬢様のご様子を見て、すぐに喪服を着せることをやめさせたことを。気持ちが落ち込んでいるときこそ好きな色の衣装を着るべきだと言い、かわりに黒いハンカチを持たせることで弔意を表したそうですね」


「え……? そうだけど……」


 そういえば、たしかにそういうこともあった。たいした事ではないし、エステルが話していたとは思わなかったが。


 この国の慣例では、親を亡くした子どもは哀悼の意を表現するために黒い服を身にまとうか、または白い服を着て黒いサッシュをつける。しかしカティヤはそれをさせなかった。

 母が突然いなくなったショックからぼうぜんとしている女の子を見て、普段と変わらぬ色彩のドレスを着せることを決めた。


 感受性が強いリーゼロッテだから、いつもとはちがう儀式然とした色彩のドレスに身を包まれていたら、より不安な気持ちになってしまうのではないか。カティヤがここで働いた日々がそう判断していた。


 エステルは眉をひそめたが、きれいなものや愛らしいものを好むリーゼロッテにとって、衣装が精神に与える影響は大きいと強く主張して押し切った。

 ボイド夫人を初めとした保守的な年配の使用人にはカティヤの型破りなやり方を悪く言うものもいたが、意に介しなかった。リーゼロッテの心と体を守るほうが大事だったからだ。


 この家庭教師も、カティヤのやり方に文句をつけるつもりだろうか?

 にらみつけると青年はそうじゃないと言いたげにすこし首を傾けた。


「それを聞いて、あなたはお嬢様にとって必要な方だと思いました」


 意外な言葉だった。


「そういう柔軟な対応ができる方は貴重です。常識や慣例よりお嬢様の健康とお心を守るべきだというのは、個人的な考え方とも一致します。あなたが僕のことをどう思っているかなんてどうでもいいことです。大切なのはお嬢様をお守りすること、そのために奥様のご遺志を生かすことです」


「……柔軟とか、別に……」


 別に……普通だし……。

 ごにょごにょとつぶやきかけたあと、ふわついたふしぎな気持ちになって、なにも言えなくなった。

 お説教をくらうことはたびたびでも、誰かから己の能力を手放しにほめてもらうことなんて滅多にない。どう反応していいのかわからなかった。


『カティヤは本当にセンスがいいわねえ。リーゼのことをこんなにかわいくしてくれてありがとう』


 ふいに白薔薇のようなアリーシャの笑顔が美しい声とともに浮かんだ。彼女はほめ上手だった。

 ほめ言葉がうそではないことを示すように、愛娘の衣装や髪型の決定をたびたびカティヤに任せてくれた。


 日々努力を重ねていると自負している美的感覚をほめてくれたのが、なによりうれしかった。それ以来、リーゼロッテを綺麗に着飾らせることは、自分の楽しみにもなっていった。


「だから? お世辞言ってもあたしは甘くないわよ」


 目をそらしながらぽそぽそと言う。ルイスは笑った。


「その疑い深いところも気に入っています。お嬢様を守るためには必要なことです。幼い方が大層な遺産の相続人に指名されたとなれば、人を騙すことに長けた悪い人間も寄ってくると警戒したほうがいい」


 もちろん疑ってばかりもよくないですけど、信じるほうはまた得意な方に任せましょう、ともルイスはつぶやいた。


 資料を手にした青年はカティヤの横を通りぬけ、ドアを開けた。

 最後にもう一度メイドのほうを見て、念を押すように語りかけた。


「信じていますよ。あなたのおふたりへの想いを」


 そうしてルイスは音もなくドアを閉めて去っていった。


 ひとりになった部屋で、カティヤはしばし立ち尽くしていた。


 ほめられた……。敵だと思っていた相手から。

 ひどく頭が混乱していた。あんな風にまっすぐに己を肯定してくれる相手に対しては、いつものように喧嘩をふっかけることもむずかしい。


 いや、本気にしてはだめだ。

 あの男が巧みに本性を隠した財産目当ての悪党で、私欲を満たすために心にもない世辞をふりまいているとしたらどうする。

 皆があの男の手に落ちたこの屋敷でリーゼロッテを守れるのは自分しかいないのだ。


 ああ、でも、自信をもってやっている仕事を褒めてもらえるのは、なんて心地いいものなんだろう。

 本当だと信じたい気持ちもあって……。


(あれ? これ、あたしまで懐柔されかけてる……??)

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