第二章.幼い恋としつこい竜
18.それぞれの新しい季節
母との別れの日から半年ほどが過ぎた。
もうすぐ本格的な薔薇とベリーの季節がやってくる。月夜の漣邸の庭で実ったみずみずしい果実たちが、お茶の時間に愛らしく皿を彩ることだろう。
「おかあさま、おはよう」
リーゼロッテはひとりで母の部屋にいた。
微笑む肖像画に朝の挨拶をして、なつかしい面影に口づけた。それから、最近あったことを思い出しながら語りかけた。
「これからじゅぎょうよ。ルイス先生は、おしえるのがうまいの」
その腕にはパルムを抱いている。彼は、もう動くことも喋ることもしなかった。よっつの手足がぶらんと力なく床を指している。
ルイスと出会った日から、喋るぬいぐるみ猫は姿を消した。
そうして、教育係としてこの屋敷に就任したルイスとの生活にもなれたある日のこと。朝起きると枕元にくったりとしたパルムが座っていた。
魔法の力のなくなってしまったパルムを、リーゼロッテはちいさな弟のようにかわいがっている。
リーゼロッテは、パルムを肖像画の母に見せるように差し出した。
「パルムはしってるでしょう? パルムはね、ルイスなのよ。……ええっとね、せつめいするのがむずかしいから、こんどおてがみにかいてくるわ」
母への挨拶をすませると、居間で待っていたルイスのもとに戻った。
「準備はよいですか? 授業を始めましょうか」
おだやかな声で、ルイスは声をかけた。
リーゼロッテは彼の顔を見上げながらうなずいた。
「ごあいさつしてきたの。でもね、たのしいことをおもいだして、いっぱいわらっちゃった。おかあさまがいないのにわらったりしたらだめ? おかあさま、かなしいっておもったかしら?」
「気にせずに笑っていいんですよ。離れていても愛する娘には、できるだけ笑顔でいて欲しいとお母様もお望みでしょう」
ルイスがそう言ったので、リーゼロッテもそういうものなのかと安心した。
母との日々を忘れたわけではない。会えない寂しさが消えたわけではない。だからといって、いまはもう悲しみで心がいっぱいでもなかった。
リーゼロッテは、家庭教師兼世話係のことがすっかり気に入っていたし、新生活は楽しみに満ちていた。
彼は、学問を教えるだけの先生ではなかった。授業がない時間には遊び相手になってくれた。パルムがいた頃と同じように。
ふたりはソファにもたれて同じ本を読み、いっしょに庭の花や鳥を眺めた。
「りゅうがいたわ」「ようせいにあげたミルクがなくなってる」などと嬉しそうに報告するリーゼロッテに、ルイスも同じ気持ちであるかのようにうなずいて見せた。
春の庭園でおもしろいものを探しながらふたりで散策しているときなどには、いつまでも今日が終わらないといいのにと思う。
でもそういうときほどあっという間に夕方になってしまう。夕方になるとルイスは下宿先に帰って行ってしまう。彼のいなくなった屋敷は広く感じる。
つらいときは時間が止まってしまったかのようにのろのろとすすむのに、楽しいときほどすぐに終わってしまう。そんな不思議が起こることをリーゼロッテは知った。
散歩をしながら母のための野花を選んでいたリーゼロッテが、頭上のさらさらという音に気づいて立ちどまった。見あげると、樹々の間の木漏れ日がてらてらと蜂蜜のように輝いていた。
草の香をのせたそよ風がまるい頬を撫でて過ぎてゆく。
木の葉が風に揺れて光が舞う様子は、まるでそこにちいさな生き物がいて手を振っているように見えた。
無心にそれを見つめているリーゼロッテを、ルイスはなにも言わずに微笑みとともに見守っていた。
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