17.別れと出会い

 リーゼロッテは彼のあとを追った。広大な芝生の庭園を縫う白い小道を突っ切って、忠実な猟犬のごとくまっしぐらに走った。

 その足音が聞こえたらしく、門のほうへ向かっていた男性が振り返った。そして、白金の長い髪を散らしながら駆けてくるちいさな姿を認めると、戸惑うように歩みを止めた。

 リーゼロッテは一気に彼のもとまで駆け寄った。


「まって……」


 あとの言葉は出てこなかった。

 息をきらせながらそれだけ絞り出したものの、なんと言葉をつづけてよいのかわからない。よく磨かれた男物の黒い革靴を見つめながら、息が整うのを待った。頭を必死に回転させる。


 若い男性は、そんなリーゼロッテを静かに見おろしていた。ようやく一息ついたリーゼロッテが顔を上げると、彼と目が合った。

 すらりと背が高く、黒い髪に黒い衣装をまとっている姿は、幼い少女の瞳には威圧感をもって映った。


 友を想って奮い立っていたリーゼロッテの心がまた委縮してしまう。

 知らない大人は怖い。特に、男性は、大きいから。 

 少しの間、ふたりは互いに相手の様子をうかがうように、だまって見つめあっていた。


 時節は薫風月になっていた。芝生の上にわだかまっていた昼の温い空気がゆっくりと冷めていき、リーゼロッテの肌をしっとりと撫でてゆく。

 黄昏る空では茜に金の雲がとけあって、つつましやかに遅い夜を呼び込もうとしていた。


 二人の間におりた沈黙を破ったのは男のほうだった。彼は女の子を安心させるかのように、口元にやさしい笑みを浮かべた。


「お目にかかれて光栄です、リーゼロッテお嬢様。ごあいさつが遅くなり申し訳ありません」


 その場で青年はうやうやしく地面に片膝をつくと、高貴な主に謁見する忠僕のような仕草で頭を下げ、ちいさな女の子に対峙した。


「はじめまして。わたくしはルイス・ハーヴィと申します。これからお嬢様の教育係としてお仕えさせていただくことになりました」


 この声をよく知っている。いつもリーゼロッテに語りかけてくれる大好きな友達の声だ。やわらかな言葉づかいも、なつかしい響きとなって、心地よく耳をくすぐった。

 聡明そうな黒い瞳は、ぬいぐるみの丸っこい瞳とはまったく違うのに、どこか似ている。その深い親しみのこもったまなざしのせいだろうか。


 実際に言葉を交わしてみて、わずかにあった怖れが消えた。パルムだ。

 彼はパルムだ。


(パルムはここにいるのね)


 魔法がとけて姿が変わるだけ。これからも側にいてくれる。


 ふっと心が軽くなった。

 リーゼロッテはマリーゴールドのような明るい笑みを零すと、ルイスと名乗った青年の瞳を見つめ返した。


「リーゼってよんで。ね、ルイス先生。わたしたち、もうおともだちでしょう?」


 はっと驚いたように、ルイスの黒い瞳が見開かれた。リーゼロッテの言葉で、彼は状況を把握したようだ。

 少しの間ののち、彼はおだやかにほほえみながら言った。


「そうですね、リーゼ」


 表情とともに、かたくるしい言葉づかいもやわらいだ。

 リーゼロッテは自ら手を差し出した。ルイスは持っていた本と書類とを小脇にかかえ直して、両手でそっと女の子のちいさな手をつつむ。

 パルムがよくそうしていたように。


「これからも仲良くしてくださいね」


「うん」


 大きな手だった。

 リーゼロッテは握る手に力をこめて、はにかんだように笑った。


 それは六歳の春のおわりのある日のこと。

 幼い女の子にとって一生忘れられない一日となった。

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