16.パルムからの手紙

 初夏の澄んだ空は金糸雀カナリア色に染まり始めていた。

 リーゼロッテは気持ちよく目を覚まして、布団を押しのけた。たくさん眠った気がする。

 ほんのり夕暮れの近づく気配の漂う寝室を見渡すが、誰かがいる気配はない。


(パルムはどうしたの? エステルは? おこしにこなかったのかしら)


 午後のお茶にも呼ばれていない。どうしたのだろうか。今日のおやつはなんだったのだろう。食べ損ねてしまったのは残念だ。

 立ち上がってサンダルを履いた時に、サイドテーブルの上に置かれているものに気づいた。水をたたえた古いインク壺だった。一輪の桃色の花が活けてある。


(ひなげしだわ)


 ちいさな即席の花瓶の前には、一枚の紙が置かれていた。誰かからの言付けのようだ。

 その整然とした筆跡は、これまでも何度か目にしたパルムのものだった。

 目をとおすなり、思わずリーゼロッテはふきだしてしまった。


『あいするリーゼへ


 かれんなおはなを ぼくのひめぎみに


 ぱ  より』


「『ぱ』って……!」

 

 なんて間の抜けた響きなんだろう。


 (どうして、ちゃんとパルムってかかないの?)


 くすくす笑いながらも、手紙に込められた彼の想いがうれしかった。短い文章を何度も読み返してしまう。ほわりと胸があたたかくなった。

 パルムは大人のようにしっかりしているのに(実際大人だったのだが)、ときおりこんなふうにわざと抜けたことをして、リーゼロッテを笑わせるのだ。

 

 そんな彼の様子を想像していて、ふと気づいた。


(パルムのあの手で、ペンがもてるのかしら?)


 指がなくて、ただまるい、あの毛玉のようなふかふかな手で? もしどうにかペンを持てたとしても、こんなにきれいな字が書けるだろうか。


 そうか。

 あの男の人の姿で書いたんだ。

 これまでも、そうだったんだ。

 屋敷のどこかでこっそり人の姿で手紙を書いて、パルムの姿になって渡しに来てくれたんだ。

 そのほうがリーゼロッテが喜ぶと思ってのことだろう。


 青年の姿の彼が、リーゼロッテに手紙を書く姿を想像してみた。「あいするリーゼ」「あなたのパルムより」と綴ったとき、彼はどんなことを思っていたのだろう?

 パルムの手紙は、いつも親愛とユーモアにあふれていた。リーゼロッテと彼とは、互いに想い合うよい友達だったと思う。

 でも、ずっとあの人は陰にいた。いくら友達のために務めても、本当の姿を知られることはなく。本当の名前を呼んでもらえることもなく。

 真実の自分では、きっとちいさなはにかみやの女の子に、好かれないと思っていたからだろう。リーゼロッテの喜びのために、ずっとパルムでいつづけていた。

 さみしくはなかったのだろうか?


 追いかけていって、抱きしめたくなった。心配しなくていい、どんな姿でも嫌いになったりしないからと言って、安心させてあげたかった。

 ぬいぐるみだって、大人の姿だっていい。パルムの心を抱きしめてあげたい。


(いまどこにいるの?)

 

 一言伝えたい。いますぐに。

 深く考える前に扉を開けて駆け出していた。




 いつになく急いで一階に降りてきたリーゼロッテを見て、エステルが声をかけた。


「お嬢様。起きていらしたのですね」


「どうしておこさなかったの? パルムはどこ?」


 いつもはおっとりしているリーゼロッテからの斬りこむような問いに、エステルは虚を突かれたようだった。


「パルムさんなら、いましがたお帰りになってしまわれました。あの、お嬢様にご挨拶をと待っていらっしゃいましたが……。お疲れなのかもしれないから無理はせずに、今日はこのまま起きるまで寝かせてあげて欲しいと……」


「おそとに行ったの?」


「え、ええ、おそらくは……」


「どっちに行ったの?」


「それは……ちょっとわかりかねます」


 エステルは困ったように返事をした。その瞳が、ちらりと窓の方を向いた。

 外に行ったのか。まだ前庭を歩いているのかも。リーゼロッテは正面玄関に向かった。


 すこし開けたドアから外を覗いていると、薄暗がりの前庭の遠くに、ひとりの黒髪の男性らしき背中が見えた。

 昼間に食器室で見かけた黒髪の青年に似ている。おそらく裏手の使用人や業者用の通用口のほうから出てきたのだろう。正門の方角に向かって歩き去って行くようだ。


「えっ、お嬢様……!?」


 エステルの制止の声も聞かずにリーゼロッテは駆け出した。

 

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